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あの女が働く店に呼び出された俺は正直不愉快だった。
大人気ないかもしれないけど、大嫌いなタイプの女だったから。
達也に言わせれば、そりゃ色々あるんだろうけど
少なくとも子供がいる女が簡単に死を口にするなんて
例えそれが冗談だとしても腹が立つ。
でも、そんな人間でも放っとけないのが達也のいいとこなんだろうけどな。
達也の話の内容は大体分かってた。
あれから香織の笑顔が曇ることが多くなってたから。
おそらく達也と何かあったのだろうとは感じてた。
そして彼女を連れてくるなとわざわざ念を押してくる辺り
香織がらみの話であることは間違いなかった。
あいつは本当に馬鹿正直に俺が言った言葉を真剣に考えて
でもそれはきっとそれだけ香織を愛してたからだろう。
愛してるからこそ彼女の幸せを考えて
好きだからこそ別れを選んだ達也。
結果、俺がそう仕向けたような形になってしまって
香織にも達也にも申し訳ないと少し心が痛んだ。
正直その時の俺は自分の気持ちを抑えることに精一杯で
達也はそんな俺に、もしもの時は彼女を頼むと言った。
酷な事を言うなよって思ったけど
俺が彼女をほっとけないことは
きっと誰よりも達也が一番わかってたんだろう。
達也が俺に連絡してきたのはそれからしばらくしてからだった。
あいつの決心は見事なもんだった。
一度別れた事があるだけに、もしまた同じことになったら
今度はきっともう二度と別れられないと言ってた。
まだ香織の事を愛してたくせに無理して
あいつは俺に自分の幸せも考えろって言った。
遠まわしに言いやがって。
俺だって真剣に悩んでたんだ。
でもあの時の達也の言葉がなかったら
俺の隣には今頃、きっと違う女がいたんだろうな。
達也に別れを告げられた彼女は思ったよりも冷静で
もっと取り乱したりするんじゃないかと心配してたから。
だけど、いつも彼女のことを見てた俺はちゃんと気付いてた。
香織の笑顔が消えてしまってたことに。
たぶんその時は、達也への憎しみだけが香織を支えてたんだろう。
こうなることが、達也が彼女にしてやれる最良の方法だったとしたら
達也のその考えはきちんと思惑通りの結果を出してた。
香織のことを一番よく分かってるのは俺じゃなくて、やっぱり達也だったんだ。
俺に泣きついてくるでもない香織を、ただ見守る事しかできなくて
頼られもしない俺は、彼女にとってはやっぱり
達也の友人という枠から出ることは出来ないんだと痛感した。
その頃の俺は、結婚式を心待ちにしてる知美に会う度に
どうしていいのかが分からなくなってて
あの時の達也の言葉がずっと胸に突き刺さってて
会って知美を抱いても、俺の中に残るのは虚無感だけで
このまま知美と結婚して本当にいいのか。
それで知美は幸せになれるんだろうか。
今度は俺が考える番だった。
嬉しそうに俺の顔を見上げて 結婚式の話をする知美に
何をどう話したらいいのかずっと考えてた。
今更白紙にできるような問題じゃないのはわかってたから。
それに俺が今この状況を壊すような真似をしたとしても
香織の気持ちが俺に向かうことはこの先もきっとないだろう。
達也の言葉を借りて言えば、那美と同じで、知美は何も悪くない。
結局このまま流されていくしかないのかもしれないと
結婚してからだって、そばで香織を見守ることはできるんだからと
そう考えることで自分を納得させてた。
あの時、俺の目の前から
今にも消えてなくなりそうな香織を見るまでは・・・・・。
ベランダで似合わないタバコを咥えて星を見てる香織の淋しそうな後姿は痛々しくて
きっと達也の事を考えてるんだろうと思うと
余計に切なくなってしまって・・・
気がついたときには香織を抱きしめてた。
達也の事を考えてそんな顔をするのはやめてほしい。
俺がここにいることにも気付いて欲しい。
なんで俺に頼ってくれないのか。
どうして一人で抱え込もうとするのか。
もう自分を止めることなんかできなかった。
だけど香織は、そんな俺に心を開くことはなくて
分かってたことだけど、それでも香織の言葉はかなり堪えた。
香織はまだ達也を想ってる。
そしてその想いは憎しみという醜いものに形を変えて
彼女の心の奥深くに刻み込まれていた。
俺に残された選択肢はひとつしかなかった。
知美から式の最中にかける音楽の打ち合わせをしたいと言われて
香織が退社してから、連絡して事務所に来るように言った。
知美は袋からCDを何枚も取り出してデスクの上にばらまいてた。
仕事場に呼ぶのはあまり好きじゃないけど
ちゃんと話をしないといけないと思ったから。
外で会ってできるような話じゃないから。
知美といても香織のことばかり考えてしまう。
真っ直ぐ家に帰ったんだろうか。
それとも今日もどこかで飲んでるんだろう。
・・・・・達也のことを想いながら・・・・・
「信之?・・・・・ねぇ のぶゆき!」
「・・・・・え?何?」
「聞いてなかったの?何曲かピックアップして。CDとかも用意しないといけないんだから!・・・信之?」
「・・・・・あ?・・・あぁ」
「ねぇ、二人の結婚式なんだから一緒に決めたいんだけど」
「・・・悪かった・・・」
「もうっ!しょうがないなぁ。ここに何枚か良さそうなのあるから。入場の時とお色直しの時と、あとは・・・・・」
話のきっかけを掴めないまま何気なくそれに目をやると
ある一枚のCDに目が留まった。
オネスティ・・・・・・
そういえばもうすぐ彼女の誕生日だったと思い出した。
前の年に渡したオルゴールのことも・・・・・
「信之?気に入った曲あったの?」
「・・・いや・・・知美、俺・・・俺やっぱり・・・・・」
「え?何?」
「お前と・・・・・結婚できない」
「は?何言ってるの?意味わかんないんだけど」
「ごめん、俺・・・ほんとに悪いと思ってる。でも今のままの俺じゃお前と一緒になっても・・・」
「ちょっ・・・本気で言ってるの?」
「白紙に戻して欲しい。この話、無かったことに・・・」
「そんな事できるわけないじゃん。もう日取りだって決まってるんだよ。理由は何なの?急にそんなこと・・・おかしいよ!」
「他に・・・好きな女がいる」
知美の手と唇が小さく震えてて
口から出た言葉もやっと聞き取れるぐらいで
「・・・・・誰?女って・・・浮気してたの?」
「いや、付き合ってるわけじゃない。俺が勝手に想ってるだけだから」
「何考えて・・・そんな馬鹿げたこと言ってるの?」
「知美、別れて欲しい。俺・・・このままじゃ・・・・・」
「無理だよ。そんな事できないから。もう一回 頭冷やしてよね。私は絶対に別れない。結婚式だって絶対 やめたりしないから。とにかく今日は・・・帰る・・・・・」
知美は俺の顔も見ないで、ばら撒いたCDもそのままに帰ってしまった。
自分のした事の罪深さに気付いていながら
動き始めてしまった俺の想いは
もう止まる事はなかった。