依頼
1
あ、あわわわわ。ど、どうも、こんにちは……。泡槻栖と申します……。
えーっと……大雑把だけど飄々と何でもこなせちゃう梢さんや普段から饒舌で喋りの得意な好奇さんと違って私は口下手だから、色々と及ばないところがあると思うけど、ご容赦願います……。
と、とりあえず、まずは心の中でくらい、たどたどしい喋り方と云うか、どもっちゃうのをやめようかな……。
が、頑張る。
頑張るぞー! 張り切って行くぞー! ……な、なんか違う。無理に明るく振る舞うのはやめよう。
えっと、最初に紹介したい人がいるの。私の彼氏で、名前は奇島朔也。委員長と同じ三年生で、探偵委員会ってところに所属してる。
馴れ初めは、私は恋愛に限らず色んなことに奥手だから、もちろん朔也さんから声を掛けてくれた。「どこかで会ったよな?」なんてきざな台詞で迫られて、そんなのはじめてだからすっごくドキドキした。
朔也さんがどんな人かって云うと、変な人、かな。うふふ。私は変人さんが好きで、だから朔也さんのことも好き。おかしい人って見てて面白いし、私みたいな詰まらない人間は、面白い人の傍にいたいって思う。朔也さんはいつも私を楽しませてくれて、好き。結構駄目なところと云うか、欠点も多いんだけど、なんか放っておけない気持ちになる。朔也さんも私のことを好いてくれていて、色々と駄目な私の面倒を見てくれてるし、お互い様って云うのかな。恋愛ってたぶん、こういうものなんだと思う。
あ、こんな馬鹿で未熟な子供が恋愛とか語ってごめんなさい……。みなさんにとってお見苦しいことたくさん喋っちゃうかも知れないけど、許してね。
お願いします。
2
「栖、俺はお前にはさ、偽物な連中とはつるんで欲しくないわけ」
ある日の放課後、朔也さんは私にそう云いました。云った? 云ったのです? 云った、云ったの。
「偽物な連中?」
鸚鵡返しにする私。喋りが下手だから、よく使う。
「俺は本物の天才なわけだよ。分かるだろ? とびきりの天才だ。まあ俺としては別にこれが普通じゃねって感じだが、一般的な定規で測れば、規格外の人物だとは分かってる。俺には天才の自覚があって、その辺、変なだけで莫迦な奴らとは一線を画す」
「うん」
私は朔也さんの話を熱心に聞く。頭が悪いから、必死に理解しようと努めなきゃ。
「で、本物の天才である俺からすりゃ、昨今は偽物が蔓延ってんだよ。能力が足りないだけなのに、それを鬼才なんて表現して悦に入るボンクラばかりだ。俺に云わせりゃ、どいつもこいつも本質を見られてねえ。そういう審美眼がねえくせに物事を測ろうとしやがる。こいつらの罪は重いぞ。おかげで偽物の天才が祀り上げられて、愚かな民衆を騙してやがる。苛々するんだよなあ。そんな奴らは俺がまとめて蹴散らしてやるから見てろよって云いたくなる」
「うん」
「だがそうもいかねえ。俺ひとりが世界中を回って偽物の天才、大したことない空虚な鬼才どもを黙らせていったら時間がいくらあっても足りねえし、そもそもそんな手間をかけてやる義理もねえ。本物は本物で存在していればいいんだよ。ただ、俺の周りの人間には、特に俺が大好きな人間には、俺がいるんだから他のカスとわちゃわちゃやられちゃ気分が悪いんだ。分かるだろ?」
「うん」
「俺はお前が好きだよ、栖。愛してる。だから厳しいこともはっきり云っとく。妥協は一切したくねえんだ。お前と俺の恋愛だって、そこらに転がってる乱造品の偽物じゃないんだからな。ってことで栖、お前には偽物な連中とはつるんで欲しくないわけ」
「うん」
「御加賀清吉だよ。お前が所属してる美化委員会の委員長。一部ではあいつを天才扱いする奴らが湧いてるって話だが、俺が断言してやる。あれは全然大したことねえ。奇人を演じてるだけの凡人だ。たしかに天才ぶるのは上手いかもな。周りが騙されちまうのも分かるぜ? そこだけは認めてやってもいい。だが偽物だ。栖、お前があいつの下で働いてるってのは、正直我慢ならねえ」
