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現代恋愛関係(短編)

キューピットラ!

作者: ジルコ

 くぁ~と大きな欠伸が出る。春眠暁を覚えずとはよく言ったものだ。

 昨日の夜更かしのせいもあり、ぼーっとした頭のまま通学路を歩く。4月も中ほどを過ぎ新入生たちも気の合う友達が出来たのか1人で登校している奴は俺を含めても数えるぐらいだ。

 花はとっくに散り、新緑の芽が青々しい桜並木をぷらぷらと歩いていく。


「よお、トラ。」

「おはよ~、トラ君。」


 ゆっくりと歩く俺を追い抜いていきながら顔見知りが挨拶してくるので、軽く手を上げて挨拶を返す。俺がこんな感じなのはいつもの事なので、あいつらが朝の俺に話しかけてくることはほとんどない。気を使われているようで悪い気もするが眠いものは眠いのだ。

 まあ例外はいるんだがな。

 ちなみにトラと言うのは俺のあだ名だ。いつの間にか定着しちまったが俺自身もちょっと気に入っているので特に問題は無い。


「おはよう、トラ君。そんなにゆっくり歩いていると遅刻するよ。」


 どうやら唯一の例外がやって来たようだな。

 振り返るとそこには予想した通りの顔があった。何が嬉しいのかわからないが顔に満面の笑みを浮かべながら俺の頭を撫でて挨拶してくるこいつは、大宮 茜(おおみや あかね)だ。

 明るい性格で友達も多い、まあ普通にしていればいい奴なんだが、なぜか俺の頭を撫でる癖があるのだ。俺の背が小さいから撫でやすいんだろう。


 周囲の目の多い通学路で頭を撫でられるなんて言う羞恥プレイを喜ぶ趣味は俺には無いのでふいっと頭を振ってその手から逃れる。

 茜はちょっと残念そうな顔をしたが、すぐに俺の隣に来るとそのまま同じ速度で歩き始めた。

 茜が一方的に話しかけてくるのを、適当に返事をしながら学校へと向かう。これが俺の朝の日常だった。


 授業は退屈だ。と言うより何でこんな勉強をするのかわからない。俺にとってはもっぱら昼寝の時間となっている。まあ怒られたことはほとんど無いので、問題ないか諦められているのか判断に迷うところだ。

 体を動かすのは得意なんだがな、頭を使うとすぐに眠くなっちまうんだよな。


 昼になったので適当に食事を済ませ、いそいそと校庭裏へと向かう。この校庭裏は生徒もほとんど来ない学校の中で忘れられたような場所だ。

 その一角にある日当たりのいいベンチが俺の指定席だ。特に今日のようなぽかぽか気持ちのいい日はベンチに寝ころがって昼寝する以外の選択肢は無い。夏だと暑すぎるし、冬は寒いからな。やっぱり俺は春と秋が好きだ。

 快適な昼寝こそジャスティスとばかりに俺はベンチの上で横になる。暖かいし、それでいて適度に風が通るここは本当に・・・


 ギシッ、と言う小さな音に目を覚ます。いつの間にか眠っていたみたいだな。

 顔を上げ首を左右に振ると、いつの間にか俺の隣に茜が座っていた。春だと言うのになぜか毛糸で何かを編んでいる。冬から何度も編んではほどいてを繰り返していたが未だに完成しないようだ。もう暖かいしさすがに使わないと思うんだが。


