依頼
清く正しく美しく
――どこかのクラスの学級目標
1
火津路高校の校舎内は茫洋としている? 漠然としている? 曖昧模糊としている?
まあとにかく全体像を掴みかねる様相だから、私が足繁く通うこの教室――美化委員会が根城としている教室の位置を言葉で説明するのは残念ながら叶わない。
それでも辿り着くことはできて、なぜなら人間とはそういう生き物だからだ。どうやって呼吸しているのか、どうやって歩行しているのか、どうやって生きているのか――当たり前におこなっている諸々でも、そんなふうに改まって訊かれたら困惑してしまうだろう。
「――ところで聞いてくださいよ、委員長。昨日の夜に冷蔵庫からぱあんって大きな音がしたもんだから私、本当にびっくりしたんですよ。ぱあんって、パーティーのときに鳴らすクラッカーみたいな間抜けな音じゃないんですよ。分類するなら銃声ですよ。撃たれたと思って自分の身体を検めたくらいなんですよ。それから冷蔵庫を開けて見ると冷凍庫の中でコーラのペットボトルが破裂していたんですよ。しゅわしゅわしゅわって小気味良い音がしてて――」
これは私が話しているのではない。私はこんな頭が悪そうな話し方はしない。教室に這入って真っ先に聞こえてきた耳障りなこの声は礎のものだ。御加賀の隣に腰掛けて、自転車に乗る人が加速するときに見せるような前傾姿勢で話している。
最悪の気分。私は露骨に舌打ちしたが、これは失敗だった。礎の顔がぐわんと風を切って、こちらに向いたからだ。
「あ、副委員長、こんばんはですよ。今の話、聞きました? 風呂上がりの喉を喜ばせてあげようと思って買い溜めしたコーラが――」
「炭酸飲料は凍らせると爆発するんだよ」
「え、じゃあですよ、人間を炭酸飲料と同じ成分にしたら、凍らせて爆発させられるんでしょうか!」
「それはもはや……はあ……」
真面目に取り合うのも馬鹿馬鹿しいと思って、私は途中で切り上げた。
それから礎と御加賀から離れた席に着いて読書しようと本を開いたところで、
「梢くん、お客さんだ。矢部公平くん」
偉そうにふんぞり返って、さらに足まで組んで椅子に座っている御加賀が手で示す方向に目を向けると、そこには見慣れない男子の姿があった。男子にしては髪が長く、薄い茶色に染めてあり、風貌としてはありふれた軽薄そうな男子高校生そのものだ。
「はじめまして。壱年寅組の八木洋平です」
こちらがひとつ上の学年だからか、八木と名乗った男子は案外礼儀正しく、むしろ幾分か緊張した様子だった。私はいちおう、会釈だけは返した。
「ははは。梢くんは人見知りする女の子なんだ。気を悪くしないでくれ、矢部くん」
「私は無愛想なだけだ」
八木が気を悪くするとしたら、先程から名前を間違え続けている御加賀に対してだろう。
「それじゃあ矢部くん――」
「八木です」
「うん、八木くん、梢くんも来たことだから、事情を説明してくれよ」
「はい。えーっと……」
八木は天井に視線を向け、どう話したものか困っているみたいだ。自分から来たなら、そのくらい考えておけよと思う。
「俺の恋人が消えてしまった……ような気がするんです」
奥歯に物が挟まったような云い方だ。
「と云うと?」
御加賀が続きを促す。
「俺には恋人がいた……ような気がするんです。でもいつからか、消えてしまった……ような気がするんです。前までは特別意識もしていなかったんですけど、それでも時々ふとそんな感覚に捕らわれる……ような気がするんです。そんな感覚に捕らわれるのは決まって幼稚園のころからの幼馴染の四人といるときで、四人全員でなくとも、そのうちのひとりでもいればそんな気がする……ような気がするんです」
「ような気がするんです、というのは君の口癖?」
御加賀が質問を挟む。
「いえ、違いますけど、この話は全部〈ような気がする〉の域を越えないと云いますか……確信が持てない事柄しかない……ような気がするんです」
「それはそれは、おかしいですね。奇妙ですね。面白いですね」と楽しそうな礎。
