M.W.S.
M.W.S.とは「Mobility Weapon System」の略称である人型機動兵器である。
全高は二〇メートル前後、重量は平均五〇トン前後。
装甲素材はELの多重装甲で、各部に人工筋肉が内蔵されており、人間とさして変わらない細かい動作がスムーズに出来る。
動力源は内蔵式の大容量水素式燃料電池。
開発の歴史は、西暦2160年に国連の機関が、「対テロを目的とした陸海空全てにおいて圧倒的な汎用性を持ち合わせる新型兵器を作れ」と言う命令を下したことが開発の始まりであったとされる。
そのプロジェクトに主任として当てられたのが、当時大学でロボット工学を教えていた「上久光悦」であった。しかし、彼の持つ卓越したロボット工学に対する知識や技術力でも困難を極め、更にはなかなか作成されないこともあり、予算削減の煽りを受け、次第に開発は停滞していった。
開発開始から20年が立った2180年5月18日、エネルギーの枯渇による資源を巡る紛争をきっかけに、「最後の現代兵器戦争」と後に呼ばれる「第三次世界大戦」が勃発。これで光悦が戦死した。
これで永遠に人型兵器が出る機会を失った、かに見えたが、新たに主任として光悦の息子である「充」が入り、事態は一変した。現用の戦車や戦闘機の進化が頭打ちになったことを第三次大戦で痛感した各国政府は、新兵器となり得る可能性を持ったM.W.S.に対して積極的な融資を行い、結果、開発開始から半世紀近くを得て、ようやく完成にこぎ継げた。それが2203年1月3日のことである。
しかし、対テロを目的に掲げていたにもかかわらず、最終的には桁外れの破壊力を見せつけたことから、結局「軍用兵器」として採用された。
当初、一部から兵器としての効果が疑問視されていたが、2203年6月に起こったある国家間紛争に対し、M.W.S.を買い付けていた日本国防軍と米軍の合同部隊がM.W.S.を実戦投入、結果僅か一週間で紛争を鎮圧(この紛争自体がM.W.S.のコマーシャルのためわざと起こされた紛争とも噂されるが、詳細は定かではない)し、日米軍双方とも被害無しという驚異的な戦果を叩きだしたことをきっかけに、M.W.S.は次第に歴史の表舞台へと入っていく。
そしてラグナロク後、ELの出現により、今まで別素材を用いていたM.W.S.はよりポテンシャルを増強させ、3275年現在の兵器体系のトップに1000年以上にわたり君臨しているのである。