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美化委員会の不浄理論  作者: 凛野冥
特定の部屋の中でのみ消える少女
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「お兄さんには分かってるのっ?」

 八重さんが目をキラキラ輝かせて訊くと、委員長は首肯する。

「掃いて捨てるほどある真実のうちのひとつさ。それでも、朔也くんの語った考え足らずの間違いと違って、こちらはちゃんと真実だけどね」

 真実なんて掃いて捨てるほどある、っていうのは委員長の口癖で、私も度々耳にしているけど、その意味はあんまり分かってない。ひとつしかないから真実なんじゃないの、なんて漠然と思ってしまう。でも委員長はそれをネガティブに使ってるのではなく、ポジティブに使ってるんだって、私なんかは感じる。たぶんこれは合ってるんじゃないかな……。

「考えてみてくれよ、僕らはどうやってあらゆるものを識別しているのか……。それは周囲との差異からだよ。周囲に溶け込まず、同化せず、いわばそれが固有の外見や性質によって〈浮いている〉から、認めることができるんだ。たとえば黄色い点があるとしよう。君らはこの点が白い紙の上にあれば、見つけられるだろうね。赤い紙の上でも、青い紙の上でも、黒い紙の上でも、緑の紙の上でも、紫の紙の上でも、橙の紙の上でも……しかし黄色い紙の上では、まったく同じ黄色の点は、あると分からないんだ。八重くんが消えられるのは、これと同じ原理なんだよ。栖くんが云った『狐に化かされたみたい』という言葉が、僕の閃きを喚起した。ありがとう、栖くん」

「おい、回りくどい野郎だな。つまり何が云いたいんだ? この女は透明人間だとでも云いたいのか?」

 朔也さんが業を煮やしたように結論を急かすと、委員長は笑った。

「違うよ。見れば分かるだろう。八重くんは今、こうして此処にいて、僕らも視認できるじゃないか。今のたとえ話を素直に読み解いてみなよ。八重くんは黄色い点。此処は赤でも青でも緑でも、とにかく黄色ではない紙の上。そしてこの空き教室の中は黄色い紙なんだ。所詮はたとえ話だから、実際とは異なる……うん、少したとえが下手だったかも知れないね。朔也くんはせっかちみたいだから、その実際について話そうか」

 そこで委員長は八重さんを正面から見据えた。それから優しく確認するような口調で、

「君はこの空き教室そのものだね」

 八重さんがにいっと口の端を吊り上げて、満面の笑みを浮かべる。

「この子はこの空き教室そのもの。だから別の場所では周囲の景色と乖離かいりして視認が可能だけど、この空き教室の中では見失ってしまう……いや、教室そのものとして見ているし、もはやその中に僕らが這入っているわけだけど、それに気付けない。その場所においては当たり前の存在であるがゆえに、見過ごすしかなくなってしまう。木を隠すなら森の中、という言葉があるけど、この子の場合はそれをさらに突き詰めて、森そのものなんだ。都会の中に森があれば目立つし変に思うけど、森に森があっても、僕らは疑問を呈さないし、素直に森として受け入れるしかなくなる」

 好奇ちゃんがお祭り騒ぎで叫びまくっている。興奮が最高潮に達しているみたいだ。私も「わあ……」と感嘆の声が洩れてしまった。だって、とっても面白いと思ったから……。

「そ、そんな話、認められるわけないだろっ!」

 でも朔也さんは激昂していた。

「なんだその話っ! 本気で鵜呑みにする奴なんているはずがない! 詭弁だ。酷いこじつけだ。牽強付会……いいや、屁理屈にすらなってないぞ。莫迦じゃねえのか! 常識で考えてみろよ! そんなこと有り得ない。全然現実的じゃねえ。支離滅裂だ! 虫唾が走る……そんなの論理的じゃねえ。推理とも呼べないお粗末な妄想だ。机上の空論とも呼べないっ。愚にも付かないっ。そんな、そんな……!」

