7:クリスのママ(2)
「もう、少しは大人しくしててよ……」
『それはこちらの台詞ですわよ。ロゼフィーヌ様はさっさと切り捨てて下さいませ』
「だから、なんでそんなにロゼフィーヌ様を嫌うの? あの人、すっごく親切だし、頼りになる良い人だよ?」
百合の言葉に、ユリーシアは鼻で笑って答える。
『あの方、野心の塊ですわよ。油断していると、蹴落とされますわ』
ユリーシアの目は真剣だった。百合はごくりと喉を鳴らす。
『こちらの世界は良いわね。醜い足の引っ張り合いなんてないもの。パパさんもママさんも優しい。身分も気にしなくて良い。女でも学業に専念できる。とても、素晴らしい世界だわ』
恍惚とした表情で、ユリーシアは百合の世界を語る。ユリーシアは百合としての生活が楽しくてたまらないらしい。
なんとなく釈然としないまま、ユリーシアとの通信は終わった。百合はぼんやりと立ち尽くす。
「大丈夫か」
「うん」
ギースの心配そうな声に、力なく笑ってみせる。腕の中のクリスは、そんな百合を元気づけるようにぎゅっと抱き着いてきた。
「クーちゃん、ありがとね」
「にゃ」
満足そうに笑うクリスに、百合も微笑み返す。少し、元気が出てきた。
「まま!」
ガントも負けじと百合にしがみついてくる。
「ガンちゃんもありがとう」
ガントと目線を合わせるために、腰を下ろす。二人の子どもがぴったりとくっついてくるので、とても温かい。なんとなく、その温かさに涙が出そうになる。
ふと視線を感じて振り向くと、ギースが優しい目でこちらを見ていた。その紅い瞳に自分が映っていると思うと、カッと頬が熱くなる。
恥ずかしさをごまかそうと、百合は話題を捻り出す。
「あ、あの! 子どもたちに話し掛ける言葉なんですけど!」
勢いよく話し始めた百合に気圧されながら、ギースがこくこくと頷く。
「名前を呼んであげたら良いと思います!」
「名前?」
「そうです! ガンちゃんもクーちゃんも自分の名前は分かるんですよ。お返事もできますし!」
訝しげな顔をするギース。百合は実践してみせることにする。
「ガンちゃん!」
「あい!」
ガントに向かって呼び掛けると、ガントは小さな手を元気よく上げて返事をした。
「……クリス王子も手を上げているが」
ギースが冷静に指摘してきた。確かに百合に抱っこされているクリスも元気よく手を上げている。
「……細かいことは良いんですよ。それより、ほら、名前を呼んであげて下さい!」
「分かった」
ギースがゆっくりと深呼吸した後、ガントを見つめる。
「……ガ、ガント」
ギースの声はかなり小さかった。ガントもどう反応したら良いのか迷っている。じっと見つめあうだけの親子の姿。
ガントの方が先に焦れて、助けを求めるような目で百合を見る。返事をしてもらえなかったギースも、情けない顔をしながら百合を見る。
その二人の姿はそっくりで。百合は思わず噴き出す。
さすが親子である。
「ふ、ふふっ。えっと、『ガンちゃん』って呼んであげた方が良いかもしれませんね。できれば、もう少し大きな声で。ふふふっ」
笑いながら助言すると、ギースは神妙に頷いた。そして、改めてガントの方を向いて呼び掛ける。
「ガ、ガンちゃん」
「あい」
ガントが小さな手を上げた。それを見たギースが目を丸くして、頬を赤く染める。
「返事、した」
「そうですね。上手にお返事できたガンちゃんを褒めましょう。ガンちゃん、すっごく上手だったよ!偉いね、お利口さんだね!」
百合はガントを大袈裟に褒めてみせた。ギースは呆気にとられてぼんやりしていたが、どこか誇らしげにしている息子を見ると、頬を緩めた。
「本当に、上手だった」
節くれ立った大きな手が、さらさらとした赤髪を撫でる。頭を撫でられたガントは、一瞬きょとんとした表情になる。しかし、すぐにふにゃりと嬉しそうに笑った。
「良かったね、パパも褒めてくれたね!」
「ぱぱ」
百合とギースに褒められて、ご機嫌なガントが新しい単語を口にした。
「ぐっ」
ガントの可愛らしい声で紡がれた「ぱぱ」という単語は、的確にギースの心を貫いたらしい。ギースは胸のあたりを押さえて蹲る。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ」
(意外と子煩悩になるタイプかも)
百合は心の中で呟きながら、ギースを見守る。顔を赤くして子どもと向き合う美青年を観察するのも悪くない。