13:守る決意(1)
「にゃっ」
クリスがスプーンを放り投げる。
「クーちゃん! めっ!」
コロコロと床を転がったスプーンを拾って、百合はクリスを叱る。テーブルの上は零れたスープでびしょびしょである。
「ふ……ふにゃあああ!」
椅子に座ったまま、両手をぶんと振り上げて、クリスは泣き始めた。
ガントは大人しく一人でスプーンを持ってもぐもぐとごはんを食べている。肉、魚、野菜。全部を口に入れて満足そうな顔をしている。
ここ最近、食事の時間はいつもこんな感じである。
クリスはとにかく食べない。食べることが嫌いなようだ。食事の時間になると、クリスの表情はあからさまに曇る。クリスの体が小さいことを指摘された百合は、クリスに少しでも食べさせようと声を掛けているのだが、全く効果がない。お手上げである。
なぜこんなにも食事を嫌がるのか不思議だったのだが、ある日のユリーシアとの通信で新事実が発覚した。
『無理矢理口に突っ込めば良いじゃない。私はそうしてたわよ』
「えっ?」
『クリス王子が泣こうが喚こうが、食べさせないとこっちが文句を言われるんだもの。仕方ないでしょう?』
ユリーシアは爪を磨きながら怠そうに言う。百合は唖然として鏡の向こうを見つめる。
どうやらユリーシアは、食事のたびにクリスに無理矢理ごはんを突っ込んでいたようだ。クリスにとって、それは地獄のような時間だったに違いない。
「はああ……。どうしたら良いのかな……」
がっくりと項垂れる百合に、ユリーシアが明るい声で話し掛けてくる。
『そんなことより、百合! 私、アルバイトを始めようと思うの!』
「え? 何勝手なこと言ってるの。やめてよ、元に戻った時に困るの私じゃん」
『でも、ぱなりんがせっかく紹介してくれたのよ? 逃す手はないと思うの』
(誰だ、ぱなりんって)
ユリーシアの交友関係は広がる一方だ。元に戻った時が恐い。
「あのさ、ユリーシア。何度も言うけど、友達とかバイトとか、あまり派手な動きはしないでくれる? 入れ替わりもあと二ヶ月もすれば終わるんだから」
『百合はつまらないことばかり言うのね。もう良いわ。今日はこれで終わりね』
「あ、ユリーシア!」
ぱっと鏡が元に戻る。鏡に映る茶髪の美女は顰めっ面をしていた。
「もう……」
「終わったのか?」
ため息をつく百合の背中に、ギースが声を掛ける。
「うん。クーちゃんとガンちゃんは良い子にしてた?」
「ああ。二人ともとても良い子だった」
百合がユリーシアと話している間、子どもたちはギースが見ていてくれたのだ。
クリスもガントもすっかりギースに慣れたようだ。大きな手で頭を撫でられて、二人ともにこにこしている。
「ままっ」
「まーま!」
百合が両手を広げると、クリスもガントも転がるように駆け寄ってくる。二人をぎゅっと抱き締めて、頬擦りをする。
「もう、二人とも可愛いっ!」
クリスとガントの歓声が部屋に響いた。
「そろそろ寝るか」
「うん。クーちゃん、ガンちゃん、ねんねしよう!」
子どもたちをベッドに寝かせて、布団を掛ける。
「おやすみ、百合」
「おやすみなさい、ギース様」
ギースはガントに添い寝をしてやったあの日から、ずっと百合たちと一緒のベッドで寝ている。ガントが望んでいるというのもあるだろうが、ギースも子どもたちと共にいることを望んでいるようだ。
毎晩一緒にいるおかげで、人見知りをするクリスもあっさりギースを受け入れた。ギースの子育て能力も徐々に上がってきているので、百合も大変助かっている。
百合は今夜も子守歌を歌う。優しい旋律は子どもたちの寝息が聞こえてくるまで止むことはなかった。
*
翌日、百合はロゼフィーヌにさっそく相談をした。
「食事が苦手なクーちゃんに、どうやったら食べることは楽しいことなんだって教えてあげられるんでしょうか」
ロゼフィーヌは空色の長い髪をさらりと揺らして、首を傾げる。
「みんなで一緒に食べると良いんじゃないかしら。うちのロイも大勢で食べるのは好きみたいだし。良ければ昼食を一緒にどう?」
「えっ、良いんですか?」
「ええ、いいわよ。そうね、明日とかはどうかしら」
楽しそうな昼食の提案に、百合は飛びつく。
「明日ですね! えっと、場所は……」
「城の庭は? 今は灯乙女草も咲いているし、楽しめそうよ」
庭。灯乙女草。百合はギースと過ごしたあの夜のことを思い出す。灯乙女草のことを知らなかった百合にギースが見せてくれた光景は、今も胸にしっかりと刻まれている。
数多の星。淡く白く光る花。ひんやりとした風。夜の空に消えていく歌声。ギースと繋いでいた手。
百合の頬が急に熱を持つ。クリスやガントのような小さくて柔らかい手とは全然違う、大人の手。騎士として剣を振るうギースの手はごつごつしていて、大きくて、温かかった。
「どうしたの? 顔が赤いわよ?」
ロゼフィーヌが心配そうに百合の顔を覗き込んできたので、百合は慌てて何でもないと首を振る。
「お庭でごはん、すっごく楽しそうです! 是非そうしましょう! 私、料理人さんに外でも食べやすいものにしてもらえるように頼んでみますね!」
ロゼフィーヌは慌てる百合を不思議そうに見ていたが、深くは追及せず、不問に付してくれた。助かった。
その後、ロゼフィーヌと一緒に楽しい昼食についていろいろと話し合った。クリスが少しでも食事に興味を持ってくれるようにと、ロゼフィーヌは親身になって考えてくれた。
(ロゼフィーヌ様がいてくれて、本当に良かった!)
頼りになるママ友に、百合は感謝するばかりであった。