そのロボットに感情はなかった
遠い未来の、どこかの国で、人間とロボットは共存していた。そのロボットはお世辞にも人間ぽいとは言えないが、人型をしていて、ある程度のことは自分で考え、会話もする。力もあり、耐熱性や耐水性にも優れていたので、人間には出来ない仕事を主に請け負っていた。人間は人間で、学校でロボットのメンテナンスの仕方などを習うような時代になっており、人間は誰もがロボットのメンテナンスをしてあげられるようになっていた。ロボットは人間のために働き、人間はロボットのためにメンテナンスを欠かさない。そうやって、人間とロボットは支え合って生きていた。
人間は、ロボットが羨ましかった。熱いも冷たいも感じない。嫌なことも感じないし、苦しいとも感じない。悲しいと感じることも、怒りを感じることも、決してない。そんな、感情をもたないロボットたちが、人間は羨ましかった。人間は疲れていたのだ。何年経っても争いは絶えず、戦争はなくならない。学校でのいじめ問題は未だにはびこり、自殺する人間も後を絶たない。どれもこれも、人間が嫌だと感じることがいけないんだ。苦しいと感じることがいけないんだ。いっそ、感情なんてものがなくなれば、世界は平和に暮らせるのに。いつしか人間は、そう考えるようになっていた。
ロボットは、人間の考えることが分からなかった。何故、嫌だと感じることがあるのだろう。苦しいと感じることがあるのだろう。悲しみとか怒りとかって、一体どんな気持ちなんだろう。それもそのはず、ロボットには感情がなかった。感情がないのだから、人間が感情のない自分たちを羨ましいと思う気持ちも分からなかった。確かに感情が無くて、悪いことがあったことなどないけれど。良いことだって、別にないと思うけど。
ある時、ロボットは公園で逆上がりの練習をしている子どもを見かけた。子どもは泥だらけになりながら、ずっと逆上がりの練習をしていた。ロボットは尋ねた。
「君は、誰に逆上がりをやりなさいと命じられたんだい?」
子どもは不思議そうな顔をした。別に、誰かに言われたからやっているわけではない。出来ないのが嫌だから、練習しているのだと。ロボットは分からなかった。出来ないのが嫌というのは、一体どういう気持ちなのだろう。出来ないものは、出来ないのだろう。それは仕方のないことで、どうしようもないのではないのだろうか。その子は、来る日も来る日も練習していた。ロボットは、毎日その姿を見かけていた。あんなことをして、何が変わるのだろうか。ロボットには分からなかった。
何日か経って、その子はついに逆上がりが出来るようになった。とても嬉しそうに笑っていた。ロボットは、何故笑っているのか分からなかった。ロボットは尋ねた。
「君は、どうして笑っているんだい?」
子どもは答えた。
「逆上がりが出来ないことが嫌だったから、今まで苦しい練習を頑張れたんだ。そして、やっと出来るようになって、今はとっても嬉しいんだ。だから、もしまた何か出来ないことが出てきても、またこの嬉しい気持ちになるために頑張れるような気がするよ。」
ロボットは全然分からなかった。人間にとって苦しいとは、捨ててしまいたくなるような感情なのではなかったのか。嫌だという気持ちも、要らない感情ではなかったのか。それなのに、苦しいと言った練習を頑張れたのは、嫌な気持ちがあったからなのか。そして、嬉しいとは一体何なのか。その感情があるだけで、どうして次も頑張れるように思えるのか。
その後ロボットは、自分のメンテナンスのときに人間にこういった。
「ボクに、感情をもたせて下さい。」
人間は何故そんなことを言うのか分からなかった。感情なんて、あっても辛いだけだよと。
「ロボットは、出来ないものは出来ないままです。ロボットは変われません。でも、ボクが見た人間は、出来なかったことを出来るようになれたのです。何をしても変わらないと思っていたのに、人間は変われたのです。それは、きっと感情があったからなのでしょう。ボクは以前、感情なんて無くてもいいと思っていたけれど、そんな人間を見ているうちに、感情をもつ人間をいつしか羨ましいと思うようになったのです。ボクも変わってみたいのです。」
それを聞いて人間は、こう答えた。
「なんだ。それならもう、もっているじゃないか。」