「えーっと……じゃあどうすればいいの、かな」
「美化委員会を抜けろ。お前には俺がいるんだ。この際、探偵委員会に入ったらどうだ? 俺に云わせりゃ探偵委員会の奴らだってしょぼいのばっかで、まあ利用してやってるだけだが、美化委員会なんてゴミ溜めよりはマシさ。俺がいるんだからな」
「で、で、でも、なんか悪いよ……。今までお世話になったところだし、そんな簡単に抜けられないよ……。私にそんなこと、できると思う?」
私はかなり困ってるけど、朔也さんは笑いながら私の頭を撫でる。
「心配すんなよ。俺が一緒に行ってやる。俺がじかに出向くんだぜ? 偽物の奇人、所詮はお山の大将な御加賀清吉もその金魚の糞どもも、全員黙らせてやるよ。ほら、そうと決まれば早速行くぞ、栖。今からだ。見てろって。きっと面白いぞ。俺が格の違いってのを示してやる。本物ってのにはな、どうしても責任がつきまとう。強大な力は相応の責任を持つんだ。偽物を黙らせるってのは、ときにはやっておかないとだろうよ」
「え、え、え、今から?」
相変わらず急だ。いくら朔也さんに任せればいいと云っても、私にも心の準備が要る……。
「ひ、日を改めない? 朔也さん、最近体調悪そうだし、無理しない方がいいよ……」
体調が悪そうなのは本当。朔也さんはこのところ顔色が悪いし、身体があちこち痛むって云ってる。食生活が偏食気味だからかな。私が栄養バランスの良い料理をつくってあげられたらいいんだけど、料理はからきしだし……。
「ああ、そうそう、今日も身体の節々が痛むんだよな。熱出るときみたいに。でも無理なんてしてねえぜ。御加賀清吉と相対するのなんて朝飯前の簡単な仕事だからな。無理しようたって無理する方法がないくらいさ。ほら栖、行くぞ」
朔也さんは私の手を取って、歩き出す。ああ、今でも男の人と手を繋ぐのは慣れないな……って、そんなこと云ってる場合じゃない。でもこうなった朔也さんを止めるのは至難の業だし……。
そう思ってると、ぴたり、と朔也さんが足を止めた。
「栖、美化委員会の教室ってどう行くんだ?」
「……ふ、ふふ、朔也さんったら、分からないのに歩き出してたの?」
変な人。もう、仕方ないんだから。
3
朔也さんを美化委員会の使用する教室まで連れてきた。私はあんまり美化委員会を抜けたくはないんだけど、私の意志なんかはこの場合あんまり意味を成さないんだと思う。どんなことになるかはちょっと怖いけど、なるようになる……のかな。
教室に這入ると、好奇さんが委員長に立て板に水といった感じに話をしているところだった。
「――で、七人目の被害者がどんな格好で見つかったかということなんですけど、今度はバラバラ死体ですよ。猟奇殺人としてはオーソドックスなんですかね。ただ、切断されている箇所がすべて関節なんですよ。手関節、肘関節、足関節、膝関節、肩関節、顎関節、股関節、胸鎖関節、肩鎖関節、腕尺関節、指節間関節、足根間関節、正中環軸関節、距骨下関節、肩甲上腕関節、豆状骨関節、仙腸関節、環軸関節……今回は写真も出回ってないんで私も話を聞いただけですけど、是非とも見てみたいものですねえ。無数の関節を綺麗に切断されまくった愉快な死体というのは――」
そこで委員長と好奇さんは私達に気付いたようで、こちらに向いた。
「ん、何か依頼かい?」
「栖の彼氏だ」
「ああ、君が」
委員長は朔也さんに向けていた視線を、興味はなくなったと云わんばかりに逸らした。
「こうして話すのははじめてだな、御加賀清吉。単刀直入に用件を云うが――」
「待ちたまえ」
