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Ⅲ 上手に○けました。

 * * *


「ふゃっ?」


 弥生は思わず変な声をあげてしまう。



 身ぐるみ剥されるよりはましなのかも知れないが、どちらにしても弥生には確かに――色んな意味で――衝撃的な光景だった。



「あ、あの……ね、寧々さん……?」


 嫉妬するしないよりも、見ている方が恥ずかしくなって来る。弥生は顔を赤らめて、でも目が離せないまま呆然としていた。


 だが寧々は決してふざけているのではない、はず……多分。

 そう思いながら、弥生はどきどきする心臓を両手で抑えつつ、息を殺して見守った。するとやがてあることに気付く。



 寧々は一海の額の辺りを入念に舐めているのだ。額の、更に眉間の辺りをゆっくり、皮膚を削り取ろうとしているかのように、何度も何度も。


 母猫が一所懸命に仔猫の世話をしているようにも見えた。



 ――だから、猫の姿になろうかと考えてたのね……?



 もしも皮膚を削り取りたいなら、ヒトの舌より猫の舌の方が効率がいいだろう。


 もっとも、言葉通りの意味で皮膚を削るわけではないのだろうが、眉間は神秘的な力を宿す場所だという話もある。宗教的な儀式なのか、実際そこに何かあるのか弥生にはわからないが。


 (へん)()のことを『殻を割る』と寧々が言ったので、弥生には孵化のようなイメージがあった。

 額からピリピリとヒビが入り、猫が顔を出すのだろうか――それとも着ぐるみのように、一海の抜け殻のようなものが残るのだろうか。



 部屋の中には、ペチャ、ペチャリ……という湿った音と、寧々の息遣いだけが聞こえている。


 確かに結構なレベルで衝撃的ではあったが、見慣れて来ると、弥生にはそれが神聖な儀式のようにも見えて来るから不思議なものだ。






 やがて、一海の表情に変化が出て来た。


 顔を触られて――おまけに舐められているのだから、目が覚めそうなだけなのかも知れないが、時々、苦しそうな様子で眉間に皺を寄せる。

 だらりとしていた手も、ぴくん、ぴくん、と痙攣するように動き出した。



「寧々さん、一海くんが――」


 舐めることに集中してまた入り込んでいる(トランス)状態の寧々に声を掛けようとする。だがその時、弥生はとんでもないことに気付いた。


 体勢的に当たり前なのかも知れないが――寧々のたわわな胸が、一海の首元や顎に遠慮なくむぎゅむぎゅと当たっている。



「やだぁっ寧々さん……っ」



 反射的に寧々を一海の上から押し退けそうになった弥生は、手が触れる寸前、寧々の身体(からだ)ががくん、とバランスを崩したのを()()たりして更に慌てる。


「や、寧々さん大丈夫? って、あれ、一海くん……は?」



「あ――やっろ……()()らはぁ……」



 寧々は疲れた顔で、だがほっとした表情でそう言った。


 * * *


 ベッドの上に、一海の姿はなかった。




 その代わり、寧々の下――さっきまで一海の頭や肩があった辺りに、小さな猫がいる。



 何が起きたのかわからない、というように目をまんまるにして、手足をきゅっと縮めたまま仰向けに転がっていた。




「ゎ……か、か、可愛い――っ!」


 思わず弥生は仔猫を両手ですくい上げる。

 その状態でその仔猫は、弥生の両手に収まってしまうほどまだ小さかった。



「折角だから、弥生ちゃんが拭いてやって。きれいなタオル、まだ用意してあるからさぁ」


 持ち込んでいたお茶のペットボトルで口をすすいだ寧々が、絞ったタオルを弥生に数本渡す。



「あの、私、仔猫とかお世話したことがなくて……」


 タオルを片手で受け取ったはいいが、おろおろする弥生。

 一海だった仔猫は、自分が来ていたシャツの上に下ろされて、きょとんとしたまま座り込んでいる。



 一海(こねこ)の身体は、白い部分が大半だったが、耳の周りや額の上部、後ろ頭から背中、尻尾に掛けて控え目な薄茶が入った模様だった。

 尻尾は長く、縞模様になっている。瞳の色は青っぽいグレーだ。


 弥生はまじまじと仔猫を見つめて、ため息をついた。



「大丈夫、見た目小さいけど、結構身体(からだ)の造りは丈夫なもんよ。ごしごし拭いちゃっても構わないから」


 そう言いながら、寧々もタオルで自分の汗をぬぐう。タイトなカットソーは、汗と油の染みで変色していた。



 おそるおそる、弥生はタオルを広げ、まずは香油が塗り込められたであろう頭や顔、前足などを順に拭いて行く。

 仔猫は大人しくされるがままになり、時々「みゃぉぅ」とか細い声で鳴く。



「どうしよう……こんなに可愛いなんて、一海くん、こんな」


 頬を上気させている弥生は嬉しそうだった。寧々はその様子を見てくすくすと笑っている。



「あたしらはヒトの時と猫の時の意識レベルが違っててさ。特に、猫になりたての頃は、猫としてはまだ赤ちゃんだから、喋り掛けても半分くらいしか理解できないかも知れないけど」


