表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/17

少年と少女の青

 海と空はどちらも同じ青だというのに、なぜこんなにも色が違うのだろうか?


 それは四歳の少年にとって、とてつもない難題であった。

 海水には大気よりも多くの青が溶け込んでいる?

 だとしたらその出処は、一体どこだというのだろう?

 少年は数分のあいだ思考を巡らせたのちに、小さくため息をつきながら砂の上に腰を下ろした。


 少年が砂の上に咲き乱れる可憐な花たちに寄り添われながら、八月の海を吹き抜ける風を小さな身体に受け佇んでいると、ふいに空を流れる白く大きな雲が太陽を覆い隠した。

 その途端、世界から急速に色が失われる。

 白と黒に支配された仄暗い景色の中で、この惑星(ほし)の表面積の大半を占める海だけが、まるで自らの持つ圧倒的な質量を誇示するかのように青色をより濃くした。

 もし彼が大人であったなら、その押し黙ったような存在感に恐怖を覚えたことだろう。

 しかし、少年はその幼さ故か、それとも彼の眼前に広がる景色は依然として色に満ち溢れていたのか――それは定かではないが、この広い世界に唯一遺された色彩に触れようと、波打ち際へと一歩を踏み出す。

 あと数歩で足が波に触れようかというところまで進んだ、その時だった。


 風に乗って鈴の音が聞こえたような気がした少年は、その小さな歩みをおもむろに止める。

 次第に大きくなるその音は、やがて彼のすぐ後ろにまで迫っていた。

 少年が振り返ると、そこには小さな鈴のついた麦わら帽子を被った少女が、ただ真っ直ぐに彼を見据えて立っていた。

「こんにちは!」

 麦わらの少女は大きな声でそう言うと、白いワンピースの裾を風に(なび)かせながら、少年のすぐ隣へと歩み寄ってくる。

 その背格好から少年と少女は同じくらいの年齢に見える。

「ここのうみはね はいったらだめなんだよ?」

 少女はすぐ目の前にある海を指し示し、少しだけ厳しげな表情をした。

「うん。入るのはやめておくよ。どうもありがとう」

「どういたしまして!」

 少女はそれだけ言うとポケットから小さな塊を取り出し、手のひらにちょこんと乗せたそれを少年の眼前に差し出す。

「これ あげる!」

「いいの?」

「うん! ()()()()()()()()()!」

 少年はその言葉の意味を――恐らくは少女自身も――正しく理解していなかったが、彼は彼女の目を見たままでその小さな青い塊を受け取った。

「ありがとう」

「うん! それね おそらのいろみたいでしょ? わたし うみのあおいいろよりも おそらのあおいいろのほうがすきなの!」

「ぼくもだよ。ぼくも空の青のほうが好きだよ」

 互いに幼い笑みを浮かべたふたりは、どちらかともなくその視線を海の方向へと向ける。

「ほんとうに青いね」

「うん! えのぐのあおいいろみたい!」

 それは本当に少女の言ったとおりで、真っ白な砂のキャンバスの上に幾重にも塗り重ねられた油絵の具のような青だった。


「そろそろ帰りますよ」

 不意に背後から聞こえた声に少年は驚き、そして振り向いた。

 そこには白い日傘を差し、胸に赤ん坊を(いだ)いた女性が立っていた。

 女性は少年と目が合ったその途端、もとより大きな瞳をより一際に見開く。

 だが、それはほんの僅かな間の出来事で、次の瞬間には白く細い手を自らの口元にあてると、少し(おど)けた口調でこう言った。

「あら? もしかしてボク、うちの子のボーイフレンド?」

 その言葉の意味を知っていた少年は顔を赤くし、少女はどんぐりのような目を一際まるくしただけだった。


「またね!」

「うん。いつか、また」

 手を振り去っていく母娘を見送りながら、少年は不思議な気持ちになっていた。

 それは今日、この時に初めて逢ったはずの少女と母親のことを、まるで昔から知っていたような、そんな懐かしさにも似たような得も言われぬ感情だった。

 いつの間にか海が凪いでいた。

 少年は手の内に握られたままになっていたシーグラスを人差し指と親指で掴むと、八月の澄み切った空に向かってかざす。

 それは本当に空とまったく同じ青色で、まるで指の間には何も挟まれていないようにすら思えた。


『わたし うみのあおいいろよりも おそらのあおいいろのほうがすきなの』


 少女の言葉を思い出した少年は、その宝物をポケットの奥底へとしまい込むと、自分以外に誰も居なくなった夏の海をあとにした。


 このあと彼は、親に黙って一人で海に行ったことを大いに咎められることになるのだが、今はただ幸せな気持ちに胸を躍らせるがままでいた。

 遥か地平の彼方まで続く畑の、その中心を真っ直ぐに伸びる赤土の道を、少年は覚えたばかりの下手くそなスキップで駆けて行く。

 その小さな背中に海の青と空の青の、ふたつの青を背負いながら。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