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美化委員会の不浄理論  作者: 凛野冥
いなくなった弟が宙に浮かんで呼んでいる
3/19

依頼

    1


 さあさあ、ようやく私の出番です。美化委員会の協調性に欠けるメンバーの中にあって唯一、心の底から委員長を信奉し、喜んでこの身を捧げる所存の忠実なる委員、礎好奇です。厭世的えんせいてきで斜めに構えていて面倒臭がりで鬱々しいことこの上ない憂いを帯びた憂端梢から副委員長の座を奪う日も近いでしょう注目株筆頭です。

 放課後、いつも通りに私は美化委員会が使用している教室にやって来ました。大変喜ばしいことに、教室には委員長の他に人はおらず、私と委員長の二人きりであります。

「こんばんはですよ、委員長。今日は面白いお話を持って来たんですよ。是非是非聞いてください。あ、隣に腰掛けさせていただきますね。委員長、今日も素敵滅法です。格好良いですね」

「ありがとう、好奇くん。当然のことを云われただけで礼を述べるのは本来奇妙だけど、うちの委員はみな当然のことを云うということをしないからね」

「ですねですね」

「ところで面白い話というのは?」

 私は鞄から一冊の本を取り出しました。私が愛読している雑誌で、古今東西の珍妙な事件の数々が収録されているものです。私の好奇心をビシビシ鞭打つかのように刺激してくれる素敵なアイテムなのです。

「不躾ながら、この中からひとつ、委員長にクイズを出したいと思います。委員長の実力を測ろうなんて傲慢な考えは持っていませんよ。ただ委員長が快刀乱麻を断つが如く難問を一瞬のうちに解いてしまう様子を見てうっとり恍惚こうこつに浸りたいという思惑でして」

「一向に構わない。そういう趣向はどんどんやってくれ」

「さすがです」

 本を開きます。委員長へのクイズに使おうと決めていた事件について書かれているページに栞を挟んでおいたのです。この記事を私が簡潔にまとめて、委員長にお話しします。

「ある一人暮らしの四十代男性が死にました」

 我ながら魅力的な導入です。

「ちょっとした地震のあった直後が死亡推定時刻です。男性は座椅子に座ったまま死んでおり、頭から血を流していました。その死体の横には、割れた植木鉢とその中身――土と花ですね。植木鉢は血に染まっています。座椅子は背の高い棚に背を向けて位置していました。よって地震の際に棚の上にあった植木鉢が落下し、座椅子に座っていた男性の頭に当たり、死に至らしめたと考えられます。窓はすべて内側から錠がかかっていて、玄関の扉も同様でした。鍵もちゃんと部屋の中にあり、合鍵はつくっていなかったと考えられています。事故以外に解釈の余地がありません」

「それじゃあクイズにならないね。なら他殺を示唆しさする何かが残されていたのかな?」

「鋭いです。格好良いです」

 忘れず褒めます。隙を見ては媚びます。

「ダイイングメッセージが残されていたんです。フローリングの床に、血で『かよこ』と平仮名で書かれていたんです。朦朧もうろうとする意識の中で男性が辛うじて書き残すことができた告発文です」

 文ではないですが。

「男性は日記をつけるのを日課にしていました。その日記の中に加代子かよこという人物が多く登場していました。この加代子という女性が犯人であるのは間違いなさそうです。でも忘れちゃいけないのが――」

「すべての窓と扉は施錠されていた、ということだね」

「ご明察です。これは密室殺人事件なんですよ。さて、日記がどんなものだったのか、ポイントと思われる箇所を抜粋しますね」

 九月四日。私は加代子に一目惚れした。彼女の姿の美しさと云ったら、この世の宝石すべてが束になってもまず敵わないだろう極上のそれだ。なるほど、神という存在を信じる人達の気持ちも分かろうものだ。あんな美しい女性が存在するなんて、神なる人物、そういった超越的な存在の意志を認めでもしない限り、たしかに説明を付けられない奇跡だ。ああ、美しい。私のような冴えない男が彼女を欲するのは許されざることなのだろうか。

