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海の青より、空の青(リライト版)  作者: 青空野光
第二章 1994年 8月
5/15

8月14日

 僕は夏生という名前のくせに暑いのが苦手だ。

 寒さであれば着込むことでどうとでもなるが、夏の暑さを前にしては、仮に全裸で過ごすことが許されたとしても耐え難いものがある。

 ただ、夏が嫌いかといえば、まったくそんなことはなかった。

 むしろ四季の中で一番好きなのは夏だったので、我ながらややこしいことこの上ない。

 それはそうと、僕が夏が好きなのは、毎年お盆に訪れている、この田舎の町の影響が強いように思う。

 今こうしている時にでも海から吹いてくる風に混じった潮の香りは好きだし、祖母の家の縁側で食べるスイカも大好物だった。


 母に車で送ってもらわなかったことを後悔し始めた頃になり、ようやく目的地の酒店が目前にまで迫ってきた。

 コンビニほどのサイズ感の店舗の前に十台近くもの自動販売機が並んでいる光景は、まるで戦場の最前線に築かれた要塞のようにも見えるが、今の僕にとっては砂漠の中のオアシスになってくれるに違いない。

 ガラスの引き戸を開けた瞬間、まさに期待の通りのキンキンに冷えた空気が体の前面に直撃する。

「いらっしゃい」

 店の奥にある座敷から優しそうなおばあちゃん店主が、テレビの音といっしょに顔を出して迎えてくれた。

 壁に掛けられている時計の針は二時三十分を指しており、(おおむ)ね予定通りの時間に到着したことになる。


 赤い帯が巻かれたペットボトルのコーラを購入し、自販機の列の前に置かれたベンチに腰を下ろして待ち人が訪れるのを待った。

 結露で生じた水滴がボトルの表面を流れ落ちる様を眺めていると、視界の隅に麻製の小さなサンダルが映り込み、顔を上げる。

 果たしてそこには、浅葱(あさぎ)色のノースリーブワンピースを着た彼女の姿があった。

「ごめんなさい。待たせちゃったよね?」

 その頬は僅かに紅潮しており、もしかしたら僕の姿を遠目に認めて走ってきてくれたのかもしれない。

「ぜんぜん。それにこっちが勝手に早く到着しただけだから」

 それも三十分近くも早く。

「よかった。それじゃいこっか」

「行くって、どこに?」

 先に歩き出した彼女に追従しながら、涼し気なその背中に行き先を尋ねる。

「お話をするのに丁度いいところがあるの」


 彼女に連れられて来たのは、酒店からほんの数分歩いたところにある学校だった。

 校舎や校庭の規模からして小学校だろうか。

 すぐ背後が山という立地のせいか、まるで高原にでも来たかのように涼やかだった。

 木陰にあったブランコに並んで腰を下ろすと、彼女は顔をこちらに向けて口を開いた。

「来てくれてよかった」

「約束したんだから来るに決まってるよ」

「うん。でも、ありがとう」

 当たり前のことを言っただけなのに、彼女はとても喜んでくれているようだった。

「夏生くんは毎年こっちに来てるの?」

 座ったままでブランコを大きく漕ぎながら答える。

「うん。お盆と正月には必ず」

「うちもお盆はいつも親戚で集まって、それで夜中まで大騒ぎ」

「それ、うちの大人たちと同じだ」

 僕の言葉に彼女は口を押さえて笑ってくれた。


 そのあとも、昨日の海であったことや、待ち合わせ場所に至るまでに太陽に()かれて死を覚悟したことなど、どうでもいいような話題ばかりを選んで話した。

 彼女は大人しそうなその見た目に反して、とてもよく笑う女の子だった。

 僕はその笑顔をもっと見たいと思い、そう饒舌(じょうぜつ)でもない口を一生懸命動かし続けた。

 学年が同じだからか、僕と彼女の共通の話題は性別の違いを考慮しても多彩だった。

 小学校でも中学校でもクラスの女子とこんなに話すことはなかったので、女の子とこれほど仲良くなったのは生まれて初めてのことだった。

 もし昨日、何となしに海に行くことをしなかったら。

 もし昨日、彼女が麦わら帽子を風に飛ばされなかったら。

 いま僕たちがこうして、ここにいることはなかった。

 そう考えると、出会えたことがちょっとした奇跡のように感じられた。


 ほんの先ほどこの場所に着いたばかりだと思っていたのに、気がつくと校庭の鉄棒が地面に長い影を落としていた。

 ツクツクボウシに紛れて聞こえるヒグラシの鳴き声が、彼女との楽しい時間の終わりを予感させた。

 その時、長いチャイムの音が校庭に鳴り響く。

「あ、もうこんな時間なんだ」

 きっとチャイムの鳴る時間を知っていたのだろう。

 彼女は最後にブランコを大きくひと漕ぎすると、その勢いを利用してふわりと地面に舞い降りた。

 その拍子にワンピースのスカートの裾が少しだけめくれてしまい、僕は慌てて目をそらすと、彼女とは対象的にブランコを足で止めて静かに立ち上がる。

「夏生くん、今日はありがとう。すごく楽しかった」

 振り返ってそう言った彼女は、今日一番の笑顔を咲かせて見せてくれた。

 その瞬間、心臓を鷲掴みにされたように胸が痛くなり、同時に彼女と過ごす時間が終わってしまうことが酷く残酷なことのように思えた。

 誰に教えられたでもなく、僕はその理由を知っていた。

 僕は彼女の顔を真っ直ぐに見つめ、彼女もまた僕の顔をまじろぎひとつせずに覗き込んでいる。

 このままでは高鳴った心臓の音が、彼女の耳にまで届いてしまうのではないか?

 そうなる前にと、わざとらしく咳払いをしてから声を発した。

「明日の夜、うちの近くのお寺で盆踊りがあるんだ。その、もしよかったら一緒にいかない?」

 一瞬だけ間を置いてから彼女は小さく頷き、西日に照らされて赤くなった頬の色を濃くしながらこう言ってくれた。

「うん。何があっても必ず行くから」

 それは昨日、僕が彼女に言った言葉だった。

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