32:鏡の向こうの子守歌(1)
難しい顔をして考え込んでいた百合が、漸く心を決めて姿勢を正した。
「決めた」
「何を?」
メリッサが訝しげに百合を見遣る。もう九月も下旬となり、涼しく感じる日も増えてきた。今は城の庭園でのんびりと過ごしている。
毒の事件の後、庭を恐れていた子どもたち。あれから少しずつ慣れさせたおかげで、なんとか恐怖を乗り越えてくれた。というか、何度も復活する百合に安心したとも言えるだろうか。
まあ、それは置いておいて。
「これからはロイ様ではなく、ロイきゅんです」
「は?」
「だって、様付けなんて他人みたいじゃん! かといって、ロイちゃんって言うより、ロイきゅんっていう方がしっくり来るし!」
熱弁をふるう百合に、メリッサは冷ややかな目線を送ってくる。
「珍しく真剣に悩んでると思ったら」
「大事なことだよ? ね、ロイきゅん」
百合お手製の縫いぐるみを抱っこしたロイが、こてんと首を傾げた。ロイ専用に作ったのは青色のうさぎである。もちろん帽子には青いうさぎの耳を付けて、愛らしさ満点にしてある。
「まま、おはな!」
「くーちゃもー!」
ガントが庭に咲いていた小さな花を持って、とてとてと走ってくる。クリスも後を追うように、ぽてぽてと走ってきた。
「クーちゃん、ガンちゃん!」
胸に飛び込んできた二人の子どもたちを抱き締める。ふわりと花の香りが広がった。
「ぱぱ、どこー?」
「ぱぱー?」
摘んだ花を見てもらいたいのだろう。ガントがきょろきょろと周りを見回す。クリスも一緒になってきょろきょろしている。
しばらくクリス専属の護衛騎士として傍にいたギースは、今は国王の護衛に異動となってしまったため別行動である。少し寂しいが、油断しているとすぐ愛情表現が始まってしまうので、百合の心臓にとっては良いことなのだと思う。
「パパはお仕事中だよ。ごはんの時には会えるからね!」
子どもたちの頭を順番に撫でてやると、二人ともにこにこと笑った。少しずれてしまった帽子を直してやりながら、百合はクリス、ガント、ロイの三人を仲良く並んで座らせる。
黄色い猫耳のクリス、赤色の犬耳のガント、青色の兎耳のロイ。百合のお手製の帽子は、今日もとても良い仕事をしている。
「ああ、可愛い……。写真撮りたい……」
「また百合が妙なこと言ってる」
この世界には写真もカメラもない。この光景を残したければ画家を呼んでくるしかないのである。メリッサが眉を顰めるのを見て見ぬふりをしながら、百合は三人の子どもたちを愛でた。
「そうだ! メリッサちゃんもここ座って」
「なんで」
「羊さん帽子の美少女が並ぶと、更に素晴らしい光景になると思うの」
途端にメリッサが無表情になった。確かに今日のメリッサは百合のお手製の帽子を被っているが、愛でられたい訳ではないらしい。
「嫌だし」
「残念……。まあ、それは半分冗談として」
「半分本気だったんだ」
「クーちゃんやガンちゃんにお返事のお手本を見せてあげてほしいんだよね」
ちょっと見ててねと視線をやり、百合は三人の子どもたちの前でこほんとひとつ咳払いをした。
「お名前呼ばれたら、元気にお返事してね。はい、クーちゃん!」
「あいっ」
ぴっとクリスの手が上がった。それと同時にガントとロイの手も上がる。メリッサが目を丸くした。
「ガンちゃん!」
「あい!」
またも三人の手が上がる。
「……いや、前から自分の名前じゃなくても返事をしちゃってたんだけど。それもまた可愛いと愛でてたら、ロイきゅんまでこうなってしまって……」
「何やってるの……」
十二歳の少女に本気で呆れられてしまった。だが、可愛くて仕方なかったのである。不可抗力である。
「という訳で、お手本をお願いします。はい、メリッサちゃん!」
「……無理!」
「ええっ? それじゃあお手本にならないじゃん!」
頬を染めてぷるぷると震えながら、メリッサは口を閉じてしまう。ちなみに三人の愛らしい子どもたちはメリッサの名前にも反応し、手を上げていた。
「まさに、お手上げ……」
百合はがくりと項垂れた。半分自棄になりながら、名前を呼ぶのを続けてみる。そのうち上手くできるようになれば良いなと期待して。
「クーちゃん!」
「あいっ」
「ガンちゃん!」
「あい!」
「ロイきゅん!」
「あーい」
三人とも手を上げては、きゃっきゃっと笑い声をあげる。もうこれは新しい遊びになっているのか。
「メリッサちゃん!」
「あいっ」
「……クーちゃん、ガンちゃん。ねえねの代わりにお返事しなくても良いのよ?」
先は長そうである。メリッサは無言のまま、まだぷるぷるしていた。
「ユリーシア!」
「あい!」
「ギース様!」
「あいっ」
「はい」
急に頭上から低い声が落ちてきた。百合は反射的に顔を上げ、声のした方へと目を向ける。
赤毛の美青年が頬を赤く染め、恥ずかしそうに手を上げていた。
「ひゃああっ! いや、これは、そのっ」
百合の顔も釣られたように赤く染まる。まさか本人がそこにいるとは気付いていなかった。律儀に返事をしてくれたのも、嬉しいやら恥ずかしいやらで、頭の中は軽くパニックである。
「ぱぱっ」
ガントがギースに飛び付いた。クリスもギースの長い足にしがみつく。ロイはきょとんとして、こてりと首を傾げた。
「……な、なんで、ここに?」
百合が動揺しながらも尋ねる。ギースは子どもたちを膝の上に乗せ、百合の隣に座った。そして、にっこりと笑って答えた。
「元気かなと思って」
朝も顔を合わせているし、夕食も一緒にとる予定だ。わざわざ休憩時間のたびに来なくても大丈夫なのに、と百合は苦笑した。




