33:鏡の向こうの子守歌(2)
(心配、してくれてるんだよね)
ロイを引き取ってから、主に貴族から奇妙なものを見るような目で見られることが多い。時には、偽善者だの非常識だの、心ない言葉をひそひそと囁かれることもある。
それでも百合はロイを手放す気はない。
そんな百合の我が儘を許し、支えようとしてくれているギース。これからの人生を歩む上で、必要不可欠である大切な存在。その温かな眼差しに、とくんと百合の胸が鳴った。
ああ、『落ちた』。
受験生の時には恐怖でしかなかったその単語は、全く別の意味を持って百合の心を温かく満たす。
ユリーシアに知られたら「気付くのが遅すぎる!」と怒られそうだ。しかし、怒った後には笑ってくれるのだろう。
「あの、ギース様」
「なんだ、百合?」
「私……ギース様のことが、好きです」
庭園に涼しい風がさらさらと音を立てながら吹き抜けていく。
ギースは目を瞠り、ごくりと喉を鳴らした。しかし、次の瞬間には、今までで一番甘く輝く笑顔を見せた。
「俺も、百合が好きだよ」
目と目が合った。身体の奥底が熱い。恥ずかしくて苦しいのに、それでも幸せで心地良い。
この人が、夫で良かった。
「がんちゃもー!」
「くーちゃもー!」
小さな二人の騎士が、ぽんぽんとお尻を跳ねさせて主張する。百合とギースはその様子を見て、ほぼ同時に噴き出した。
そこに侍女が通りかかって、メリッサに尋ねた。
「楽しそうですね。何かあったんですか?」
メリッサは風に乱された髪を耳にかけながら、ため息まじりに答えた。
「漸く、恋に『落ちた』のよ」
*
「ただいま!」
少し長くなった黒髪はヘアゴムでひとつに結ばれ、歩くたびにさらりと揺れる。買ったばかりのワンピースの裾がひらりと翻って、その足は迷いなく居間へと向かう。
「おかえり、シアちゃん」
「おかえり。どうだった、上手くいきそうか?」
台所に立っている母と居間で本を読んでいた父が、揃って娘に声を掛けてきた。
「夏休み中には無理そう。でも頑張るわ!」
ユリーシアは両親に明るく答えた。今、ユリーシアは自動車の運転免許をとるために教習所に通っている。しかし、機械にとことん弱いユリーシア。先はまだまだ長そうだった。
「オートマ限定でも良かったんじゃない?」
「どうせならマニュアル車も乗れるようになりたかったんだもの。それに、負けた気がするでしょう?」
「シアちゃんは負けず嫌いだな。本当に頑張り屋の良い子だ」
父の褒め言葉に、ユリーシアは頬を染める。こういう扱いはいつまで経っても慣れそうにない。
「……ママさん、パパさん」
「なあに? シアちゃん」
「二人から、百合を奪ってしまってごめんなさい」
ずっと言わなければと思っていて、言えずにいた言葉をユリーシアは口にした。
ユリーシアと百合、お互いに納得して選んだ未来。しかし、父や母は大切に育ててきた娘と離れ離れになってしまった。それはとても申し訳ないことであり、許してもらえなくても仕方ないことだった。
俯いてしまったユリーシアに、母が優しく寄り添った。
「確かに百合ちゃんがここにいないのは寂しいわ。でも、大丈夫なのよ」
「なぜ?」
「代わりにとっても良い子のシアちゃんがいるし。それに……」
母は父と目配せをした後、くすりと笑って言った。
「百合ちゃんはお嫁に行っただけだもの」
はっとして、ユリーシアは母を見上げた。母は優しい瞳でユリーシアを見ていた。
「大好きな人と結婚して、可愛い子どもたちに囲まれて。百合ちゃんが毎日幸せそうにしている、それだけで私たちは嬉しいのよ」
ユリーシアは思わず涙が零れそうになったが、なんとか堪えた。
「百合と話をしてくるわ。今すぐ!」
階段を上がり、自分の部屋に駆け込む。そして、手鏡をとんとんと指先でノックした。
鏡の向こうから聞こえてくる優しい旋律。先程の母の優しい声とその歌声は、よく似ている気がした。子どもを大切に思う、母の声。
子守歌を歌う茶髪の女性の後ろ姿が見える。その目線の先には、すやすやと眠る子どもが三人。
金色のふわふわした髪の子ども。赤色のさらさらした髪の子ども。そして、空色の髪をした、二人より少し小さな子ども。
三人の子どもを優しく見守っているのは茶髪の女性だけではない。赤髪の騎士も、すぐ傍にいた。
茶髪の女性も、赤髪の騎士も、幸せそうな顔をしている。
ユリーシアが手に入れることができなかった世界がそこにはあった。しかし、悲しみも悔しさも全く感じない。ユリーシアの胸の中にあるのは、ただ嬉しいとか安心したとかいう気持ちだけだ。
生まれて初めて、ユリーシアは心から幸せそうに微笑んだ。
「これからもずっと、幸せでありますように」
鏡の向こうの子守歌に耳を澄ませる。
それは紛れもない、幸せの歌だった。
本編はここまでです。読んで下さって、ありがとうございました!
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明日の夕方からは、番外編が始まります。一話完結のお話を五つの予定。
番外編第一話は「すごいな、恋する乙女たち」。百合がギースにドキドキする話です。
引き続きお楽しみ下さい!
番外編は夕方から夜にかけての更新を予定しています♪