「詰まらない男だね。常識なんてものにとらわれているとは。思い上がりもはなはだしい。君はこの世のすべてを現実的に紐解けると考えているのかい? 己が尺度に過ぎない整合性、蓋然性なんて言葉で真実を測れると思っているのかい? この世のすべてには君をいちいち納得させてくれる理屈とやらが用意されていると云うのかい? それは傲慢だよ。自分本位で、野蛮で、危険な考え方だ。人間はそんなに万能な存在じゃない。この世界を規定できる能力なんて持ち合わせていない。不条理を受け入れたまえよ。そんなに自分が納得できない事象が存在するという事実が不安かい?」

 朔也さんはまだ何か云い返そうとしたみたいだけど、八重さんの元気の良い声がそれを遮った。

「遊んでくれて、ありがとうっ!」

 えへへっ、と笑って、彼女は空き教室の中へと消えていった。

 そうか……。あの子は、この空き教室は寂しくて、私達と遊びたかっただけなんだ……。


    5


 八重さんが消えた後すぐに、朔也さんは「付き合ってられねえ!」と云いながら私の手を引いてあの場を離れた。私達は今、人気のない廊下を彷徨さまようように歩いている。夜のとばりが下り、暗闇に浸食されていく廊下を。身に迫る危険に気付けない愚鈍な生き物みたいに。

「俺は誤魔化されねえぞ。誤魔化されるわけねえだろ。そうだろ、栖。あんなの酷いハッタリだ。分かるだろ? 勝負は俺の勝ちなんだ。あんな奴の許可なんていらねえ、お前はもう二度とあそこに行かなくていいんだ。もうお前はあんな糞みてえな委員会は抜けたんだ。いいな?」

 朔也さんはまだご立腹で、自分の負けを認めようとしなかった。どう見ても尻尾を巻いて逃げたようなものなのに。

 もう、子供っぽいんだから。

「ふふ……」

「おい栖、何がおかしいんだ?」

「ううん、何にも」

 ムキになっちゃって可愛い人。

「お前、まさか御加賀清吉が正しいと思ってるんじゃねえよな? あんな頭の悪いイカレ野郎が、俺より優れてるなんて思ってるんじゃねえよな?」

 朔也さんがいきなり立ち止まって、私はちょっと転びそうになる。

「そんなこと、思ってないよ」

 朔也さんは私の両肩を掴んで、向き合うような格好にさせた。キスでもするのかなって思ったけど、そうじゃないみたい。

「嘘だ。お前、俺を大したことないみたいに思ってるだろ」

「思ってないよ」

「嘘だ」

 ぎりぎりぎりと、朔也さんが私の肩を握る力を強める。

「い、痛いよ」

「俺はいま火津路高校を賑わせてる連続殺人鬼だ」

 え……。

「驚いたか? そうだよ、例を見ない猟奇殺人の犯人なんだよ、俺は。もう七人も殺してるが、一向に捕まらねえ。天才だからだ。全員がこぞって俺の話をしている。こんな事件を起こしてる奴はどんな奴なんだって、みんなそれで持ちきりさ。なんてったって面白いからだ。お前も知ってるだろ? 一番新しい被害者はあらゆる関節を切断されて殺されていた。なぜだか分かるか? そいつ、人形マニアだったんだよ。生身の人間より人形の方が良いって始末で、学校にもそりゃあおびただしい数の人形を持ち込んでた。関節が稼働する仕組みでさ、色んなポーズを取らせては恍惚の表情だったぜ。だからそいつも同じように人形みたいに、付け替え可能のパーツをバラバラにするみたいに、関節を切り離しまくってやったのさ。さぞ本望だったんじゃねえか? あははっ、面白いだろ? 皮肉が効いてるだろ? 俺はただの自己満な変態犯罪者なんかじゃなくて、殺人を面白おかしいエンターテインメントに仕立て上げてるんだ。そこが凡人との差ってやつさ。凄いだろ? こんなこと、他の奴にできると思うか? たとえばあの御加賀清吉には? できねえよ! 俺は天才だが、他の奴は天才ぶってるだけで実態はただのカスに過ぎねえ! 殺人なんてビビッてできやしないさ。それもこんなに何人も、こんなに面白く、こんなに凄い方法でなんて、到底無理だ! 俺は誰にもできねえことをやってのけてるんだよ! 分かるだろ? 俺がどんなに凄い奴なのか、本物なのか、天才なのかってことがさ!」