「だってそれも仕方ない……ような気がするんです。俺はその恋人の名前も外見もよく思い出せない……ような気がするんです。この高校では人がよく消えますけど、俺の恋人に関しては消えた記憶だけでなく、消えた記録もない……ような気がするんです。俺の恋人の消失に誰も気付いていない……ような気がしますし、だから誰も問題にしていないどころか気に掛けてもいない……ような気がするんです。だから何の事件も起きていない……ような気がするんです。はじめからそんな人はいなかった……ような気がするんです。だけど幼馴染の四人といるときなんかは嫌でも、俺には以前恋人がいて、その人はいつからか消えてしまったという気がしてしまう……ような気がするんです。それで最近はそれが四六時中つきまとうようになってしまった……ような気がするんです」
真摯な表情で語った八木は、そこで深々と頭を下げた。
「ですから美化委員会に依頼したいんです。どうか、いたような気がする俺の恋人を探してください」
「うん。うんうんうんうん」
御加賀は首の筋肉を鍛えているみたいに何度も頷いてから、
「その事件、綺麗さっぱり美化委員会が解決します」
と高らかに宣言した。
「本当ですか。ありがとうございます」
八木は安堵したのか、表情が幾分か穏やかになった。
「実はこの依頼は美化委員会の前にも三つの委員会にしていたんですけど、どこからも断られてしまい、諦めかけていたんです……。でも美化委員会はそういう依頼を取り扱ってくれるという話を耳にして」
「うん、そうだよ。僕達の仕事はゴミ処理だ。残飯みたいでも絞りカスみたいでも訳あり商品みたいでも粗悪品みたいでも排泄物みたいでも、そんな他では受け取りしないゴミを処理してやろうというコンセプトなのさ。だから君が持ってきたゴミもちゃんと受け入れるよ。ところで君の依頼を断った三つの委員会と云うのは?」
八木は御加賀の酷い物云いに苦笑しつつも、
「風紀委員会、飼育委員会、探偵委員会です」
「探偵委員会!」
礎が反応した。彼女は探偵委員会を辞めて、と云うか逃げ出して此処にやって来たのだ。
「あそこはいけませんねえ。あそこの連中は全員が自分を優秀で高貴な身分と信じて疑わない勘違い野郎ばかりですからねえ。好奇心を探求心と云い換えて自己弁護を図る高慢ちきな野郎ばかりですからねえ。依頼を受け入れられなくて良かったってなもんですよ」
礎好奇。下世話で無遠慮で不躾な〈好奇心〉という感情を誰よりも愛し、それに突き動かされることを指針に据えている女子である。
「早速、調査を開始しよう。今回の件は、美化委員会委員長である僕、御加賀清吉と、副委員長である彼女、憂端梢であたらせてもらうよ」
御加賀は顎で私を示した。
「嫌だなあ」
極めて面倒臭いが、しかし順番的に今回が私なのは予想していたことである。もっと単純な事件を担当したかったけれど、まあ仕方ない。御加賀の尻を叩いて早く済ませるよう仕向けるだけの仕事だ。なんて思っていると、礎が難癖をつけてきた。
「委員長、大丈夫なんですか。副委員長ってやる気に欠けるじゃないですか。こんな厄介そうな事件は荷が重いんじゃないですか。やっぱりここは私が登坂して、ついでに副委員長の座にも私がつくべきじゃないですか」
表向きは無垢な笑顔を浮かべている礎だが、その心のうちではどろどろとした思惑ばかりが渦巻いていることを私は知っている。この際だからはっきり云っておこう。
「礎、副委員長は私だ。私の仕事振りを見て自らの無力を恥じろ」
だけど、これはひょっとすると、うまく乗せられただけなんじゃないだろうか、と遅れて疑念が湧く。私を炊き付けるための挑発だったのでは……。
不意に苛々して、私は床に嘔吐した。
2
「毎度毎度、君の吐瀉物を掃除する僕の身にもなって欲しいものだよ」
私には嘔吐癖なるものがある。苛々すると所構わず吐いてしまうのだ。それを進んで掃除してくれる御加賀には少なからず感謝しているけれど、でもそのたびに決まって聞かされる台詞に私が辟易しているのも事実なのでおあいこだと思っている。
思っていると、やはり御加賀はありもしないカメラに向かってポーズを取るようにしながらその台詞を述べた。
「もっとも、こうして汚物にまみれてこそ、僕の美しさが際立つのだがね」