「あっ、ごめんね。起こしちゃった。」


 茜が謝って来るが、それに首を振って別にいいと答える。授業中に寝すぎたせいでそこまで眠くは無かったのだ。まあこの場所が気持ち良すぎていつの間にか眠っていたが。


「そうそうお詫びにこれあげるね。」


 毛糸の入った手提げバッグの中から茜が小さな紙袋を取り出す。かすかに甘い匂いが漂ってきたことから考えて何かのお菓子の様だ。


「えっとねー、今日はじゃ~ん!サツマイモのクッキーです。」


 広げられたハンカチの上に袋から落ちてきたのは星や魚、ハートなんかに型抜きされたクッキーだった。匂いを嗅いでみると確かにサツマイモの甘いにおいがする。

 ちょっと小腹も空いてきたところでちょうど良かったので一口かじる。サツマイモ特有の甘さが口の中に広がり、そして容赦なく口の中の水分を持って行く。


「あっ、ごめんごめん。ちゃんと水もあるから。」


 顔から俺の状況を察したのか茜が自分の水筒のコップに水を入れて俺の目の前に置いてくれる。目と目で通じ合うってやつだな。

 クッキーと水を交互に口に入れる俺の横で、茜は静かに毛糸を編みこんでいく。こうやって黙っていれば可愛い奴なんだがな。真剣に毛糸と向き合っている茜にちょっと見とれる。


「んっ、何?」


 茜がこちらを向き、覗き込むように俺を見る。その大きな黒い瞳に、間抜けな顔をした自分の姿が映っていた。

 視線に気づかれたのが恥ずかしくて、俺は顔をふいっと反らすと魚型のクッキーの頭をかじってごまかした。茜はそんな俺の様子にくすっと笑った。心が見透かされているようでちょっと気まずい。

 ポリポリという俺がクッキーをかじる音とたまに茜から聞こえる悩むような声と共に穏やかに昼休みは過ぎていった。


 午後の授業の時間を適当に過ごし、掃除の時間も終わったので家へと帰る。新入生歓迎のためにうるさかった校門も4月の半ばを過ぎればもう静かなもんだ。

 代わりと言っては何だが、運動部の掛け声や吹奏楽部の練習の音が校庭には響いていた。たまに外れた音を出しているのは新入生だろうか?ちょっと面白い。

 俺はもちろん部活なんて入っていないのでそのまま帰るんだけどな。


「あっ、トラ君。また明日ね。」


 目ざとく俺を見つけた茜に声をかけられる。陸上部の短距離選手である茜は当然ジャージ姿だ。茜の後ろには見たことのない顔の陸上部員が座っていた。おそらく新入部員だろう。そいつはぶんぶんと手を振る茜と校門から出て行こうとしている俺を交互に見ている。


 おい、恥ずかしいからやめろ。


 俺の抗議の声にもめげずに手を振っている茜の姿に俺が折れ、軽く手を上げて返し、そのまま歩き始めた。あいつは公衆の面前で恥ずかしくないのか?冷静を装ったつもりだったが顔が熱くなったのはばれなかっただろうか?そんなことを考えながら帰途についた。


 俺の隣には茜がいる。それが俺のここ1年の日常だった。


 茜と出会ったのは新入生のころだ。校庭裏のベンチと言う絶好の昼寝ポジションを見つけた俺は毎日ウキウキしながらそこへと寝に行っていた。

 ある日、昼食が少なかったためどうにもお腹が空いて眠ろうにも眠れずにうとうととしていると、手提げバックを持って校庭裏に来た奴がいた。それが茜だった。

 校庭裏には俺の座っているベンチしかない。茜は真っ直ぐにこちらに向かって歩いてきた。


「えっと隣に座ってもいいかな。」


 まさかこんな人の来ない校庭のしかも俺が寝転んでいるベンチにまっすぐやってくる奴がいて、しかも俺に声をかけてくるなんて、と驚いたのを覚えている。

 まあベンチは俺のもんじゃないしいいぞ、と言うと茜は嬉しそうに俺の隣に腰を下ろし手提げかばんの中をごそごそと漁りだした。少し甘い匂いが風に乗って俺の鼻をくすぐった。

 思わずそちらを見ると茜が広げた白い包みの中には手作りだと思われるクッキーが入っていた。ちょっと赤みがかったそのクッキーはとても美味しそうだった。

 不意に視線を感じ、顔を上げると、可笑しそうに俺を見つめる茜と目が合った。


「えっとお腹空いてるの?食べる?」


 お腹なんてすいてねえし、と言った直後に鳴った俺の腹の音のせいで茜に大笑いされ、少し涙を流しながら俺に差し出されたクッキーを八つ当たりするかのように口の中へと入れた。