委員長は朔也さんの話を遮ると、立ち上がって、こちらに歩いてくる。三歩分くらいの距離で止まると、朔也さんを矯めつ眇めつして、満足そうに「うんうん」と頷いた。
「なんだよ」
「僕の方が格好良い」
「はあ?」
委員長は踵を返して、また席に戻って行く。
「栖くんがよろしくやっている男と云うから、検分しておこうと思ったのさ。結果、特に見るところはないと判断した。目鼻立ちも僕の方が整っているし、身長も僕の方が高い。制服の着こなしも、君は入学時に買ったものをずっと使っているのだろう、サイズ感が最悪だ。おまけに粗野で攻撃的な雰囲気をまとっている。洗練されてない。僕は品格を重視する向きでね、僕と同等のレベルは要求しないけど、最低限満たして欲しいラインがある。君はそれをクリアしていない。だから――」
「あー、あー、あー、あー」
今度は朔也さんが委員長の話を遮って、教室の中をうろうろ回り始める。私は入口のところで見ているばかりだ。早くも歓迎できない嫌なムードが漂ってる気がする……。
「分かるぜ。此処が自分のホームだからって、優位に立ってると思ってるわけだ。それを良いことに自分のペースに巻き込もうとしてるわけだ。だが、安い挑発だな。いちいち乗ってやるのも詰まらねえ。悪いが、俺はお前の浅い策略に飲まれる人間じゃねえんだ。少しは賢いんだろうからさ、実力差を早々に察して、白旗を上げるのをおすすめするぜ」
「僕のさっきの言が挑発だったとするならば、君は立派にそれに乗っていると思うけどね。栖くん、どう思う?」
「えっ、わ、私……?」
いきなり振られても困るんだけど……。
「云ってやれよ、栖。既に勝敗は決してる、貴方じゃ朔也さんには敵いませんってな」
「おっと、待ちたまえよ、君」
委員長は椅子に座ったまま、優雅に足を組んで、視線は朔也さんに向けないままに発言する。
「栖くんが話を振られて困っているのが分からなかったかい? 君が真に栖くんのことを想っているのなら、そんな、さらに彼女を困惑させるような言葉は口にしないはずだ」
「はあ? 栖に話を振ったのはお前じゃねえか。相手の言葉尻を捕まえるのに必死で、自分が見えてないんじゃねえか?」
「君はさっきから自己紹介が得意と見えるね。自分もテストされている側なんだとすら思えないなんて、深刻な想像力の欠如だよ」
水掛け論みたい。こんなことになるんじゃないかとは実は薄々分かってたけど、困ったなあ……。礎さんは楽しそうにしてるけど。
「くだらねえ。お前が何を喚こうがこっちは無関係なんだよ。歯牙にかけるつもりがねえんだ。俺はな、栖を美化委員会から脱会させるために、その話をつけに来たんだよ」
「道理という言葉を辞書で引いてから出直してくれ」
「物事の正しい道筋、だ」
「何を勝ち誇ったような顔をしているんだい? 知っていることと理解していることは別だよ? うちは委員が脱会したいと云うなら、それを尊重する方針だ。ただ、それは栖くんが云うべきことで、君がしゃしゃり出てくる必要はない」
「何も分かってないな。栖は内気で引っ込み思案なんだ。お前みたいな人格破綻者に脱会の相談なんてするのは怖くてできないんだ。だから俺が手伝ってやるのさ」
「栖くんを莫迦にしないでくれるかな」
委員長の口調が一瞬だけ、滅多に聞けないくらい大真面目なそれになった感じがした。
「君は栖くんを見縊っているから、そんな恩着せがましい勝手な振る舞いをするんだ。栖くんは委員会を抜けたいとき、じかに僕に云うことに恐れをなして彼氏に頼るなんて真似をする不甲斐ない子じゃあ、決してない。愚弄しないでくれ。不愉快だよ」
今の委員長にはいつにもまして凄みみたいなものを感じるけど、でも朔也さんに怯む様子はない。
「不愉快なのはこっちなんだよ。俺はな、お前みたいな偽物のところに栖を置いておきたくないんだ。お前は口八丁はお手の物らしいが、天才なんかじゃあ決してねえ。タチの悪いペテン師だ。俺がいるんだから、栖はお前のところにいなくていいんだ」
