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私を裁いたその口で、今さら赦しを乞うのですか?  作者: 榛乃


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「お姉ちゃんの席はね、ここだよ! 僕の隣!」


 アレク君に案内された席は、三つ並べられた椅子の真ん中だった。その右隣に置かれた椅子には、踏み台と底上げ用のクッションが据えられているところからするに、恐らくそこは彼の席なのだろう。左側にはマルセルさんの指示に従って、ロアンさんが腰掛けた。仮漆の塗られて艷やかな白木のテーブルには既に、取り分け用の小皿やワイングラス、種々雑多なカトラリーが並べられている。それからワインと思しき黒い瓶が二本と、水の入ったカラフェも。


 料理はもう出来ている、というヴィオラさんの言う通り、席につくや否や、すぐに料理が運ばれてきた。次から次へと、それはもう驚いて思わず目を見開いてしまうほどたくさんの料理が。人参とトマトのポタージュ、豆と牛すね肉の煮込み、スパイスをふんだんに使った肉の丸焼き、根菜とトマトと挽き肉を炒めたものを包んだミートパイ。アレク君も手伝いながら、テーブルの隙間という隙間を埋め尽くすように並べられていくそれらの料理を、私は唖然としながら見つめていた。多分、隣りに座っているロアンさんも同じだっただろう。ちらと横目で一瞥すると、彼もまた眼鏡の奥の目を僅かに瞠らせていたから。

 白木のテーブルは決して小さなものではなかったけれど、それでも一通りの支度を終えて、ヴィオラさんがマルセルさんの隣の席に腰掛けた時には、そこはもう物が溢れんばかりの状態だった。


「さあ、いただきましょう」


 大人用のグラスには赤ワインを、アレク君のグラスにはレモンで味をつけた水を注ぎ、揃って食前の祈りを捧げてから、乾杯する。頭上に取り付けられた明かりのせいか、それともテーブルの中央に置かれた――少しだけ肩身が狭そうに見える――燭台の落とす灯りのせいか。室内はやわらかな光りに包まれ、とても心地が良い。思わずほっとしてしまうような、張り詰めていたものがするりと解けてしまうような。


「あのね、このスープはママの得意料理なの! すっごく美味しいんだー」


 あまりにも様々な料理があるものだから、どれから手をつけてよいのか悩んでいると、アレク君が嬉しそうにそう教えてくれた。だから先ずは彼のおすすめ通り、人参とトマトを濾して作ったというポタージュをスプーンですくう。陽だまりのような、或いは夕暮れを思わせる、淡くなめらかな橙色。それをそっと口へ運ぶ私の横顔を、アレク君は何故かじっと見上げていた。右手に子供用のフォークを握ったまま。大好物だというミートパイを取り分けられてもなお、ずっと。


 彼に見守られながらポタージュを一口含むと、忽ち口内に、まろやかなクリームに包まれた人参の甘みとトマトの酸味が、舌の上にとろりと広がった。玉ねぎをじっくり炒めたのだろうか、滑らかな舌触りの奥に、黄金色になるまで炒めた玉ねぎ特有の深みが隠れている。それらをじっくりと口内で堪能し、飲み込むのが惜しいと思いながらも、こくりと喉へ通す。美味しい、と思った。素直に。こんなに美味しいポタージュは初めて食べた、とも。


「次はこれ! ミートパイは僕も大好きなんだよ」


 促されるまま、私はスプーンからフォークとナイフへ持ち替え、既に小皿へ取り分けられていたミートパイに取り掛かる。こんがりと程よく焼き目のついたパイ生地の間から、ぎっしりと詰め込まれた野菜と挽き肉が、今にもこぼれ落ちてしまいそうだ。慎重に一口サイズに切り分け、相変わらずアレク君にじっと見つめられたまま、それを口へと運ぶ。焼きたてなのか熱々のそれは、皮はさっくりと香ばしく、スパイスの効いた中身は噛めば噛むほど肉汁と野菜の旨味が口内に溢れて、思わず顔が綻んでしまう。スパイスの芳醇な風味と、肉と野菜の甘み。それから、荒く刻んで混ぜ込まれたハーブが、良いアクセントになっている。


