番外編1:すごいな、恋する乙女たち
今夜も百合は子守歌を歌う。クリス、ガント、ロイ。三人の可愛らしい子どもたちは、百合の歌声に誘われて、夢の世界に旅立つ。
ぷくぷくとしたほっぺた。しっとりとした小さな手のひら。子ども特有の高い体温。ふにゃりと緩んだ寝顔は、百合の心を鷲掴みにする。
「可愛いなあ、もう」
幸福感に包まれながら、百合は微笑んだ。
そんな可愛らしい三人の子どもたちの向こう側。今日もギースが一緒にいる。百合の子守歌を聞きながら、彼も気持ちよさそうに眠りに落ちた。
美青年は寝顔もやっぱり美しい。
百合はじっくりとギースの寝顔を見つめる。さらりと流れる赤い髪。鼻筋はすっと通っており、口元は引き締まっている。今は閉じられている瞳の、うっとりするような紅い輝きを思い出す。
広い肩幅とか。男性らしさが如実にわかる喉仏とか。ごつごつした大きな手とか。近付いた時に不意に香る清涼感のある匂いとか。
(……ドキドキする)
百合の頬がぽっと熱を持つ。こんなに端整な顔だちをした素敵な人に「好きだよ」と言ってもらえたなんて。
そういえば、額にキスをされたこともあった。温かく柔らかな感触を思い出す。そっとキスをされた箇所に触れると、指先にまで熱が伝わってくるような気がした。
眠るギースの唇を凝視する。零れる吐息が色っぽくて、胸の奥がムズムズしてくる。あの唇が百合に触れたのだ。ちゅ、という音まで脳内で再生してしまう。
(どうしよう! ドキドキが止まらないよ!)
手に汗を握りながらも、ギースの唇から目が離せない。あの唇から紡がれる甘い言葉は、いつだって百合を痺れさせる。両想いになったあの日から、ギースは毎日愛を囁いてくれている。
(でも、ギース様は本当に私なんかで良いのかな……)
この世界に来て、百合はただ子育てに夢中になっていただけだ。ギースのために何かしたことがあっただろうか。ギースは百合のために色々と動いてくれていたというのに。
ベッドの傍に置いている魔導具の明かりを少し暗くする。これ以上ギースの顔を見つめていたら、どうかしてしまいそうだ。
すぐ隣のクリスの小さな手を握る。ふにゃりとクリスが顔を緩ませた。そんな可愛らしい子どもに癒されて、少し心が落ち着いた。
(うん、寝よう)
百合はぽすんと枕に頭を乗せて、目を閉じる。すると、今度は聞こえてくる寝息に集中してしまう。
くうくうと小さく零れる寝息は子どもたちのものだ。では、ゆっくりと落ち着きのある、あの寝息は。途端に速くなる鼓動を抑えようと、胸に手を当てる。
(静まれ、静まれっ)
必死に呼吸を整えて、精神統一しようと目を固く閉じる。しかし、全く効果はない。恋している相手がこんなに近くにいるのだから無理もない。こういう経験は本当に乏しい百合なのだ。
このままではドキドキのしすぎで心臓が壊れるのではないだろうか。
世の中の恋する乙女たちは皆、こんな過酷な試練を乗り越えているのか。
すごいな、恋する乙女たち。
ぐるぐると頭の中で意味の分からない称賛をしながら、百合は小さく唸った。もう全身が熱くて仕方ない。
その時、ギースが寝返りを打った。
「う……ん」
ギースの零した吐息まじりの声に、百合は叫びそうになって慌てて口を塞いだ。
(い、色気が半端ない!)
