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美化委員会の不浄理論  作者: 凛野冥
美化委員会の不浄で不条理な理論
16/19

真実1

    1


 今日は火津路高校の文化祭……未祭りだ。

 クラスや委員会がお店を出して、それはもう熱気に包まれて盛り上がっている、んだと思う。たぶん。

 でも私達は美化委員会の教室で、喧騒から離れて、のんびり過ごしていた。

 昨日までは「当日はあちこち回りましょう!」と張り切っていた好奇さんも怪我のせいで安静にしている。学校には来られているから、そう大変な怪我ではなかったんだろうとは思う。梢さんは「日頃の行いが悪いからだな」なんてちょっかいをかけて、「憂端さん、そんな云い方って上品ではありませんわ!」って怒った美麗さんと一悶着ひともんちゃくあった。

 そうこうしているうちに、もうじき陽が沈むという時分だ。未祭りもいよいよクライマックスあたりだろうか。まあ細かいプログラムも、何時に終わるのかもよく知らないけど、私達にはあまり関係がないかな。

 私は席を立った。

「栖くん、帰るのかい?」

 紅茶を淹れる最中の委員長が訊ねてきて、ちょっと恥ずかしいけど「おトイレに……」と答える。

「僕もついて行こう」

「え、え?」

 どういうこと?

「トイレの前までだよ。今日は外部の人間も校舎内を徘徊していて物騒だからね。梢くんならともかく、一目見て気が弱そうと分かる栖くんは危ない」

 梢さんが何か云いかけたけど、やっぱり面倒臭くなったのか、溜息を洩らすだけだった。

「そ、そんなに危険かな……」

 トイレへの行き帰りを委員長に付き添ってもらわなきゃいけないくらい、危険なのかな……。

「僕がついて行けば危険じゃないのは確かだろう。ならそれが最良だ」

「……うん。じゃあ、分かった」

 過保護気味にはなるけど、委員長が私を心配して善意でやってくれると云うのだから、嬉しい気持ちだってある。

「お願いします」

「うん」

 委員長と私は教室を出ると、二人並んで廊下を歩く。委員長と二人きりって、あんまりないことだから、ちょっと緊張する。

「栖くんは未祭り、最後に少し覗いてみたかったりするかい?」

 このあたりはお店にも使われていないから、賑わいは遠く、かなり静かだ。火津路高校は校舎が大きいから、未祭りの日とは云っても、こういう場所も結構ある。

「どうかな……あんまり騒がしいのは好きじゃないけど」

「うん。静かな場所が好き?」

 委員長から私に質問を続けてくるのも、考えてみれば珍しいことだ。委員長はあまり他人に興味がなさそうな人なのに。

「……そうだね。でも、狭いところはあまり好きじゃないの」

「そうだったのかい? 栖くんは隅の方にいることが多いから、狭い場所を好むとばかり思っていたよ」

「隅の方にいるのは、場所の好みとかは関係なくて、性格の問題……」

「つまり広い場所への憧れはあるけど、それに対して積極的にはなれないというわけだね」

「そう」

 私は隅の方でひっそりとしていなきゃいけない人間だ。自分は取るに足らない詰まらない存在だから、面白い人を見ていることしかできない。そのためにもやっぱり、全体を見渡せる隅にいるべきで……。

「僕は此処で待っているよ」

 もう目的のトイレの前に到着していた。

「えっと、行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい」

 たかがトイレに行くだけでこのやり取りはおかしくて、私はちょっと笑い声を洩らした。

 中に這入って、一番奥の個室へ進む。あ、無意識のうちに、ここでも私は隅を――

 ギイイ……。

 背後で個室の扉が軋む音がした。

 誰もいないとばかり思っていたからびっくりして、咄嗟に振り返ろうとした――そのとき、後ろから誰かに抱き付かれた。口を手で塞がれて……まるで拘束されてるみたいだ。力が強くて……お腹が痛い……。

「こんにちはッス、泡槻栖さん。待ちかねたッスよ」

 耳元に囁かれるその声は、男の人のものだ。

 トイレの前には委員長がいる。思いきり叫べば、口を塞がれていても、微かに声は届くはず……そう思ったけど、私はお腹に当てられているものに気が付く。

 出刃包丁だ。

「大人しくしてください、泡槻さん。大人しく、従ってください。でないとグサッてなるッスよ?」

 ……困った。この人の目的は分からないけど、怖い人なのは間違いない。私の身がどうなるにしても、委員長に助けを求めてしまったら、委員長のことも危険に晒してしまう……。それは嫌だ……。

「表で御加賀先輩が見張ってるのは分かってるッス」

 妙に気さくな感じの声が、そう云う。耳に生暖かい吐息がかかって、気持ち悪い……。

「というわけで泡槻さん、まずは目の前にある窓から、外に飛び降りてください」

 え?