 ニンジンクッキーだった。斬新な味だがまずくはなかった。


 このことが縁となり、茜と俺は一緒にいることが増えていき、そして晴れた日の昼にはいつもの場所で茜の作ったおやつを食べることが俺の楽しみの1つになっていった。

 茜のそばにはいつも俺がいる。俺はそれが当然だと思っていたし、この関係がいつまでも続くと思っていた。


 一学期の期末テストも終わり、夏休みに向けてそわそわした空気が広がる中、俺はいつものベンチで茜の作ったお菓子を食べていた。

 俺の隣ではちょっと日焼けした茜が黙々と編み物をしている。そろそろ完成も間近で何を作っているかもわかっている。マフラーだ。

 これから夏だってのに、使い道ねえだろ、とは思うが去年の冬から作っているのを知っている手前、何も言えなかった。

 マフラーには「T」のイニシャルが入っているし、たぶん俺のだろ。ここまで悩んで苦労して作ってくれたものを受け取らねえのは男じゃねえし、なんてお礼を言うべきだろうなとお菓子をポリポリと食べながらのんきに考えていた。


「出来た!」


 茜がマフラーを両手に持って広げる。所々網目の荒いところはあるが、十分綺麗だ。特に俺のイニシャルの「T」が赤茶のマフラーの中で白いワンポイントになっていていい感じだ。

 茜が俺を見た。いよいよか、と俺も覚悟を決める。夏だがせっかく茜が気持ちを込めて作ってくれたマフラーだ。しないわけにはいかないよな。


「トラ君。」


 なんだ?

 お菓子を咥えながら、俺は全然気になんかしていませんと見栄を張る。ちゃんとしたプレゼントをもらうのなんて初めてなのでこっちも緊張するがそんなことを悟られたら格好が悪い。


「あのね・・・」


 茜が口ごもる。俺は何も言わずに徐々に顔を赤くしていく茜を見ていた。やばい、可愛い。くそっ、俺の顔まで赤くなってないだろうな。頭がぐるぐると回ってまともな思考が出来ない。


「あの・・・」


 早く言ってくれ。俺のその思いが通じたのか、少し伏し目がちだった茜の目が俺の目を真っすぐに見た。


「私、好きな人がいるの。運動神経は抜群だけど、授業中に寝てたりして先生に怒られたりするんだけどね。でもとっても優しいし、そばにいると安心するの。」


 茜の告白に俺の顔がどんどん熱くなっていく。


「始めはね、ちょっと怖いかなって思ったんだ。でも私の作ったお菓子を美味しそうに食べてくれてね。それからちょくちょく話すようになって、優しさに触れて、だんだん惹かれていってる自分に気づいたの。」


 茜が顔を真っ赤にして、いつもより少し早口で話す。

 俺はただ黙って聞いているだけだ。ここで止めて、逆に俺からとかも考えたけどうまいセリフなんて考えつかなかったし、なにより茜の想いを聞いておきたかった。


「去年の冬にね、寒そうにしていたからマフラーを編もうって決めたんだ。マフラーを渡して告白しようって決めて。マフラーを編むなんて初めてだったから失敗ばっかりで結局こんな時期になっちゃったけど。」


 ああ、知ってる。茜がどれだけ苦労したか俺が一番そばで見てきたからな。

 だからこそ嬉しい。このマフラーにどれだけ気持ちがこもっているのか俺は知っている。世界で一番愛情のこもったマフラーだ。どんな高級品でも敵わないほど暖かいはずだ。

 茜が一瞬俺から視線を外す。少し間を置きそして口を開いた。いよいよだ。


進藤 匠(しんどう たくみ)君っていうの。トラ君は知ってる?」


 予想外の茜の発言に、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受け、俺の口からぽろっとお菓子がこぼれ落ちた。

 その後のことはよく覚えていない。茜が今まで見たことがない幸せそうな笑顔で、その進藤なにがしの良さについて語っていた気がするが俺の頭には入っていなかった。

 予鈴が鳴り、茜が教室に戻っても俺はベンチから動くことが出来なかった。それだけショックだったのだ。マフラーが俺の物じゃなかったことではなく、茜に好きな人がいることが、俺に向けたことがない、あの幸せそうな顔をさせる奴がいることが。


