25:帰る場所(1)
「ガンちゃん、二歳のお誕生日おめでとう!」
百合はきょとんとしているガントを抱き上げて、くるくると回った。そう、今日はガントの誕生日なのである。
誕生日を祝う歌を歌ってやると、クリスもガントも楽しい雰囲気に嬉しくなったのか、小さな体をぴょんぴょん跳ねさせた。
「じいじたちからプレゼントが届いてるよ! なにかな、なにかなー?」
「かなー?」
「にゃー?」
新しく割り当てられた部屋は、以前の部屋よりも広い。その広い部屋には、ガントの誕生日を祝う贈り物がどんと置いてある。百合はきらきらした飾りのリボンを解いて、包みを開く。
「うわあ、お洋服だよー!」
ギースが着ている騎士服をそのまま小さくしたような子ども服。これを着せてギースの隣に立たせると、そっくり親子が完成しそうだ。この服はどうやら父が選んだらしい。
母は可愛らしい子ども用の部屋着を選んでくれた。兄はいくら汚しても大丈夫そうな運動着を選んでくれている。そろそろ今まで着ていた服が小さくなってきたかなと思っていたところだったので、どれもすごく嬉しい。
「まま、こえ!」
ガントが子ども用騎士服を指さして、体を跳ねさせる。さっそく着てみたいようだ。
「うん、良いよ! お着替えしよっか!」
「あい!」
今着ている服を脱がせ、騎士服を着せようとすると、急にガントがごねた。
「やっ!」
「え? これが着たいんじゃないの?」
百合が首を傾げると、ガントは百合の手から騎士服をもぎ取った。そして、自分で服を着ようと頑張り始めた。
うんしょ、うんしょと顔を赤くしながら、ガントは服と格闘する。百合がそっと手助けをしてやると、なんとか服を着ることができた。ズボンが前後逆になっているが、ガントは満足そうにしているので良いことにする。
「ちょっとギース様、こっちに来てください! ガンちゃんの隣に!」
百合がギースを呼ぶと、ギースは何事かと目を丸くしながらも大人しくガントの隣にやって来た。
「きゃあ! メリッサちゃん見て! 可愛い、可愛いーっ!」
「落ち着いて、百合」
メリッサは呆れたように百合を見るが、騎士服の親子を目にした瞬間、ひゅっと息を呑んだ。
「これは……可愛い」
「でしょう!」
メリッサも最近はかなり素直になった。どうやらユリーシアの家族を見ていて、反面教師にしたようだ。百合の単純さがうつったのではないと思う。たぶん。
褒められてご機嫌のガントがうらやましかったのか、クリスが百合のスカートを掴む。
「くーちゃも!」
「そうだね、クーちゃんもお着替えしよっか!」
「あい!」
クリスも自分で着替えるのだと奮闘した。少しずつ自分でできることが増えてきた子どもたちに、百合は笑みを零す。
着替え終わったクリスを抱っこして、まだ開けていない贈り物の箱の前に立つ。
「これも開けてみようね!」
「ねっ!」
箱を開けて出てきたものに、百合は言葉を失った。ギースとメリッサは揃って首を傾げる。
「百合、なにこれ?」
メリッサが眉を顰めながら問う。百合は目を輝かせて振り返った。
「これはっ! おまるだよーっ!」
実家の屋敷で、子どもたちのトイレが大変だと使用人に愚痴を零していた百合。使用人相手に絵まで書いて、おまるが欲しいと嘆いていたのだ。この世界にはないもののようだったので、説明だけで終わっていたのだが。
「わざわざ特注で作ってくれたんだよ! すごい!」
百合が絵で描いた通り、鳥さんの形をしたおまるである。使用人から父に情報が伝わったらしく、父が職人に話をつけてくれたのだそうだ。使用人がつけてくれていたカードに、その経緯が書いてあった。しかし、想像以上の出来映えだ。父の並々ならぬ熱意を感じる。
「さっそく使ってみよう! クーちゃん!」
「あいっ」
ぴっとクリスが小さな手を元気良く上げた。やる気満々である。
きゃあきゃあと騒ぐ百合たちを、ギースは少し離れた場所から見つめる。あの屋敷で過ごした最後の夜。あの時から、百合の様子は少しだけ変わった。いつも以上に笑い、楽しそうに振る舞うようになった。
それは、時としてわざとらしく感じてしまうほど。メリッサも百合の変化には気付いているのだろうが、何も言わない。ギースも何も言えず、ただこれまで通りに振る舞っていた。
無邪気に笑っているはずの百合が妙に痛々しく感じられて、ギースは目を伏せる。
「ぱぱ?」
服の裾をガントが引っ張っている。首を傾げて、母親そっくりの翠の瞳をまっすぐに向けてくる。
「何でもないよ」
少し乱暴にぐりぐりと頭を撫でてやると、ガントは安心したように笑った。
この笑顔が曇ることのないようにしなくては。ギースは深呼吸をして、背筋を伸ばした。
*
「三日後……ですか」
百合の言葉に、ヒューミリスが頷いた。長い髭を撫で付けながら、穏やかに話し始める。
百合とユリーシアを元に戻す準備が整ったこと。手順の確認をするため、メリッサが護衛から外れること。三日後に元に戻す魔法を発動すること。
元に戻ると、二つの世界の繋がりは絶たれること。鏡での通信もできなくなること。
ひとつひとつ、分かりやすくヒューミリスは教えてくれた。
(やっと、元に戻れるんだ)
長いようで短かったこの三ヶ月。命の危機に晒されたりもしたが、貴重な体験ができたし、悪くなかったと思う。
「ありがとう、おじいちゃん」
「いやいや。こちらの方こそ、巻き込んでしまってすまないと思っていたんじゃよ。百合が優しい子で助かった」
ふぉっふぉっと笑うヒューミリスに、百合も笑い返す。
「心残りのないように、この世界でやっておきたいことは全てやっておきなさい」
「はい」
ヒューミリスはメリッサを連れて、部屋から出ていった。部屋に残されたのは、百合と、クリスとガントを抱いたギースだけである。
「……大丈夫か?」
「うん。そろそろかなって思ってたし、平気」
百合は改めて気合いを入れ直す。あと三日、乳母としてできる限りのことをしておきたい。クリスもガントも大好きだ。二人とも幼いので、大きくなったら百合のことなんて忘れてしまうだろうが、それでも何かひとかけらでも残るものがあると信じて、最後までやり切ろうと思う。
「ままっ」
「まま、だっこ」
小さな手が、百合に向かって伸ばされる。百合は二人の可愛らしい手のひらを、まるで宝物のように大切に握った。