「そうなんですか? そういえば、あの黒猫ってカイルさんだったんですよね? あの猫は、一海くんの言葉を理解していたみたいですけど――」



 弥生は仔猫の背中を拭きながら、知性を(たた)えた瞳の黒猫を思い出した。

 つい最近の出来事だが、まだ寧々たちが猫に(へん)()するなど、一海にも弥生にも理解できなかった頃のことだ。




「あいつは特別さぁ……まぁ、あたしも一応、猫になっても喋ったりできないだけで、見聞きしたものはヒトん時と同じように理解できるけど、あいつはほんと、特別……」


「へぇぇ……でも一海くんは、まだ赤ちゃん? なんですね?」



 弥生は仔猫の喉の辺りをそっと拭き終え、お腹を拭きに掛かる。


「そうだね」と、寧々は自分の首回りをぐるりと拭き上げる。それでようやく人心地ついたようだ。




「みゃぁう」




 突然仔猫が非難するような声をあげた。同時に、弥生の手から逃れようとして身体(からだ)をよじり、尻尾を激しく振り回す。



「え、なんか怒ってる?」と弥生は戸惑い、手を止める。


「えー? そんなまさか……温かいタオルで拭いてもらうのは気持ちいいはずなのに。どこをどうやってた?」


 いつの間にかTシャツに着替えていた寧々が横から覗き込むので、弥生は「ここをこうやって……」と仔猫を手の上で仰向けにして、お腹の辺りを拭こうとする。


 だがまた仔猫は抵抗して「みゅぅあぅ」と鳴いた。




 寧々はそれを見て吹き出した。



「え、どうしたんですか? 私、何かやりかた間違って……」


 弥生がおろおろしていると寧々はくくくと笑いながら手を振った。

「違う違う……だってそれ、ただの仔猫じゃなくて……」



「あ――そ、そうだった。そうなんだ。ごめんなさい一海くん」


 弥生は一気に赤面する。




「どうやら、カズミンはもうある程度意識があるようだね?」


 くっくっとまだ笑い続けている寧々の言葉に、仔猫(かずみ)は「くふぅ~ぅにゃ!」と変な鳴き声を立てて抗議した。


 * * *


 タライを二階にある洗面台で洗い、香炉などを片付けた後、寧々が一海に『戻り方』をレクチャーするというので、弥生は部屋から退散することにした。



「大丈夫。本番の時はあたしも後ろ向いとくからさ」と寧々はくつくつ笑いながら弥生に言う。


「うにゃあぅにゃぃあ!」

 ベッドの上の仔猫は何か訴えながら、尻尾をしたん、したん、と打ち付けるように振った。




 リビングでは月光が李湖の話し相手をしていた。弥生の姿を見た月光は、ほっとした表情になる。


「あら、横峰さん。一海くんの具合、どお?」

 ()()が振り返る。



「えっと、目を覚ましたので、あとは寧々さんにお任せして来ました。だるさは残ってるけど、もう少ししたら降りて来るって――あ」


 そう言っている間に寧々がリビングに現れ「着替えてから降りるって言うから、先に戻って来たんだ」と笑顔を振り撒いた。



 それを聞いて李湖はようやく安堵した表情になったが、月光はその後ろで恨めしそうな視線を寧々に送っていた。


 * * *


「よぉ。どうよ、身体(からだ)の方は」


 翌週月曜、まだ人影もまばらな教室に入って来た一海を見るなり、坂上はそう声を掛けて来た。



「おはよ。なんか迷惑掛けたらしいな、ありがとう。おかげでもうすっかり大丈夫みたいだ」

 一海はにこやかに礼を言う。


(とび)()も、ありがとな。俺のこと担任(ようちゃん)と一緒に運んでくれたんだって?」



「お、おう――なぁ、なんか、木ノ下雰囲気変わってね?」

 鳶田が目をぱちくりさせた。



「え、そうかな……? 別に髪切ったとかねえよ? ――あ」



 一海は窓際の席に、既に弥生がいることに気付いた。頬杖をついて、一海たちの様子をずっと見ていたらしい。


 一海が笑顔で軽く手を挙げると、弥生はふいっと視線を逸らして、窓の外を眺め始める。



「えぇ……」と、一海は傷ついたような表情をしたが、坂上はくくっと笑い「なぁんだ」とつぶやいた。


「何がなんだよ?」

 一海が首を傾げると、坂上はにやにやする。



「木ノ下お前……一皮剥けたと思ったけど、どうやらまだまだらしいなぁ?」


「え、それってどう――」

「えー? どういう意味? なになに? なんかあったのかぁ?」


 一海が目を白黒させたが、鳶田が興味津々といった勢いで割り込んで来た。



「どうもこうも、言葉通りの意味だよ――なぁ?」

 坂上は意味ありげに、一海と弥生を交互に見た。


 すると鳶田は「え……まさか、うっそ、木ノ下くんてば大人になっちゃったりしたの?」と言い出す。




「ちょ、全然ちげーし! 坂上、お前変なこと言うなよ!」


 一海は顔を真っ赤にして否定する。



 しか悪友たちは、「そっか。木ノ下もこれでやっと(いち)(にん)(まえ)かぁ」などと、からかい続けるのだった。


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