 どれだけの時間が過ぎただろうか。頬を伝う水の感触に空をみる。そこには抜けるような青空しかなかった。

 それは不意に流れた俺の涙だった。そしてようやく気付いたのだ。俺がどれだけ茜のことが好きだったのかを。

 茜のそばには俺しかいないと勝手に思っていた。茜から向けられる好意が愛情だと勝手に勘違いしていた。俺が何をしなくてもこの関係は永遠に続くと思っていた。

 俺はどうしようもなく傲慢で、そして愚かだった。


 俺は泣いた。自分の馬鹿さ加減が許せなかった。俺が何か行動に移していればこんな未来じゃなかったんじゃないかって後悔した。

 いつの間にか家に帰り、俺は一晩中泣いた。翌朝に見た俺の顔はひどいもんだった。目は赤く充血しているし、まるで病気にでもかかったかのようにやつれていた。

 しかし思いっきり泣いたのが良かったのか、少しすっきりとして頭も回るようになっていた。そして俺は決めた。茜の好きな進藤って奴を確かめようと。


 俺は自分の好きな相手も気づかなかった馬鹿だが、茜だって進藤って奴の全部を知って好きって言っているわけじゃないだろう。もしかしたら茜の知らないところで悪いことをしている可能性もある。恋は盲目って言うくらいだから危ない。

 俺が茜の隣にいることは諦めたが、それでも茜には幸せになってほしい。だから俺が進藤って奴を調べる。おせっかいと言われるかもしれないし、嫌われるかもしれないが、それが一晩泣きながらも考え続けた俺の茜へのせめてもの恩返しだ。


 幸いにして進藤と言う名前には一応心当たりがあった。たしか茜と同じクラスの背の高い男子だったはずだ。あんまり関わったことがないので顔とかははっきり分からないから一度確認する必要があるが。

 そんなことを考えながら朝の支度を終え、少し早い時間に家を出た。登校時に茜に会わなかったことにほっとしつつも、締め付けられるように苦しい胸を気のせいだとごまかした。


 学校に着いた俺は適当に時間を潰しつつホームルームの時間が始まるのを待った。そしてこっそりと茜のクラスを廊下からのぞき込む。

 タイミングが良く、ちょうどクラス担任が出席を取るために名前を呼んでいるところだった。


「大宮 茜。」

「はい!」


 朝は会えなかった茜が元気に返事をする姿に少し顔がほころぶ。しかし俺の目的は茜を見ることじゃない。気配を消して時を待った。そして・・・


「進藤 匠。」

「はい。」


 落ち着いた声で返事をしたのは背の高いがたいの良い男子だ。短髪に真っ黒に日焼けした姿が茜の話と重なる。見た感じは誠実そうに見えるな。いや、外見じゃわからない。ちゃんと調べないと。

 しっかりと進藤の顔を覚えようと少し身を乗り出す。それが悪かったのかドアに当たってしまいガタッと音が鳴った。


「こら、そこ!何してる!」


 茜のクラス担任に見つかり、慌てて逃げる俺の姿にクラスが笑いに包まれる。茜もそして進藤も笑っていた。

 くそっ、格好悪い。

 でも顔はしっかりと覚えた。進藤が茜の相手として相応しいのか調べるのが目的なんだ。大事の前にはこんな小さな失敗くらい大したことじゃない。そう自分に言い訳しながら俺は捕まらないように廊下を疾走した。


「トラ君。今日の朝、私の教室覗いてたでしょ。」


 昼休み、いつものベンチで会うなり、ニヤニヤした顔で笑う茜に俺は返す言葉が無く、視線をそらしてごまかした。

 きっと茜には失敗を見られて恥ずかしがっていると思われているだろう。

 でもそうじゃない。本当に失敗だったのは、いま会ったことだ。

 胸の内を焦がす衝動が、好きと言ってしまえと自分自身を責め立ててくる。しかしその思いを口にしてしまえば今のこの関係さえ失ってしまいそうで、それがブレーキを踏んでいた。

