23:ガントのじいじとばあば(5)
ふっと小さく笑みが零れた。百合はおもちゃが入った箱から布で作った剣を取り出して、クリスとガントに渡す。
「クーちゃん、ガンちゃん。お兄様をやっつけにいこう!」
ぴっと人差し指を兄に向けると、ガントがきらきらと目を輝かせた。
「あいっ!」
とたとたと兄の足元に走っていくと、布の剣でぽすっと斬りつける。ガントは楽しそうに歓声をあげて、さらにぽすぽすと剣を振り回した。兄は呆然として為すがままになっていたが、徐々に頬を染めていく。
「こ、こんな暴力的な行為、僕は……!」
クリスの背中に手を添えて、百合が兄に近付く。クリスも布の剣で兄に斬りかかる。
「にゃあ」
「クリス王子殿下まで! う、うわあっ」
おろおろとする兄に、母が勝ち誇ったような顔で笑う。
「観念なさい、アシュード」
「あしゅ」
「あしゅう」
クリスとガントが兄の名前をたどたどしく口にする。兄の顔が途端に真っ赤になった。
「ぼ、僕のことは伯父様と呼ぶんだ! 呼び捨てにするな!」
「あしゅー」
「あしゅっ」
ぽすぽすと二人の子どもたちからの攻撃を避けもせず、兄は喚く。子どもたちはやたら元気な大人の登場に気分が上がりっぱなしだ。
招待客はその様子を見てくすくすと笑いだす。仲が良いのねとか、微笑ましいわなどという言葉が聞こえてくる。お茶会の会場は一気に温かな雰囲気へと変化した。
兄の情けない姿に百合はたまらず噴き出した。これからはきっと、この屋敷での暮らしもそんなに悪くないものになるだろう。あと一週間ほどのことではあるが、なんとか上手くやれそうだ。
「……観念なさい、アシュード」
頭上から降ってきた母の声に気付いた兄は、赤い顔のまま黙って俯いた。
その口元が密かに緩んでいるのがちらりと見えて、百合はまた堪えきれずに噴き出した。
*
七月最後の日。城の警備体制も整ったということで、いよいよユリーシアの実家で過ごす日々も終わりを告げようとしていた。明日には城に向けて出発する予定だ。
母や兄と打ち解けて、この一週間はとても賑やかで楽しく過ごせた。クリスもガントも体調を崩すことなく元気で、毎日機嫌が良かった。はじめはどうなることかと思っていたが、楽しい思い出がたくさん作れたので大満足だ。
この屋敷で過ごす最後の夜には、父や母、兄まで揃って皆で夕食を食べた。大勢で同じ食卓を囲むと、やっぱり一段とおいしく感じられるものだ。
使用人たちも別れを惜しんでくれていた。中には涙を滲ませている人までいた。たった一ヶ月のことではあるが、本当に良くしてもらえて助かった。感謝してもしきれないくらいだ。
食事が終わった後、百合は父の書斎に来るように言われた。しかし、一人で行くのは不安だったので、ガントも一緒に連れていくことにした。本当はクリスも連れていきたかったが、疲れて眠ってしまっていたので、そのまま寝かせておくしかなかった。
「俺も行こう」
ガントを抱いていても不安そうな表情をしている百合に、ギースがそっと寄り添ってくれる。促すように百合の背にギースの大きな手が触れた。
書斎の扉を開けると、明るい茶色の髪をふわりと揺らして父が振り返った。いつも後ろに撫で付けている髪を下ろしているので、少しだけ柔らかい雰囲気になっている。
「座りなさい」
父が短くそう言って、ソファを指した。百合がギースをちらりと見ると、ギースは小さく頷いてみせた。
「もうすぐガントの誕生日だな」
父がガントを見つめながら、まるで独り言のように呟いた。ガントは百合にぎゅっとしがみついて、父の視線を避ける素振りをする。母や兄にはかなり懐いたガントだが、父はまだ少し怖いようだ。
「そうですね。もうすぐ二歳です」
緊張している百合を庇うように、ギースが答えた。堂々とした態度で隣にいてくれる夫の存在が、本当にありがたい。
「誕生日には何か贈らせてもらおう。……希望はあるか?」
「いえ、特には」
「そうか」
ギシッと椅子が軋む音がした。父が視線を彷徨わせている。落ち着きのない様子に百合は首を傾げる。
少しして、意を決したようにひとつ咳払いをした父は、徐に口を開いた。
「ところで、君の名前を聞いても良いか?」
「え?」
百合はぽかんと口を開けた。娘の名前くらい知っているはずなのに、一体どういうことだろうか。
「ユリーシア、ですけど……」
「我が娘ユリーシアは、そういう言葉遣いはしない」
きっぱりと断言されて百合は焦った。入れ替わりのことを知っているのは限られた人間だけだ。もうすぐ元に戻る予定だし、ここで真実を明らかにする必要はあるだろうか。困ってギースを見上げると、ギースは百合を安心させるように微笑んだ。
「さすがお義父様。ユリーシアではないと、いつからお気付きに?」
「クリス王子殿下の誕生日パーティーの時だな。クリス王子殿下を抱き締める姿に違和感を覚えた」
あのパーティー会場に父がいたのか。そして、娘に対して違和感を覚え、密かに調べていたようだ。
「我が娘ユリーシアは、こう言ってはなんだが……不器用なところがあってな」
「不器用……ふふ、それに気が強すぎだし、負けず嫌いですよね」
百合が間髪入れず口を挟むと、父は困ったように笑った。
「そうだ。だから子どもと関わるのに苦労していた。乳母として失格だと周りに囁かれ、今にも壊れてしまいそうだった。それなのに、急に様子が変わっていたから驚いた。そう……まるで別人だと思ったんだよ」
父はふっと息を吐いて、続ける。
「君には感謝している。ただ、それと同時に、ユリーシアがどこに行ってしまったのか……それが心配なんだ」