処理
3
「どっちがどっちか教えて欲しいとのことだけど、真実は明瞭だ」
委員長は告げました。
「どっちもどっちでもない」
……なんだか肩透かしを食らったような気分なのは、わたくしだけでしょうか。
「無理もない話だよ。君達じゃなくても、他人の真似をするときについて回るリスク……それを突き詰めていけば、こういう結果になるのは道理さ。特に君達は二人で、しかも一卵性双生児で、それも容姿が有り得ないほどにまったく同じだから、その危険性も計り知れないくらいに大きくなってしまう。君達が何をしたのか、何をしでかしてしまったのか、説明しよう」
委員長は輪上姉妹のお二人を順々に見ます。不安そうで、祈るような表情のお二人。その格好から、おそらく今は二人ともが游夢さんになっているのだと推測します。
「學霧くんが游夢くんの真似をして、游夢くんが學霧くんの真似をする。これを何度も繰り返し、そうしている時間が増えると、いつからか自然と〈戻る〉ときの勝手が変わってくる。學霧くんが學霧くんに戻るとき、戻ろうと参照するのが〈學霧くんの真似をしている游夢くん〉になるんだ。本来の學霧くん像に〈游夢くんが真似をしている學霧くん像〉がどうしても影響を与えていくようになる。游夢くんにしても同じで、彼女が戻る游夢くんというのは〈學霧くんが真似をしている游夢くん〉だ。すなわち、游夢くんの真似をしていた學霧くんは學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をし始め、學霧くんの真似をしていた游夢くんは游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をし始めることになる。さっき君達自身が云っていたとおり、これは〈戻る〉という感覚ではない。戻ってなんていないのさ。むしろ進めている。次に訪れるのが何かはもう分かるね? 學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんが游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をし始め、游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた游夢くんが學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をし始める。まだだよ。君達はまだまだこれを繰り返した。游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんが學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をし始め、學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた游夢くんが游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をし始める。もちろんまだまだまだまだ序の口さ。君達は何年もこれを数えられないほどに繰り返しているんだから。さて次には學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた游夢くんの真似をしていた學霧くんが游夢くんの真似をしていた學霧くんの真似をしていた學霧くんの真似を――」
「もうっ、いいですっ!」
輪上姉妹が声を揃えて叫びました。
この期に及んでまで、やはり、どうしても、膝の上で握り締めた手も、充血した目も、震える唇も、荒い息遣いも、真っ赤な顔も、すべてが同じです。
「もう、分かりました……分かりました、から……」
「そうかい? まあたしかに口頭でやっていたら際限がないからね。それを長い年月をかけてやってきたのが君達なんだけどさ。うん、他人の真似をするというのは実はかなり危険な行為なんだ。このように、自分を見失ってしまう。君達の場合はそれを二人でやってしまったために、より簡単に、どんどんどんどん元のかたちから離れていくばかりだった。君達が〈元を辿れない〉と感じたのは、実にそのまま真実さ。君達はこうやって自分達というものから離れていき、自分達を殺してしまった。うん、どっちがどっちかと問われれば、どっちもどっちでもないと答えるしかない。もうどちらも死んでいる。君達は二人仲良く殺し合いをしたに等しい。もう本来の君達なんてものは遥か彼方、彼岸にいる。死んでいる。残念ながらね」
