始まり
即身仏は、大切な文化遺産です。
一緒に守っていきましょう。
「そうですか。」
私は、お寺の人の話に耳を傾けていた。
というより、お寺の人の目を見て、うなずいていたけれど、実際は、話を聞いているふりをしていた。もう、そんなことは、どうでもいい。インターネットのサイトに載っていた記事と同じことを話している。知識は、どうでもいい。それよりも早く即身仏に会いたい。なぜか、私は、まだ見ぬ恋人に会うかのように胸が高鳴っていた。
「こちらです。」
お寺の人が夕日の赤い色に染まった障子の戸を開けた。
「やはり、思った通り。」
私は、おもわずにんまりしてしまった。即身仏の朽ち果てた肉体はこの世のものではない。もしかするとあの世にも行けなかったかのような気がした。障子に映る夕日の色は、赤から黒へと変わっていく。この即身仏がいる部屋に雰囲気が合っているような気がした。
もう、空は、暗くなった。もう家へは、帰れないというか、駅にも歩いて帰れないだろう。
「あの、泊まりたいのですけど、いいですか。」
小さな声で、遠慮がちに言った。
「もう、こんなに暗くなってしまったので…。あっ、こちらの方にとっては、普通ですよね。失礼いたしました。慣れていなくて、私は方向音痴なので、きっと道に迷ってしまいます。すみません。お手数をおかけいたしますが、泊まってもよろしいでしょうか。」
「はい、いいですよ。お部屋は、こちらです。」
お寺の人に案内され、言われたとおりに後をついて行った。
廊下を歩いていると、なぜか、私の不安な気持ちを映しているように見えた。黒いけれど血のように赤い色が見えたような気がした。
「こちらです。」
笑顔で、私の顔を見て、戸を開けた。何も置いていない畳の質素な部屋には、もうすでに布団がきれいに敷いてあった。事前に連絡も何もしていないのにまるで、私が来ることを予期していたかのようだ。私は、何も疑いもせずに部屋の中に入った。戸を開けると、私より先に部屋に急ぎ足で入っていったお寺の人は、まじめな顔して、着物を脱いで、聞いたことのない言葉を叫んでいた。大きな声に驚いた私を見ると、
「これは、即身仏を見た方が、現実世界にきちんと戻れるようにするための言葉です。今から、身も心も清めます。」
確か、人里離れた田舎の何代にもわたって、続いているお寺には、現在人が聞いたら、信じられないような習慣があると、本で読んだことがあるような気がする。お寺の人と目が合った。あまりにも真剣な顔で私を見つめている。即身仏を神聖なものだと思う人がいるということは、知っている。けれど、私は、ただの興味本位で、お寺に来てしまった。私は、魂とか、抽象的なことは、信じていない。こんな人里離れた田舎のお寺だ。きっと、このお寺に続いている儀式だ。昔からやってきたことだからというに違いない。そんなわけで、気乗りもしないのになぜか、お寺の言う言葉に従って、布団の中に入ってしまった。
この物語はフィクションです。
完全に作者の妄想による創作物となります。