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まだ早いかな

作者: 伊瀬

教室の窓の外に見える雪模様は、育ちの悪い子供が乱暴に砂糖を撒き散らしているように見えた。ここ札幌では、たまに他のものが全く見えなくなってしまうほど大量の雪が降る。

東京にいた頃の友達に、北海道は気をつけないと街中で遭難しそうになるんだぜ、と言うと、皆んな冗談だと思って笑った。僕も冗談めかして言った。しかしそれは全く冗談ではない。酷い時の雪には、ホワイトクリスマスを連想させるようなロマンチシズムのかけらもなく、むしろ暴力性や絶望感を纏っている。僕はそんな雪を見る度、なぜだかいつも物悲しい気持ちになる。

凪沙が僕の机の前に現れたのは、6限が終わり、帰り仕度をしていた時だった。

「何でずっと窓の外を見てたの?」

見られている意識がなかったため、僕は急に恥ずかしくなり、顔を赤くした。

「別に、大した理由はないんだよ。ただ、凄い雪だな、て思ってただけ。こっちに来てから二回めの冬だから、まだ完全には慣れてないんだと思う。」

ふーん、と凪沙は鼻を鳴らし、肩まで伸ばした髪を触った。

「でも、佐野先生見てたよ。金澤君のこと。なるべく気をつけた方がいいと思う。意外と目立っちゃってるから。」

「ありがとう、気をつけるよ。」

先生の機嫌を害していたとしても大して問題には思わないし、むしろ反抗したい気もあるが、無駄に目立つのは確かに嫌だった。それに、そんなに窓の外を見たいわけでもなかったので、大人しく凪の忠告を聞く事にした。何かを指図されることは嫌いだったが、信頼している凪に言われるのは嫌に感じないのを、いつも不思議に感じた。

「ところで、今日一緒に帰らない?」と僕は言った。

「うん、実はそう言ってもらいたくてここに来たの。」と言って凪沙は目尻を下げた。


凪沙と二人で帰るときは、いつも高校近くのショッピングモールに寄って、ブラブラと店を回るのが決まりの流れだった。2人とも特にこれと言った趣味もなく、服や物を見ながらとりとめもないことを言ったり、ふらっと寄ったチェーン店で軽食を食べたりするので満足していた。

凪沙と恋仲になってからはもう半年になる。年度はじめの席替えで席が隣になって話すようになり、明るく凛とした凪沙に僕はすぐに恋に落ちて、1学期の終わりに告白し、関係が始まった。

あまり冴えない僕に対し、凪沙はクラスでも人気者の部類だったから、初めは格差カップルなんて言われていた。最近になって知ったことだが、凪沙は女子の友達に、もっといい人がいたのになんで僕と、と良く聞かれていたらしい。その度に凪沙は、不思議な空気感が好きだと答えてたらしい。あまり喜んでいいものか分からない。

凪沙がいなければ、僕の高校生活はもっと酷いものになっていただろうな、といつも思う。僕の暗い心を軽くしてくれる凪には、感謝してもしきれなかった。

「ちょっとここ寄ってもいい?」と凪沙が洋服店を指差した。僕も名前くらいは知っている、高校生には少々敷居の高い店だ。僕が答える前に、凪沙は店に向かって歩いていたから、僕も後をついていった。

コートやセーターをひとしきり見てから、店の一番奥に並んだマフラーの前で凪沙は足を止めた。明らかに、他のものを見ている時と真剣さが違っていた。

色々なマフラーを手に取り、見比べたり、鏡に自分とマフラーを映してコートとの相性を確認した末に、最初に手に取った藍色のカシミアマフラーをもう一度手に取る。上品で高級感があったが、シンプルなモノトーンのデザインで奥ゆかしくもあり、凪によく似合いそうだった。その値札を、爆発物でも扱うみたいに恐る恐る見て、凪沙は目を見開いて、元の場所に戻した。僕も値札を見てみたが、確かに量販店ではちょっとありえない値段設定ではあった。

「ごめん、もう大丈夫だよ。」と、凪は少し寂しそうに言った。

「いやー、高かったなー。大人のマフラー、て感じ。」と、店を出てしばらくした後、凪沙は言った。

「高いけど、やっぱり高いなりに、お洒落だったよね。」

「うん。可愛かったなぁ。わたしにはまだ早いのかな。」

早くなんかないよ。僕は心の中で呟いた。


家に帰って引き出しを開けた。確か、今年のお年玉は3万円くらいだったはず。それなら、あのマフラーだって買える。

一週間後は凪沙の誕生日だった。初めての誕生日プレゼントにしては高すぎる気はしたけど、でもどうせ他に使うアテもないし、凪が綺麗になってくれたら僕も嬉しい。

しかし、どれだけ探しても、お年玉の袋が見つからない。椅子の下や、バッグの中を探しても無い。僕は綺麗に整頓する方だから、物をなくすことは滅多にない。嫌な予感がした。

僕はキッチンに向かい、趣味の悪い数珠のネックレスをかけた母親に声をかけた。

「お年玉見てない?見当たらなくて。」

「いや、知らないけど。」母親はスマホの液晶を見つめたまま言った。

僕は無言で母親のバッグを開け、袋の不在を確かめると、引き出しを乱暴に開けた。母親は慌てて僕の両手を掴み、止めようとした。

「やめてよ!なんでそんなことするの!」

「だって嘘ついてる声だし!絶対俺引き出しに入れてあったからなくすワケねえし!」

僕は母親を振り払い、キッチンを引っ掻き回した。ほとんど、ヤケクソだった。

「分かった!返す!返すから落ち着いて!」

観念した母親は財布から3万円取り出して僕に差し出す。袋はもう処分していたらしい。

「あなたの将来のために貯金しとこうと思ったの。いつも使わないで残しておいてるでしょ。だから、私が毎年口座に預けて管理してるの。今年もそれでいいと思って。」母親は早口でまくし立てた。