 でも、俺のその様子を見てくすっと笑う茜の笑顔が、その瞳が俺を捉えるたびにそれが緩んでいくのを感じる。好きだと叫んでしまいたくなる。


 これは・・・ダメだ。


「トラ君?」


 慌てて立ち上がり、ベンチから離れていく俺に茜の戸惑ったような声が聞こえた。その声でさえ愛おしい。


 違う、俺は違うんだ。茜が隣にいて欲しいのは俺じゃない。


 そう自分自身に言い聞かせなければ、茜への想いが溢れて口から出てしまいそうだった。

 振り返って軽く手をあげて茜に謝る。うまく笑えていたかは自信がない。足早に立ち去る俺にそれ以上の声がかからなかったのは俺の想いがバレたからじゃないと思いたかった。


 茜と別れて俺は校舎の片隅で自己嫌悪に陥っていた。

 昨日散々泣いて、気持ちに区切りをつけたつもりだったのに全くダメだった。遠くから見るだけなら大丈夫だ。でも隣に茜がいると、いとも簡単に俺の決意なんて崩れ落ちてしまう。

 茜の瞳に映るのが俺だけだったらいいのに、そんな傲慢な考えが頭をよぎってしまう。


 馬鹿かよ。俺は。


 恋に落ちるなんて初めてなのに、告白さえ出来なかった。いや、したとしても失敗することはわかり切っている。だって好きな人は俺じゃない別の奴に恋しているのだ。

 告白しないのが正解だ。分かっている。十分すぎるほど。

 だけど、俺のそばで茜が笑うたびにまた恋に落ちるのだ。


 恋は落ちるものだからどうしようもないと聞いたことがある。その時は意味が分からなかったが今の俺には分かる。

 本当にどうしようもないんだ。告白できたならどんなに楽だっただろう。好きな人がいることが、そしてその想いを伝えられないことがこんなにも辛いなんて思わなかった。

 行き場のない俺の想いはどうしたらいいんだ。誰か教えてくれ。

 そんなこと、誰にも言えるはずもなく、俺はその場にうずくまり奮える体を丸くして気持ちが落ち着くまで我慢するしかなかった。


 そして俺は茜と会うことを避けることにした。朝は登校する時間をずらし、昼は進藤を調べるためと自分に言い訳して裏庭のベンチには行かなくなり、帰りもサッカー部の進藤が部活する姿を観察しているので茜に見つかることは無かった。

 偶然会ってしまったときは、自然に進路を変えたりしてなるべく近づかないようにした。

 茜を目で追ってしまう自分を自覚していたからだ。

 茜は少し寂しそうにしていたが、無理に俺に話しかけてくることは無かった。


 そして茜と過ごす時間が減った分、進藤を観察していたんだが、憎たらしいほど進藤は良い奴だった。

 特別明るくてクラスのムードメーカーといった感じではないが、年の割に落ち着いていてサッカー部でも新入生の指導や相談によくのっていた。親身になって話を聞く進藤の姿はとても頼りがいがありそうだった。

 どこか悪いところは無いかと調べてみたが、授業中に居眠りして怒られることはあっても誰かをいじめたりとか悪口を言ったりとかそういったことは全く無かった。


 茜の相手として進藤は悪くない。いや、違うな。進藤なら茜の相手として相応しい。


 それが結論。嫉妬から執拗なまでに調べて回った俺がそう言わざる得ないくらい進藤は良い奴だ。

 それが嬉しく、そして敵わないと自覚してしまったことがたまらなく悔しかった。


 1学期の終業式の日。

 俺はあれから茜には会っていなかった。しかし数日前から茜の手提げかばんの中にラッピングされたセーターが入っていることは知っていた。そしてそれをまだ進藤に渡せていないことも。

 今日が過ぎてしまえば夏休みに突入だ。サッカー部と陸上部なので夏休み中も会う機会は無いこともないだろうが、それにしたってある意味で今日がリミットだ。


 終業式が終わり、帰りのホームルームも終了した。

 俺が茜の教室を覗くと、夏休みの予定を楽しそうに話すクラスメイトに交じって茜がいた。その視線は同じように友人と予定を話している進藤へとちらちら向いている。

 クラスメイトがまた一人、また一人と出ていき、そしてついに茜と進藤が残った。進藤は日直だったのか机で日誌を書いている。そんな進藤をちらちらと見ながら茜は赤くなった顔を落ち着かせるためか深呼吸をしていた。

