婚約破棄された聖女ですが、喜びのあまり女神様の祝福が発動しました。
「セレスティア! 私はお前との婚約を破棄する!」
王宮の大広間に、アルフォンス王太子殿下の声が響き渡った。
私は思わず両手で口を覆った。
「……本当ですか?」
「ああ、本当だ! 私はマリアンヌを愛している。お前との婚約は、今日限りで終わりだ!」
殿下は隣に立つ令嬢の肩を抱き寄せた。
まあ。
まあまあまあ!
「ありがとうございます!」
「…………は?」
「本当に、ありがとうございます! お二人の末永い幸福を、心よりお祈り申し上げます!」
殿下が目を丸くした。
「な、何を言っている?」
「だって、婚約破棄ですよね? 私はもう、王太子妃にならなくてよいのですよね?」
「そ、そうだ!」
「では、神殿に帰ってもよろしいのですね!」
「……好きにしろ!」
なんて素晴らしいのでしょう!
十年前、私は神殿から王宮に迎えられた。
歴代でも特に強い聖女の力を持つと判明し、王国を守るために王太子殿下との婚約が決まったのだ。
それからというもの、朝から晩まで王太子妃になるための勉強ばかり。
礼儀作法に外国語、歴史、政務。
もちろん、お祈りも欠かさなかった。
大好きなお祖父様とは年に一度しか会えず、神殿での暮らしを懐かしく思う日々だった。
でも、今日で終わり!
私は自由になれる!
「殿下! どうかお二人に、女神様の祝福をお贈りさせてください!」
「……好きにしろ。どうせお前にできるのは祈ることだけだ」
「ありがとうございます!」
私はその場に膝をつき、両手を組んだ。
女神様。
いつも私たちをお守りくださり、ありがとうございます。
今日、私は長年のお役目から解放されることになりました。
どうか、私を自由にしてくださったお二人に、最高の祝福を。
「女神様! お二人の新たな門出を、どうか王国中の皆様とともにお祝いください!」
その瞬間だった。
ゴオオオオオオオオオッ!
「きゃあっ!」
「な、何だ!?」
大広間の天井を突き抜けるように、黄金の光が噴き上がった。
窓の外が真昼のように輝き、王都の大聖堂から鐘の音が響き始める。
一つ。
二つ。
三つ。
やがて王都中の鐘が鳴り響いた。
そして空いっぱいに、巨大な黄金の文字が浮かび上がった。
『祝福』
続いて、アルフォンス殿下とマリアンヌ様の姿が、空に大きく映し出された。
『王太子アルフォンス、聖女セレスティアとの婚約破棄、おめでとうございます』
『新たなる伴侶マリアンヌとの幸福を、王国のすべての民とともにお祝いしましょう』
私は呆然と空を見上げた。
女神様。
そこまでしてくださるのですか!
「なんて素晴らしいのでしょう!」
感激して涙がこぼれた。
ところが、殿下は真っ青だった。
「ま、待て……王国のすべての民だと?」
「はい! 女神様が王国中の皆様にお知らせくださったのですね!」
「そんなことを頼んだ覚えはない!」
「私がお願いしました!」
「なぜだあああああ!」
なぜと言われましても。
お祝い事ですから。
そのとき、空から優しい女性の声が響いた。
『セレスティア。よく頑張りましたね』
「……女神様?」
『あなたは十年間、毎日欠かさず人々の幸せを祈ってくれました。私も、あなたの幸せを願っています』
大広間が静まり返った。
『もう王宮にいる必要はありません。迎えに来ましたよ』
「えっ?」
私の足元に、黄金の光が集まった。
ふわり。
体が宙に浮く。
「きゃっ!」
驚いて見上げると、天井の向こうに青空が広がっていた。
私の体は光に包まれ、ゆっくりと空へ昇っていく。
「ま、待て! セレスティア!」
殿下が手を伸ばした。
『あら。アルフォンス王太子』
女神様の声が、少し弾んだ。
『あなたにも、お礼をしなくてはいけませんね』
「お、お礼……?」
『大切なセレスティアを自由にしてくださったのですもの。あなたとマリアンヌにも、私から特別な祝福を贈りましょう』
殿下とマリアンヌ様の周囲に、黄金の光が降り注いだ。
『二人が寄り添う限り、いかなる悪意も、いかなる魔物も、二人とその周囲の人々を傷つけることはできません』
「なっ……!」
『これからは、いつまでも二人で仲良くお過ごしくださいね』
「ありがとうございます、女神様!」
私は空の上から叫んだ。
