プロローグ
1話
もう 何が何だか訳わかんない。。。
収録終了の打ち上げがあり、いつもより遅くに帰宅して
とりあえずイスに座った瞬間だった
室内が暗転した
停電?
と思い立ち上がろうとしたけど、身体が動かない。。。
まさか心霊現象?
もう怖くてパニックになりかけた時
『*************************』
なにか聞こえたと思ったら、意識が遠のき・・・・・・・。
・・・チュン チュン・・・
鳥の声?
森?
確か帰宅して。。。
あ!
思い出した!!
ここどこよっ!
なんで草の上で寝てるわけ?
って、なにこの服?ってか服なの?
どこかの健康ランドの様な短い浴衣の様な物を羽織っただけ
下はぶかぶかの短パン、しかも下着は着けてない
屋外なのに靴も履いてないし。。。
こんな格好で他人に会ったら。。。。。
顔が青ざめていくのがわかる
寒気がして腕を胸の前でギュッと組む
?
胸が・・足りない??
なんか胸が小さくなってるような?
他の部分も良く観察してみると
マニキュアもしてない
「あ、あーー」
声も若くなってるような?
鏡が無いのでなんとも言えないけど
これって若返り?異世界転生ってやつ?
意識を失う前、何か聞こえたような。。。?
なんだっけなぁ?
?
確か。。
君には。。。
う~~~ん。。。
!!
『君には**の才能があるね、ボク******おくれよ』
確かこんな感じだった気がする
これ以上は思い出せない><
男の子の声だった?
でも私らも男の子の声出せるしなぁ。。。
とにかく
こんな格好で誰かに遇ったら大変だし、とりあえず何処か隠れられるところを探さないと・・
辺りを見渡して見ると、どうやら森の中のちょっと開けた場所の様で
だいたい直径20メートル程の円形に木が生えていない場所のほぼ中心地点で寝ていたらしい
どっちを見ても木がたくさん生えている。
どっちに行こうかなぁ。。?
鳥の鳴き声みたいのが聞こえるから、鳥はいるんだろうけど
森の中には熊とか獰猛な獣が居たりしないかな?
もしほんとに異世界だとしたらお決まりの魔物とか?
地球の人類と同じような人族って居るのかな?
よく見ると枝や雑草の少ない獣道の様な道が3本ある
ここを中心に3方向分かれ道になってるみたい
どっちに行ってみようか?
方角は?と空を見上げて唖然とした。
どんよりとした空に
太陽が2つある!?
異世界確定かなぁ。。^^;
方角の判断はつかないので諦めた
木の枝を拾って、倒れた方向に一番近い道を進む事にした
運を天に任せて~
ポタッ
あっちね、暗くなる前にサッサと移動しよう
とりあえず、水場と雨が降っても濡れない場所を探そう。。。
不思議な事に全然疲れないけど、30分ほど歩いただろうか?
水場も無ければ大木の虚や洞窟なども見当たらない
違う方にすれば良かったかなぁ。。。
戻ろうか?どうしようか迷いながらも進んでいると
道が太くしっかりしてきて獣道からちゃんとした道になってきた。
先を見ると光がさしている
森を抜けた?
と、目の前を馬車の様なものが、猛スピードで横切った。
そしてその後ろを転がる直径2メートル程の玉?!3個
その1つが馬車に追いつき跳ね上がって馬車の上に落ちた
ガガガガゴーン!と、すごい音と共に馬車は砕け散って止まった。
森の出口にある木の陰から様子をうかがうと、馬車の破片の辺りに3人の人影が!
当然、ボロボロになって倒れており、生死もわからない。
転がっていた玉は、いつの間にか小判型の化け物になっていた。
例えるなら巨大なダンゴムシである。
「ほんとに異世界来ちゃった。。。」
ドガッ!
不意に頭に衝撃が走り倒れ込んだ。
見上げた先に居たのは、
虫のような顔をした人型のなにか。
そして剣を振り上げていた。
私は死を覚悟した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺は 島沢政人 54歳バツイチ O型
性格はバカ正直でお人好し これに尽きると思う
趣味はマンガやアニメ
(でもオタクって程では無いと思っている。同人誌即売会にも行ったことないしー。)
写真を撮る事、魚釣り、動力の付いている物に乗る事(ボート・車・バイク等)
機械いじり(子供の頃はおもちゃや模型ラジコン等、成人してからはバイクや車をいじったり、PCを組んだり)あとはアウトドアかな?
マンガやアニメの中でも異世界物や日常物が趣味に合うらしい。
バトルものやロボットもの、ハーレム系、ヤンキー系などは好きではない。
ロボット物も以前は好きだったけど飽きちゃったのかな?
昔は全然興味なかったのに40過ぎてからは声優さんにも興味が湧いた。
数年前までは毎晩寝るまでネットゲームをやっていたが、仕事が終わって寝るまでのわずかな時間を楽しみたくてゲームしているのに、ゲーム内でまで作業的なキャラ育成をやらなければ強くなれないうえに、仕事してない学生やニートには勝てるわけもなく、段々と興味が無くなっていき・・・、
web小説というものを知ってからはネトゲはログインするだけになり、2垢用の隣のパソコンでひたすら読みあさっている。
子供の頃から読書が嫌いだったのに、内容が興味ある事だからなのか?