輪上姉妹はとうとう床に泣き崩れてしまいました。どちらがどちらか分からないどころか、どちらもどちらでもない、輪上姉妹ですらない、何者でもない、既に死んでいるお二人は、ただただ空虚に、現世に縋り付くかのように慟哭します。
委員長はそれに構わず、続けます。
「けれど生物学上はまだ生命活動を続けている君達だ。そう悲観しなくてもいいんじゃないかな。さながら生まれ変わったかのように、今日此処を新たな出発点にすることだってできる。それとも自分達の亡骸を求め、さらに果てしない真似し合いを、自殺し合いを、殺し合いを、まだ続けていくかい? 戻ろうとしては進行してしまい、手繰り寄せようとしては縺れてしまうだろう。まあどちらを薦めることもしないよ。だってこれは、君達が選ぶことだ」
でも、どちらにしたところで、お二人はもう……。
4
「ああ、お可哀想ですわ! あんまりですわ! ちょっとした悪戯心があっただけで、誰かを傷付けたのでもとんでもない悪事を働いたのでもないのに、まさか自分達を死なせてしまったなんて! これじゃあ全然釣り合っていませんわ! なぜ世界はこんなにも理不尽な悲劇で満ちていますの!」
輪上姉妹が帰った後で、わたくしは堪えきれずに泣き出してしまいました。だってお二人のことを考えると胸が締め付けられて、こうして恥も外聞もなく取り乱してしまうのも仕方がないことと思いますの。
「雨垂れ石を穿つ。塵も積もれば山となる。発端は他愛ない悪意だって、莫大な代償を負担する結果に至ることもあるのさ」
委員長はそう云って「さあ、その件はもう処理したんだから、いつまでも引き摺っていてはいけないよ。それが僕らの流儀なんだからね」と続けました。
「ええ、そうですわね……。それは分かっていますわ」
でも、でも、口ではそう云いつつも、涙はそう簡単に止まってはくれませんし、暗澹とした気分がすぐに晴れるわけでもありません。
委員長は肩をすくめます。
「美麗くん、親の葬式でもそう泣く人は珍しいよ」
「そ、その言には賛同する人は少ないと思いますわよ……」
ちなみに巫和さんももう此処にはいません。事件をひとつ処理するところまで見せたのだから見学は充分だろうと委員長に云われ、渋々帰って行きました。
「巫和さん、美化委員会に入るおつもりなのかしら」
「それは勘弁して欲しいね」
「委員長、巫和さんのことお嫌いですの?」
本人も帰ったので、訊いてみます。
「まさかね。誰かを嫌うというのは、誰かを好くのと同様に、相手に興味を持ち、特別視していることの顕れだよ。そして僕は自分にしか興味がない。この美しい僕自身にしかね」
「分かりましたわ」
答えたくないのですわね。
つまり、嫌いというより、苦手ということですか。委員長に苦手なものがあったとは驚きですが、納得する気持ちもあります。わたくし、委員長は以前から礎さんが相手ですとどうも圧され気味の観があると思っていましたの。ただ礎さんの場合はあくまで委員長を敬愛しているので苦手とまではいかず、仲良くやっていますけれど(委員に対しては実はかなりお優しい委員長でもあります)。
「美麗くん」
「なんです?」
見ると、先程までと打って変わって、委員長の顔つきが真剣な色を帯びています。
「今後、巫和くんが君に話し掛けてくるようなことがあったら、無視しなさい。何か聞いても、鵜呑みにしては駄目だ。君達にとっては、彼は少々良くない存在と見做せる」
「そ、そう……ですの?」
「うん」
委員長にしては強い口調です。
「僕からのお願いだ。聞いてくれるかな?」
わたくしは「ええ、無論ですわ」と答え、追及することはしませんでした。
何か、胸騒ぎがします。
5
すっかり日も暮れ、本日の業務は終了しまして、わたくしと委員長と泡槻さんは教室を出ました。あら、業務は終了と云いましたものの、いつもは意識しないのですが、巫和さんから指摘されましたとおり、わたくしは特に仕事らしい仕事をしていませんわね……。まあいいです。
わたくしは御手洗いに寄るために、委員長と泡槻さんとは途中で別れました。
委員会のみなさんとお喋りに興じている間に帰りが遅くなるのは常ですが、そのせいでいつも帰るころには校舎に生徒はほとんど残っていないことになります。調子が悪いのか、パチパチと点滅する蛍光灯に照らされるのみの薄暗い廊下を進み、人気のない御手洗いへ……いかにも気味が悪くて、嫌な感じですわ。
