お狐さまと微睡ちゃん
登場人物:九尾の狐と女子高生
日差し傾く秋の頃、馴染みの神社に入るとそこは落ち葉で溢れかえっていた。
(最近来てなかったからなあ、しょうがないか)
足の踏み場もないくらい溜まりに溜まった枯れ葉の山を踏みつけて、私は竹箒を取りに社の裏手へ。もちろんそこも絨毯が敷かれているので足場に注意しながら。
「お前、お前」
箒で道を切り拓きながら進んでいると、後ろから声がかかった。
ひんやりした低音に名前を呼ばれて、「お狐さま?」と私は振り向く。
「どこ?」
いつもは社の中か屋根の上からお声がかかるのに。
きょろきょろとあたりを見回していると、
「ここだ、もっと下」
声を頼りに地面を見渡すと、いた、木の下。絨毯から顔だけ出してこっちを見ている。
「お狐さま、何してんの?」
「お前が来ない間の暇つぶしにね、トンネル堀りを少し」
どうりで尻尾が見えないと思った。地面に潜ってるのね。
「じゃあそっちには近づかないほうがいい? 今から落ち葉掃きするんだけど」
下手に近づいたらトンネルを踏み抜きそうで怖い。それでなくても落ち葉で地面が見えなくて、さっきから木の根っこにつまずきっぱなしなのに。
「落ち葉掃き? そんなのはいい。それよりお前」
お狐さまが葉っぱの山をはねのけて、私に駆け寄ってくる。足元にすり寄ろうとしたところで自分の状態に気付いたのか、ぶるぶると土を払うことも忘れない。
「なに?」
撫でてほしいのかな。
そう思って頭を撫でてみても、首を振って嫌がられた。違うの?
「お前、昨日は何時に寝た? 起きたのは?」
「え、うーん、夜中の三時? 起きたのは六時くらいかな。テスト前でちょっと追い込みかけてたから、つい」
「つい、で済む時間か。そんなに血色が悪いのに」
血色? そんなに酷いかな。クマは蒸しタオルでごまかせたし、顔色だっていつもと変わらないと思ったんだけど。
「全然。病人かと思ったよ。少し見ないうちにずいぶん痩けたようだ」
そっか、会うの久しぶりだもんね。毎日ちょっとずつ疲れていってたら、他の人には気づかれなくても、お狐さまにばれるのは無理もない。
「ん、でも今日が最終日だったし、帰ったらちゃんと寝るよ」
「『帰ったら』! そんな言葉信用できるものか。そんなに足をもつれさせて、帰りに石段を転げ落ちたらどうするんだい」
ばっちり目撃されていた。恥ずかしい。
「ちがっ、つまずいてるのは落ち葉のせいだって! だからほら、今から掃除するし……」
「掃除なら俺がしよう。いいからお前は休んでいろ」
お狐さまが化けて人間の姿に変わる。相変わらず一瞬。びっくりして、寝不足で乾いた目がチカチカする。いきなり狐のいた場所に男の人が立ってるんだもん。一言くらいほしい。
まあ事前に声掛けなんてされたら、私は丁重にお断りしただろうけど。
「ほら、箒を」
お狐さまが催促の手を差し出してくる。
「悪いよ。これくらい平気。若いんだからちょっとくらい無茶できるって」
「その言葉は半開きの目をきちんと開けてから言ってくれ」
ぎくっ。
お狐さまにサクッと切り返されて、言葉に詰まる。
あーあ、瞬きでごまかしてたんだけどなあ。睡魔に押され気味なのもばっちりお見通しってことだ。
「俺はお前がちゃんと休むまで、鳥居の外に帰す気はない。それともそちらのほうがお好みだったか」
「まさか。お狐さま、横暴」
私が諦めて箒を譲り渡すと、受け取ったお狐さまはひどく満足げに笑った。
「なんとでも」
~~~~~~~~~~
「それで、お狐さま、私の代わりにお掃除するんじゃなかったの?」
お狐さまに強制されて座った石段で、私はなぜか箒を放りだしたお狐さまと、降り積もった落ち葉の山を交互に見た。
私から徴集された竹箒が、あんなに雑に賽銭箱の横に転がされて……かわいそうに。せめて立てかけるくらいしてあげたらいいのに。
「気が変わった。掃除はお前が眠ってからでもいいだろう」
「ホントに掃除するの?」
「もちろん、お前との約束だからね」
そう言って楽しげに私の隣に座るお狐さま。言わずもがな人間バージョンを維持。嘘でしょ。
「まさか私が眠るまでずっとついてるの?」
「悪いかい?」
いやいやいや、保母さんじゃないんだから。
それでもお狐さまは動く気配がない。
仕方ない、ここは早く寝て早く起きたほうが得策だ。
睡魔と戦っててもこんなに眠いんだから、その気になればすぐに眠れるはず――。
――眠れない!