横書きなのがいいのか?自分でも不思議である。
そして精神年齢の低さと運の悪さには自信がある!(苦笑)
運の悪さ・・・、思えば
物心つく前に両股関節ペルテス病と言うのになって、跳ねたり走る事を禁止された。現在の医学なら初期の対応だけでその後は普通に暮らして良い事になってるみたいだけどね;;
当時の医学では(なのか?通った病院が悪かったかは不明)18歳になって大人の骨になるまでもてば大丈夫って言われたが、40歳を過ぎた頃からたまに股関節が痛くて歩けなくなる事があるようになった。
ネットで調べたら、最初の処置が悪いと30~50歳で痛みや歩行障害が出るとあった。
で、足が悪いのもあったし、親戚中で最初に生まれた男の子だったしでかなり過保護に育てられた と思う^^;
幼稚園:『足の悪い子は面倒みれません』と、地元の幼稚園には入園を断られて
別の地区の幼稚園に運動会の後の半年だけ通った。
小学校:3学年上に姉が居るのだけど、姉の時は自転車検定みたいのがあってそれに通れば自転車乗って良かったのに俺が入学した年から市内に3校ある小学校の中で唯一俺の通っていた小学校だけが『国道やバイパスがあり危険なので保護者と一緒でない時の自転車を禁止』とされ、自転車での移動ができず。足の負担を減らすためにも必要だったかも知れないのに・・・。
また、5年生の時に新校舎が出来たのだけど、新校舎には6年生が入った。
6年生になって新校舎に入れると思ったら『最上級生は下級生の面倒をみるために旧校舎が云々』と結局新校舎には入れなかった。1学年下にPTA会長の子供がいたのでそっちを新校舎に入れたかったかららしい。
中学校:入学したらいきなり校舎建て替えのためプレハブ校舎。くそ暑い夏をプレハブで過ごし新校舎完成後は昭和初期からの平屋のボロ校舎に・・・。2年からは鉄筋の旧校舎に入りここでも1学年下が優遇され卒業まで新校舎には入れなかった。まあ新校舎云々は俺の運のせいでは無いと思うけどね^^
担任は3年間体育教師、部活は運動部は無理なので科学部に入った。「夏休みに一番出席したから」と訳のわからない理由で部長にされた。
3年のクラスでは、今で言うイジメ?にあい、ほとんどの男子から無視されバカにされた。その理由が「マラソンは見学してるくせにずるい」みたいなものだったと思う。
人間、ダメと言われるとやりたくなるものだし、痛くもかゆくもないのに走っちゃダメと言われても子供が素直に従えるわけも無く、体育の短長距離走はやらなかったけど球技をすれば全力で走るし休み時間なども普通に走り回っていた。そのため反感を買ったらしい。
体育で走らされるのがみんなは嫌だったみたいだ、こっちは走りたいのにね><
足が悪いため体育の評価なしだったのが悪かったのか体育教師が初めての3年生クラス受け持ちでクラスの中でうまくいってないみたいな事を内申書に書かれたのか?は不明だけど自己採点ではその年の県一番の進学校にも受かる点数を取ったのに第一志望の県立高に落ちた。
仕方なくすべり止めで受かっていた2校から選ぶ事にした。
1校は男子校で山手線の駅を使う、もう1校は共学で京浜東北線の駅を使いいちおう県内だったので共学の方を選んだ。
高校:共学を選んだのに3年間男子クラスだった!!!!!!!!!!!
部活に入れば女子とも関われただろうけど、中学で部長やらされたので文化部にには入りたくなかった。
早く走る事にすごく憧れがあり、車やバイクに興味を持った。
まずは15歳9ヶ月から取る事ができた4級小型船舶(現小型船舶2級)の免許を取り
16歳になるとすぐに原付免許を取り、原付に乗って教習所に通い中型2輪の免許を取った。
しかし、その直後から[3ない運動]なんてのが始まり、高校ではバイクが禁止になった。
高校受験はすごく頑張ったんです! 中学に入るまで宿題さえしてれば文句言わなかった親が中学に入った途端「勉強しろー」になり、家庭教師まで付けられて・・・
なのに結果は内申書で不合格
高校行ってからは勉強なんてやる気になれず、大学は全て不合格
まあ、現在と違いどこを受けても競争率10倍なんて時代でしたからね。
受験した大学全てに落ちた俺の選択肢は浪人か専門学校か
自分の性格上、浪人しても無駄だと思ったので専門学校へ行く事にした。
写真を撮るのが好きだったからカメラマンを目指して専門学校へ
ところが、報道写真科は既に締め切られており、入れたのは商業写真科
それでもモデル撮影なども含まれるので期待していたのだけど
実際はカタログなどの商品撮影を主とした授業で、使うカメラも大型の物
レンズだけ買わされて、大型カメラは貸し出し制と、そこまではまだ良かったのだけど、三脚は自前なため大型カメラにも使える三脚を持っている人に優先権が有り、35㎜のカメラでやりたかった俺としては、三脚を買うのもシャクだし、次第に実習から遠ざかってしまい、2年へは仮進級
2年になると当時好きだった女子ともクラスが別れ、その娘を乗せたくて買った車をおシャカにしてしまい、ローンだけが残った。その娘へのアタックもやる気がなくなり卒業の見込みもなくなったし、2年前期までで中退した。
新車を3ヶ月でおシャカにしたので、次は自分で直せるようにと
自動車整備の専門学校に行く事にした。
比較的近い学校と車で1時間半かかる学校と2校を受験したのだけど
先に発表のあった近い方は合格発表の時に番号を見つけられず、不合格と思って遠い方に行く事にした。後日、実は受かっていたのがわかったのだけど遅かったw
整備学校卒業後は新車をおシャカにしたあとお世話になった大手ディーラーに就職が決まっていたのだけど、卒業半年前に通学途中でトラックとすれ違いざまフロントガラスを割られて、その修理の対応が悪くそこには行きたくなくなり
(割れたガラスが車内にいっぱい残ってるのに「修理終わりました」ってふざけるなー!)