「まるで栖くんが自分の所有物であるかのように云うんだね」
「ああ、少なくともお前よりは俺の所有物であると云う方が正しい」
大丈夫かな……そろそろ取っ組み合いの喧嘩とか始まっちゃうんじゃないかな……なんて思っていると、私の後ろで勢い良く扉が開く音がした。びっくりしちゃった。
振り向くと、私よりも背の小さい女の子がいる。私も小さい方だけど、その子は女子高生にはとても見えないくらいの背丈だ(制服は火津路高校のそれ)。驚くほどに肌が白い。でも不健康な感じはしなくて、すごく綺麗だ。……羨ましい。
「こんにちはっ!」
女の子は元気良く挨拶して、前屈運動してるみたいに深くお辞儀した。
「おや、何か依頼かな?」
委員長に訊かれると「うんっ!」と元気良く返事する。
「あたし、すっごい不思議なのっ! それで、なんでこんなことできちゃうのか、教えて欲しいのっ!」
委員長は立ち上がって、思い付いたかのように手を打った。それから朔也さんを横目で見る。
「君は、自分の方が僕よりも優秀である、というわけの分からない理由から栖くんを脱会させたいんだよね? なら、こういうのはどうだい? 彼女の依頼を僕が先に解決したら、栖くんは美化委員会に留まり、彼女の依頼を君が先に解決したら、栖くんは美化委員会を抜ける。もっとも僕が勝利しても、栖くんが本心から美化委員会を抜けたいと云うのならば止めないが、少なくとも君の発言だけで抜けさせるのは認めない」
「はっ」
朔也さんは鼻で笑った。
「飛んで火にいる夏の虫か。実際に見てみると、これほど滑稽なもんもなかなか拝めないな。それで良いぜ。美化委員会なんつー弱小委員会の井の中の蛙委員長と勝負すること自体俺にとっては恥だが、特別にやってやる」
えーっと、丸く収まりそう……なのかな。それとも波乱の幕開け、なのかな。
でも委員長も朔也さんもすごく変な人だから、その対決っていうのはちょっとワクワクするというのが本心だった。うふふ……。
4
「空野八重って云うよっ!」
依頼人の女の子はそう名乗った。本当に元気良いなあ……。同じ高校生の私がこんなこと云うのも変だけど、若い……。
八重さんは「ついて来て欲しいっ!」と何処かに向かって歩を進めていて、その後ろに朔也さん、委員長、好奇さん、私が連れられるかたちだ。
「いやあ、楽しみですね。八重ちゃんの依頼がどんな内容なのかも楽しみですし、委員長バーサス栖ちゃんの彼氏さんがどうなるかも楽しみですし、ああ、楽しみがいっぱいって良いですよねえええ」
好奇さんは今にも踊り出しそうな調子だ。私も楽しい気持ちはあるけど、朔也さんと委員長の諍いの原因は私だし、楽しさを表に出すのは不謹慎な気がするから自重する。
八重さんが足を止めたのは空き教室の前だった。この周辺は特に人の気配がなく、火津路高校の校舎内とはいえども、外界と隔絶された別世界のような空気さえ漂っている。ちょっと怖い。まだ夕方だけど、陽が沈んだ後には来たくないなあ……。
「ところでミラノくん」
「空野だよっ!」
「うん、空野くん、まだ君の依頼内容がいまいち瞭然としていないけど、目的地にも到着したらしいことだし、詳細を話してくれるかな」
八重さんは空き教室の扉を背に私達へ向き直り「うんっ!」と前屈運動めいた頷きをしてから云う。
「あたし、消えるのっ!」
突拍子もない話が飛び出しそうな予感はあったけど、出だしからとんでもなかった。好奇さんが「ええええええ、何ですかそれ何ですかそれ!」なんて歓声を上げる。
「すっごい不思議だから、それ見て欲しいのっ! それで、どうして消えられるのか当てて欲しいのっ! あたしがこの教室に這入って扉を閉めたら、すぐに這入ってきて欲しいのっ! あたし、消えてるからっ! あたしが消えたの確認したら、教室から出てねっ!」