どれくらい時間が過ぎたかわからないけど、とにかく十分は経過してると思う。目は閉じてるのに一向に眠れそうになかった。
そのうちお狐さまが気を使って肩まで貸してくれたんだけど、まるで効果はなし。
目を閉じても『眠いなあ』と思うだけで実際には眠りにつけない。やっぱり環境が駄目なんだよ。寝るなら布団じゃないと。
私が十分でたどり着いたその結論は、お狐さまには聞き入れてもらえそうになかった。
そして今はお狐さまが一段上に座って、私がその膝に頭をもたせかけている。肩よりこっちのほうが柔らかいけど、それでも眠れそうにない。
「……ねーんねーん、ころーりーよー、おこーろーりーよー」
「急になんだ」
「ううんー、ちょっと思い出しただけー」
やけくそでセルフ子守歌。余計にまどろみが遠ざかった気がする。声が間延びしてるから眠気はあるんだけど。眠気っていうか、気だるい感じが。
「歌ってほしいのかい、子守歌?」
と、思わぬ方向からボールが飛んできた。
別にそういう意味で歌ったんじゃないけど、それよりも。
「えっ、お狐さま歌えるの?」
ていうか歌うの? 子守歌を? その低音ボイスで?
思わず顔を上げて、お狐さまをまじまじと見た。
「俺が何百年生きていると思っている。子守歌くらい朝飯前さ」
心外だというように片眉を吊り上げるお狐さま。
まあ言われてみればそうだけど……。
だけどどうせ、歌っても『江戸子守歌』か『五木の子守歌』くらいでしょ。こんな状況で『通りゃんせ』とか『かごめかごめ』なんて引っ張ってこられたら怪談だし。
「うん、聞きたい」
好奇心に負けてそう返事をして、私は再び目を閉じた。見られたままじゃお狐さまも歌いにくいだろう。
「ゆーりかごーのーうーたをー、かーなりやーがーうーたうよー」
待って待って待って待って。
ゆりかごの歌!?
大穴すぎる。寝てる場合じゃない。よりによってそんな可愛らしい歌がお狐さまの口から出てこようとは。
音程ばっちり合ってるし。
聴こえてきた歌声に、顔を上げそうになるのを必死で我慢。一体どんな顔で歌ってるんだと気になってしょうがないけど、ここはぐっとこらえるんだ。本人は真面目なんだし。
「くっ……!」
他人の気も知らずに歌は順調に四番へ。
噛みすぎて頬の内側が痛い。もう勘弁して。
「ゆーりかごーのーゆーめにー、きいろいつきがーかーかるよー」
まさか歌詞全部覚えてるのか。
どれだけ畳みかけたら気が済むんだ。
「ねーんねーこーねーんねーこー、ねーんねーこーよー」
ようやく最後まで終わった。
笑うのを我慢しすぎて、腹筋がシックスパックになるんじゃないのってくらいおなかが痛い。
「寝たかい?」
「全然」
むしろ今の数分に眠れる要素なんて一つもなかったよ。
「もう一曲?」
「お気持ちだけ」
これ以上はホントに。ていうかレパートリーが他にも!