「じゃあなんで最初嘘ついたんだよ。」

「それはあなたが問い詰めるような言い方するからでしょ。普通に言われてたら」

「いいから謝れよ!」

僕は絶叫に近い声で母親に訴えかけた。母親はいつも過ちを認めない。そして基本的に何もかも僕のせいにする。それが何よりも腹立たしかった。

母親はあっけにとられた顔をして、一呼吸をしてから憐れむような目をして僕の目を見た。そこには、母が子を見つめる時の慈愛は一切なく、裁判官が罪人を見下ろす様を連想させた。その冷酷さは、僕の心を深く貫き、立ち向かう気力を失わせるほど強力だった。

「汚した分は片付けること。私は少し頭冷やすから。それじゃ。」と母親は言って、家の外に出て行った。

僕はぐちゃぐちゃになったキッチンを丁寧に片付けた。反抗する気すら失せたためだが、せめてもの抵抗として、お薬手帳や箸にこぼれ落ちた涙は拭かずにそのまま引出しに突っ込んだ。片付けながら、俺の残りお年玉はどうなるんだろうな、と思った。

2年前に両親が離婚してからというもの、母親は精神を錯乱させていた。僕は本当は父親について行きたかったのだが、母親に隠れて数百万円の借金を作り、離婚の直接の原因を作った父親には、親権を獲得することなどできなかった。

優しかった母親は僕に対して強く当たるようになった。おそらくだが、父親の姿を僕に重ね、今や父親にぶつけられない不満を僕にぶつけているのだろう、と思う。それからは地獄の日々だ。

綺麗になったキッチンを見て、ふと笑いたくなって、高笑いを始める。ハハハハハ、という耳をつんざくような笑い声が響いた。暴力的で絶望的な雪が吹き荒れている。未来なんて、見えなかった。


「かーえろっ。」

凪沙の声が僕の心の氷を溶かしていくのを感じた。

「はーあい。」と僕は柄にもなく答えた。


凪沙の誕生日であるその日、僕は凪沙の言葉に対し、生返事しか返すことができなかった。プレゼントを用意してある緊張感があったと、先日母親と衝突した時の残滓がまだ残っていたからだ。

ロクに話さない僕に対し、凪沙は途切れずに近況を話し続けた。飼っている犬がすぐおしっこをする話、天然な友達が間違えて兄の体操服を持ってきて、着るまで気づかなかった話、近くのカレー屋に最近人気の芸人がロケに来た話…

凪沙の話を聞いてると、高ぶっていた神経が落ち着いていくのを感じた。それまでずっと、今まで貯めてきたお年玉が生活費に回されるのを想像して腹がムカムカしていたが、それもスッと引いた

いつも2人が分かれる地点まで歩いたところで、僕は意を決して立ち止まった。僕は震える手でエナメルバッグから包みを取り出し、凪沙に差し出した。プレゼントを買うときには凪の喜ぶイメージしかなかったが、いざ渡す段になると、重いと言われる気しかせず、不安で手汗が滲んだ。

凪沙はプレゼントがあることまでは予想していたらしく、落ち着いて包みを開いた。そして、現れた藍色のマフラーを見てわ息を飲んだ。

「重い、かな?」と僕は我慢できずに言った。

凪沙はしばらく固まって、ぷっと息を吹き出した。僕は少しパニックになり、「違った?」と訳の分からない事を口走る。凪沙は微笑みながら首を振った。

「違うの。見てこれ。ビックリするよ。」

凪沙に包みを差し出され、まさかと思って開くと、そこには僕が買ったのと同じ、藍色のマフラーがあった。

「うわやっちゃった。もう買ってたんだ。」と言って僕は肩を落とし、お金を無駄遣いした後悔で頭がいっぱいになった。しかし、すぐに、自分の早とちりに気づいた。

「あれ、なんで自分に買う物なのに包んでもらってるの?それに、俺に開けさせたのは…」

「金澤君へのプレゼントだからだよっ。」

凪沙は優しく微笑みながら僕にそう言った。

「でもあの日は自分に合わせてたのに、どうして。」

「本当は金澤君に合わせてたんだよ。鏡の前で広げてたのは、演技。」と凪は言って、舌を出した。

「でも、わたしにはまだ早いとか言ってなかったっけ。」

「金澤君には相応しいと思ってたよ。金澤君って、なんだか大人っぽい雰囲気あるし。今日はちょっと違うみたいだけど。」

僕はまた顔を赤くする。

「でも、わたしこのマフラー自分でもすごい欲しかったんだ。本当はお揃いにしたくて、でもそれは流石に高いから金澤君の分しか買えなくて…だから、本当に嬉しいよ。」

僕らは同じマフラーを巻いて、2人でニッコリ笑い合った。

「バカップル、て言われちゃうかもな」と僕が言った。

「いいじゃん。わたし、金澤君とバカップルになれんなら本望だよ。」

僕は愛しさで胸がいっぱいになり、凪沙を抱き寄せた。凪沙も力を抜いて身を預け、僕の背中に手を回した。

親とか、お年玉とか、もうどうでもいい。凪がいれば、俺は生きていける。雪が止み、雲の切れ間から太陽が輝き出した。

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