 飛びまして。

 九月七日。迷うのはもうやめだ。私は加代子に想いを告白しようと思う。他の男に先を越されたら、私は一生後悔するだろう。自分の生きている意味を見失い、自殺するかも知れない。それにしてもまさかこの歳になってこれほどまでに強い恋心が自分に芽生えるだなんて。燃えるような熱い想い。私の心はまだ死んでは――

「ちょっと。早くも聞いていられないんだけど」

「声に出す私はもっと恥ずかしいんです。我慢してください」

 九月八日。私と加代子は結ばれた! いや、結ばれたなんて表現を用いるのは早計というものである。まだ始まったに過ぎない。私と加代子の交際が、である。これは大恋愛になりそうだ。ああ、この胸の高鳴りを紙幅の許す限り延々と綴りたいものだが――

「勘弁して欲しいね」

「ごもっともです」

 ――あいにくと今は落ち着いて文章を綴れる状態でない。今日のところはとりあえず、短く終えておくのが賢明であろう。

 九月九日。交際を始めて一日しか経っていないが、私は加代子に接吻したい衝動に駆られている。だが――

「世の中にはとんでもない人がいるものだね」

「ですね。よくこんな人がこの歳までのうのうと生きていたもんですよ」

 ――まだ早い。こういうのは段階を踏むべきである。今はただ彼女を間近で見詰めていられるというだけで満足しよう。実際、充分すぎるくらいだ。他の男が彼女を奪って行ってしまう前に私が――。

「と、こんな調子で二人の交際が続きます。雲行きが怪しくなってくるのは三ヶ月後です」

「雲行きなら初っ端から怪しいと思うけどね」

 十二月十三日。加代子の元気がない。私といても、まったく楽しそうに見えないのだ。項垂うなだれているばかりで、以前のような凛とした美しさにも欠けるほどである。私の注ぐ愛が足りないのだろうか。私はこんなにも彼女のために尽くしているのに。

 飛びまして。

 十二月十七日。加代子は私をもう好きではないのだろうか。恐ろしい、実に恐ろしい考えだ。しかし、一度浮上すれば容易には振り払えない疑念である。ああ、私は――

「と、かなり錯乱した内容になるのでこの先は読みませんが、二人の交際は不調になるというわけです。男性が死亡したのはこの六日後の十二月二十三日です。二人は今後のことについて口論になり、結果的に加代子が男性を植木鉢で殴ってしまったのではないか、という推測が立ちます。しかし、前述のとおり部屋は密室状態でした。合鍵はどうやらつくられておらず、さらに奇妙なことに、部屋には加代子なる人物がいた痕跡も見当たらないのです。一体なにがあったのでしょうか。奇妙ですね。面白いですね。最高にそそりますね。身体の芯からゾクゾクしちゃいますね。さあ委員長、どうですか。解き明かせますか。それも楽しみですね。ワクワクしますね」

「無論、分かったよ」

 委員長はあっさりと云いました。

「聞かせてください」

「加代子というのは男性が花につけた名前だね。その日記は男性が花屋で好みの花を見つけ、それを擬人化して綴った日記なんだ。愛を注ぐ、って云うか水や液肥を注いで大事に育てていたんだろうけど、花によっては栄養過多が悪く作用してしまうからね。元気がないだの云っていたのはそういうことだろう。四十代になってもまだ独り身の男が孤独を埋め合わせるように花を育てることを女性との恋愛に重ねていたという、うん、正直気持ちの悪い話だ」

「ご名答です! めちゃくちゃ凄いですよ委員長。途轍とてつもなく格好良いですよ委員長。完璧です。完全無欠です。こんなおかしな話を即座に解き明かしてしまうなんて!」

「たしかに好奇くんの好きそうな話だね」

「はいっ。だって花を女性と思って育て、それを日記にするくらいまでならギリギリ有り得なくもなさそうですけど、この人、自分が死ぬってときに『かよこ』なんてダイイングメッセージを残したんですよ? 本気で花を人間と思い込んでいたんでしょうね。だからそれに殴られて死んだということで、自分を殺した犯人として加代子を摘発したんでしょうね。馬鹿みたいですよね。笑っちゃいますよね」

