処理
3
未祭りの準備を再開させられた弐年巳組に、それははっきりと顕れました。
弐年巳組の生徒たちは、まったくと云っていいほど、動けなかったのです。
「あれ、どうしたんスか? 遠慮することないッスよ。どうぞどうぞ作業の続きに取り掛かってください」
巫和くんがいくら促しても、生徒たちは互いに顔を見合わせるばかりで、やはり動こうとしません。それを見て巫和くんは委員長に、
「駄目ッスよ、委員長。みなさん、針山秀頼の件を放置して作業に戻るなんて無理みたいッス」
しかし委員長は「違うよ、巫和くん」と首を横に振りました。
「このクラスはね、針山くんがいなければ機能しないクラスなんだ」
「どういうことですか、委員長」
「そのままだよ。針山くんがまとめ、引っ張り、率先して仕事をこなすことで、辛うじて機能していただけのクラスなのさ。要は、全員が学級委員長である針山くんに頼りきり、任せきりだったということだ。学級委員長である針山くんに面倒事を押し付けまくっていたということだ」
なるほど、珍しくはない話です。学級委員長という役職に就いていることで秀頼くんには責任というものが生じますが、他の生徒はそうではありません。それが招く、至極当然の結果と云えるでしょう。そもそも学級委員長という役職自体、真面目で優秀ですが押しに弱くてみんなにとって都合の良いような存在に押し付けられる、なんて場合がよくあります。
「針山くんは普段から、みなにあらゆる仕事を任され続けてきたんだ。みなにそのつもりがなかったとしても、頼るということは、負担を与えることと同義だからね。そして今回、文化祭の準備で、それはピークに達した。如実に表れた。みなが受動的な姿勢だから、針山くんひとりが能動的にみなを動かすしかなかった。常にあちこち回って指示を出し、やり方が分からないと云う人々にいちいちアドバイスをし、ときには手伝ったり、自分が請け負うことにしたりして、全体の進行を俯瞰し調整しつつ、もちろん自分のやるべき作業もこなし、身を粉にして働いていた。周りはそんな彼に気を遣ったりはしない。悪気もなく、彼に頼り、任せ、彼を酷使し続けた。自分から動こうとはせずに針山くんに云われたことだけをして、分からないことやできないことがあったらそのたびに針山くんを呼んで、そんなことを繰り返し、お茶を濁すように、その場しのぎみたいに、今回の作業にあたっていた。頑張っているのは針山くんだけだったんだ。だからこそ今、彼が欠けた今、弐年巳組の生徒たちは自分が何をすればいいかすら把握していない。立ち往生するばかりだ」
委員長にそう云われても、弐年巳組の生徒たちは動こうとしません。動けません。ただ困惑し、途方に暮れるのみです。
「もう分かったね。針山くんを殺したのは、君達、弐年巳組の生徒全員だ」
教室の中央に横たわる秀頼くんの死体。
全裸で、ぺしゃんこに潰れていて、腕と脚が千切れていて、手首がない死体。
「針山くんはみなからの頼みに一肌脱ぐのを繰り返したから裸で、期待やそれに伴う責任の重圧によって身体を潰され、みなに引っ張りだこにされて腕と脚が千切れ、みなに手を貸したせいで手首が消えて、とうとう死んでしまったんだよ」
教室が静まり返ります。全員の視線が、秀頼くんの無惨な死体に集まっています。
そのなかで私は、この奇想天外な話に感動して打ち震えています。ああ、堪りません。堪りません堪りません堪りません。
「君達は針山くんに頼りきっていたのに、彼をろくに見てはいなかった。彼が心身ともに疲弊してボロボロになっていくことに、何の関心も抱いていなかった。だから気付かなかった。彼がついに限界を迎えてこうして死ぬまで、無自覚な蹂躙をやめなかった。そして気付いたころにはこの有様さ」
ただし、と委員長は言葉を区切ります。
「この真実を受け入れるか否かは、君達次第だよ。君達が彼を寄ってたかって苛めるみたいに酷使し続け死に至らしめてしまったことを認め、彼の安らかな眠りを願い、罪を背負うか。あるいは、自分達が彼を殺したなんては認めずに、これまで同様に彼がどんな境遇に身を窶していたかなんて気にも留めないまま、別の真実を探すか。君達が選ぶんだ。真実なんて掃いて捨てるほどある」
私はついに堪えきれなくなって、爆笑しました。お腹を抱えて、力の限り哄笑します。
ああああああああああっ! 面白いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい! こんな悶絶必至の捧腹絶倒な話が他にあるでしょうか! ああああ、また鼻血が、涙まで! でも爆笑は止められません。だってだって傑作すぎるんですもの!
