16:守る決意(4)
百合が大人しくユリーシアに怒られている横で、ヒューミリスは難しい顔で考え込んでいた。
「どのような毒が盛られたのかは、もう消えてしまったから分からんが。もしかしたら、この世界では対処のしようがない毒だったかもしれんな。狙われたのはクリス王子だと考えると、少し厄介なことになりそうじゃな……」
今回は偶然に偶然が重なって、誰も命を失うことなく生還した。しかし、王族の暗殺を企てている者がいることは確実だ。犯人がすぐに分からないということから、かなり念入りに暗殺計画が練られていたに違いない。
きっとまた、クリスの命は狙われる。
百合はぶんぶんと首を振って、恐ろしい未来を考えないようにする。この腕の中にいる愛らしい子どもを奪われる訳にはいかない。
「クーちゃんは、私が守ります!」
百合は力強く宣言をする。握り締めた拳は微かに震えていた。
『あまり無茶はしないで。その身体は貴女のものではないのだから』
ユリーシアが真顔で窘めてくる。確かに元に戻った時に身体が使いものにならなくなっていたら話にならない。それ以前にまた同調して、二人とも倒れるのも御免だ。
「き、気を付ける……」
しょぼんと項垂れた百合の頭に、ギースがぽんと手を乗せた。
「俺が守るよ。クリス王子も、百合も」
はっとして、百合はギースを見上げた。ギースは軽く頷いてみせた。
「ワシもおるからな。あまり心配しなくとも良い」
ヒューミリスも優しく言ってくれる。百合は胸の奥に温かなものが広がっていく気がした。
(私、ひとりじゃないんだ……)
「ままっ」
「まーまっ」
クリスとガントが柔らかなほっぺたを百合の頬にくっつけてくる。いつも頬擦りをしているので、子どもたちも慣れたものである。百合は思わず笑いだしてしまった。
「ユリーシア。私、ちゃんとこの身体を守った上で、クーちゃんも守るよ。元に戻った時、困らないように色々頑張るから!」
ユリーシアはそんな百合に苦笑してみせた。
『百合はそう言いつつ、クリス王子のために平気で体を張りそうよね。……ギース様、しっかり守ってやって下さいな』
「分かってる。必ず守る」
ユリーシアはギースに百合のことを頼むと、通信を切った。
(必ず守る、か……)
なんとなくギースの方を見ると、ギースも百合の方を見ていた。目が合った瞬間、どきりと胸が鳴る。頬にも熱が集まってきて、どうにも落ち着かない。
「やっぱり、反則……!」
急に俯いてぶんぶんと首を振る百合に、ギースは首を傾げる。ヒューミリスはそんな二人を見て、楽しそうに笑い声をあげた。
*
「できた!」
毒のせいで体調を崩していた間、あまり動くことができなかった百合。子どもたちの世話もギースや侍女、メイドたちがいつも以上に手を貸してくれたこともあり、ベッドで暇を持て余すことになった。
仕方がないので、針や糸を準備してもらって、縫いぐるみを作ることにした。百合が元の世界に戻った後も残るなにかを作っておきたかったのだ。幸い百合は手芸が好きで、得意だった。
クリスには黄色い猫、ガントには赤色の犬を作った。目や鼻は刺繍で表現している。ボタンをつけようかとも思ったのだが、子どもたちが飲み込んだりしたら危険なので止めておいた。
「クーちゃん、ガンちゃん、おいで!」
手招きして子どもたちを呼ぶと、クリスもガントも転がるように駆けてくる。百合は抱き着いてくる二人をぎゅっと抱き締め返した後、できたばかりの縫いぐるみを見せた。
「二人ともとっても良い子なので、ごほうびです! クーちゃんにはにゃんにゃん、ガンちゃんにはわんわんだよ!」
クリスの手に猫の縫いぐるみ、ガントの手に犬の縫いぐるみを持たせる。
「にゃあ?」
「わんわん?」
クリスは碧の瞳を大きくして縫いぐるみを凝視する。そして、ぱくりとその耳を銜えた。よだれでべたべたになっていく猫の縫いぐるみ。
一方ガントは縫いぐるみのしっぽを掴んで、ぶんと振り回す。犬の縫いぐるみは勢いよく部屋の隅へと飛んでいった。
「ああ……扱いが雑だね……」
百合はがくりと項垂れた。時間をかけて丁寧に作った縫いぐるみだったが、仕方ない。何せ、相手は一歳児なのだから。
縫いぐるみ作りも終わったし、体力も戻ってきた。百合は立ち上がって大きく伸びをすると、子どもたちに声を掛ける。
「クーちゃん、ガンちゃん。外にお散歩に行こうか!」
「あい」
「あい!」
元気良く返事をした二人の手を優しく握って歩きだす。クリスとガントはにこにこしていて上機嫌だ。百合と手を繋いでいるのが嬉しくてたまらないらしい。
廊下をゆっくりと進んでいると、護衛騎士や侍女たちがついてくる。毒の事件の後、クリスを守れるようにこれまでよりも人数が増やされているので、ちょっとした集団になってしまった。
集団の先頭をクリスとガントの手を引きながら、百合は歩く。しかし、城の庭に出る扉に近付くと、子どもたちがぴたりと立ち止まった。
「クーちゃん、ガンちゃん? どうしたの、お庭好きでしょ?」
「にゃ!」
「や!」
小さな手がぎゅっと百合の手を強く掴む。百合が驚いて子どもたちの顔を見ると、二人とも泣きそうになっていた。
そこに、護衛騎士の一人がそっと近付いてきた。
「王子たちは、貴女が倒れた時のことが忘れられないんですよ」
「あの日の子どもたちは、ひどく泣き叫んでいましたからね」
侍女も頷きながら続けてきた。
「そっか……」
百合はしゃがんで、二人の子どもをぎゅっと抱き締めた。思わぬところで彼らの心に傷を残してしまったことが悔しい。
「じゃあ今日はお庭は止めて、お城の探検にしようね!」
「あい!」
ガントが元気の良い返事をする。クリスはというと、百合の肩に顔を埋めて鼻を鳴らしていた。繊細なクリスは、気分転換することがなかなかできないでいるらしい。
「ほら、クーちゃん。抱っこしてあげるから、一緒に行こう?」
「にゃあ……」
不服そうな声を出しながらも、クリスは百合に抱っこしてもらおうと手を伸ばした。百合はクリスの小さな体を抱き上げると、ガントの手を取って歩きだす。
城の中は意外と静かだ。メイドたちが廊下の端を足早に歩いている姿を見掛けるくらいで、思ったよりも人は少なかった。
クリスやガントが時折、行きたい方向を指さす。行っても問題ない場所であれば護衛騎士が頷いてくれるので、立ち入り禁止の場所は避けることができた。