29:帰る場所(5)
真剣な表情で見つめてくるギースの紅い瞳に、どうしようもなく惹かれている自分に戸惑う。ユリーシアに、ギースのことを一人の男性として見るように言われてから、上手く気持ちを抑えられない。
ギースの方も、百合が生死の境を彷徨った後から遠慮がない気がする。それまでは少しだけ離れていたはずの距離が、一気に詰められている。百合の心臓は壊れるのではないかというくらい、ばくばく言っていた。
油断していると、落ちてしまう。
ギースの紅い瞳から目を逸らすことができず、ただ見つめ合う。視線だけでなく吐息まで甘く感じてしまい、頬の熱さに耐えきれなくなってきた頃。
「まま」
「ままっ」
クリスとガントが百合にぎゅっとしがみついてきた。二人の子どもはちらりとギースを見上げ、また百合にべったりとくっつく。
「ふぉっふぉっ! ギース、残念じゃな。百合には小さな騎士が二人もいるようじゃ」
「……魔術師団長」
ギースは、楽しそうに笑うヒューミリスに恨みがましい目線を送り、はあとため息をついた。
「どうしたの、おじいちゃん」
百合が子どもたちを膝に乗せ、首を傾げる。ヒューミリスは子どもたちににこりと微笑みかけてから、口を開いた。
「元に戻る魔法について、話をそろそろしなくてはと思ってな」
その言葉に百合はごくりと喉を鳴らした。背中を刺され、生死の境を彷徨ったために延期になっていた、元に戻す魔法。いつまでも中途半端にずるずると先延ばしにして良いことではない。
「あの、それなんですけど……ひゃあっ!」
急に腕を引かれて、百合は驚く。気付くと子どもたちごとギースの腕の中にいて呆然とする。
「え? ギース様?」
「行かせない」
ぎゅっと強く抱き締められた上、何も言えないように手で口を塞がれる。これではヒューミリスと会話ができない。
「んんーっ?」
「こらこら、ギース、何をやっとるか。子どもじゃあるまいに」
ヒューミリスの呆れた声に、ギースが渋々その手を離した。しかし、その顔は納得のいっていない、どこか拗ねたような表情をしている。百合は仕方のない人だなとくすくす笑った。
「大丈夫ですよ、ギース様。私はどこにも行きませんから」
「……百合?」
「おじいちゃん。私、ユリーシアとも話をして、それで決めたんです。私は、ここに残ります!」
百合の宣言にギースが息を呑んだ。百合はギースに微笑みかけて、言葉を続ける。
「元に戻す魔法は、もう必要ありません。おじいちゃんが頑張ってくれたのに、本当に申し訳ないんですけど……」
ごめんなさい、とぺこりと頭を下げる。そんな百合に、ヒューミリスは頭を上げるように優しく言う。
「そういうことになりそうじゃとは思っておったよ。ただ、もう二度と本当のご両親をはじめ、向こうの世界の人間に触れることはできんかもしれんぞ」
「はい、分かってます。それでも私は、私を必要としてくれる人の傍で生きていきたいんです」
百合は腕の中にいるクリスとガントに頬擦りをする。子どもたちが嬉しそうに笑い声をあげた。
「……本当にそれで良いのか」
そう聞いてきたのは、ごねていたはずのギースだった。
「うん。それが私とユリーシア、二人にとって一番幸せな道だから」
笑顔で言い切った百合の瞳に、迷いは一切なかった。
*
真っ白な空間で、ユリーシアと言葉を交わしていたあの時。
「分かったよ、ユリーシア。気合いで何とかしよう! それで、何とかなったら、その時には……」
「その時には?」
百合がユリーシアに耳打ちをする。
「その先のユリーシアの人生、私にくれないかな? その代わり、その先の私の人生をユリーシアにあげるから」
ユリーシアは目を丸くした後、くすくすと笑いだす。
「望むところよ。貴女の人生、私がもらう。そして、私の人生を貴女に捧げるわ」
それは、入れ替わったまま、この先の人生を歩むという宣言。元の世界に心残りがない訳ではないが、お互い新しい世界でやりたいことが多すぎた。
「……ふふ。なんだかプロポーズみたいになっちゃった」
「あら、私たち、結婚するより強い絆で結ばれているのではないかしら?」
二人でくすくす笑い合う。
「……ねえ、百合」
「なあに、ユリーシア」
「貴女のママさんから聞いたのだけど、私と貴女、誕生日が一緒なのよ」
「え? そうなんだ」
すっかり忘れていたが、百合の誕生日は七月だ。よく考えてみると、あのお茶会の日に当たる。もしかして、あの素直でない母や兄はユリーシアの誕生日を祝っているつもりだったのだろうか。だとしたら、本当に愛情表現が下手な人たちである。
「誕生日が一緒。名前も良く似ている。私たちが入れ替わったのも、偶然ではないのかもしれないわね」
私たちはきっとすごく近い存在なのよ、とユリーシアは笑う。百合も妙に納得してしまう。
見た目も性格も全然違うけれど、心の奥底はとても近いのだと思う。魂が似ているというのだろうか。だから、人生を交換してもなんとかなりそうな気がする。
百合とユリーシアはお互いに目配せをして頷き合う。
そして、同時に願ったのだ。
(さあ、気合いを入れて、戻ろうか!)