さてさてさてさて、しかしお楽しみはまだありますよ。弐年巳組はどちらを選ぶんでしょうか。ちゃんとどちらかを選べるんでしょうか。だってこの選択ばかりは、秀頼くんに任せられはしないんですからね! ああああああああああああああああああああ、楽しいよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!
4
「助かったッスよ、御加賀先輩。おかげで事件をこんなに早く解決できたッス。いやはや、さすがっすね、巫和くんの敬愛する御加賀先輩は」
美化委員会の教室に帰ろうとした委員長と私に駆け寄ってきた巫和くんが、そう云いました。
「君のためにやったんじゃない。僕は礎くんの頼みを聞き入れただけだよ。それに事件を解決なんてしていない。処理しただけだ」
やはり巫和くんに対しては冷たい委員長です。
「そうッしたそうッした」
巫和くんはへらへら笑いながら、ハサミの指環に右手の人差し指を通してくるくると回しています。どうしてハサミなんて持っているのでしょう。
「じゃあ失礼するよ、巫和くん」
「今回は色々ありがとうでした」
委員長と私は今度こそ、この場を去ろうと歩き出し――
「あっ」
巫和くんが急に体勢を崩し、私に倒れ掛かってきて――
「え」
――巫和くんの手に握られていたハサミの先端が、私のお腹に、突き刺さりました。
私は巫和くんに伸し掛かられるまま、後ろ向きに倒れていきます。
視界の隅に、珍しく目を見開いて驚愕を浮き彫りにした表情をしている委員長が、
「好奇くんっ!」
私は床に、したたかに頭を打ちます。
遅れてやってくる、腹部と頭部の燃えるような痛み。
遠のいていく意識の中では、委員長の取り乱した声と、それから、やけに軽々しい巫和くんの声が響いていました。
「あ、すンませんすンません。ちょっと足が滑っちゃったッス。本当申し訳ないッス」
嗤っているかのようでした。
5
目が覚めると、白い天井と蛍光灯がありました。
それからそこに、委員長の顔が加わります。私はどうやら仰向けで寝ていて、委員長がそれを覗き込んでいるみたいです。この感じは……ベッドの上でしょうか。
「ほけ、っ」
喋ろうとすると、お腹に痛みが奔りました。お臍の左あたりです。
「話さない方がいい。傷に響いてしまうからね」
委員長が、いつになく落ち着いた優しい声音をしています。
「うん、保健室だよ。あの後すぐに保健委員会の生徒を呼んで、処置してもらったんだ」
あの後……。そうでした。私は、足を滑らせた巫和くんにぶつかられて、そのときに彼の持っていたハサミがお腹に……。
「僕がついていながら、君がこうなってしまったのは本当に遺憾だ。迂闊だった。気が抜けていた。恥じ入るばかりだよ。ごめん、好奇くん」
「いえ……、だってあれは事故みたいなものじゃ、ないですか……」
傷口に響かないように落ち着いて話せば、別に話せないことはありませんでした。
「本当に事故だと思うのかい?」
「え……」
事故でないと云うなら、故意、ということでしょうか。
たしかにどこかわざとらしい感じはありましたが……。それから気を失う直前に見た、あの嗤った顔……。
「ともあれ、大事にならなくて良かったよ。お腹の傷もそれほど深くはなかったんだ。縫うこともない。傷跡は残ってしまうかも知れないが……」
「それは……困りますね……。嫁入り前の、身体ですのに……」
あ、と妙案が浮かびます。
「責任を感じているなら……委員長、私を、もらってくださいよ……」
「うん? ああ、いや、大丈夫、君の魅力はお腹の傷なんかじゃ小動もしないさ」
委員長は私の提案を華麗に(ちょっと強引に?)かわして、私に手を差し伸べました。
「起きられるかい? 今日は家まで送って行くよ」
「それは嬉しいです」
私は委員長の手を握って、委員長に引っ張られるかたちで起き上がります。
「危険だからね。当然の措置だ」
「危険、と云いますと?」
「巫和くんはあの後どさくさに紛れて姿を消した。いつ、どうやって仕掛けてくるか分からない」
委員長は真剣な面持ちで、眉間には皺が寄っていました。怒っている、のでしょうか? あの委員長が?
私は怖くなってしまい、委員長と巫和くんが実のところ一体どういう関係なのか、訊くことができませんでした。この私が。気になることを、胸に仕舞うしかありませんでした。