「大丈夫。死ぬ高さじゃないッスよ。下が花壇なのも幸いッス。ほら、早くしないと殺すッスよ。この刃がお腹の中に入って、泡槻さんの中身をぐちゃぐちゃに掻き回しちゃうッスよ。さあ、巫和くんもすぐに続いて飛び降りるんで、先に泡槻さん、どうぞ」


    2


「はい、準備は整ったッスね。ああ、やっぱり貴女は縛られた姿がよく似合うッス」

 連れて来られたのは人気のない一角に並んでいる空き教室のひとつだった。トイレの窓から外に飛び降りさせられた後、再び校舎内に戻ったのだ。

 私は椅子に拘束されている。ブレザーは脱がされた状態で、胴と椅子の背もたれと背もたれの後ろに回された両腕の周り、それから左右それぞれの脚と椅子の左右それぞれの脚の周りに、ガムテープが幾重にも巻かれている。包丁で脅され、私は抵抗なんてとてもできず、命じられるがまま、されるがままだった。

 この空き教室には私が拘束されている椅子がひとつあるだけで、それは中央に置かれている。いつも隅の方で小さくなっている私が、だだっ広い空間の真ん中にいる。でも開放感なんてものとは無縁で、隅にいるよりもむしろ窮屈な気分だ。縛られているのだから当然か……。

 巫和正太郎と名乗った男の人は、そんな私の周りをぐるぐると歩き回りながら、やっぱり軽い口調でお話をしている。その手には依然として出刃包丁が握られており、窓から差し込む夕陽の光を反射して、血で濡れているかのような妖しい輝きを放っている。

「では、さくさく進行するッスよ。と云っても、御加賀先輩が此処まで貴女を助けに来るとしても、まだまだ先でしょうね。この火津路高校の校舎の広くておかしなことと云ったら、ちょっと常軌を逸してるッスから。その中でも此処は、まず誰も立ち入らない場所ッスよ。無論、御加賀先輩でない誰かがたまたま通りがかってくれる可能性なんて皆無ッス。だからじっくりやることもできるんスけど……でも巫和くん、もう一ヵ月以上も焦れてるんスからね。やっぱり早く進めたいッスよ」

 一方的に好き放題話されているけど、私は口にはガムテープを貼られていないので、喋ろうと思えば喋れる。ただ、それが賢明じゃないことくらいは、私でも分かる。

「実際、この学校について調べたり、探偵委員会でそこそこのポジションに就いたり、美化委員会を観察したり、なんだりかんだりと準備には手間取ったッスよ。それも全部このときのためだったんスけどね。でもまあ、はじめからここまでの強硬手段に出る予定を立ててたわけじゃあないんスよ。考慮には入れてたッスけどね。だけど結果的にこうなったのは、貴女が、思ってたより重症だったからッスよ。正直、予想を遥かに超えてたッス。あれこれ吹き込んで誘導しようとしても、全然功を奏する気配がないんスもん。だってまだ貴女、気付いてないでしょ? 何に気付いていないのか見当を付けることもできないでしょ?」

 正太郎さんは後ろから私の首に手を回すと、その手を身体に這わせるようにして、お腹の方へと伸ばしていく。気持ち悪い。気持ち悪くて、吐いてしまいそう。

「泡槻さん、貴女はさっきから今日はじめて巫和くんに会ったような素振りッスけど、それはおかしいんスよ。だって巫和くんが美化委員会に見学に行った日、輪上姉妹が依頼に来たとき、委員は皇さんと貴女が来ていて、貴女と巫和くんは顔合わせしていたんスから。なんて、こんなの、氷山の一角に過ぎないッス。貴女は無数にあるこういう矛盾のすべてを無視してるんス」

 その手が上から少しスカートの中に入り、シャツの裾を掴んだ。そしてシャツが上へと引っ張られる。ガムテープが巻かれているお臍の上あたりまで、肌が露わになる――ううん、肌はまだ露わになっていない。そこには包帯が巻かれているから。

 正太郎さんはその包帯を掴んで、引き千切る。今度こそ肌が露わになる。お臍の左あたりにガーゼが貼ってあって、正太郎さんはそれも剥がす。

 そこには、まだ新しい、刃物で刺されたような傷があった。

「思い出したッスか。昨日、巫和くんにハサミで刺されたこと」

「え?」

 私は、意味が分からなくて、何も、理解も把握もできなくて、混乱して、ただただ混乱して、壊れたラジオみたいな調子で間抜けな声を発することしかできない。

「え、え、え?」

「思い出したッスか、泡槻さん。悪いことをしちゃったッスね、謝るッスよ、礎さん。気分が悪そうッスけど、いつもみたいに吐いたらどうッスか、憂端さん。あるいは、皇さんって呼びましょうか? いやいや、違うッスね。どれも正しくない。じゃあ改めて巫和くんは貴女に挨拶するッスよ」