 日誌を閉じるパタンと言う音が教室に響き、茜の体が少し震えた。


「終わりっと。あれ、大宮さん、どうかした?」

「えっと、うん。ちょっと待ち合わせしていて。」

「そうなんだ。じゃあ俺は部活に行くよ。また2学期に。」

「うん、バイバイ。」


 進藤が茜に手を振り返して教室を出ていく。茜はそんな進藤の後姿をただ見送っていた。そして進藤がいなくなり一人きりになったその教室で俯き、渡されることのなかったマフラーの入った手提げ袋を手が白くなるくらいに強く握りしめていた。


 馬鹿だろ、お前。


「トラ君。」


 茜が顔を上げる。その大きな瞳からは涙が溢れていた。

 本当に馬鹿だ。茜も俺も。


「あっ、待って!」


 俺は茜の手提げカバンからマフラーの入ったラッピング袋を取り出すと一目散に進藤の後を追って走り出す。日誌を提出するなら職員室に向かっているはずだ、今ならまだ階段あたりだろう。


「待って、待ってよ、トラ君!」


 俺の後を茜が追いかけてくる。俺も足には自信があるが陸上部の短距離の選手である茜には敵わない。それでも階段の手すりを乗り越えてショートカットしたりして追いつかれないように走った。そしてついに進藤の大きな背中が廊下の先に見えた。

 最後の直線を一気に走り切り、進藤の目の前にラッピング袋を置く。

 俺を見て怪訝な顔をする進藤に顎をくいっと動かして後ろを指し示す。そこには肩で息をしている茜がいた。進藤がラッピング袋を拾い茜の方を向く。


「大丈夫か?これは大宮の物か?」

「えっ、あっ、うん。ありがとう。・・・それじゃあ!」


 違うだろ。


 俺の声に逃げようとした茜の体が止まる。しばらく宙をさまよっていた茜の視線がゆっくりと下を向き、そして俺をじっと見つめた。俺も茜をじっと見つめ返した。何も言わなかったが俺の言葉はたぶん通じたはずだ。


 いけっ!


 しばらく見つめあい、そして目だけで返事をした茜が大きく息を吸う。そしてその視線が俺から進藤へと向かった。


「ずっと前から好きでした。付き合ってください。」


 返されたラッピング袋をそのまま進藤の目の前に差し出し、茜が頭を下げる。その顔は、いや顔どころか全身が真っ赤だ。手も細かく震えている。

 まるで茜の心臓の鼓動が聞こえてきそうだ。

 進藤がラッピング袋を受け取った。俺が乱暴に運んだせいで口が空いてしまったその袋からはマフラーが見えていた。進藤はそれを見て静かにほほ笑むとマフラーを取り出し自分の首に巻いた。進藤 匠の「T」のイニシャルがその胸元に映えた。


「暖かいな。好きな人が作ってくれたと思うと余計に。」

「ごめんね。本当は冬に渡すつもりだったんだけど。・・・って好き!?」

「うん。俺も大宮のことが好きだ。レギュラーを取れたら告白するつもりだったんだが先を越されちまったな。格好悪い。」

「ううん、そんなことない。嬉しい、すごく嬉しい。」


 茜の目からぽたぽたと涙が流れ落ちる。ハンカチを取り出した進藤がその涙を拭いてやり、そして遠慮がちに茜の頭を撫でた。

 しばらくして泣き止んだ茜がはにかみながら進藤を見る。進藤も頭をかいて照れくさそうだ。幸せな空気が辺りを包む。


 はぁ、つくづく俺は馬鹿だな。好きな人のキューピット役かよ。


 幸せそうな茜の隣に俺がいないことがまだちょっと悔しくて、「ニャー」と鳴いた俺を、茜はそっと抱き上げて何度もありがとうと言ってくれたんだ。

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