長い歴史がありますので怪談の類には事欠かない火津路高校です。わたくしは怖いものが大の苦手ですので周囲をきょろきょろと窺いつつ、一番奥の個室の扉を開け――
「あれ、偶然ッスね、皇さん」
「きゃあっ!」
扉を開けると、すぐ真正面に人影がありました。わたくしはあんまり驚いて思わず尻餅をついてしまいました。御手洗いの床にお尻をつくだなんて……。
「すンません。びっくりさせるつもりはなかったんスけど」
頭を掻きつつ気さくな笑みを浮かべて立っていたのは、巫和さんでした。
「ええ! 巫和さん、此処、女子用ですわよ?」
訊きたいことが飽和して、頭がパンクしそうになります。
「あはは、恥ずかしいところを見られちゃったッスね。ほら巫和くんも思春期の男の子なンで、つい出来心で女子トイレに這入ってみたくなるんスよ」
「さ、最低ですわ。ふしだらですわ。見損ないま――」
「おっと、冗談ッスよ。そんなに非難しなくてもいいんじゃないッスか?」
冗談であっても、こうして女子トイレの中にいる以上、弁解の余地なんてどこにもないと思うのですが……。
「とりあえず、立ち上がったらどうッスか?」
「あら、そうですわね」
「手、貸すッスよ」
「結構ですわ」
わたくしは立ち上がって、巫和さんから距離を取ります。
「退かないでくださいよ。巫和くんは、皇さんとちょっとお話がしたくて、此処で待ってたんスよ」
「……おかしくないかしら。こんな場所で――」
「こんな場所だからッス。此処なら、御加賀先輩のいない場所で、貴女とお話できるんスよ。貴女が帰りにこのトイレのこの個室を利用するのは、この一ヶ月間の観察で知ってるんスからね」
「一ヶ月間の観察……?」
委員長の言葉が頭をよぎります。巫和さんが話し掛けてきたら、無視するようにという忠告……いえ、お願い……。わたくしは踵を返して――
「待つッスよ」
巫和さんがすかさず、わたくしと出口との間に立ち塞がります。
「ただのお喋りッスよ。ちょっとくらい付き合ってくれてもいいんじゃないッスか?」
この人、どう考えても普通じゃありません。でも無理に逃げようとすれば、何をされるか……。
「御加賀先輩の仕事振り、痛快だったッスね。惚れ惚れしたッスよ。相変わらず、人を煙に巻いて真実を有耶無耶にするのが上手い。真実は掃いて捨てるほどある、でしたっけ? ただ御加賀先輩が輪上姉妹にした話なんスけど、あれってただ面白がってるだけじゃ駄目で、もっと深く考えてみないとなーって巫和くんなんかは思うんスよね」
わたくしはせめてもの反抗として、返事も相槌もしません。
「輪上姉妹に限らず、人間は全員、過去の自分なんて死んでるんじゃないッスかね。巫和くん、思い出そうとしてみたんスよ。中学生のころの自分、小学生のころの自分、幼稚園児のころの自分、それ以前の自分。昔なら昔なほど、断片的なものしか憶えてないッスよね。しかもその憶えていることっていうのが、どれも違和感ありまくりで。当時の思考とか、嗜好とか、その人間性全部なんスけど、今の自分と同一人物とはとても思えないんスよ。それどころか真逆だったりして、きっとあのころの自分が今の自分を見たら、本気で軽蔑するんじゃないかとか、色々思うんス。昔の巫和くんが憧れていたものとか、今の巫和くんはまるで興味が湧かないし、これって成長なんて言葉じゃズレてないッスかね」
巫和さんは「貴女もそうじゃないッスか? 皇さん」なんて訊ねてきます。わたくしは答えません。
「昔の自分、昔どころじゃない、昨日の自分ですら、今の自分とは異なっている。変質して変質して変質して変質して、もはや別人ッス。ほら、輪上姉妹の話と一緒で、Aさんに似ているBさん、Bさんに似ているCさん、Cさんに似ているDさん……って調子で繰り返していくと、AさんとZさんは似ても似つかないじゃないッスか。分かります? 昔の自分は、Aさんは、あの子は、死んでしまった。自分は何度も死んでるんス。この肉体が連続性を成り立たせているに過ぎないんスよ」
意図が読めません。その話をわざわざこんな場所でわたくしにする理由が、一向に見えてきません。
「どうッスか? 皇さん。昔の貴女は生きてるッスか? 昨日の貴女は、生きてるッスか? 死者を悼むように、その子達のことを思い出してあげてくださいよ」
「……わたくし、失礼しますわ」
これ以上は危険です。この人の話はわたくしを不安にさせる……これ以上聞いていたら、委員長が云ったとおり、良くないことになります……。
巫和さんの隣を横切り、御手洗いから出て行くわたくし。彼は追っては来ませんでした。