 面白おおおい。すっごく面白おおおおおおおおおい。

「どこが面白いんだよ」

 呆れたようなこの声は、いつの間にかやって来ていた副委員長のものです。相変わらず気怠そうな表情をしています。

「苛々するだけじゃん。そもそも花に加代子ってなんだ。もうちょっと他に何かあるだろ」

「こんばんはですよ、副委員長。手厳しいですね。容赦ないですね。そんなだと委員長に嫌われてしまいますよ」

 そうなったら好都合ですが。

 そのとき扉が開いて、少なくとも私ははじめて目にする女子生徒が這入ってきました。垢抜けない印象の薄幸そうな女の子です。

「あの、此処は美化委員会さんで合ってますか?」

「合っているよ。何か用かい?」

 委員長がたずねると、女子生徒はぺこりと頭を下げます。

「私、壱年酉組の樺井かばい優子ゆうこと云います。美化委員会さんにお願いがあって来ました」

「うん、依頼か。じゃあハワイくん、そこに掛けてくれ。依頼はいつでも受け付けているんだよ。気兼ねする必要はごうもないのさ」

 私も依頼は大歓迎です。

「ありがとうございます。樺井です」

 優子ちゃんはさりげなく名前の間違いを指摘すると、行儀良く、背筋を伸ばして椅子に座りました。礼儀がなっているのは結構ですが、かなり遠慮する性格なのか、椅子の先の方にちょこんと座っています。

「話を伺うよ。どういった依頼なのかな?」

 私も期待に胸が躍ります。

 さあ、どんなお話が飛び出すのでしょうか。楽しみですねえ。

「はい、上手くお話できるか分からないんですけれど……。私には弟がいたんです。健太けんたという名前です。私が中学二年生のときに産まれて、すごく可愛い弟でした。七ヶ月くらい経ったころでしょうか、そのころには健太はハイハイもできるようになっていて、私もその後についてハイハイして追いかけたりして、遊んでいたんです。そんなある日、健太は消えてしまいました」

 うわ。うわうわうわ。これは久々に大ヒットの予感です。若干じゃっかん涙ぐんでいる優子ちゃんとは裏腹に、私は面白さのあまり笑い出してしまいそうです。

「家の中で、私と健太で留守番していたときです。ちょっと目を離した隙に健太がいなくなっていたんです。ハイハイができるのでリビングから廊下に出たくらいだろうと思って探したんですが、でも健太はどこにもいなかったんです。家の外には出られるはずがないのに、くまなく探しても健太は見つけられませんでした。それきり健太は二度と見つかりませんでした」

 ああ、全身が粟立あわだって、面白い依頼の予感に歓喜しています。

 でもこの前、と云って優子ちゃんは身を乗り出します。

「健太の姿を見たんです。私は音楽委員会に所属していて、今度のコンクールに向けて練習をしていたんですけど、それを終えて帰るとき、教室を出るときに、廊下の窓の向こうに赤ん坊の姿があって、はっきりとは見えなかったんですけど、あれは間違いなく健太だと思って……」

「廊下の窓の向こうと云うと、外ってことかい?」

「はい、宙に浮いていたんです」

 私は身体の震えを抑えるのに躍起になっています。こんな面白い話は本当に久しぶりに聞きます。身悶えします。素晴らしい。本当に素晴らしいです。

「四階でしたから。健太は宙に浮かんで、私に何かを訴えるかのようでした。でもまたすぐに消えてしまったんです……。健太はきっと、私に自分を見つけてもらいたいんです。可哀想な健太……なんて、なんて可哀想なの……。でも私にはその力がありません。いくら探しても、探し続けても、健太はどこにもいないんです。本当に、有り得ない状況で、蒸発するみたいに消えてしまったんですから……」