八重さんも、変な人だ。私のツボかも知れない。変な人がたくさんで楽しいな。好奇さんも「面白おおおおおおおおいっ、素晴らしいいいいいいいいっ」と抱腹絶倒してる(その姿も面白いと思うけど)。
でも朔也さんは興醒めしたみたいに溜息をついた。
「くだらねえな。御加賀、美化委員会ってのはいつもこんなゴミみてえな依頼しか来ないのか? だとしたら憐れみを感じるぜ。ガキの遊びに付き合って仕事したつもりになってるとはな」
「むむっ!」
朔也さんの言葉に反感の意を示したのは八重さんだ。頬を膨らませて、腰に手をあてて、分かりやすい怒りのポーズを取っている。可愛い。
「失礼な人っ! あたしが消えたら絶対腰抜かすよっ! きっと貴方にはあたしがどうやって消えたのか当てられないと思うっ!」
「そうだよ、沢庵くん」
「朔也だ。わざとやってんだろ、お前」
私も前々から、委員長の名前の云い間違えはわざとなんじゃないかなって思ってる。他人の話をろくに聞いてないようで実はちゃんと聞いてる委員長だし。
「仕事に貴賤はない。そうやって軽んじるのは良くないよ。もっとも、美醜はあるがね。そして僕らの仕事はこれ以上ないくらい美しい。それに君がこだわる優劣というものなら、もう少しではっきりするだろう? さあ空野くん、その消失を見せてくれるかい? それとも何か準備が要るのかな?」
「ううんっ! 今すぐやっちゃうよっ! みなさんの方こそ、準備は良いっ?」
委員長が頷いて、朔也さんが溜息を吐いて、好奇ちゃんが首が取れそうなくらい頷いて、私もいちおう頷くと、八重さんは空き教室の扉を開けて「また後でねっ!」と告げて、扉を閉めた。
……えーっと、もう這入っていいって話、だったよね。
「とんだ茶番だな。この歳になってかくれんぼかよ」
朔也さんが扉を開けて、私達はみんなぞろぞろと空き教室の中へ。椅子と机もなければ窓にカーテンもついていない、完全に未使用の部屋だ。換気されていない部屋特有のにおいがする。
「わあああっ、本当にいなくなっちゃいましたね! 凄いですね不思議ですねどうしてでしょうか気になりますね!」
好奇さんが大はしゃぎでだだっ広い教室の中を旋廻する。私も端から端、さらに天井にまで視線を奔らせるけど、八重さんの姿はない。そもそも物が何もないから、注視するまでもなく八重さんがいないのははっきりしている。窓からは夕焼け空が放つ燃えるような赤色が差し込んでいるから、暗がりもない。
「消えたんだ……」
私は滅多にない奇跡を目の当たりにした気分で、自分が感動しているのだと気付いた。
「こっちの扉には内側から錠がかかっているね。入れ違いに外に出たわけでもないんだ」
委員長は教室の後ろ側の扉(私達が這入ってきたのは前側で、これは黒板がある方ってこと)を確認しながら、そう云った。
「ご覧よ。他の窓もすべて、内側から確かに錠がかかっている」
「その程度、云われなくても見れば分かるんだよ」
朔也さんは委員長に突っかかるけど、その顔には動揺が表れているように見える。
「うん、うんうんうんうん。密室からの消失だね」
委員長はそんなお洒落な云い方をした。密室……前側の扉は開いてたけど、そこは私達が見張ってて、私達もそこから這入ったんだから、たしかに広義の密室と云えるのかな。難しいことは私じゃよく分からないけど……。
そう考えると、ついさっきまで呑気に感動してた私だけど、段々と怖くなってきた。これは絶対に不可能な現象が起きたということじゃないのかな……。
「狐に化かされたみたい……」
「そうだね、栖くん。それは実に的を射た感想だよ」
褒められたみたいで嬉しい。
「莫迦云ってんじゃねえよ、栖。何かトリックがあるんだ。たとえば抜け穴が隠されてるとかな」