 正太郎さんは私の正面に移動して、私の目をしっかりと見詰めて、嗤った。

「お久し振りッス、御加賀清子ちゃん」


    3


 御加賀清子、というのが委員長の妹さんの名前だとは知っている。

 その人が一年前に消えてしまったことも。委員長はそれからこの地にやって来て、一人暮らしを始めるとともに、火津路高校に転入したのだということも。

「まだ思い出せないようッスね。御加賀先輩同様、貴女も転入生ッス。それも、御加賀先輩と同じ高校から、御加賀先輩と一緒に転入したんス。それはいいッスよね?」

 それは、その通りだ。

 私は一年前、委員長と一緒に、別の高校にいた。別の場所に住んでいた。

「貴女と御加賀先輩だけじゃないッス。憂端さんも一緒に、ッスよね?」

 そう……梢さんも一緒だった。

「ところで貴女、前の学校のこと、それ以前のこと、思い出せます?」

「……や、やめて」

「もちろんやめないッスよ。はい、貴女が思い出せるはずないんスよ。これは憂端さんも同じッスし、皇さんと礎さんも同じなんスよ。いえ、皇さんと礎さんの場合はもっと酷くて、二人はこの学校での、ここ一年にも満たない間のことしか思い出せないでしょう。二人は転入生じゃないからッス」

「知らない。そんなの、知らない」

「知らない? 少なくとも皇さんと憂端さんは、自分が過去について全然記憶を所持していないと自覚したはずっすよ。皇さんには女子トイレで、憂端さんには家庭科室で、それぞれ過去について思い出そうと努めるように、巫和くん、ちょっかいかけたんスから」

 聞きたくない。これ以上聞きたくないのに、耳を手で塞ぐことは叶わない。正太郎さんの声は、嫌でも脳内に直接響くかのように、聞こえてきてしまう。

「そもそも転入と云っても、御加賀先輩と違って、貴女達はこの学校の正式な生徒ではないッス。貴女達は普段その理由を意識しないように自分で誤魔化してるようッスけど、これは知らないなんてことはないッスよね? 貴女達、泡槻さんと憂端さんと皇さんと礎さんは、どのクラスにも所属していない」

 そうだ。だから私達は未祭りの準備も仕事もないんだし……でも、どうして?

「学校ってのはきちんと管理が行き届いている閉鎖空間のようでいて、その実態はずぼらでよく分からないてきとーな場所ッスよね。貴女がこの学校の制服を着て校舎内をうろついていても、貴女が実はこの学校の生徒じゃないなんて誰も思わないんスから。まあそれは巫和くんも一緒ッスけど」

 正太郎さんは自分の胸に手を当てる。

「巫和くんも転入生なんかじゃないんスよ。この学校の卒業生をあたってこの制服を譲ってもらって、それで潜入してるだけの身ッス。だからそろそろ向こうの巫和くんが籍をおいている学校に戻らなきゃまずいんスよ。一ヶ月間も不登校児になってるんスから。まあそれはそれとして、今は貴女の話ッス」

 正太郎さんはまた私の周りをぐるぐる回りながら、淡々と続ける。その動きに、私は自分がひどく酩酊しているような気分になってくる。正太郎さんの発する言葉の行列が頭の中で旋廻している。

「貴女が目を背けているおかしな点は本当に多いんスよ。挙げていったらキリがないくらいッス。とりあえず、大きいところを教えてあげましょう。さあ、よく思い出すんスよ。貴女、泡槻さんは、御加賀先輩が憂端さんか皇さんか礎さんと会話を交わしているところを、見たことがあるッスか?」

「あ、ある……あるよ」

「本当にッスか? 本当に本当にッスか? 一緒にいるだけじゃ駄目ッスよ? 憂端さんや皇さんや礎さんが一方的に御加賀先輩に話しているだけじゃ駄目ッスよ? ちゃんと会話を成立させているところを、一度でも見たことはあるんスか?」

「あ、ああ……あ――」

「ないッスね。そして憂端さんは、泡槻さんか皇さんか礎さんが御加賀先輩と会話を交わしているのを見たことがないッスし、皇さんは、泡槻さんか憂端さんか礎さんが御加賀先輩と会話を交わしているのを見たことがないッスし、礎さんは、泡槻さんか憂端さんか皇さんが御加賀先輩と会話を交わしているのを見たことがないッス。いえ、御加賀先輩とだけじゃないッスね。四人とも、それぞれ、自分以外の三人が、自分達以外の誰かと会話を成立させているのを見たことがないんスよ」

 そんなはずがない。そんなはずが。

 私は思い出そうとする。必死で記憶を辿り、梢さんや美麗さんや好奇さんが委員長と会話している光景を、見つけようと……。

「当然ッスよ。だって貴女が泡槻さんのときは、憂端さんも皇さんも礎さんも、周りからは見えないんスから。いないんスから。貴女が、彼女らがいるような振る舞いをしているだけなんスから。だから当然、憂端さんの声も皇さんの声も礎さんの声も、貴女の妄想に過ぎず、周りにとっては存在せず、会話なんて交わしようがないんスから」

 理解できたッスか、と正太郎くんが私の耳元で囁く。

「泡槻栖、憂端梢、皇美麗、礎好奇……この四人は同一人物、すなわち貴女、御加賀清子なんスよ。美化委員会っていうのは御加賀兄妹……御加賀清吉と御加賀清子の二人からなる委員会なんス」

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