 優子ちゃんは深々と頭を下げます。

「どうか健太を見つけてもらえないでしょうか。健太は今も、私を待っているんです」

 厄介な依頼と云えるでしょう。あまりに不明瞭で、あまりに不可解で、あまりに不可能です。無理難題と云えるでしょう。

 しかし委員長は「うん。うんうんうんうん」としきりに頷いた後、ばしっと宣言しました。

「その事件、綺麗さっぱり美化委員会が解決します」

 格好良いです。私の脳内では拍手喝采です。会場は揺れ、大盛り上がりの大盛況です。

「早速、調査を開始しよう。今回の件は、美化委員会委員長である僕、御加賀清吉と、謎に対する飽くなき好奇心の持ち主である彼女、礎好奇で当たらせてもらうよ」

「やったあ! 私、頑張ります! 優子ちゃん、安心してくださいね。大船に乗ったつもりでいてくださいね。美化委員会が絶対に貴女を弟さんと再会させてあげますからね!」

 有り得ない消失を遂げた赤ん坊。

 探しても探しても見つからない。

 そんななか、赤ん坊は宙に浮かぶという奇妙なかたちで姉の前に姿を現した。

 まるで何かを訴えるかのように。

 さてさてさてさて、一体どんな真実が導き出されるのでしょうか。

 楽しみですねええ。愉快ですねえええ。面白いですねえええええ。堪りませんねえええええええ。


    2


 悪趣味だな、お前――と、よく云われます。云われずとも、自覚しています。

 私は好奇心が旺盛で、奇妙な話、不思議な話、不可解な話等々、そういった謎を含んだ話に目がありません。何か気になる事柄が見つかると猪突猛進、その答えを知るために奔走せずにはいられなくなります。

 そういった詮索や、謎を楽しむということが往々にして不謹慎のそしりを免れないのは承知しています。好奇心に忠実とは、人の秘密を覗き見たいという意味で、人の知られたくない部分を土足で踏み荒らしたいという意味で、謎さえ解かれて満足すればアフターケアもなしにおさらばするという意味で、当然褒められた姿勢ではないでしょう。

 しかしいくら非難を受けようと、私は謎を見つけてはやる気持ちを、ほとばしる衝動を抑えてはいられないんです。そもそも、倫理的にどうとかといった問題と、私が好奇心を働かせてワクワクすること、両者は本来的にはまったく関係がないではありませんか。私は自分の欲求を満たすために周囲を不快な気分にさせているかも知れませんが、それはまた別の話。とにかく私はいくら悪趣味と云われようと、生き方を変えるつもりは毛頭ないというわけです。

 ただ、好奇心が下種げすな感情であるとは認めている私なので、それを崇高な何かと偽っている人々には反感を抱きます。好奇心とは下品でなんぼなんです。それを高度に知的な者に許された特権だとか、そんなふうに思い上がる手合いははっきり云って馬鹿じゃないのかと思います。軽蔑します。私に軽蔑されるとか、どうしようもないですよ。

 悪趣味で結構。無礼で結構。何とでも云ってください。

 さあ、それはさておき事件ですよ事件ですよ。

 健太くんに何があったのでしょうか。よーし、存分に楽しみましょう。謎であるなら私はすべてを愛しますが、一等面白いのは悲惨さに目を覆いたくなるようなそれです。悲惨かつどこか滑稽であるならば、それこそ最上です。そして今回の件はそれを望めそうです。

 あああああ、生きているって良いですね。人の不幸は蜜の味。悲劇は一級品のエンターテインメント。改めまして、礎好奇、張り切って行きますよ。えいえいおー!