御加賀清吉。美化委員会の委員長である彼は重度のナルシストだ。この委員会を組織したのも、彼の美意識、あるいはその延長線上にある美化意識というものが根底にある。
機会があればその伸びきった天狗鼻をへし折ってやりたいが、あいにくと彼が優秀であるのは確かで、なんと云うか、面倒なので勝手にしてくれというのが私の心境だった。
「さて掃除は完了だ。惚れ惚れするような完璧な仕事だ。無論、惚れ惚れするのは僕に対してさ。そうだろう?」
「はいはい」
私は適当にあしらう。
「さて、谷野くん――」
「八木です」
「うん、八木くん、お友達は来てくれそうかい?」
御加賀が掃除をする間、八木は先程の話に出てきた幼馴染の四人とやらに連絡を取り、この教室に来るように伝えていた。
ちなみに礎は、副委員長ったらまたお見苦しいものを云々お客様を前に恥さらしも云々と私に喧嘩を吹っかけてきたあたりで、委員同士の喧嘩こそ客人に見せられたものじゃないし彼女はこの件の担当ではないからということで御加賀に帰るよう云われ、不承不承といった様子で帰って行った。
なので此処には今、私と御加賀と八木の三人しかいない。
「はい。全員、そろそろ到着するころと思います」
云うが早いか、教室の扉が開いて、四人の男女が這入ってきた。男子が二人と女子が二人。なるほど、八木と同じところにカテゴライズされるだろう外見だ。突き抜けて一般的で平凡極まりない〈ほどほどイケている〉高校生というやつだろう。
隣同士に腰掛けた私と御加賀。それと向かい合うかたちで八木たち五人。まるで面接試験のような格好となる。御加賀に促され、八木の幼馴染だという四人は順々に自己紹介した。
「岩馬淵翔吾です」と、日焼けして見るからに体育会系な男子。
「木場崎賢輔です」と、長身で髪をワックスで固めた男子。
「石井理梨花です」と、茶髪で頭の悪そうな女子。
「岡田沙耶絵です」と、茶髪で頭の悪そうな女子。
中身のなさそうな連中である。こうして依頼人として向こうからやって来ない限り、私なんかは絶対に関わり合いになりたくない人種だ。ああ、また吐きそうになってきた。
「手羽先くん――」
「木場崎です」
「うん、木場崎くん、ちょっと立ってくれるかい?」
指示されたとおり立ち上がった木場崎のすぐ正面まで御加賀は歩み寄った。木場崎は長身だが御加賀も長身であり、両者の背丈はほとんど同じに見える。
すると御加賀は突然、木場崎の髪――ワックスで固めてある髪を、上から押し潰した。
「うん、僕の方が高い」
御加賀は満足気に頷きながら、ポケットから取り出したハンカチで手を拭いた。木場崎は怒りというより困惑している様子だ。
「もう座っていいよ」
御加賀は次に、石井と岡田の前に立って二人を見下ろした。
「石井理梨花と岡田沙耶絵と云ったね」
珍しく一発目から名前を間違えなかったかと思うと、
「僕には君達の見分けが付かない」
出し抜けに失礼なことを云った。顔を見合わせる石井と岡田。
「君達が一卵性双生児とかそういうことを云っているんじゃないんだよ。髪型といい、格好といい、佇まいといい、君達はあまりに没個性だから、識別に必要な特徴がなくて困ると云っているんだ。……梢くん、ハサミを持って来てくれ」
御加賀が何をするつもりか察して呆れた気持ちになりつつも、私は教室の端に置かれた棚から「梢くん、動作が緩慢すぎはしないかい。まるで老人の如くじゃ――」「うるさい」棚からハサミを探し出して、それを御加賀に渡した。
「あ、あの……」
不安そうな表情を浮かべる女子二人のうち、石井の方の前髪を、御加賀は躊躇なくバッサリと切り落とした。
「ちょっと何やってるんですか!」
「いやああああああ!」
騒然とする女子二人。
「うん、これで少なくとも見分けは付く」
御加賀は満足気に頷きながら、ポケットから取り出したハンカチでハサミの刃を拭いた。
「おいあんた、さっきから何なんだよ!」
椅子を派手に倒しながら立ち上がった岩馬淵が御加賀に迫った。
「ああ、暇潰しくん――」
「岩馬淵だ。ふざけてんのか!」
「まさか。大真面目さ。八木くんからの依頼を引き受けた以上、これらはすべて必須の過程だよ。君は食事の前にテーブルクロスを敷かないのかい?」
