表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/38

3:入れ替わり(3)

「え、じゃああの人がユリーシアの旦那さん?」


 鏡の向こうにいるユリーシアが、こくりと頷いた。

 今、二人の子どもたちは仲良くお昼寝をしている。ごはんを食べさせた後、しばらくおもちゃで遊んでいたのだが、突然、電池が切れたかのように眠ってしまったのである。


 眠る二人の子どもたちは、まるで天使のようだ。幸せそうな顔をして、柔らかな毛布に包まれている。

 百合は暇になってしまったので、ユリーシアに連絡を取った。色々と分からないことが出てきたので、それを解決したかったのだ。


 まず、あの赤毛の青年について。あの青年、子どもたちのごはんが部屋に運ばれてきたのを確認すると、逃げるように去っていった。本当に何をしに来たのやら。

 不審人物かと思ってユリーシアに聞いてみると、答えは「旦那」。しかも、赤毛の子どもの父親であるという。言われてみると、あの青年と子どもの髪色はそっくりだった。


『名前はギース。二十四歳。王国騎士団に所属する騎士をやっているわ。政略結婚だから、仲が良い訳じゃないの。放っておいてかまわないわ』

「なんか世知辛い」

『貴族なんて皆そんなものでしょう』


 ユリーシアとギースの間に生まれた子の名前は、ガントというらしい。一歳九ヶ月になる男の子。百合は「ガンちゃん」と呼ぶことに決めた。

 ちなみに金髪の王子の方はクリスというらしい。こっちは「クーちゃん」と呼ぶことにする。


「というか、この身体は一人子どもを産んだ身体だったんだね……」

『そうじゃなきゃ乳母なんてできないわよ。どうやってお乳飲ませるのよ』


 呆れた顔でユリーシアがため息をつく。百合もユリーシアも同じ二十歳らしいのだが、人生経験の差が激しい気がする。


「そうだ。クーちゃんって食が細いの? 今日あまり量を食べてくれなかったんだけど」


 ごはんを食べさせていた時のことを思い出して、聞いてみる。

 クリスは差し出された食事にいやいやと首を振って抵抗していた。百合が根気強く口に運んでやると、涙目になりながら少し食べたくらいである。ちなみに、ガントは一人でもぐもぐ食べていた。百合の分にまで手を伸ばすくらいの食欲であった。


『さあ? いつも適当に食べさせていたから、よく分からないわ』

「え? 良いの、それで?」

『私、子どもって好きじゃないのよね』


 子どもを持つ母親とは思えない発言が飛び出した。百合は呆然として鏡を見つめる。


『私は私の人生を生きていきたいの。子どもは産めと周りが(うるさ)いから産んだだけよ』


 そう言い捨てた横顔は、とても冷酷なものに見えた。

 百合はごくりと喉を鳴らして、次に気になっていたことを口にする。


「えっと、クーちゃんのお母さんは……?」

『王妃様? あの方はクリス王子の様子を見に来たこともなければ、聞きに来たこともないわよ』


 百合は知らず知らず拳を固く握り締めていた。体の奥に、ひやりと冷たいものが(よど)んでいく気がした。

 母親というのは、もっと温かい存在であるはずだ。クリスもガントも母からの愛情を全く受けていないなんて、考えたくもなかった。


『でも、こっちの世界の文字を読み書きできて助かったわ。思う存分、勉強ができそう。さすがクリス王子よね!』


 ユリーシアは明るく笑った後、『じゃあね』と通信を切ってしまった。

 子どもたちの様子を尋ねることもなく、あっさりと。


「まだ、聞きたいことがあったのに」


 百合は鏡に映る茶髪の美女を見つめた。しかし、あの様子では欲しい答えを得られそうにないので、諦めることにする。


 聞きたいことというのは、子どもたちの言葉についてだ。一緒に遊んでいるときに気付いたが、ガントはよくお(しゃべ)りする。「まんま」「ねんね」など、簡単な単語を使っていた。

 一方、クリスは「にゃあ」くらいしか言わない。ガントと変わらないくらいの年齢に見えるのだが、この差は何なのだろうと頭を(ひね)る。

 百合は身近に赤ちゃんなんていなかったので、どちらが普通なのかすらよく分からない。


「ふにゃあああ」


 ひとり考え込んでいた百合の耳に、クリスの泣き声が飛び込んできた。お昼寝から目が覚めたらしい。


「はいはい、クーちゃん。ここにいますよー」


 優しく声を掛けながら、ベッドに近寄る。すると、クリスは百合を見て、小さな手を一生懸命伸ばしてきた。大粒の涙を零しながら、抱っこをせがむその姿に、百合の心がきゅんと鳴る。


 きっと、今までもこんな風にクリスは手を伸ばしてきたのだろう。何度も、何度も。しかし、実の母親は無関心、乳母は子ども嫌い。その小さな手は、誰に取ってもらえるというのか。

 百合はクリスの小さな体を抱き上げた。子ども特有の高い体温が伝わってくる。


 入れ替わりが元に戻るまでの間だけにはなるが、これからはこの小さな手を自分が取ってあげようと、百合は思った。母親でもなければ乳母でもないが、これも何かの縁である。


「……ん?」


 百合は抱き上げたクリスのお尻をぽんぽんと軽く叩いてから、眉を(しか)めた。


 濡れている。


「ちょっと待って。まさか、ガンちゃんも?」


 ベッドの上ですやすや眠るガントを慎重に移動させると、ぐっしょりと濡れたシーツが(あら)わになった。

 よく考えてみれば、朝起きてからずっと、おしめを替えていなかった。自分の手際の悪さが嫌になる。


「にゃあああ!」


 お尻が気持ち悪いのだろう。クリスは泣き続けている。もうおしめを替えるだけではなく、服も替えた方が良いと判断して、百合はクローゼットを開けた。

 替えのおしめと新しい子ども服を準備して、着替えさせる。おしめなんて替えたことがなかったので、かなり適当になったが、仕方ない。


 クリスの着替えが終わると、ついでにガントの着替えもやっておこうと思い立つ。眠っている内にやってしまえば楽な気がしたのだ。

 しかし、ガントは抱き上げた途端、目を覚ましてしまった。そして、大音量で泣き始める。気持ちよく寝ていたところを起こされて、ご機嫌斜めになってしまったようだ。


「ああ、ごめんね。でもほら、おしめ替えたらきっと気持ち良いと思うから! ね、ガンちゃん」


 なんとかガントを(なだ)めようと四苦八苦する百合。その百合の足にクリスが絡みついてくる。


「うわ、クーちゃん! 危ないよ、蹴っちゃうよ、踏んじゃうよ!」


 思わず大きな声で叫ぶと、クリスは驚いたのか、大きな碧の瞳をまん丸にして百合を見上げた。そして、せっかく泣き止んでいたのに、また目が潤み始める。


「にゃああああ!」

「ぎゃああああ!」

「クーちゃんもガンちゃんも、落ち着こうか。うん……はあぁ……」


 二人の泣き声による大合唱に項垂(うなだ)れるしかない百合だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] …………貴族とかって、そういう冷たい感じになっちゃうのかね(;'∀') というか女も勉強できる云々発言からしてそういう世界だから……こんな事を思っちゃうのもしょうがないかねぇ。 というかず…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