 朔也さんは口角に泡を溜めながらまくし立てると、私が一向に返事しないので腹を立てたのか「なあ!」と肩を揺すってきた。

 ああ……。

「詰まらない人」

「は?」

「普通の人」

「栖、お前、なんて――」

「白けちゃった」

 肩から手、離してくれないかな……。

 なんだろ。急激に頭の中が冷えきっていく感じがする。

 変な人だって思ってたけど、好きだって思ってたけど、それが遥か昔のことみたいに遠のいていく。

「偽物だね、朔也さんは」

 でも、うん、これじゃあ百年の恋だって冷めるというものじゃないかな。

 嫌な脱力感。消化不良。不完全燃焼。なんとも不快な後味。

「なに云ってんだよ、栖。俺のどこが詰まらないんだ? 俺のどこが普通なんだ? どうして偽物なんて思うんだ? 連続殺人鬼だぞ? こんな面白くて異常で凄まじい奴が本物じゃなくて、一体誰が本物だって云うんだよ?」

 怒りがどこかに吹っ飛んで、ひたすら狼狽ろうばいする朔也さん。ああ、どんどん格好悪いところが露呈していくなあ。

「自分が変わっているアピールをするために殺人なんて、ださいよ。そんなことが自分の特異性の証明になると思ってるなんて、底が知れるよ。その殺人だって、いかにもやばいでしょ異常者でしょって趣向で、わざとらしくて、興醒めだし。どっかで見たような小物感だし。外見だけそれっぽく取り繕った偽物って感じだし。本物の人は、みんなが異常とか凄いとか感じるようなことでも、本物の人にとってはそれが普通なんだから、わざわざ自分のやばさみたいなのを誇示するようなやり方しないし、ましてやそれを自慢するなんて有り得ないよ。それじゃあまるで、媚びてるみたいだよ。三流のやり方だよ。貴方って口だけで、薄っぺらいんだよね。貴方が本物なら、言葉を尽くす必要なんてないはずだよ。なんだか私は貴方のそういう装飾癖っていうか、大言壮語するところが面白いって思ってたけど、なんだかそれもすごく下らないことに思えてきちゃった。連続殺人鬼ですってカミングアウト、本当に詰まらなかった。私、前々からこの連続殺人のこと、冷めた目で見てたの。偽物の猟奇性とか狂気性を大衆向けに綺麗にラッピングして売ってるみたいだなって。うん、朔也さん、もうお別れしよ。朔也さんはこのまま、変人奇人天才アピールに精を出していてもやめても何でもいいけど、私はもう興味をあらかた失っちゃったから。もう貴方のこと、微塵も好きって気持ちがないから」

 朔也さんは言葉になっていない言葉で喚いた。ああ、私の肩、握り潰されてしまいそう。でも逃げることはできそうにないし。困った。こんな詰まらない人の手によって殺されてしまうというのは、さすがの私にもちょっと不満がある。

 でも、仕方ないのかな。私が悪いとも思うし。恋は盲目かあ……恋愛は往々にして破滅を招くとは聞いていたけど、悟るのが遅すぎちゃったみたいだ。来世というものがあったなら、こういう男の人には引っかからないようにしなくちゃ。ううん、もう恋愛は懲り懲りかな。こうなってみると、この人と過ごしてた時間とか、そのときの自分の想いとか、色々と、すごく恥ずかしくて消えちゃいたい。こういうのを甘酸っぱいって云うのかも知れないけど、うん、いざ味わってみると不味いなあ……。

 あれ、五月蠅うるさい声が止んでいる。そう思って見ると、朔也さんは絶命していた。

 その身体を、千切りにされたり、捩じられたり、粉末状にまぶされたり、五臓六腑をジュースみたいにされたり、皮を剥かれたうえで茹でられたり、骨を抜かれたり、あらゆる関節を切断されたりして、死んでいた。

「う、うわ」

 とりあえず、えーっと、なんまいだー、とか合掌すれば、いいのかな?