もう眠れる気がしなくなった百合は、カッと目を見開いた。子どもたちを起こさないようにそっと起き上がり、深呼吸を始める。
ちらりとギースの方を見ると、胸元が少しはだけていた。艶めいて見える鎖骨はもちろん、騎士として鍛えている厚い胸板にも心がときめく。ときめきすぎて、頭がおかしくなりそうだ。
百合はすすっとガントの小さな体をギースの傍に寄せる。ガントはむにゃむにゃと言いながら、ギースにぴとっとくっついた。そのおかげでギースの胸元は隠され、百合はほっと胸を撫で下ろした。
ガントがママを守る立派な騎士となった瞬間である。
ふうと息を吐いて額の汗を拭うと、どっと疲れが押し寄せてきた。
(あ、今なら眠れそう)
百合はそのまま気を失うように倒れ込み、夢の世界へ旅立った。
*
朝。
目覚めるのが一番早いのはギースである。ふわあと大きなあくびをして、滲んだ涙を軽く指で拭う。
胸元にガントがひっついていた。可愛い息子の姿にギースの頬が緩む。さらさらの赤毛を撫でてやり、小さな体をそっと離す。
「……可愛いな」
こんなに自分の息子を愛しく思う日が来るなんて、思ってもみなかった。
政略結婚で美人の妻を得ることができた時には、内心喜んだ。しかし、その妻はギースに冷たかった。というか、家族に冷たかった。子どもが生まれたら変わってくれるのではないかと希望を抱いたこともあったが、残念ながら何も変わらなかった。
ギースも妻と仲良くできるように努力をしたつもりだった。乳母として苦労している姿を見て、自分も何かできないかと頭を悩ませていた。けれども、結局は何もできないまま、何も変わらないまま、日々は過ぎていった。
そんな時、百合が現れた。
最初は正直信じられなかった。あれだけ冷たかった妻が、子どもたちに微笑みかけているなんて。子どもたちがあんなに嬉しそうに妻を慕っているなんて。
そして、自分の呼び掛けにガントが応えてくれたあの日。「ぱぱ」と初めて呼んでもらえたあの日。百合という人間をしっかりと認識した。
百合と一緒にいると、時折泣きそうになる。胸の奥が温かくて、嬉しくて、幸せで。ずっと一緒にいたかった。元の世界になんて、絶対帰したくなかった。
だから、百合が「ここに残ります!」と言ってくれた時、どれほど嬉しかったことか。
百合のその選択を後悔させたくない。だからこそギースは毎日愛を囁く。本音を言えば、そういう行動は恥ずかしくてたまらないのだが、百合が喜んでくれるならそれで良い。というか、照れて真っ赤になる百合が、また愛おしかったりする。
「百合。……好きだよ」
眠っている百合にそっと囁く。茶色の滑らかな髪を一房すくいとって、軽くキスを落とす。それから、百合の頬に手を添えた。きめ細やかな肌に触れると、指先が熱を持った。
赤く柔らかな唇を親指でなぞる。魅惑的な香りに胸が高鳴る。まるで吸い寄せられるように、顔を近付け、そして。
「にゃっ!」
クリスに邪魔された。いつの間に目覚めたのか、大きな碧の瞳でじっとギースを見つめている。
「クリス王子。邪魔をしないでいただきたいのですが。……百合は俺のなので」
「ぱぱ、めっ!」
ぷうと頬を膨らませたクリスは、ギースを押しやり、百合に抱き着く。
クリスがママを守る立派な騎士となった瞬間である。
ギースは呆気にとられて言葉を失ったが、満足そうに鼻を鳴らすクリスを見て、つい笑いが漏れてしまったのだった。
*
「ギース様、何か私にしてほしいこととかないですか?」
「……なんだ? 突然」
朝ごはんを一緒に食べた後、百合はギースに尋ねた。ギースは首を傾げる。
「いつも私ばっかりお世話になっているので。私もギース様のために何かできたらなって思ったんです」
「百合が傍にいてくれるだけで、俺は充分なのだが」
ギースの言葉に、百合の頬が真っ赤に染まる。
「そ、そういうんじゃなくて! あの、ギース様の妻としてできることを頑張りたいというか、もっとギース様に好きになってもらえるように努力したいというか……」
百合は忙しなく指をもじもじさせながら言った。ギースはそんな百合を見て、相好を崩す。
「では、ひとつだけ」
「な、なんですか?」
「百合と二人っきりでデートしたい」
クリス、ガント、ロイに邪魔されない二人きりの時間。
初々しい恋人のように過ごすそのデートが実現するのは、もう少し先のこと――。
本編の最終話を更新してから、ブックマークや評価が次々と……! ありがとうございます!
感想までもらえて、嬉しい限りです!
嬉しすぎて……どうしよう! ドキドキが止まらないよ!
さて、明日は番外編第二話「クリスと魔法の授業」です。
クーちゃんが大好きなママのために頑張るお話です。
引き続き、お楽しみください♪