「素直そうな良い子でしたね。彼女のためにも一刻も早く事件を解決して、辛労に終止符を打ってあげたいですね」

 委員長はいくつか質問をした後に、優子ちゃんを帰らせました。有益な情報はこれといって出ませんでした。解決のためにはどんな些細なことが鍵となるか分からないとはよく聞きますが、今回は聞かなかったとしても問題はなかったと思われます。なにせ優子ちゃんはすべてについて「分かりません」としか答えられなかったからです。そのうちに「ごめんなさい」と自らの不甲斐なさをひどく気に病んだ様子だったので、委員長も帰らせたのでしょう。

 しかし如何いかんせん情報が足りないようにも思います。こういった依頼ばかりになるのがこの美化委員会の常なので、そこに不満を云っても仕方ありませんし、謎の難易度は高い方がそそるというのもまた私の嗜好ですが。

「うん、とりあえずハワイくん――」

「樺井ですよ、委員長」

「うん、樺井くん……弟くんも樺井なわけだから、優子くんと健太くんで呼ぶことにするけど、優子くんが健太くんの姿を見たという現場に出向いてみようか」

「はいっ。フィールドワークは基本ですもんね」

 というわけで読書に夢中な副委員長をおいて、私と委員長は教室を出ます。問題の場所についてはさっき優子ちゃんから聞いていました。複雑怪奇な火津路高校の校舎内ですが、私と委員長の最強タッグの辞書に迷うという言葉はありません。

 なので無事到着。優子ちゃんがコンクールに向けた練習で使用していた教室は火津路高校においては珍しくない空き教室でした。今も誰にも使用されていないようです。施錠はされていなかったので、勝手に中に這入ります。

「なんだか新品同然みたいな部屋ですね」

 と云いますのも、机と椅子が一組あるだけで、他はまっさらなんです。カーテンすら付いていなくて、窓の外には茜色に染まった空が広がっています。

「健太くんが宙に浮いていたと云うのは、幻覚の類ですよね」

「どうかな。ところで健太くんが浮いていたのは逆方向だよ、好奇くん。優子くんは教室を出るときに、廊下の窓の外に浮遊する健太くんを見たんだからね」

「そうでしたそうでした」

 ですが人が宙に浮くなんてまず有り得ません。それも数年前に行方知れずとなった赤ん坊が未だ赤ん坊の姿で浮いていたなんて。見たと思った直後には消えてしまったと云うのですから、やはり幻覚だったのでしょう。

「健太くんに対する未練、会いたいという気持ちが、優子ちゃんに健太くんの姿を見せたんですね」

「さてね。それが幻覚だったにせよ何だったにせよ、健太くんが不可解な消失を遂げたのは確からしい。優子くんの依頼は健太くんを探し出すことだからね、そこが重要だよ」

「そうですね。難しいですね。優子ちゃんの虚言なんじゃないかと疑いたくなるくらいですね」

「仮に虚言でも、ああいった依頼がきた以上、僕らはそれに応えられればいいんだ。好奇くん、僕らの仕事はたったひとつの真実の究明なんかではないんだよ」

「心得ていますよ。真実なんて掃いて捨てるほどある……ですもんね」

「違う。真実なんて掃いて捨てるほどある……だよ」

 違うのはポーズや声のトーンみたいでした。私もまだまだ未熟です。今晩お風呂に入ったときにでも練習してみようと思います。

「此処では特に得られるものはなさそうだ。戻ろう、好奇くん」

「あっ、その前に」

 私は廊下の窓を開けて、下を見下ろしました。四階ともなると相当な高さです。落ちたら死ぬでしょう。ああ、それってどんな感覚なんでしょうか。気になります。面白そうです。楽しそうです。

「好奇くん、気を付けてくれよ。まさか飛び降りてみたいなんて思っていないだろうね?」

「もちろん思っていますよ」

「それはやめて欲しいな。君は美化委員会の大事なメンバーなんだから」

「わあ!」

 そんな素敵なことをさらりと云わないでくださいよ!

 もっと身構えて聞かないともったいないです!