別の近場の個人ディーラーに入った。
ここで、整備学校に入った時に夢見た将来設計を話しておこう。
卒業後1年くらいメーカーのディーラーで基本を学び退社、ガソリンスタンドでバイトして危険物取扱者の資格を取りこの時に彼女(嫁候補)を捕まえる、チューンショップに就職して修行後独立、自宅でチューンショップをやろうと考えていた。
予定通り1年3ヶ月で退社してガソリンスタンドにバイトに行った。
ここで予定通り?彼女が出来た。ここまでは良かった?しかし
危険物取扱者の資格を取りたいと店長に言っておいたのだけど、2~3ヶ月したら店長が代わった。
新しい店長とは合わず、また、彼女に家に住み着かれてしまいバイトを辞めた。
(母屋と階段でつながってはいたものの車庫の2階に住んでいたため内緒で同棲可能だった)
将来設計は大きく狂いだした^^
トイレはあるけどキッチンも風呂もない離れなので、外食が多くなり、風呂に入れるためにラブホを利用する日々、将来のために貯めておいたお金はアッという間になくなった。
お金を稼ぐために電話機やFAXを売る飛び込み営業をやり、軍隊みたいな会社で半年働いた。
ボーナスは期待できたハズだったのだけど、2週間前に辞表を出したら『明日から来なくていい』と言われてしまい、もらえなかった;;
その後は友人が働いているディーラーに誘われて、日曜祭日が休みなのを条件に入社した。
日曜祭日休みなので車検工場みたいな本社で、みんなで残業なくそうと毎日定時に帰り
その会社では7年働いた。その7年間の途中に工場長になり、母屋を建て直して結婚もした。
しかし、会社としては酷い会社で、会社なのに社長の考え方は商店。
工場長に何の権限もない。ボーナスの査定なんてしたことなかったし、そもそもそのボーナスが冬は年末最後の出勤日、夏はお盆休み前が当たり前、最悪な年は敬老の日の前だった。
住宅ローンもあるし「ボーナス払いが払えない!」と苦情を言ったら、「お金のない人は買い物しないでください」と、社長に朝礼で言われた。
先の見えない会社に嫌気がさして居たところに転勤の話が出て、迷わず辞表を提出して独立した。
自宅の車庫を改装してなので広さや天井の高さが足りず整備工場には許可が取れなかったので、当時流行りだしたユーザー車検代行と、母親がうちの隣にあるホームセンターにパートに行っていたつてでホームセンターのカーピットを受け持つ店を始めた。
結婚を機に自分の両親と同居の2世帯住宅を建てて
1階に両親、2階に俺たち夫婦で暮らしていたが、自分の店を始めて2年位は良かったのだけど、ホームセンターが閉店し客は激減、中古車ブローカーに弟子入りしようかと考えていたところに、同時期にフランチャイズでユーザー車検代行を始めた写真学校時代の同級生が区画整理で立ち退くので閉店すると聞き、共同経営って事で合併したんだけど、それが大失敗でさらに大赤字に・・・。そんな状態だったし
俺の両親と折り合いが悪かったのと、子供が出来なかったのもあり
結婚10年直前に嫁は出て行った。
細かい事を話せばもっと運の悪さが関係してくるんだけど
大まかにはこんな感じでした。
それからすでに15年
1人になった直後は人恋しくてネットゲームにはまり
しばらくは仕事もやる気になれず、パチスロとネットゲームに明け暮れた
そんな生活をしていれば当然借金まみれになり
気づいた時にはいくつかのカードも止められて
月々の支払いが払えなくなり、友人に泣きつき副業として雇ってもらった。
それでも親と同居でなければ生活できない程のじり貧だった。
カード会社1社を残して過払い請求をしてなんとか少しだけ余裕が出たものの
今度は友人の会社がやばくなって従業員を減らすと言うので
自分から辞めたところだった。