まずい、ひとまずこの話を終わらせないと。
二曲目が始まったら今度こそ耐えきれない。
「おかげでよく眠れそうよ」
「そいつは重畳だ」
うん。
くかりとあくびがこぼれる。今がチャンスかな。私はもう一度睡魔にトライすることにした。お狐さまの膝に寄りかかったまま。
あんなに笑いそうになった子守歌なのに、なぜか今度こそは眠れそうな気がする。
お狐さまの膝が温かい。狐の時はいつも冷たいのにね。
まるで本物の人間みたいだ。
「お狐さま、あったかいねえ」
「お前がいつもより冷たいのさ。――本当に、無理をしすぎだ」
「もうしないよ」
「眉唾眉唾」
狐が眉に唾つけちゃだめでしょ。
そう言おうとしたけど、あくびにかき消されて言葉にならなかった。
「おやすみ」
うん、おやすみ……。
……。
…………。
………………ぐー。
~~~~~~~~~~
たぶん数時間後。
起きた時にはすっかり日が沈んで、暗闇を照らす狐火が境内をふよふよと漂っていた。おかげで境内は夏祭りみたいに華やかだ。
私は大きくのびをして、お狐さまに「長時間ごめんなさい、ありがとう」とお礼を言った。
「うーんっ、ぐっすり寝ちゃった。お狐さま、私、寝言とか言ってなかった?」
「何も。面白くないねえ」
「いびきもかいてない?」
「それも全然。俺の名前でも呼べば愛らしいのに」
「お狐さまーって? 寝言じゃなくても呼んでるのに」
「……これだからお前は。なんて風情のない。寝言だからいいんだろう」
「夢で逢っても意味ないでしょ。今逢えるんだからいいじゃない」
「……これだからお前は」
お狐さまがガシガシと後頭部をかきむしって、面白くなさそうに私から目をそらした。
なあに? はっきり言わなきゃ、寝ぼけた頭じゃわかんないよ。
「ああ、ああ。そうだとも、夢でなくても逢っているんだから問題なんてないね、その通りだ。――本当に、どこで覚えたのやら」
「あは、お狐さまみたいだったでしょ」
「まったくだ」
お狐さまが大きくため息をはいて、元の狐の姿に戻った。
「あっ、やっぱり落ち葉掃きしてない!」
狐火に照らされた落ち葉の絨毯は雅なことこの上ない。けど。
「ずっとお前の隣にいたからねえ」
うっ。そう言われると弱い。お狐さまに頼んでたけど、そのお狐さまの膝を借りてぐっすりだったのは私だ。
あーあ。
「でもいい加減掃除しないと。次に私が来たときは神社まで埋まってるよ」
このままじゃ絨毯が重層になりかねない。私が懸念していると、お狐さまが嬉しそうに笑った。
「それなら仕方あるまい。明日もお前が来ればいい」
……はめられたっ!
さすがに本家本元だ。あっという間に立場を逆転された。私なんかの付け焼刃じゃとうてい敵わない。
結局全部お狐さまが得したってことじゃない。
「いやあ嬉しいねえ。明日もお前に会えるなんて」
今度は私がジト目でお狐さまを見る番。当の本人はどこ吹く風だ。なんてしらじらしい。今日のどこまでが謀りだったのやら。
(……でもまあ、たしかにずっと来てなかったし、仕方ないかぁ)
観念して脳内カレンダーの明日に星印をつける。参考書を買う予定だったけど、それはもう明後日に回そう。あるいは明日は休日だし、午前中に本屋に行けばいい。明日の午前中はずっと寝てる予感がするから、そっちは気が向いたらだけど。
「いいよ、明日も来ます」
「うん、うん。そうしてくれ」
なんて、許してるから駄目なんだろうけど。
嬉しそうに尻尾を揺らしているお狐さまを見ると、私がこの人に強く言える日なんて、いつまでたっても来ない気がした。