「安心してくださいよ。私にはまだ生きて知りたい事柄が山ほどあるんですから、そう易々と死ねるはずないじゃありませんか」

 改めて、窓から首だけを出して下を見ます。

「いくら高い台や梯子はしごを使っても、赤ん坊がこの高さまで上がってくることはできそうもありませんね」

「うん、掃いて捨てるほどあるとは云ってもさすがにそれは真実ではないだろう。でも突飛で面白い考えだね。かえって真っ当とも思えるけど」

「ですよね。面白いですよね。想像すると笑っちゃいます」

「発想が柔軟なのは好奇くんの美点だよ」

「わあ!」

 もっと褒めてください。

 と、大した収穫もないままに美化委員会の教室へと退散する私達。私にとっては謎を追う過程もすべてが楽しいので徒労とは思っていません。教室では副委員長がまだ読書をしていました。無気力を常としている彼女ですが、意外と本の虫だったりするんです。

「さて、考える時間だ。この僕には考えて分からないことなんてないからね」

「ですねですね」

 真実を導出するに必要な材料が揃っているのかは疑問ですが、現状では他に打てそうな手がありません。

「留守番の最中に消えてしまった弟ですか。ハイハイはできたそうですけど、仮に家を出られたにしてもそう遠くへは行けませんよね」

「自力ではそうだね」

「となると、誘拐事件なのではないでしょうか。家の中で消えたという前提条件から、その可能性が浮かびにくいですが、実際のところ有り得そうですよ。身代金の要求なんてはなしに、単に赤ん坊を欲している人も、さらった赤ん坊を売り飛ばすことを目的としている人もいる世の中ですからね」

 割と自信ありなので私は胸を張りましたが(張ったところでささやかな胸です)、委員長は首を横に振りました。

「健太くんの浮遊に説明がつかないよ」

「それはさっき述べましたとおり、健太くんとの再会を望む優子ちゃんの見た幻覚ということで」

 何者かに弟を誘拐され、それに気付かず弟の消失を不思議に思っており、さらにはその幻覚を見て弟が自分に何かを訴えているのだと信じ込む哀れな姉……興奮します。優子ちゃんの薄幸そうな雰囲気にもぴったしではないでしょうか。

「好奇くんの考えはたしかに真実のひとつだろうけど、それではこの依頼は処理できないよ。綺麗さっぱり解決とはいかない。僕らには別の真実を模索し、優子くんに教えてやる義務がある」

「うーん、そうなりますと、いよいよ盛り上がってまいりましたねえ」

 素敵です。

 そこで不意に、ある思い付きがありました。いえ、連想と云った方が適当でしょうか。

「弟が消えてしまった姉……もしかして委員長、今回の件にご自分を重ねているんですか?」

「うん?」

 委員長が私と目を合わせます。動揺した様子はありませんが、それは表面上の話で、心のうちがどうかは分かりません。委員長はナルシストなところがありますが、そういうかたというのは実はペルソナを被ることに慣れていたりするという話です。ああ、そう考えると、好奇心がもぞもぞと首をもたげます。知りたいです。委員長の心の中を知りたい知りたい知りたいです。

「数年前に妹が行方不明となってしまった委員長と、今回の件は似ていますよね。ですから何か思うところがあるのかな、と思いまして。どうなんでしょう。委員長はどうお思いなんでしょう。もしかして柄にもなく優子ちゃんに同情して、キレが悪くなっているんじゃないでしょうか。私はそこんところが心配で心配で堪りませんよ」

「はっはっは」

 しかし委員長は一笑に付します。

「たしかに境遇は似ているね。でもそれが僕の足枷のように作用するなんて有り得ないよ。安心してくれ、好奇くん。それに僕は妹に未練を抱いてはいないさ。また会いたいと思わないほどに薄情じゃないけど、過ぎた望みを抱くほどに我儘でもないのさ。そのあたりはよくわきまえているからね」

「そうなんですね。ただ委員長、好奇心でお訊ねするんですけど、委員長の妹さんって――」

「礎」

 見ると、副委員長が視線を本から私へ向けていました。射抜くかのような眼光です。剣呑けんのんな感じが漂いまくりです。彼女の前ということを失念していました。迂闊うかつでした。下手を打ったなあ私。

