24:ガントのじいじとばあば(6)
(ユリーシアは、本当は家族からきちんと愛されていたんだね……)
心の奥底がじんわりと温かくなった。ユリーシアの言っていた通り、冷たい関係の貴族の家庭も確かにあるのだろう。しかし、この家族は冷たくなんてなかった。ほんの少し、擦れ違っていただけ。
「大丈夫です。ユリーシアは元気に過ごしています。もうすぐ帰ってくる予定なので、その時は温かく迎えてあげてほしいです」
百合は詳しいことは言わず、ただユリーシアの無事を伝えるに止めた。父は目を瞠り百合を凝視した後、表情を緩めた。
「そうか……分かった。善処しよう」
その父の言葉に、百合もにこりと笑い返す。腕の中のガントが目を丸くして、百合と父を交互に見た。
「ふふ、ガンちゃん。この人はガンちゃんのじいじだよ。怖くないからね」
「じーじ?」
「そうだよ! ガンちゃんは家族みんなに愛されているの! 嬉しいねっ!」
ガントをぎゅっと抱き締め、頬擦りをする。くすぐったそうにガントが笑い声をあげた。
「君は私たち家族の恩人だ。……やはり名前を教えてもらえないだろうか」
父が百合とガントを眩しそうに見つめる。百合は慌てて手を振った。
「あ、えっと、そんな名乗るほどでは……」
「お義父様、『百合』ですよ」
隣にいたギースが百合の代わりにあっさり答える。なんとなく得意げに見えるのは気のせいだろうか。
「『百合』……。ユリーシアと名前が似ているな。……改めて言わせてくれ。感謝している。ありがとう、百合」
「ええっ! 私、そんな、大したことはしてないしっ」
頬を染めて、先程以上にぶんぶんと百合は手を振った。その様子に父は不器用な笑みを見せる。
「そうだ、百合。この屋敷にいるのも今日が最後だ。お願いがあるのだが」
「何ですか?」
「いつも歌っている、あの子守歌を歌ってくれないか」
父の頼みに、百合はびくりと跳ね上がる。
「き、聞こえていたんですか、子守歌……」
「ああ。優しい良い歌だと毎晩耳を澄ましていた。ほら、ガントももう眠そうにしている」
父の言葉に釣られて腕の中を見ると、確かに眠そうに目を擦るガントの姿があった。ふとギースを見上げると、ギースは微笑みを浮かべて小さく頷く。
百合は仕方ないと小さく息を吐いた。
ガントが眠るまで、百合は歌い続けた。父は百合の腕の中にいるガントの寝顔を眺め、満足そうに頷いていた。
父の書斎を出て、部屋に戻るために静かな廊下を歩く。窓から差し込む涼やかな月の光が、百合とギースの影を作り出していた。
「百合」
ギースに呼ばれ、百合は反射的にギースを見上げた。
「何ですか?」
「俺は」
ギースの宝石のように紅く光る瞳が、まっすぐ百合を見ている。その顔は痛みを堪えるかのように、ほんの少し歪んでいる。
「君と離れたくない」
その声は掠れていて、油断していると聞き逃してしまいそうなほど小さな声だった。しかし、百合の耳にははっきりと届いた。
届いて、しまった。
庭の木々が、急に吹いた風に揺らされてざわざわと葉を擦る音を鳴らす。カラカラと何か軽いものが転がっていく音も聞こえた。
「や、やだなあ。城にはギース様も一緒に帰るじゃないですか」
ぎこちない笑みを浮かべて、百合は歩みを遅くする。
「そうではなくて」
ギースは百合の肩を優しく掴むと、自分の方へと引き寄せる。そして、百合に抱っこされているガントを起こさないように、ふわりと百合を抱き締めた。
百合は急なことに目を白黒させるしかない。
(震えてる……?)
百合の背に回された腕は、小さく震えているようだった。抱き締められているので、ギースが今どんな表情をしているのかは分からない。しかし、その手は百合に縋り付くように力が込められていた。
「ギース様……?」
「百合」
なんとなく、この屋敷に来たばかりの頃のガントを思い出してしまう。不安そうにぐずってばかりで、百合に甘えていたガント。縋り付き、震えていた手。
「……大丈夫ですよ」
百合はギースの胸に、こてんと額をくっつけた。
「きっと、大丈夫」
入れ替わったばかりの時とは違うのだ。ギースとガントはたくさん触れ合って、随分親子らしくなったし、ユリーシアも向こうの世界で過ごすことで、かなり雰囲気が柔らかくなってきた。
元に戻っても、以前よりは良い関係を築けるはずだ。
「……悪い。先に戻る」
ギースが体を離した。
ギースはこちらを見ず、顔を背けたまま、足早に去っていく。月の光を浴びながら、小さくなっていく背中。
百合は眠っているガントを抱き直して、ぼんやりと立ち尽くした。
元に戻った時に、一番寂しい思いをするのは百合だ。クリスがいない。ガントもいない。メリッサもロゼフィーヌも父や母や兄も。そして、もちろんギースも。
この世界に来て大好きになった人たちが誰もいない世界。そこに帰る百合の方が絶対に寂しい。それなのに、なぜギースの方が辛そうな顔をするのか。
「ずるいなあ……」
寂しくなるのでわざと考えないようにしていたお別れのこと。それを思い切り突き付けられてしまい、キリキリと心が痛む。
「本当、ギース様、反則だなあ……」
ガントのさらさらとした赤髪に、頬を寄せて目を閉じる。
元に戻るまであと十日ほど。約束の三ヶ月は、思ったよりもあっという間に過ぎていく。
(でも、私は最後まで泣いたりしないんだから)
百合が悲しい顔をしていると、きっと子どもたちまで泣いてしまうだろう。そんなのは絶対に嫌だった。
ふっと短く息を吐いて、百合は顔を上げた。そして、しっかりとした足取りで部屋へと歩きだしたのだった。