5:入れ替わり(5)
「どういうことか、説明してもらえないか」
鏡の中のユリーシアをちらりと見て、ギースが百合に尋ねてきた。背の高いギースに見下ろされる形になった百合は、気まずくて目線を逸らす。
「これは、その……」
『ギース様こそ、なぜそこにいらっしゃるの? いつも私のことなど無視しているくせに』
鏡の向こうのユリーシアが冷たく言い放つ。顔を歪ませ、まるで憎い人間を目の前にしているかのように苦々しい顔をしている。
ギースが鏡を見て、首を傾げる。
「誰だ、君は」
『まあ! 自分の妻の顔も忘れたというの? 最低ね』
ここで百合は気付く。鏡の中に映っているのは黒髪黒目の女子大学生だ。入れ替わる前の百合の姿である。ギースが分からないのは当然だ。
「ユリーシア、落ち着いて。とにかくまずは説明を……」
百合がなんとか取り成そうと口を挟む。すると、鏡の向こうから聞き慣れた声が聞こえてきた。
『百合ちゃん!』
ユリーシアを背中から抱き締めるようにして、こちらを覗き込んでくるのは母だった。よく見ると、その後ろには父の姿もある。
「ええー……」
お互いの家族、大集合か。百合はなんだか面倒なことになったなと、両手で顔を覆った。
百合とユリーシアが入れ替わったこと、そして、元に戻るには少し時間がかかりそうなことを百合の両親とギースに説明した。
ギースは説明が終わった後も、難しい顔をしたままだ。拳を顎に当てて、眉間に皺を寄せている。一歳児がとんでもない魔法を使ったことが信じられないようだ。
一方で、百合の両親はあっさりとその事実を受け入れた。
『なるほどね。魔法ってすごいのねえ』
両親の柔軟な態度が逆に恐ろしい。簡単に詐欺とかに引っ掛かりそうだ。これからは自分がしっかりしようと、百合は密かに決意する。
大人たちが話をしていたのが煩かったのか、クリスがベッドの中でぐすぐす言い始めた。
「ふ、ふにゃあ……」
「あわわ、クーちゃん!」
慌ててクリスを抱き上げて宥める。ここで大泣きされても困る。
『あら、可愛い。その子がクーちゃん?』
「うん、そう。あ、ママ、ちょっと質問」
『なあに?』
せっかく母という子育ての先輩がいるので、昼間聞きそびれたことを質問してみることにした。
「ガンちゃんは結構お喋りしてくれるんだけど、このクーちゃんは『にゃあ』くらいしか言わないの。これって普通?」
『そうね……』
母は個人差があるからあまり気にする必要はないけれど、と困ったように笑った。
『一歳半くらいよね。確かにもう少しお話しできても良い頃よ。たくさん話し掛けてあげると良いんじゃない?』
「そっか。分かった。頑張る」
百合が素直に頷くと、鏡の向こうのユリーシアが感心したように呟いた。
『百合って真面目ね』
「そうかな? 別に普通だと思うけど。ね、クーちゃん」
「にゃ!」
可愛らしい返事に百合は微笑む。鏡の向こうのユリーシアの表情は少し固い。
『私は、余程のことがない限り、クリス王子を抱っこしようなんて思わないわ。言葉だって、気にしたこともない』
俯いたユリーシアの頭を、母が撫でた。
『ユリーシアちゃん、そんな顔しなくても良いの。ユリーシアちゃんが良い子で頑張り屋さんなことくらい、ママ分かるんだから』
『ママさん……』
『そうだよ、ユリーシアちゃん。パパもユリーシアちゃんが礼儀正しい賢い子だってこと、知っているよ』
なぜか父まで参戦して、奇妙な親子劇場が始まってしまった。ギースがぽかんとしてその様子を見ているのに気付くと、なんだか百合の方が恥ずかしくなってくる。
「と、とにかく、今日はこれくらいで! また連絡するから!」
鏡面をとんとんと叩くと、親子の姿は消えた。百合はほっと安堵の息を吐く。
「あの、その、そういう訳なので。ギース様もそろそろ……」
クリスを抱っこしたまま扉に向かい、ギースを外へと促す。ギースはひとつ頷くと、部屋から出ていく。
「お恥ずかしいところをお見せしました……」
「いや。……良いご両親だな」
ギースは百合を見つめて、ふと表情を緩めた。初めて見るギースの柔らかい笑顔に、百合の胸がどきんと鳴った。
扉が閉まり、足音が遠ざかると、百合はへなへなと座り込んだ。
「なんだあれ、反則でしょ」
「にゃあ?」
頬が熱いのは両親の繰り広げた親子劇場のせいなのか、それとも。
クリスの小さな体をぎゅっと抱き締めて、しばらく百合は悶えたのだった。
*
魔術師団長ヒューミリスが調べた結果、クリス以外の人間が元に戻す魔法を使うのは、不可能ではないが、かなり高度な魔術を駆使しなくてはならないということが判明した。
珍しい魔導具なども必要になるらしく、その準備に三ヶ月はかかりそうだと言われた。
「世界を越える魔法じゃからな。並の魔術師では歯が立たんじゃろうよ」
この王国一の魔術師であるヒューミリスでさえ、一人では厳しいと零した。そのため、魔力の強い助手の力も借りなくてはいけないらしい。
その助手として連れてこられたのは、十二歳の少女だった。黒い髪に紅い瞳。ヒューミリスの弟子だというその少女は、不愛想で、百合を冷たく一瞥しただけだった。
「これ、メリッサ。きちんと挨拶せんか」
「あたし、関係ないし」
ふんと顔を背ける少女に、これは前途多難だなと思ってしまう。
しかし、元に戻る道筋は見えてきたのだ。とにかく三ヶ月、なんとか頑張ってみようと百合は拳を握った。