それは私も敷かない。
岩馬淵は御加賀に掴みかかりそうな勢いだったが、八木が必死で宥めた。怒り心頭の岩馬淵と、それを抑えようとする八木と、唖然としている木場崎と、今にも泣き出しそうな石井と、それを慰める岡田と、ただひとり余裕綽々の御加賀、という図である。
「ところで八木くん、君はこの四人と共にいると自分に恋人がいたような気がするのだと話していたけれど、今もそうなのかい?」
「あ、はい、そうですね……。ただ最近はもう常にその気がし続けているんですけど、はい、やっぱりみんなといるときはより強くそんな気がします」
「それで君達四人は、八木くんの話についてどう思っているんだい?」
御加賀はみなの顔を順々に見ていく。むき出しになった額を手で押さえて怯えた様子の石井と警戒心むき出しの岡田と怒りむき出しの岩馬淵は答えるつもりがなさそうで、潰された髪型を元に戻し終えた木場崎が口を開いた。
「俺達も洋平の話を――」
「洋平?」
「八木洋平ですから」
「うん、八木くんの話を?」
いい加減に名前を憶えろ。
「洋平の話を頭ごなしに否定はできないんです。心当たりがないと云えば嘘になる」
それから四人が口々に語った要領を得ない話を私がまとめてやるとこうである。
八木の言を聞いてみると、たしかに四人とも、八木の恋人にあたる女子がかつていたような気がする。それまではそんな気は一切していなかったが、八木に云われて意識の俎上に上がった。
ただし確証はなく、他の人に話を聞いたり、生徒の名前が取り留めなく延々と綴られた名簿と睨めっこしたりしてみても、手掛かりは一向に得られない。八木を含めた五人だけが、少なくとも現在はいもしないその女子の残滓めいたものを感じるのみ。
そしてもう一点。八木を除いた五人は八木の恋人なる者がいた気がする際に、決まってある教室のことが脳裏に浮かぶらしい。四人が思い浮かべたその教室というのは一致しており、しかし其処がいたのかどうかも知れない八木の恋人とどういう関係があるのかは分からないようだ。それに八木は、その教室について感じるところはないと云う。
そこで御加賀は早速、四人にその教室へと案内させた。四人とも御加賀のことを当然ながら快く思っていないみたいだが、八木の説得により辛うじて従っている。あとひとつでも御加賀が彼らに無礼な行いをすればたちまち崩れてしまうような均衡である。
面倒な事態を回避したい私は御加賀に充分注意するよう釘を刺した。「比喩でなく本当に釘を刺す奴がいるかい」御加賀は私が釘を突き立てた背中をさすりながら、さすがに私の忠告を受け入れたようだった。それはともかくとして、
「なんの変哲もない教室だね」
火津路高校には使用されていない空き教室がいたるところにあり、八木の幼馴染たちが私達を連れて来たのはそのひとつだった。周囲に人影が皆無なのは、今が放課後だからではなく、いつもそうなのだと思われる。薄暗くて寂れた一角だ。
「だがこの埃の量はいただけないな。梢くん、掃除が必要だと思わないかい?」
教室の中に這入った御加賀はそう云った。施錠はされていなかった。
「私はやらないぞ」
「手伝ってくれなんて云ってないだろう。君に掃除させると余計に散らかるからね」
「な、なんだと……」
心外だ。この場に八木たちがいなかったら何をしたか分からない。つまり八木たちの前なのでこの苛々のやり場がない。
「う、吐きそう……」
「一日に二回は勘弁してくれよ。……ところで君達、この教室がどうしたって?」
「それが俺らにも分からねえんだよ。さっき云っただろ」と岩馬淵。
「だけど来てみるとやっぱり、何かあった気がするわね」と岡田。
「ああ。いくら証拠がなくても、洋平には恋人がいた気がする」と木場崎。
「そうね。でも駄目。何も思い出せないよ」と石井。
「うーん、俺はこの教室からは特に何も……」と八木。
御加賀はともかく、こいつらも相当ふざけているように見えるのは私だけだろうか。ふざけてはいないにしても、間抜けであるのは間違いない。
「試しに歩き回ってみてくれよ。思い浮かぶことがあるかも知れない」