「殿下! マリアンヌ様! どうか末永くお幸せに!」
「待てえええええ!」
殿下の声が遠ざかっていく。
私は黄金の光に包まれながら、王都を見下ろした。
なんて美しい景色。
そして、なんて素敵な日なのかしら。
◇
気がつくと、私は神殿総本山の中庭に立っていた。
「セレスティア!」
「お祖父様!」
駆け寄ってきたのは、神殿の最高責任者である教皇――私の大好きなお祖父様だった。
私はその胸に飛び込んだ。
「ただいま帰りました!」
「おお、おお……よく帰ってきた!」
お祖父様は私をぎゅっと抱きしめた。
「女神様からお告げがあったのだ。孫を迎えるようにとな!」
「女神様が、こちらまで送り届けてくださったのです!」
「そうか、そうか!」
お祖父様は何度も頷いた。
「もう王宮へ戻る必要はないのだな?」
「はい! 婚約を破棄していただきました!」
「そうか!」
お祖父様は満面の笑みを浮かべた。
「それはめでたい! 今夜は祝宴だ!」
「まあ! ありがとうございます!」
私は十年ぶりに、心からくつろいだ気持ちで笑った。
◇
それから二週間。
私は神殿総本山で、穏やかな毎日を過ごしていた。
朝はお祈り。
昼は神殿のお仕事。
夕方にはお祖父様とお茶を飲む。
ああ、なんて幸せなのかしら。
そんなある日、私宛てに一通の手紙が届いた。
差出人は、アルフォンス殿下。
「まあ! 殿下からお手紙です!」
私は封を切った。
そして、一行目を読んで目を瞬いた。
『セレスティア! 頼む! 女神様の祝福を取り消してくれ!』
「……えっ?」
どういうことかしら。
私は続きを読んだ。
『お前が去った翌日から、王国の国境に魔物が現れ始めた。
父上は、これまで王国を守っていたのが、お前を通じた女神様の加護だったとお知りになった。
女神様から、これまでの加護はお前を守るために王国全土へ広がっていたものだと説明があり、そのことが父上にも伝わったのだ。
そして、私が勝手に婚約を破棄したことに激怒された。
だが、問題はそれだけではない!
女神様がお前を迎えに来たとき、私とマリアンヌに祝福を与えただろう。
あの祝福は本物だった。
私たちが一緒にいる限り、周囲の魔物は近づくことさえできない。
国境の騎士団がそれを確認した途端、父上はとんでもない命令を下されたのだ!』
私は首を傾げた。
とんでもない命令?
『私は王太子の地位を剥奪された!
そして北方辺境伯に叙爵され、国境砦の守備を命じられたのだ!
それだけではない!
生涯、領地から出ることを禁ずるという王命まで下された!』
「まあ!」
私は驚いた。
「殿下、辺境伯になられたのですね!」
お祖父様が顔を上げた。
「ほう。アルフォンス殿が?」
「はい! 国境の防衛を任されたそうです!」
「なるほど。国王陛下も、なかなか適材適所を心得ておられる」
私は頷いた。
「女神様の祝福があれば、国境砦の皆様も安心ですね!」
「そうだな」
私は続きを読んだ。
『しかも、私とマリアンヌは常に一緒にいなければならない!
二人が離れると、祝福の効果が弱まるからだ!
食事も一緒! 仕事も一緒! 外出も一緒!
マリアンヌは毎日泣いている!
王宮に帰りたいと言っているが、父上は許してくださらない!
私が抗議すると、父上はこうおっしゃった。
「お前は愛する女性と一緒になるため、聖女との婚約を破棄したのだろう。望みが叶ったではないか」
違う!
私はマリアンヌと結婚したかったのであって、国境砦で一生暮らしたかったわけではない!』
「……まあ」
私は手紙を畳み、お祖父様に事情を説明した。
「なるほど。国王陛下も、なかなか適材適所を心得ておられる」
お祖父様は愉快そうに笑った。
「でも、殿下は祝福を取り消してほしいそうです」
「取り消せば、国境の民が困るだろうな」
「そうですよね。では、お断りしましょう」
私は便箋を取り出し、殿下に短い返事を書いた。
『女神様の祝福は、国境の皆様を守る大切なものです。取り消しをお願いすることはできません。どうかマリアンヌ様とお幸せに』
そして窓の外を見上げ、両手を組んだ。
「お二人が、いつまでも一緒にいられますように!」
カラン、カラン、カラン。
神殿の鐘が、ひとりでに鳴り始めた。
「まあ! 女神様も喜んでくださっているのですね!」




