8月1日(2)
碁盤目状に区分けされた畑の間の道を、子ども時代の頼りない記憶を頼りにジグザグと進む。
手のひらで日を遮りながら顔を上げると、行く手が陽炎で揺らいでみえた。
小学生だった当時の俺は、近づくと逃げて行くゆらゆらとしたそれを何とか捕らえようとして、炎天の下を全力で追い掛けたものだった。
試しに少しだけ歩速を上げると、陽炎のやつも同じ速度で離れていってしまう。
あみだくじの終着点には、背丈の倍ほどもある竹藪が待ち構えていた。
「確か、こっちの方に……」
青緑色の壁に沿ってしばらく進むと、かろうじて人一人分が刈払われた土の斜面が現れる。
薄暗いトンネル状のそこを、足元に注意しながら慎重に下りてゆく。
すると突然ひかりが溢れ、反射的に腕を顔の前にかざした。
指の隙間から覗き見えた世界は、少しだけ色の異なる二つの青によって塗り潰されていた。
砂の感触を確かめながら、波打ち際まで歩を進める。
崩れて泡立った波が砂浜を撫でる時に発する、シュンシュンという小気味良い音が、すぐ足元から聞こえてくる。
扇状に広がりながら左右から迫る波を、直立したままで迎え撃つ。
俺の足首までしか濡らすことができなかった波は、せめてもの抵抗とばかりに足の裏の砂を奪いながら帰っていく。
『危ないで戻ってこいよ』
背後から祖父の声が聞こえた気がして振り返る。
そこには流木が一本横たわっているだけで、祖父の姿どころか人の気配そのものがなかった。
最初は足を湿らせる程度で満足していた波遊びも、五分も経ったころには徐々に徐々にとエスカレートしていった。
ついには波が大きく引いた隙きを見計らって、海に向かって猛ダッシュをかます。
再び波が打ち寄せる前に、砂浜へと戻る算段だった。
のだが、砂に足を取られて転倒したところに、本日一番の大波が押し寄せてきた。
敢えなく海に翻弄されると、浅瀬に迷い込んだクジラの如く砂浜へと打ち上げられる。
濡れて困るようなものを持っていなかったことだけが幸いであった。
手足を大の字に広げて砂浜に寝転ぶ。
夏の日差しと海から吹く風が、雨の日の捨て犬のように哀れな姿になった馬鹿を、少々荒々しく乾かしてくれる。
続けて目を閉じる。
波の音と太陽の熱、それに体の下の砂の感触だけが感じられた。
(このまま昼寝をしたら気持ちいいだろうなぁ)
後ろ髪を引かれる思いではあったが、日焼け対策もしないでする真夏の日光浴は毒でしかない。
しかし、この心地よさは何物にも代え難かった。
そうこうしていると、まぶたを透過して見えていた日の光が俄に弱まる。
雲が太陽を覆い隠したのだろうか?
夕暮れが駆け足でやってきたのだろうか?
九分九厘まちがいなく、前者のほうなのだろうが。
その答え合わせをするために、可能な限りゆっくりと目を開く。
「あの……大丈夫ですか?」
俺と空との間には、麦わら帽子を被った少女の姿があった。
逆光で影になったその顔を確認するため、一度は開き切った目をふたたび細める。
俺の眼前で腰を屈めた少女には、その行為が睨んでいるように見えたのかもしれない。
「あ……ごめんなさい。あの、びしょ濡れで倒れていたから……」
少女はそう言って二歩ほど後ろに下がると、浅葱色のワンピースの裾をぎゅっと手で掴んだ。
本来ならば急いで弁明をすべきところだが、俺の両目は少女に釘付けになったままでいた。
瞬きもせずに自身を見つめる若い男の様子に、少女はいよいよ申し訳無さそうな顔をすると、「あの……本当にごめんなさい」と弱々しく言い、ついには俯いてしまった。
――違うんだ。
「志帆……ちゃん?」
カラカラに乾いた喉の奥から絞り出した声は、どうにか波の音にかき消されることなく、少女の耳にまで届いたようだった。
少女は驚いた顔をすると、ワンピースの裾を握っていた手を自らの口元に当てた。
そして、よく磨かれた黒曜石のような大きな瞳をさらに見開き、俺の顔をじっと見つめ返してくる。
「俺、ほら、杉浦の」
す、ぎ、う、ら……と、少女の薄い唇がゆっくりと動く。
「……もしかして、夏生さん、ですか?」