    6


「痛み分け、なんて言葉があるけど、この場合それを使うと齟齬そごがあるか」

 翌日、委員長に朔也さんの死んだ様子を話してみると、そんな言葉が返ってきた。

「人間には共感能力というものがある。美麗くんがいつも過剰にやっているあれだよ。道徳というやつを成り立たせている大部分はこれに依ってたりするんだよ。要は〈これをやったら相手は痛そうだな、やめておこう〉とか〈これをやったら相手は嫌だろうな、やめておこう〉とかいう判断を可能にしているんだ。大体の人間は、他人が怪我を負う場面を目撃すれば〈うわ、痛そう〉って眉を顰めるよね。普通の反応さ。まれにこういう共感能力が壊れた人というのもいるけど、うん、朔也くんはそうではなかったんだろう。栖くんも知ってのとおり、彼は極めて平凡な人間だったから」

「うん」

「だから朔也くんはすべての人殺しのとき、同等ではなくともいくらかのダメージを負っていたんだね。人を痛めつけながら、その痛みを共感し、自らの内部に蓄積させていた。当たり前の話さ。事故で足を失ってしまった人を見たら、自分の足もなんだか疼いたり、本当に痛く感じたりすることがあるだろう? 朔也くんはそんな体験を短時間に膨大に溜めすぎたんだ」

「あ、そういえば、朔也さん、最近どんどん体調が悪そうになっていたよ……。昨日も身体の節々が痛むとか云ってたし……」

「そうだろう? 無理もないさ。それが普通の人間ってものだ。猟奇殺人を繰り返すなんて、相当な負担を被るに決まっている。それで朔也くんは昨日、臨界点を迎えてしまったというわけさ。これまで蓄積されていたダメージが一気に襲ってきた。ゆえのそんな死に方だ」

「委員長だったら、そんなふうにはならないのかな」

「うん?」

「だって朔也さんは偽物だから、所詮はやる側じゃなくてやられる側にしかなれない人だったから、そうやって反動がきて死んじゃったけど。委員長が殺人鬼だったら、いくら殺し続けても、反動なんてないのかなって。だって委員長は本物でしょ?」

「本物とか偽物とか、栖くんはまだ朔也くんの悪い影響から脱しきれてないようだね。まあ別れてからまだ一日だ。仕方ないか」

「れ、恋愛はもうしない。こういうことになるって分かったから」

「若いうちの恋愛には火傷が付き物だよ。気にすることはないさ」

 ちゃっかり話を聞いていたらしい梢さんが「いや、若いうちは恋愛なんてしなくて正解だ。若い男女の交際とか見るに堪えない。ろくに経験も積んでない若輩が一丁前に恋なんてな、響かねえんだよ」と毒を吐く。そうしないと胃の中身を吐いちゃうことになるからだと思う。

「ところで栖くん、美化委員会を脱会する気は、君にはなかったんだよね?」

「もちろんだよ。ここ、面白いし、やめたくない」

 それにたぶん私、委員長のことが好きだから……。うふふ。

「良かった良かった。もっとも、僕の魅力の虜になっている我が委員たちが、そう簡単に抜けられるはずがないがね」

「うん」

「それともうひとつ。栖くん、君は僕の〈真実なんて掃いて捨てるほどある〉って言葉を聞くたびに首を傾げているから、参考がてら実例を示しておくよ」

 あ、バレてたんだ……。表に出してるつもりはなかったんだけど……ちょっと恥ずかしい。

「たとえばね、朔也くんを殺したのは君なのかも知れない」

「え、ち、違うよ」

「そもそも、朔也くんは確認する手立てもないってことで虚勢を張って嘘をついただけで、連続殺人鬼は彼ではないのかも知れない」

「あ、うん、そう、かも」

「君が連続殺人鬼なのかも知れない」

「えっ」

「君のようないたいけな少女が人体を捩じりまくったり切断しまくったりできる力を持っているとは思えないし、他にも反証は数多あまたに及ぶけど、でもそれも真実のひとつなのさ」

「ああ……」

 たしかに前よりはなんとなく、意味が掴めた気がする。

 それにしても、今回は学ぶことがたくさんあったなあ。

 そのぶん反省することとかも多いし、特に恋愛については嫌な後味しか残らなかったけど、朔也さんの死体の味ならかなり美味しかったから、おおむね満足だ。うふっ。うふふふふ。

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