19:ガントのじいじとばあば(1)
慣れ親しんだ城から馬車で一時間ほど移動して、漸くユリーシアの実家へと辿り着いた。
馬車は王族用に作られたもので乗り心地は悪くなかったが、自動車に慣れている百合からするとのろのろしていて、少しじれったかった。ふかふかの座席に座って、膝の上にクリスを乗せる。小さな窓から見える景色にクリスは大はしゃぎだ。
馬車の中には百合、クリス、ガント、そしてメリッサの四人が乗っていた。ギースは馬車の横を馬に乗って併走している。護衛の意味もあって、すぐにでも剣が抜けるような格好だ。
「ここかあ……」
馬車が止まって、扉が開けられる。クリスを抱いて馬車から降りると、大きな屋敷が目に入る。メリッサがガントの手を取って、百合の後に続く。
屋敷はぐるりと頑丈な壁で囲まれており、見張りの兵が至るところに配置されている。城でさえこんなに警戒はしていなかったというくらいの警備体制に少し怖じ気づく。
「お待ちしておりました。クリス王子殿下、ユリーシア様」
屋敷の使用人だろうか。お仕着せを身につけた十人くらいの人間が、百合に向かって一斉に頭を下げる。
「ひっ」
こんな扱いなんてされたことがない。百合は思わず後ずさりをする。後ろに立っていたメリッサが不審そうに百合を見遣った。
使用人に促されて、百合は震える足で屋敷の中へと歩を運ぶ。高級そうな絵画やカーペットが目に入り、圧倒されてしまう。こんなところで一歳児が暮らして良いものだろうか。
「よく帰ってきた、ユリーシア」
屋敷の奥から、明るい茶色の髪を後ろに撫で付けた四十代くらいの紳士が現れた。堂々とした振る舞いがやけに似合っている。その紳士の後ろには、二十代くらいの青年の姿も見える。紳士と顔がよく似ているので親子なのだろう。
「お久しぶりです。お義父様、お義兄様」
すっと百合の隣にギースがやって来た。流れるように頭を下げる夫の姿に一瞬戸惑ったが、慌ててそれに倣う。
「え、えっと、お久しぶりです」
「にゃっ」
緊張しつつ挨拶した百合の真似なのか、クリスまで頭をこくりと下げた。
「まあ、ゆっくりとすれば良い」
紳士はふんと鼻を鳴らすと、くるりと踵を返し去っていく。青年の方はじろじろと子どもたちを観察して、去る様子はない。
「あ、あの……?」
青年の不躾な視線から逃れようと、百合はじりじりとギースの後ろに隠れながら問い掛ける。
「何か……?」
「僕は子どもが嫌いだ。できるだけ近付けないでくれないか」
ふんと鼻を鳴らす青年は、先程の紳士とそっくりだ。そして、その口調はどこかユリーシアとも似ている。冷たく横柄な態度に、百合も少しムッとする。
「煩いのも御免だ。注意してくれよ」
青年は百合が黙っているのをいいことに、好き放題言ってくる。放っておくとまだまだ気に障ることを言ってきそうな雰囲気だ。百合の眉間に皺が寄っていくのを見たギースは、青年の話を柔らかく遮る。
「すみません、お義兄様。ユリーシアも子どもたちも少し疲れているようです。部屋に下がらせていただきたいのですが」
「ん? ああ、仕方ないな。下がって良いぞ」
偉そうな口調に苛々するが、ここで争っても何にもならない。百合はクリスをぎゅっと抱き締めて耐えた。
使用人に案内されて、滞在中にあてがわれた部屋に入る。優しい色合いのカーテンが風に揺れている。床にはふわふわのカーペットが敷かれており、全体的に明るい雰囲気だ。
しかし、どことなく冷たい感じがする。他人行儀な感じともいえるだろうか。ユリーシアは確かにここで生まれ育ったらしいのだが、そういった空気はどこにも見当たりそうにない。
「百合?」
ギースが心配そうに百合の顔を覗き込んでくる。百合はふるふると首を振って、何でもないと笑う。
居心地は悪いが、クリスの安全が第一だ。なんとかこれからの一ヶ月、無事に過ごせますようにと百合は拳を握り締めた。
*
七月に入ってからも天気の悪い日が多い。この屋敷に来てから一週間が経ち、そろそろ庭の散歩でもしたいのだが、なかなか実現できそうにない。
「はぁ……」
窓に頬杖をついて、百合はため息をつく。
ユリーシアの家族についても目下悩み中である。父は偶に現れては無言でじろりと睨んですぐに去っていくし、兄はなぜか頻繁に顔を出しては偉そうに小言を言う。母に至ってはお茶会だの夜会だのといつも外出しており、家にいるところを見たことがない。
ユリーシアが家族に対して良い印象を持っていなかったというのも当然だ、と納得してしまう。どこか歪な貴族の家庭は、冷ややかで少し恐ろしい。
「ぎゃ……ぎゃあああん!」
「あわわ、ガンちゃん!」
突然お昼寝をしていたガントが泣き声をあげる。先程寝かせたばかりなのだが、目が覚めてしまったらしい。真っ赤な顔で大粒の涙をぽろぽろと零して泣き叫ぶ。
百合はガントを抱き上げて、優しく揺する。
「大丈夫、ママが傍にいるからね」
「まま……」
ガントは湿った声で百合を呼ぶ。とんとんと優しく背中を叩いてやりながら、百合はガントをあやす。
この屋敷にやって来てから、なぜかガントの調子が悪い。今まではこんな風にぐずるのは、どちらかというとクリスの方が多かった。しかし、この一週間程はずっとガントの方がぐずっている。
「うーん、お熱もないし、病気という訳でもないよね」
さらさらとした赤毛を撫でながら、百合は首を傾げる。ガントはまだ鼻をぐすぐす鳴らして、不機嫌そうにしている。
「まま」
「なあに? ガンちゃん」
「……まま」
ガントの小さな手が、百合の服をぎゅっと掴む。百合の肩に顔を擦りつけて、いやいやと首を振る。何かが気に入らないのだろうが、それが一向に分からない。百合もほとほと困っていた。