4:入れ替わり(4)
「そろそろねんねしようか、二人とも」
へとへとになった百合の前には、元気いっぱいのクリスとガント。もう夜も遅い時間だというのに、なぜこんなにも元気なのか。
夕食を食べさせた後、またおしめを替えて。汚れたおしめを回収しに来てくれた侍女だかメイドだかよく分からない女性に「もっとまめにおしめを替えろ」と怒られた。
そういえば、食事を運んできてくれた女性にも怒られた。「もっと食べさせろ」と。ガントはしっかり食べていたので、クリスに対してのことだろう。もう心が折れそうだ。
お風呂に入れるのも大変だった。広い浴槽に入れる訳にはいかなかったので、小さな子ども用の浴槽に入れたのだが、二人ともとにかくじっとしていない。ちょっと油断している隙に、ガントが転んで膝を怪我してしまった。ガントと一緒に百合も泣いてしまいたかった。
「もう無理……早く元に戻りたい」
顔を両手で覆って弱音を吐く百合。その頭を小さな手のひらがぺしぺしと叩いてきた。
「ガンちゃん、慰めてくれるの? 優しいねえ」
百合がガントを抱き締めると、ガントは嬉しそうに体を跳ねさせた。
「まま!」
「はいはい。何かな、ガンちゃん」
「まーま!」
百合は本当のママではないが、そう呼ばれるのはちょっと嬉しい。なんとなく照れ臭くなって、それをごまかそうと、ガントに頬擦りをした。
「にゃ!」
クリスが不機嫌そうな顔で、百合とガントの間に潜り込んできた。どうやらクリスも構ってほしいようだ。
「クーちゃんも良い子だね! ほらほらっ」
ガントにしたように、クリスにも頬擦りをしてやる。クリスが声を立てて笑った。何かもう、本当に可愛い。
しかし、いつまでもこうしてじゃれている訳にはいかない。今は夜。寝る時間なのである。
「さあ、ねむれーねむれー」
クリスとガントをころんと転がして、布団を掛けてやる。しかし、二人の子どもはこれが新しい遊びだと思ったらしく、余計に元気になってしまった。
百合がクリスとガントを転がす。すると、クリスもガントも満面の笑みで起き上がり、また転がしてもらえるのを待つのである。
「そんな期待の眼差しをされても……」
綺麗な碧の瞳と翠の瞳が、揃って百合を見つめている。
百合はしばらく遠い目をした後、ひとつ大きな息を吐いた。そして、二人の子どもを同時に抱き上げ、ベッドに腰掛ける。
クリスとガントは甘えるように百合にべったりくっついてきた。その二人の背中を優しくとんとんとリズム良く叩いてやる。
百合は幼い頃、自分の母親が子守歌をよく歌ってくれていたのを思い出した。穏やかで温かく、優しい歌声。大好きな母の声で紡がれるその子守歌は、思い出すだけでも温かな気持ちになる。
母のように上手に歌えはしないけれど。
百合は二人の子どもの顔を見ながら歌い始めた。
歌に合わせて、優しく体を揺すってやる。きょとんと目を丸くしていた子どもたちは、何度も歌を繰り返すうちに、ゆっくりと目を閉じた。そして、ふにゃふにゃと幸せそうに顔を緩ませて、夢の世界へと旅立ったのである。
部屋の隅にある子ども用のベッドの方へと移動させようかと思ったが、まあいいかとそのまま大人用の広いベッドに寝かせることにした。
「おやすみ。クーちゃん、ガンちゃん」
大人用のベッドは、改めて見ると馬鹿みたいに広い。子ども二人と百合が寝ても、まだまだ余裕がある。それでも、子ども用のベッドがわざわざ少し離れたところにあるのは、きっとユリーシアのせいだろう。
子どもと一緒に寝るのが嫌で、一人でこのベッドを使っていたに違いない。百合はベッドが広すぎて落ち着かないので、子どもたちがいてくれると逆に安心するが。
丸くなって眠るクリスのほっぺを優しく撫でる。温かくて柔らかい。大の字で堂々と眠るガントの髪を優しく撫でる。さらさらと気持ち良い。
百合はふふっと笑みを零した。
――とんとん。
控えめなノックの音がした。それから、ゆっくりと扉が開かれる。
「少し、いいか」
現れたのは、赤毛の青年ギースだった。ユリーシアの夫で、ガントの父親。百合は静かに頷いて、ギースにソファを勧めた。下手に騒がれて、子どもたちが起きてしまってはたまらない。
ギースももう休むつもりだったのだろう。朝に見た騎士の制服ではなく、シンプルな寝巻きを着ていた。
「何があったんだ、ユリーシア」
開口一番、ギースが問う。百合はどう答えるべきか悩む。
「ユリーシア」と呼ぶところを見ると、入れ替わりのことは知らないらしい。それに、ユリーシアは「放っておいて構わない」と言っていた。
どうせすぐに元に戻してもらうつもりだし、詳しく話をするのも面倒な気がする。大体、いきなり現れて「何があった」と聞かれても困る。そもそもこの夫婦、たいして仲良くなかったはずだが。
ぐるぐる頭の中で考えた後、ここは上手くごまかして帰ってもらうのが一番だと結論付けた。
「何もありませんよ。お気になさらず」
ユリーシアの真似をして、上品に話す。しかし、ギースの渋面は変わらない。重い沈黙。
ちらりとギースがベッドにいる子どもたちを見遣る。百合も釣られてそちらを見る。クリスもガントも大人しく眠っているようだ。
「なぜ……」
ギースがぽつりと呟く。百合は黙って続きを待ったが、それきりギースは言葉を発することはなかった。
「もう夜も遅いので、お帰り下さい」
百合は沈黙に耐えられなくなって、ギースを追い出すことにした。扉を開けて、手で帰るように促す。ギースは困惑した顔で目線をうろうろさせていたが、やがて諦めたように立ち上がった。
その時、壁にかけてある鏡がきらりと光った。ギースが目を見開いて、鏡を凝視する。百合は慌てて鏡の前に駆け寄り、ギースに見られないように体で隠す。
『百合、ちょっと聞いて下さるっ?』
百合の背中の方から、ユリーシアの興奮した声が発せられた。ギースが顰めっ面で近寄ってきて、鏡の前から百合をそっと退かせた。




