1:入れ替わり(1)
「つまり、入れ替わり……ということ?」
喉から出た声は掠れていた。まさか自分の身にこんなことが起きるなんて、思ってもみなかった。
第一志望の大学に落ちてから人生は下り坂。滑り止めの大学に渋々通っている女子大学生。周囲にも上手く馴染めず、ぼっち街道まっしぐらの百合二十歳。ただ今、混乱中である。
(確かに、どこか別の世界にでも行ってしまいたいと思ったこともあるけど!)
目の前にはやたら細かい装飾のなされた大きめの鏡がある。その鏡に映っているのは見慣れた自分の姿である。
肩にようやくかかるくらいの中途半端な長さの黒髪。光の具合で茶色にも見える黒の瞳は、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。
『元には戻れるのかしら』
鏡の向こうの自分が小首を傾げながら問う。すると、百合の後ろでのんびりと髭を撫で付けていた老人がふぉっふぉっと笑った。
「それはこの子に聞いてみないと分からんな」
老人の指す先には、きょとんとした顔の幼子がいた。綺麗な碧い瞳がこちらを見ている。一歳くらいのその子どもは、百合を見てふにゃりと笑った。
「どうしろってのよ……」
百合は天を仰いだ。
時は少し遡る。
朝を迎え、いつも通りに目覚めたはずだった。しかし、目を開けて飛び込んできたのは、見慣れない天井。どこかのお城かと言いたくなるような緻密なデザインは全く心当たりのないものだった。
「は?」
ひどく間抜けな声を出しながら、ゆっくりと起き上がる。百合の部屋の二倍はあろうかという空間が広がっていた。大きなベッド、ふかふかの絨毯、キラキラのシャンデリア。
「すごい夢」
目を擦っても消えない風景に、おもわずぽつりと呟いた。そして、何気なく下に目を向けてぎょっとする。
百合の足にしがみつくようにして、子どもが寝ていた。なぜか二人も。一歳くらいの子どもたちは、大層幸せそうな顔で眠っている。
「いや、これどういうことよ」
金色のふわふわした髪の子どもと、赤色のさらさらした髪の子ども。どちらも見たことのない子どもである。
とりあえず、足から子どもたちを引き剥がすと、壁にかかっている鏡の前に立った。そして息を呑む。
鏡に映っていたのは、明るい茶色の髪に宝石みたいな翠の眼をした美女だった。軽くウェーブした髪は腰まで伸びており、自分の動きに合わせてふわりと揺れる。
着ている服も、いつものパジャマではない。さらりと肌触りの良い布でできたシンプルな寝巻き。足首まで隠れる長さなので、少し歩き難い。
「ええー……」
どういう夢なんだと思いつつ、動きやすそうな服はないかとクローゼットを漁る。子ども用の服ばかり大量に見つかった。さすがに子ども用は着られない。
あちこち探していると、漸く自分の体に合うサイズの服を見つけた。動きやすさ重視で選んでさっさと着替える。
「にゃああ!」
猫のような鳴き声が後方から飛んできた。振り向くと、ベッドの上で子どもが泣いている。金色の髪の子の方だ。
「あああ、よしよし」
目が覚めて不機嫌そうな子どもを抱き上げて、優しく揺すってやる。大きな碧の瞳からぽろりと雫が零れ落ちた。
「にゃあ……」
子どもは抱っこされて安心したのか、すぐに泣き止んだ。そして、百合の顔を見上げると、にぱっと笑った。
「え、何これ可愛い」
百合は真顔で呟いた。ちなみに、赤毛の子の方はまだぐっすり眠っている。傍で騒いでいても全く気にならないらしい。大物だ。
しかし、これからどうしたら良いのか。子どもを抱っこしたまま呆然と立ち尽くす。
――コンコン。
扉がノックされ、百合はビクリと体を跳ねさせた。開けたほうが良いのか、このまま無視した方がよいのか。状況がよく分からないので、判断に困る。
――コンコン。
またノックされた。考えていても仕方ないかと諦めて、百合は扉を開けた。どうせずっとこの部屋に閉じ籠もる訳にもいかないだろう。
「ユリーシア。少し確認させておくれ」
扉の前にいたのは、百合よりも少し身長の低い老人だった。白髪頭に長い髭。穏やかそうな笑みを浮かべ、部屋に入ってきた。
「あ、あの」
百合は何と言って良いのか迷う。老人は百合の腕の中にいる子どもを優しい目でじっと見つめた後、百合と目を合わせた。
「おぬし、ユリーシアではないようじゃな。名は何と申す?」
「えっ」
いきなり名前を聞かれて、戸惑う。この老人、一体何者なのか。
「ワシはヒューミリス。このメイフローリア王国の魔術師団の団長をしておる。今朝、強い魔力の動きを感じてな。その原因を探っていたんじゃよ」
百合の心の中を読んだかのように、老人が自己紹介をした。百合もあわてて答える。
「えっと、森霞上百合です。大学生です。朝起きたら、なんか、こうなってました」
自分でもそれはないだろうというような自己紹介をしてしまった。しかし、老人は気にすることもなく、ふんふんと頷いた。
「なるほど。おぬしは異世界の者か。ならば、ユリーシアは……」
(さらっとこのおじいちゃん異世界とか言ってる……)
百合は遠い目になってしまう。そんな百合を励ますつもりなのか、腕の中の子どもが小さな手のひらを百合の頬に当ててきた。
老人は壁にかかっている鏡に指先を触れた。とんとんと二回鏡面を指先でノックすると、大きく頷く。
「百合。こっちに来なさい」
老人に呼ばれて、首を傾げながらも鏡の前に移動する。そして、鏡を覗いて目を見開いた。
鏡に映っていたのは、先程までの茶髪の美女ではなかった。それどころか、今まで飽きるほど見てきた自分自身の姿だった。
しかし、何かが変だ。鏡の向こうの自分は、こちらの動きと全く違う動きをしている。まるでテレビか動画を見せられているような感じだ。
『あら、魔術師団長。これはどういうことですの?』
鏡の向こうの自分が妙な言葉遣いで、老人に話し掛けてきた。
「ユリーシアか」
『はい。朝起きたら突然こうなっていましたの。もしかして、魔法ですの?』
「そうじゃな。どうやら王子は破格の魔力の持ち主らしい」
魔法。王子。さっぱり訳が分からない。
「あの、私にも分かるように話してもらえませんか?」
百合がおずおずと口を挟むと、鏡の向こうの自分と老人が揃って百合を見つめた。そして、お互いに目配せをした後、説明を始めた。
ここは、メイフローリア王国。異世界に存在する国。
若き国王が治めるこの王国には、一歳になる王子がいた。この王子の乳母となった女性がユリーシアである。茶髪に翠の瞳の美女で、今はなぜかその身体に百合の精神が入っている。
逆に、鏡の向こうにいる百合の身体の中にはユリーシアの精神が入っている。どうやら世界を越える魔法が発動したらしい。
この魔法を使ったのはなんと一歳の王子だという。百合の腕の中でにこにこしている金髪の子どもが、その王子である。
「一応、魔力を抑える腕輪はさせていたんじゃがな。軽々とそれを超えてしもうたわ」
ふぉっふぉっと老人は朗らかに笑ったが、百合は笑うどころではない。
「つまり、入れ替わり……ということ?」
声が掠れてしまったのは、仕方のないことだと思う。