御加賀に云われるままに五人は室内を徘徊した。机や椅子はすべて後ろに下げられており閑散としているため、開放的に歩き回れる。だが待てど暮らせど、五人に閃きが訪れる兆しはなかった。
「他には何かあるかい? 一見無関係そうでも、引っ掛かることがあるなら遠慮せずに話して欲しい。それが解決への足掛かりにならないとも限らないからね」
しかし五人は互いに顔を見合わせ、浮かない表情を見せるばかりである。
ああ、煮え切らない。悶々としてくる。苛々としてくる。吐き気が込み上げてくる。だが此処でまた嘔吐するわけにもいかない。この短時間で二回も吐くのは私だって嫌だ。
なので私は胃の中身ではなく、不満を吐き出すことに決めた。
「おいおいおいおい何なんだよお前ら」
御加賀も含め、全員の視線が私に集中する。
「さっきから煮え切らない態度ばかり取りやがって。幼馴染とかいう四人はまだしも、八木、お前は本当に私達に悩みを解決して欲しいと思ってるのか? そのために誠心誠意、協力を惜しまない姿勢を示してるのか?」
止まらない。一度吐き出したら、吐き終えるまでは決して止められないのだ。
「木場崎、岩馬淵、岡田、石井、お前らは依頼人じゃないからって手を抜いていていいのか? 幼馴染だか大親友だか知らないけどさ、八木の苦悩なんてどうでもいいのか? 所詮はうわべだけの付き合いで、形式的になし崩し的に協力する体裁をとって後は野となれ山となれの日和見主義か? 薄情だよな、見かけどおりの薄っぺらさだよな」
ニヤニヤしている御加賀以外は全員が鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。それがまた私を刺激する。
「外面を飾ってノルマをこなして一丁前のつもりになってやがる。大仰なのは名前だけで中身はすっからかんの連中だよな。お前らの友情っていうのはそんなもんなわけ? ここで力を入れたら他がおろそかになるとか、そういう計算があるのか? そういう損得勘定で人間関係やってるのか? お前らにとって人間関係は市場経済なのか?」
私は教室の中央に進み出た。
「ああああ、面倒臭い。お前らのためにこれ以上の手間も暇も費やしたくない。だから私が解決してやる。よく聞いておけよな。ミステリにおける解決編だぞ」
そして私は告げる。
「すべて〈気のせい〉だ」
御加賀を除いて、唖然とする一同。
「考えるまでもないことだよ。お前ら散々〈気がする〉〈気がする〉って連呼してたじゃないか。つまりお前らにとってこの事件が起こった理由は〈気がする〉というだけで、なら犯人は〈気〉ってやつで、要するに〈気のせい〉なんだよ。分かったか? すっきりしたか? 事件は解決だ。疑問はすべて綺麗に片付いたな」
静まり返る教室。やがて岡田が八木に小声で「洋平、大変な人達に依頼しちゃったのかもよ」と囁くのが聞こえた。やっと気付いたのか。
3
美化委員会が使っている教室に戻る道中。御加賀が八木たちを「今日はもう帰っていいよ」と云って帰らせたので、彼と私の二人だけだ。
「いけないな、梢くんは。あの推理は乱暴が過ぎるよ。相変わらず面倒臭がりなんだから。仕事が雑なのはもしかして、副委員長なのに雑用ばかり押し付けられることに対する皮肉かい?」
「違うよ。それよりも、私に押し付けてるのが雑用だって意識があったのかよ」
ぶん殴りたい。
「だいたい依頼が乱暴なんだから、解決だって乱暴になるのが道理じゃない? 気がする気がするって、投げっぱなしも良いところだ」
「梢くんの推理が間違いだとは云っていないよ。それだって立派な真実だ。でもこの場合求められているのは別の真実だ。知ってのとおり、真実なんてものは掃いて捨てるほどある」
そうだった。それが御加賀の持つ哲学……いや、美学で、それには私も同意するのだ。
「僕らの仕事は謎を解明することじゃない。一般的に望まれる真実の究明なんてどうでもいい。僕らの仕事は事件を処理することさ。持ち込まれたゴミを処理して綺麗にすることなのさ」
「重々承知してるよ。でも御加賀、今回はこれ以上考えられないんじゃない?」
