14:守る決意(2)
「晴れてて良かったね。クーちゃん、ガンちゃん!」
昼食の時間になった。百合はクリスとガントを連れて、庭へと移動する。空は青く澄み渡り、心地よい風が吹いていた。
柔らかな芝生の上にシートを敷く。いつも食事を運んできてくれる女性が、そのシートの上に大きなバスケットを置いた。
「本日の昼食はサンドイッチです」
「あ、ありがとうございます! お手数おかけしました!」
百合がぺこりと頭を下げると、その女性は少し動揺したようだった。
「……クリス王子のためですから」
冷静にそう言って、そそくさと去っていく。「もっと食べさせろ」と怒っていた彼女も、こちらが丁寧に対応すると、かなり大人しくなる。
王妃から改めて乳母に任命されてからは、他の侍女やメイドたちもなんだか大人しい。少しは乳母として認めてもらえているのだろうか。
「まま?」
ぼんやりと空を見上げていた百合に、クリスがぴとっとくっついてきた。いつもなら食事の気配を察知して曇った表情をするクリス。今日はこの時間になっても、碧の瞳をきらきらさせている。良い調子だ。
少しすると、ロイを抱っこしたロゼフィーヌがやって来た。
シートの上に、クリス、ガント、ロイがちょこんと座る。ロゼフィーヌと百合もその傍に座り、食事の準備を始めた。
百合がお皿を並べている間、ロゼフィーヌがお茶を入れてくれる。お皿とお茶が子どもたちの前に並べられる。
「あっ、ごめんなさい!」
油断していたのか、ロゼフィーヌが自分のお茶を零してしまった。シートの上に小さな水たまりができる。ロイが小さな指で、その水たまりをぴちゃぴちゃと突いた。
「駄目よ、ロイ。ああ、何か拭くもの……」
「私が取ってきますね」
百合はさっと立ち上がって、タオルを取りに行った。そして、子どもたちのところに戻ってくる頃には、お皿の上にサンドイッチが乗せられていて、すっかり食事の準備が整っていた。
「ロゼフィーヌ様って手際が良いですね! さすがです!」
「そんなことないわよ。お茶を零してしまったし」
くすくすとロゼフィーヌと百合は笑い合った。
「それじゃ、いただきましょうか」
「そうですね。ほら、クーちゃん、ガンちゃん。いただきますは?」
「ましゅ」
「まーしゅ!」
小さな手のひらをぱちりと合わせ、クリスとガントは元気良く「いただきます」をしてみせた。
「なあに、それ?」
ロゼフィーヌはきょとんとした顔で、その様子を見ていた。どうやらこの世界には「いただきます」の習慣はないらしい。
「あ、えっと。こうすると食事の時間だって分かりやすくなるかなと思って!」
「そうなの。ふふ、ロイもやってみましょうか。ほら、いただきますって」
ロゼフィーヌがロイの手を取って、ぱちりと合わせた。
和やかな昼食が始まった。ガントは自分のお皿に乗ったサンドイッチをなぜか分解しながら食べている。
「ガンちゃん、これパンと中身、一緒に食べるんだよ?」
「にく」
ガントはサンドイッチに挟んであるハムを摘んで口に入れる。
「ぱん」
そう言いながら、今度はパンを口に入れて満足そうに笑う。サンドイッチである意味がまるでない食べ方だが、今日は楽しむことが一番である。百合は笑ってガントの頭を撫でた。
クリスはというと、微妙な顔をして目の前のサンドイッチを見つめていた。見つめるだけで手を出そうとはしない。
「クーちゃん? サンドイッチ、おいしいよ?」
百合はクリスの前でサンドイッチを食べてみせる。するとクリスは自分のサンドイッチではなく、百合のサンドイッチに手を伸ばしてきた。
「にゃ」
「これはママのだよ……。クーちゃんのはそっちだよ……」
「にゃあっ!」
いやいやと体を捩って、百合の持っているサンドイッチをねだるクリス。
「もう、しょうがないなあ」
クリスの小さな口に、百合は自分のサンドイッチを入れてあげた。クリスはもぐもぐと口を動かしながら、にこっと笑う。
「食べてる時の笑顔、初めて見た……」
「まーまっ」
次も百合のサンドイッチが良いと、クリスが小さな手を伸ばす。百合がその手にサンドイッチを持たせてやるとクリスがまた満面の笑みを浮かべる。
「クーちゃんの分は私が食べるしかないか」
百合はクリスの前に置いてあるサンドイッチを自分の口に放り込む。子どもが食べるにしては、少しぴりりと辛みが舌に残る味。先程食べたツナのサンドは甘めの味付けだったのだが。
クリスは辛い味はあまり好きそうには思えないし、百合の分と交換する形になって良かったのかもしれない。百合はごくりとお茶を飲み、舌に残った辛みを流し込んだ。
「ごちそうさまでした!」
「しゃま!」
「た!」
元気良く、クリスとガントが「ごちそうさま」と手を合わせる。
今日のクリスは、とても機嫌良く食事をしてくれた。初めて食事中の笑顔を見ることもできたし、作戦は大成功だと言って良いだろう。
ふうと安堵の息を吐いた百合だったが、ちくりとお腹に痛みが走った。気のせいかと思ったが、だんだん痛みが増してくる。
「大丈夫? 顔色が悪いわ」
ロゼフィーヌが百合の肩に手を置いた。百合は思わずその手に縋る。
「ごめんなさ、い。少し、お腹、が……」
「え、大変! どうしましょう!」
おろおろとするロゼフィーヌの手を掴んで、百合は痛みを堪える。
様子のおかしい百合に、クリスとガントが気付いた。
「まま?」
「まーま?」
傍に寄ってきた二人の子どもの頭を、震える手で百合は撫でた。
「大丈夫、ママは、平気……」
そう言いつつ、よりひどくなる痛みに顔を顰める。嫌な汗が全身から吹き出てくる。げほっと咳き込むと、口の中に苦いものが広がった。
胃のあたりがぐるぐると気持ち悪い。急に視界も悪くなってきた。
目の前がざあっと暗くなって、体から力が抜けた。
地面に倒れ込む寸前、優しく抱き留められた感触がした。ロゼフィーヌだろうか。
苦しくて、それ以上何も考えられなくなった百合は、そのまま意識を手放す。
どこか遠くで、ガントが「ぱぱ!」と叫んでいる声が聞こえた気がした。