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チホク

作者: 船田かう
掲載日:2026/04/18




「本格的に降ってきたな」


 チホクが言った。

 けれど奴は一向にその場を動くつもりはないようで。


 短い黒髪が額に張り付き、細いあごには雨粒が伝う。

 まったく、相も変わらずイイ男だよ。水も滴るなんとやら……って、そのまんまか。

 それでそのシケたツラさえしていなければ完璧なんだけどな。


「おい、風邪ひくぜ?」


 俺がせっかく心配してやってるのに、チホクは口の端だけでニヒルに笑ったりしやがる。


「もうしばらく、このままでいさせてくれ」

「さいですか」


 あーあ、確かに今回のことは堪えたけどさ。

 お前がこんなに後ろ向きなヤツだったなんて思いもしなかったよ。


 チホクは高校時代からの親友だ。

 俺とは正反対の無口でスカした野郎。なのに女子にはやたらとモテて、始めは正直気に食わなかった。

 だけどそんな奴と俺の間には、ある因縁があったのであります。


 昼休み、購買のパン販売。

 その中に、ソースカツと目玉焼きが一緒に挟んであるコッペパンがあった。


 一日十個限定の通称『レアパン』。

 百二十円という安心価格に対し、そのボリューム感とたっぷり染み込んだ秘伝のソース、滴るカツのジュースはまさに絶品。


 それを食す者は一口で虜となり、おかげで売店では毎日熾烈な争奪戦が繰り広げられていたものだ。

 そう、俺もあの憎いチホクの奴も、彼女(パン)の魅力に取り憑かれた孤高の戦士、レアパンハンターだったのだ!


 猛者たちが集うその戦場で、最後の獲物を同時に握った俺と奴。

 言葉なんて無かった。

 初めてまともに合わせた視線には、火花が散った。


 それから、色々だ。

 ホントに色々あって。気が付いたら連んでて。


 こいつのおかげで大学受かったようなもんだから、俺は得意なボウリングを教えてやったんだ。

 コレだけは下手くそだったんだぜ、チホクの野郎。


 こうしていつの間にやら、十年来の付き合いになってました、と。


「まだ、信じられない」


 おいおい、人がせっかく感動的な思い出に浸ってるのに、こいつはこんな時まで現実派なのか。


「ああ、俺も信じらんねえよ」


 信じたくねー、ってのが本音だ。

 チホクは不機嫌な俺の様子には目もくれないで、相変わらず途方に暮れきった顔をしたまま。


「俺はこれからどうしたらいい?」

「さぁね。とりあえず、さっさと帰って風呂にでも入れよ。寒いだろ」


 本当にひどい雨だ。ますます強くなってくる。ただでさえもう夕方なんだから。


「寒いな。……寒い。お前は平気か?」


 ほら見ろ。俺は濡れてないから全然平気だ。

 大きく頷くと、チホクは自嘲するように短く息を洩らした。一瞬、顎の辺りが白く曇る。


「そろそろ帰る。また来るからな」


 ああもう、いいから早く帰れ。お前のそんなツラ、わざわざ見たくないんだよ。

 次に来るなら晴れの日に来い。お前の顔が晴れの日に。


 気が付いたら連んでた。

 こいつのおかげで大学受かったようなもんだから、俺は得意なボウリングを教えてやったんだ。


 夏には海へ行った。仲間も沢山できてバーベキューもした。冬にはクリスマス鍋パーティーだ。


 俺が仕事でドジ踏んで凹みまくった時は、一緒に一晩中飲み歩ってくれたよな。

 でもお前に二人目の彼女紹介してやったの俺なんだぜ、ちゃんと覚えてるか?


 花火もした、ラーメン食べ歩きも、ノートの写し合いも、街のイベント見物も、徹夜で麻雀も、殴り合って本音ぶつけた大喧嘩も。


 悪いことばっか見んなよ。

 楽しかったこと思い出せよ。

 大事なこと忘れんなよ。


「そうだ」


 ふと浮かんだささやかな疑問を、歩き出したチホクの背中に尋ねてみた。


「なぁ、あのレアパン、今もまだあんのかな」


 もちろんチホクが答えるはずがない。

 少し寂しく思いながら、俺は小さく手を振って見送ることにする。


 チホクは雨に打たれながら、俺の墓を後にした。




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― 新着の感想 ―
読ませていただきました。 青春時代をともに過ごし、やがて成人し、それぞれの人生へ進んでいく流れがとても自然で心に残りました。何でも言い合える親友同士の関係性が温かく、長い時間を積み重ねてきた絆の深さを…
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