12:クリスのママ(7)
「ユリーシア!」
「王妃様、落ち着いて下され」
甲高い声で非難する王妃を止めたのは、魔術師団長ヒューミリスだった。いつの間にか、百合とクリスのすぐ傍に立っている。
「クリス王子の成長が遅いという理由でユリーシアを辞めさせるのは、得策ではないですな。クリス王子はユリーシアに育てられているからこそ、大きな魔力を上手く扱えるようになっている」
王妃はもちろん、会場に残っている人々もヒューミリスの言葉に驚き、ざわついた。
「皆、先程のクリス王子を見たじゃろう。浮遊魔法をたった二歳であれだけ上手く使える子どもなんぞ、他に見たことがない。クリス王子は大変優秀な子じゃ」
王国一の魔術師に優秀だと評価され、王妃の表情が変わった。
「言葉に関しても、クリス王子は『まま』と言っておったな。これから他の言葉も覚えて、語彙も増えてくるじゃろう。体だって順調に大きくなる。魔力をより上手く使えるように育てたいなら、ユリーシアから離すべきではない」
ヒューミリスの迷いない発言に、王妃は渋々ながらも頷いた。
「……分かりました。それなら引き続きユリーシアに任せましょう。ただし、また何か問題が見つかれば、その時はすぐにでも辞めてもらいますからね」
「あ、ありがとうございます!」
百合の礼に王妃は応えることなく踵を返した。
そのまま会場を去っていった王妃を見送り、百合は大きく息を吐いた。
(良かった。これからも、クーちゃんと一緒にいられる……)
「百合、大丈夫か」
ギースが心配そうな顔で声を掛けてきた。
「うん、平気。……あ、おじいちゃん! 助けてくれてありがとう!」
助けてくれたヒューミリスに慌ててお礼を言うと、ヒューミリスは穏やかな顔でふぉっふぉっと笑った。
「なに、ワシは良い子の味方じゃからの。クリス王子も百合もとても良い子じゃ」
「私も?」
「そうじゃよ。これからもしっかりな」
ぽんぽんと百合の頭を撫でて、ヒューミリスは笑う。
「そろそろ部屋に帰った方が良いじゃろう。クリス王子もお疲れのようじゃ。ギース、百合とクリス王子を頼むぞ」
「承知いたしました」
ギースはヒューミリスに向かって軽く頭を下げた後、百合の手を取った。
「帰ろうか」
「うん」
百合はしっかりとクリスを抱き直すと、ギースに導かれて部屋へと歩きだした。
*
大きな魔法を使った反動なのか、クリスは誕生日パーティーの後、熱を出してしまった。
赤い顔で苦しそうにしているクリスの額に濡らしたタオルを乗せてやる。ひんやりとしたタオルが気持ち良いのか、クリスの表情が少し和らぐ。
「まま」
潤んだ碧の瞳が百合を見つめる。百合はクリスの柔らかな頬に手を添えて答える。
「なあに、クーちゃん」
「にゃあ」
百合に名前を呼ばれ、それはそれは幸せそうにクリスが笑った。
熱を出したクリスにつきっきりになってしまったため、ガントの世話はロゼフィーヌやギースに手伝ってもらわなくてはならなかった。ガントと過ごす時間が極端に減ってしまったせいで、ガントは少し不機嫌になった。クリスより手がかからないとはいえ、ガントもまだまだ子どもである。仕方のないことだった。
夜になると特に機嫌が悪くなり、泣いて手がつけられなくなるガント。泣き喚く息子に弱り切ったギースは情けない顔で百合のところへやってくる。
「ここで寝させてもいいか」
「うん。ガンちゃん、寂しい思いさせてごめんね。ほら、ねんねしよう?」
ぐずるガントをクリスの隣に寝かせる。そして、布団を掛けてやり、頭を撫でた。
「ぱぱ」
ガントがギースの服の端をきゅっと握った。どうやらギースにも傍にいてほしいようだ。
「ふふ。ガンちゃん、だいぶギース様にも慣れましたね」
「百合にはかなわないが」
ガントはギースの服を掴んだまま、百合を見て安心したように笑う。百合が微笑み返すと、ガントは目をごしごしと擦ってあくびをした。
「ギース様、ガンちゃんの傍で添い寝してあげて下さい。そのままの体勢じゃ疲れるでしょ?」
「いや、でも……」
「このベッド、無駄に広いので大丈夫ですよ。どうぞ?」
ギースは顔を赤らめながら悩んでいたが、ガントが一向に服を離さないのを見て諦めたようだった。
「仕方ないな」
「ふふ、ガンちゃん良かったね。今日はパパが一緒だよ」
「ぱぱ、まま」
ガントがうとうとしながら呟いた言葉に、ギースも百合も頬が緩んでしまう。
広いベッドに四人で寝転がる。百合、クリス、ガント、ギースという順番で並んだ。
百合は眠りやすいように明かりを調節する。魔法の力を使っているという魔導具の光は、すぐに温かみのあるオレンジへと色を変えた。
二人の子どもの顔を見ながら、毎夜歌っている子守歌を歌う。クリスもガントも聞き慣れたその歌に安心した表情になり、寝息を立て始める。
歌い終わると、百合は思わず笑みを零してしまう。
クリスやガントはもちろん、ギースまで夢の世界へ旅立っていた。慣れない育児を頑張ったせいで、相当疲れていたのだろう。騎士としての仕事もあるというのに、よくやってくれたと思う。
(本当、悪い人じゃないんだよね)
百合は笑みを浮かべたまま、ゆっくりと目を閉じた。
クリスの熱が引き、元気を取り戻したのは五日後のこと。
そこからまた、乳母として奮闘する日々が始まった。