8月15日(1)
午前、そして午後と、祖母の手伝いをしながら日が暮れるのを待ちわびていた。
ようやく太陽が真っ赤に熟し始めた頃、点けられたままで誰にも見向きされていないテレビで時刻を確認する。
午後六時三十分。
待ち合わせの時間は七時だ。
そろそろ家を出たほうがいいだろう。
「お母さん。ちょっとお祭り見てくるね」
「お祭りって、あんた一人で行くの?」
「うん」
少なくとも現地に到着するまではそういうことになる。
宵の口の空はまだオレンジ色が優勢だった。
玄関を出た時は微かに聞こえていただけの祭ばやしが、県道を渡り切った途端にはっきりと耳に飛び込んでくる。
そのことで自然と身が引き締まり、何なら武者震いまで出てしまった。
それはこれから彼女に会えるからに他ならなかったが、同時に僕の独りよがりなのではないかという不安からもきていたように思う。
公園を転用した盆踊りの会場は、特別な夏の夜を謳歌する多くの人で賑わっていた。
櫓に括り付けられた音量重視のスピーカーから流れる、笛や太鼓の囃子。
夜店の人たちが使う発電機の音や、そこかしこを楽しそうに走り回る子供たちの歓声。
僕はそんな幸せな音たちに囲まれながら、広場の奥にあるタイヤ飛びの上に腰を下ろすと、背筋を伸ばして彼女がやって来るのを待った。
やがて祭ばやしに代わり、スピーカーから炭坑節が流れ出す。
それを合図に人々が一人、また一人と櫓のもとに集っていく。
手持ち無沙汰から踊りの輪に加わろうかと思っていた、その時だった。
「夏生くん、おまたせ」
背後から急に声を掛けられ、亀のように首を竦ませながら振り返る。
そこには、束ねて上げた髪に水色の髪飾りを付け、真夏の空のような水色の浴衣を着こなした彼女の姿があった。
「どう? 似合ってるかな?」
「うん。すごく素敵だと思う」
思ったままの感想を口に出すと、彼女は小さな声で「ありがとう」と言った。
「夏生くんって、ちょっとだけ変わってる」
夜店でフランクフルトを購入してからタイヤ飛びまで戻った途端、彼女にそんなことを言われてしまった。
「変わってるって?」
マスタードの付いていない方をプラスチックトレーごと手渡しながら、その発言の意図を聞く。
「あ、ありがとう。……初めて会った時もだったけど、なんか――」
「ごめん」
僕には昔から頭の中に浮かんだことを口にしてしまう癖があった。
何度も直そうとしたが、それはなかなかにして難しいことだった。
「あ! ちがくて! 変わってる言っても、べつに悪い意味じゃないの」
彼女は姿勢をやや正し、真剣な面持ちで言葉を続けた。
「夏生くんって、ぜんぶ言ってくれるから」
「全部?」
「うん。……言ってもらって、嬉しいこと」
三度顔を赤らめた彼女は、「いただきます」と言ってからフランクフルトを口にした。
彼女がフランクフルトを食べ終えた頃合いを見計らい、勢いよくタイヤから立ち上がると右手を差し出す。
それは彼女が手にしているトレーを受け取り、すぐそこにあるゴミ箱に捨ててこようと思っての行動だった。
だが、彼女は少し驚いたような顔をしたあと、僕の右手に自分の左手を重ねてきた。
彼女の手は僕の手よりも小さくて、それに少しだけひんやりとしていた。
「志帆ちゃん、行こっか」
握ったほうの手で彼女を立ち上がらせ、反対の手で今度こそ串とトレーを受け取る。
踊りの輪に加わるのは二年振りのことだった。
最初の数分こそ違和感を覚えながらだったが、じきに勘を取り戻して手足を大きく振りながら手拍子を打つ。
すぐ後ろでは、彼女も団扇を振りながら小さめな動きで音楽に合わせて手足を動かしている。
「ごめん志帆ちゃん。ちょっと場所、替わってもらってもいい?」
彼女は不思議そうな顔をしながら「どうしたの?」と尋ねてくる。
「志帆ちゃんが踊るとこ、もっとよく見ていたくて」
彼女は振るっていた団扇を口元にあて、「だから、そういうところだよ」と言った。
櫓の周囲を三周した頃になり、どちらからともなく盆踊りの輪からそっと抜け出す。
「夏生くん、踊るの上手なんだね」
彼女はそう言いながら、手にした団扇で僕のことを扇いでくれた。
「志帆ちゃんこそ――」
そのあと『すごく綺麗だった』と続けたかったが、今回ばかりはギリギリのところで言葉を飲み込むことに成功し、代わりに「お姫様みたいでかわいかったよ」と言った。
「夏生くん……やっぱり変わってる」
どうやら僕は本格的に変なようだ。
少し休憩してからかき氷の夜店へと足を運んだ。
顔なじみの店主は僕の顔を見るなり、「今年はまた随分と若い女の子に乗り換えたんだな」と誂ってくる。
「おばあちゃんは観たいドラマがあるから今年は来ないって。この子は僕の大事な友達だよ」
自分的には最大限に言葉を選んだつもりだったのだが、店主は目を丸くすると「そうかい。じゃあたっぷりサービスしてやらんとな」と、慣れた手付きで見る見るうちに小高い山を二つ築き上げた。
練乳が雪崩の如く山肌を埋め尽くしており、もはや見た目では何色のシロップが掛かっているのかすら判別できない。
まるで南アルプスの山々を思わせる巨大な氷壁を目の当たりにした彼女は、その大きな瞳に隠しきれない不安の色を宿していた。
「夏生くん私これ、食べきれないかも……」
二人してタイヤの上に座り、シャリシャリと一心不乱に氷山を崩す。
「夏生くん」
すぐ横から聞こえた鈴の音のような声に、登山の手を一旦とめて顔を上げる。
「さっきはありがとう。その……大事な友達って言ってくれて」
「僕さ。志帆ちゃんとは海で初めて会ってお喋りをした時から、なんかだ昔からの友達みたいな気がしてたんだ」
性懲りもなく思ったことをストレートに口に出してから、急いで視線を氷山に戻すと山崩しを再開した。
視界の隅で、彼女が開きかけた口をそっと噤むのが見えた気がした。