「なんですか、副委員長」

「その話はするなって、前にも云っただろ」

「えー、どうしてですか?」

 睨まれたからって引き下がるほど、私はお利口じゃありません。

「どうしてですかどうしてですか? 気になります気になります」

「……ちょっとついてこい、礎。話をしよう」

 席を立つ副委員長です。いわゆる〈表に出ろ〉というやつらしいです。

「怖いですね。一体なにをされるんでしょうね」

 私も副委員長の座を狙う身として負けてはいられないので立ち上がります。

「やめてくれよ、二人とも。美化委員会の大原則は〈清く仲良く美しく〉だよ」

 委員長が宥めるように云いました。

「……そうですね。ごめんなさい、委員長。私は愚かでした。それにあんまり刺激しますと、副委員長がまたぞろ吐いてしまいますもんね」

 苛々によってげろげろと嘔吐する癖のある副委員長です。この発言にも副委員長は敏感に反応し、再度私に何事か云おうとしましたが――

「僕は委員同士のいさかいが一番嫌いだよ。それは極めて美しくない、醜い事態だ」

 委員長の声がいつになく真剣なので、私も副委員長もこれ以上は何も云えませんでした。

「あ、あ、あ、あの……」

 ひどく遠慮がちな声がして、私ははじめて、すみかちゃんが教室に這入ってきていたことに気付きました。栖ちゃんは重苦しい空気に困惑している様子です。栖ちゃんは何も悪くないのに、罪悪感があるかのように真っ青な顔です。

「ああ、こんばんはですよ、栖ちゃん。今のやり取りは気にしないで結構です。見なかったことにしてください。私としても失態でしたね、失態失態」

「う、ううん、そんな……」

 栖ちゃんはとんでもないとでも云うふうに首を横に振りつつ、教室の一番隅の席に縮こまって腰を下ろしました。

「久し振りですね。最近顔を出していませんでしたよね?」

 張り詰めた空気を緩和したくて、私は栖ちゃんと話を続けることにしました。委員長を怒らせてしまったんですから、いくら私でも気を遣います。

「ご、ごめんなさい……」

 責められているとでも思ったのか、栖ちゃんはさらに委縮します。栖ちゃんはフルネームを泡槻あわつき栖といいまして、委員の中で最も気が小さく、常時あわあわと挙動不審なんです。

「謝らなくていいですよ。彼氏さんとは順調なんですか? なかなか気になりますよ。と云うか私は全然詳しく知らないんですけど、どんな人なんですか? 教えてくださいよ」

 そして委員の中で唯一恋人持ちの栖ちゃんです。私はそういう色恋沙汰にも興味関心があります。

「え、あ、あ、あ……」

 今度は照れたように顔を真っ赤にした後、栖ちゃんは蚊の鳴くような声で「変な人、だよ……」と答えました。そういえば栖ちゃんは変わった趣味嗜好の持ち主で――

「やはり僕は格好良い!」

 出し抜けに委員長の声が聞こえてきて、私はまた視線を栖ちゃんから委員長に戻します。委員長は立ち上がっていました。

「好奇くん、礼を云うよ。君がさっき何気なく発した一言が、僕の閃きを誘発してくれたのだからね」

「え?」

 私、そんな核心的なこと、云いましたっけ?

 委員長は教室の扉のあたりまで歩いて行くと「うん。うんうんうんうん」と頷いてから、こちらに振り返ります。

「明日、優子くんに真実を教えよう。それでこの件はお仕舞さ」

「分かったんですか! 真実が!」

 私は飛び上がります。

「教えてください教えてください教えてください教えてください! 気になって気になって身がよじれそうです喉から手が出てます死にそうです爆発しそうです! 何でもします何でもします喜んでご奉仕します全身全霊で尽くします! だから教えてください教えてください教えてください教えてくださいお願いしますお願いしますお願いしますお願いします!」

 ですが委員長は意地悪なことに(さっきの私の失態に対する意趣返しかも知れませんが)、今は教えないなんて云うのでした。ええええええええええええ? そんな焦らし方って、こんな生殺しってありますか?

「明日まで考えてみるといいよ、好奇くん。ひとつヒントを出すと、優子くんが見た健太くんの姿は幻覚なんかじゃなかったのさ。喜ばしいことに、彼女が弟と再会することは可能だ」

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