「おいしい?」


 アレク君の問いに、私はこくりと頷いて目を細める。


「ええ、美味しいわ。とっても」


 その瞬間、眼の前に座っていたヴィオラさんが、ぎょっと目を見開いた。彼女の隣りに腰掛けるマルセルもまた、息を呑んだように私を凝視したまま固まっている。

 訳が分からず目を瞬かせると、ぽたり、と何かか頬を滑り落ちてゆく感触がした。それはすうっと肌をつたい、顎先から胸元へこぼれ落ちる。何がなんだか理解出来ず、ぱちぱちと瞼を動かす度、それは次から次へと溢れ出ては、幾つもの筋をつくって肌を濡らしてゆく。――そこで漸く、私は気がついた。自分が泣いているということに。


「ちょっ、どうしたの!? 料理が口に合わなかった? 少し辛かったかしら……」

「い、いえ! そんなことはありません! どれも凄く美味しいです!」


 慌てるヴィオラさんに、私は今出来るう限りの精一杯の浮かべながら、力強く顔を左右に振る。料理が口に合わなかったわけでも、ミートパイが辛かったわけでもない。ただ――。胸の内に、やさしい光が、じんわりと満ちてゆく。まるでこの部屋を包むやわらかな灯りのような、とてもあたたかな光。それが身体中に広がれば広がるほど、涙はとまるどころか、却ってとめどなく溢れ出してくる。堰を切ったように。


「す、すみませんっ……ただ、その……」


 手元のお皿に視線を落とし、ゆっくりとひとつ瞬くと、滑らかな陶器の上で、ぽつりとこぼれ落ちた大粒の涙が弾けた。先を紡ごうとしても、唇が震えてうまくいかない。


 帰る場所も、頼れる人も、なかった。王都を追われてから、ずっと。行く先々で罵声を投げつけられ、憎悪を向けられ、時には謂れのない罪を着せられる。そんな日々に、希望なんてまるでなかった。いつまで続ければ良いのか分からない旅、終わりなんて訪れる気のしない彷徨い。――私は多分、自分自身で思っていた以上に、疲れていたのかもしれない。身体も、心も、何もかも。無意識に、絶望の深淵に足をかけてしまうくらいには。諦念を抱いていながら、それでも傷付いていた。あらゆる憎しみに、あらゆる蔑みに。そして、奪われてしまったたくさんのものたちに――。


「久しぶり、なんです……。誰かとこんなふうに食卓を囲むのも、手作りのあたたかい料理を食べることも。……ちゃんとした食事をすることさえ、本当に久しぶりで」


 言葉が詰まり、私は嗚咽しながら、ミートパイを一切れ、そっと口へ含む。噛み締めれば噛み締めるほど、スパイスが効いていながらもやさしい味が、口内にじわりと広がってゆく。それはまるで、ヴィオラさんたちのやさしさそのもののようだ、と思った。彼女たちが私に与えてくれる、陽光のように眩く、春風のようにあたたかいやさしさ。


「とてもっ……とても、美味しいです」


 情けなく鼻を啜り、涙でびっしょりと濡れた顔で微笑みながら、僅かに震えた声でそう告げると、ヴィオラさんはどこか哀しげに目を細め、そうして豆と牛すじの煮込みをお皿によそってくれた。さあこれも食べなさい、と、美しい琥珀色の瞳でそう囁きながら。

 その気遣いが更に涙を誘い、私は思わずしゃくりあげてしまう。たくさん食べたいのに。たくさん食べて、色んなものを味わいたいのに。嗚咽を噛み殺そうと唇を噛み締めてしまったせいで、うまくいかない。煮込みはとても美味しそうで、芳しい匂いで誘ってくれるというのに。


 そんな私の背中を、ロアンさんがぽん、と優しく叩いてくれた。殆ど添えるような、微かなものだったけれど。それでもその小さな感触と大きな励ましに、私は涙をこぼしながらもにっこりと笑う。今の私の、精一杯の満面の笑顔で。

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