「いいや、当然そんなことないよ。まあ僕が綺麗に華麗に格好良く解決するさ」
いちいちありもしないカメラに向かってポーズを決めるのが本当に鬱陶しい。
気付くと美化委員会の教室に着いていた。中には委員のひとりである皇の姿があった。
「あら、御機嫌よう、委員長と憂端さん。お二人でどちらへ行ってましたの? もしかしてわたくし、お邪魔かしら」
皇は紅茶で満たされたカップを片手に微笑んだ。
「変なからかい方はやめて」
面倒臭い人が来たものだ。
「また厄介な依頼が来たから、現地調査と洒落込んでたんだよ」
「厄介な依頼と云いますと、何か物騒な?」
皇の表情が引きつる。別段物騒なところはないと答えると、安心したふうに溜息を吐いた。
「悲惨な事件はたくさんですわ。聞きましたか、また学園内で死体が発見されたのですよ。一連の猟奇殺人と同一犯だとか。被害者は一年の男子生徒で、全身を……なんて云ったでしょうか、あれですよ、あれ、あの野菜や果物の皮を剥く際に使用する……」
「ピーラー?」
「そうです、全身の皮をピーラーで剥かれていたそうなんですわ。と云いますのも、被害者はジャガイモというあだ名だったのが理由じゃないかという話で……」
皇のカップを持つ手が小刻みに震え始める。
「あんまりだと思いませんか? 被害者のかたのことを思うと、非常に遺憾ですわ。太った体型に角ばった顔というだけで野菜の名前で罵倒され、さらにそれが原因で心無い殺人鬼に全身の皮を剥かれて殺されるなんて……いえ、全身の皮を剥かれただけでは絶命には至らず、死因はその後熱湯に入れられて茹でられたことだと云うのですが……」
とうとう皇は泣き出した。
「ジャガイモ農家のかただって可哀想ですわ! ジャガイモには何の罪もないのに、とんだ風評被害ですわ! 彼らはただ、みな様にジャガイモを美味しく召し上がっていただこうと――」
もう聞いていられない。
皇美麗。美しい容姿と優雅な佇まいのお嬢様だが、過剰な感情移入を癖としていて、一旦それが始まるとひどく取り乱して泣き出す始末なのだ。まあ私から見ればお嬢様という部分だってそれっぽいというだけでパチもんに過ぎない印象なのだが。
「でもその連続殺人事件、これで被害者は五人目か? 解決の依頼がうちに来なけりゃいいんだけど」
来たところで、八木の件が終わればしばらく私には出番が回ってこないから困らないか。
「そのくらい派手な事件は探偵委員会なんかが受け持つさ。うちに来るのはあらゆる場所をたらい回しにされたゴミだけだからね。もっとも、そんなゴミを愛でられるのは僕だけだから僕の誇りだし、ゴミが放置されるのを見過ごせないのも僕の美意識だよ」
それから頭を抱えて「ああ、格好良いぞ僕」とひとりで打ち震える御加賀だった。
「それで御加賀、八木の件はどうするの? さっき、案はあるみたいな発言をしてたけど」
「ああ、その件はね、もう解決したも同然さ」
御加賀は当たり前のように云った。表現を誇張することはあっても虚勢を張ることはない彼である。
「八木くんの恋人の居場所も分かっているし、なぜ消えたのかも、なぜその記憶や記録すら抹消されているのかも、何もかも僕には分かっているんだからね」
「じゃあのんびりしてないで、さっさと八木たちを呼んで教えてやりなよ」
「いいや、一日おいて告げた方が彼らも受け入れやすいと判断したのさ。梢くんがあんな推理を披露した後じゃあ、僕も雑にやっていると思われてしまうだろう?」
「……悪かったね」
なら私の〈吐き出し〉がなければ、もう今回の件は片付いていたのだろうか。だとすると顔から火が出そうだが……。
「そう卑屈になるなよ、梢くん。君はペシミスティックでいけないな。今回は君の功績によるところが大きいよ。君のおかげで僕はその真実に到達できたんだからね」
単なる励ましや気休めで云っているのではなさそうだ。そういう気遣いとは無縁の男である。しかし私の何が彼のインスピレーションに貢献したのだろうか。
「明日の放課後、八木くんとその幼馴染諸君を集めて、すべてを話すよ。それまでに梢くんも考えてみるといい。八木くんの恋人は〈気のせい〉なんかじゃなく、本当にいたのさ」