「朔也くん、残念ながらそれはないだろう。我らが火津路高校は奇妙な点も散見される愛すべき学校だけど、この校舎はいつからびっくり迷路になったんだい?」
朔也さんはあちこち床を這いずり回ったり、壁を叩いて回ったりしている。一方の委員長は「美しくないなあ」なんて云いながら、余裕な態度だ。ちなみに私は委員長がさらりと使った〈びっくり迷路〉って言葉がなんだか変で、笑い声が洩れそうなのを我慢するのに必死だったり。びっくり迷路ってなんだろう……変な説得力はあるけど。
それからしばらく待っていたけど、朔也さんの調べは徒労に終わったみたいだった。朔也さんはいつも以上に苛々してる様子で、私は心配になる。ただでさえ体調が悪そうなのに……。
「満足かい? じゃあ空野くんが云っていたとおり、僕らは廊下に出ようか」
そう云いながら委員長が出て、「委員長、これってどういうことなんでしょうね。めちゃくちゃ不可解ですね。全身の細胞がざわめきますね」と云いながら好奇さんが出て、渋々といった感じに朔也さんが出て、私が出る。
相変わらず私達の他に人気が一切ない廊下。
最後に出た私が扉を閉めたその瞬間、間髪入れずに、向こう側から勢い良く扉が開けられた。私はびっくりしてひっくり返った。
「本当だったでしょっ! びっくりしたっ?」
無邪気な笑みを浮かべる八重さんの姿。うん、今年で一番びっくりしたよ……動悸がしてる……お尻痛い……。
「ねえねえ分かったっ? どうして消えちゃったか分かったっ?」
それは分からないけど、でも私は少し胸を撫で下ろす思いだった。あのまま八重さんが姿を消してしまっていたら、怖すぎてしばらく眠れない夜が続いたことだろうから……。
「簡単だ。俺は本物の天才だからな。よくもまあ寸劇に付き合わせてくれたもんだ」
朔也さんが溜息混じりに、でも満足気に云った。私はてっきり、朔也さんは謎が解けなかったとばかり思ってたから、意外な気持ちだった。
「ええっ! 本当っ? じゃあ云ってみてよっ!」
「お前と御加賀清吉はグルなんだろ? で、俺を欺こうと企んだってわけだ。お前は先に教室に這入り、俺らと入れ違うように後ろの扉から外に出た。御加賀清吉はすかさず後ろの扉に近寄ってこっそり錠をかけ、教室がはじめから密室状態であったかのように装う。後は教室を出る際にまたもやこっそり後ろの扉の錠をあけて、今度も廊下に待機してたお前が俺らと入れ違うように教室の中に這入る。で、前の扉から出てきたんだ。他の奴らが相手なら通じたかも知れねえが、俺から云わせりゃ浅知恵だぜ。残念だったな、御加賀清吉。散々やってきた天才アピールも水泡に帰し、メッキが剥がれちまったな」
朔也さんは勝ち誇った表情で委員長を見る。
でも委員長は全然動じてなくて、むしろ苦笑してるくらいだった。
「君が栖くんを脱会させようとして訪ねてくるのを、どうして僕が事前に把握し、空野くんとそんな計画を立てておくことができたんだい? 入れ違いに教室を出るなんて簡単に云うけど、それを気付かれないように完璧なタイミングでおこなうというのも、実際のところあまりに無理があるよ」
「そうだよそうだよっ! ハズレだよっ!」
「往生際が悪い奴らだな。いくら否定しようが、他にこの状況を成立させる方法はねえんだよ。マジックの腕なら認めてやる。だが子供騙しだ。これ以上は付き合っていられねえ」
「君は自分にとって不利な要素は決して考慮に入れないという愉快な脳みその持ち主らしいね。頑迷もここに極まれり。典型的な確証バイアスだ」
「何を云おうが、お前が他の解答を述べられねえ以上、俺の勝ちだ。栖は今後、一切お前らとは――」
「せっかちな人だね。しばらく黙って聞きなよ。僕が真実を教えてあげよう」
委員長はさらりとそう云った。