表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エンドロール・サガ  作者: 網笠せい
第二章 金龍の血痕
9/76

第二章 金龍の血痕 第三話

 丸眼鏡の大尉は、上官を様子をうかがっている。窓から差し込む日差しはない。今日は空を分厚い雲が覆っている。部屋の空気は微妙にいつもとちがっていた。皇帝の居城、カーミラ城でのラズラス・マーブル大佐暗殺事件は、方々に大きな波紋を呼んだ。


「ラグラス様、コーヒーでもいれましょうか」


 声をかけると上官は机から顔をあげて大きく息をついた。


「ああ、頼む」


 やかんに水を入れてコンロにかける。しばらくして、やかんからくつくつと小さな音がした。


「ラグラス様、大佐が亡くなられてご実家のほう、何かと大変でしょう? 一度帰られた方がよろしいのでは? 僕も交代で故郷に帰ってゆっくりできますし」


 本来ならマーブル家次期当主として兄ラズラス・マーブルの葬儀や挨拶をいくつもこなさねばならないはずだ。ラグラスの故郷、イスハルは皇都からそれほど遠くなく、一週間ほどで行き来ができる。それなのにラグラス・マーブル中佐は執務室にこもって仕事をこなしていた。


「いやだ」


 単刀直入すぎる返答だ。不機嫌というわけではないのだろう、かの有名な眉間の三本じわがない。目はつりあがって見えるが、それは元々だ。


「お前が休むのは構わん。先にゆっくりしてこい。ちなみにラズラスは殉職したから二階級特進で少将になる」

「ああ、僕大佐と言ってしまいましたか。すみません」


 階級など、死んでしまった人間にとって意味のないことだとクラウスは心の内でこぼす。即座にラグラスが口を開いた。


「死んでしまえば関係ないと思ってるだろう。俺もそう思う」

「どうしてわかるんです?」


 上官は苦笑してのびをした。その瞬間、やかんが沸騰を知らせる音をあげる。ラグラスはその音を耳にして伸びを止め、目でクラウスをうながした。給湯室に消えた副官はお構いなしに話を続ける。


「僕、何考えてるかわからないってよく言われるんですけどね」

「俺も似たようなことを考えていたからだ」

「そうなんですか? まったくわかりませんでしたよ」


 コーヒーの香りが鼻孔をくすぐる。カップを二つ、トレイに乗せた副官はすぐに姿を見せた。どうぞ、とカップを渡す。


「兄のことだ、どうせ敵を見くびったに違いない。いつもそれで足元をすくわれる。後始末をするのはいつも俺だ」

「もうこれで最期でしょう? ……もしかして最期なのが癪だから、ご実家に戻られないんですか」


 ラグラスは黙ってコーヒーを飲む。沈黙の時間が流れた。

 図星だったのか。クラウスは驚きを笑顔の裏に隠す。ラグラスがそれほど感傷的な人間だとは思わなかった。核心を突いてしまった以上、話題を変えるわけにもいかない。何を言えばいいものか。

 沈黙の間にためいきを幾度か漏らしていると、ラグラスが唐突に口を開いた。


「……犯人、気にならないか」

「ええ、もちろん気になります」


 目撃しましたよ。


 クラウスが心の中で、そうつけ加える。笑顔の裏のクラウスは、ひどく冷たい顔をしていた。窓辺にもたれてカップに唇をつけながら、静かに上官を観察する。ラグラスはカップをもてあそびながら、口をへの字に曲げていた。


「いっそ捕まらなければいいんだが」

「なんてことを仰るんです!」

「家には犯人を始末してから戻ると言っておいた。一応筋が通るだろう」


 兄が死んだことに対して、思ったより感情の揺れがあるのか。普段は心の内を吐露するような男ではない。クラウスの驚きは言葉の内容よりもそちらにあった。


「そんなに戻りたくないんですか。だから犯人が捕まらなくてもいいなんてことを? でも城に侵入されたうえに龍将を暗殺されたんじゃあ、帝国の権威失墜でしょう。無理やりにでも犯人を作ることになる」

「今の帝国に権威があると、本気で思ってるのか?」


 窓辺にもたれたクラウスは思わず目を見開いた。続く言葉を発することができずにいる。ラグラスが皮肉な軽口をたたくのは知っているが、今日の軽口は普段のそれとは大きくちがう。

 ぴりぴりと肌を刺激する空気が、そう知らせていた。


「これ以上権威が失墜するものか。地方では、龍将のさらに上の階級に賄賂を贈るのが流行りだ。龍将より上は基本的にお飾りの隠居だが、口だけは達者だからな。圧力をかけられる。シルバリエ大佐がいなくなったら、今まで通りの仕事ができない」

「……たしかに上からの圧力は、大佐が抑えてくれていますが……」

「商業都市スォードビッツなんかは特に賄賂が多い。あの街の管理はラズラスだったが、弟の俺にまで賄賂を贈ってくる。上から下まで丸めこむつもりだ。片っ端から逮捕してやりたいが……マーブル家にいる以上、それもできなくてな」


 ラグラスがあげた最西の都市は、ライズランドの中でも比較的大きな、商業の盛んな街だった。第三の都市と呼ばれるその地域では、賄賂も盛んだ。


「貴族というのも大変ですね。でもスォードビッツは仕方ありませんよ。十三年前に内乱があってからにらまれて、重税をかけられた。まあ、すぐに減税されましたが」


 わずかに伸ばした背筋を、再び窓枠にもたれさせる。このまま話が逸れてくれればいいとクラウスは願っている。


「賄賂の魔法だと新聞が書いてたな。減税は政治的配慮だろうさ。第二夫人のエルザ様はスォードビッツの生まれだからな」


 ラグラスに言われずとも、クラウスはよく知っている。エルザはスォードビッツの大商人の娘だ。中流貴族と養子縁組したあとで嫁いだため、表向きは貴族の娘ということになっている。スォードビッツの商人連中が増税を防ぐために皇帝に嫁がせた。古狸どもが考えそうなことだ。


「なるほど、そんな配慮があったんですねぇ」


 とぼけるクラウスに気付いたのか気付かないのか、ラグラスはふん、と鼻で笑った。


「新聞が書くものだから、他の商人たちに負けじと賄賂を贈る者が増えた。それだけ余力があるなら減税する必要はない。皇帝陛下さえ口を出してこなければ、取りやめもできたんだが」

「犯罪を追いかける僕らは大変ですね。最近じゃ書画骨董の類を賄賂にするのがはやりだから、よけいに仕事が増えましたよ。価格が流動するから常に調べておかなくてはいけない」

「まあ、愚痴を言っても仕方ないな。外側にカビが生えれば、なかの腐敗も進むものだ」


 ラグラスはそれだけ言うと口をつぐんだ。クラウスの返事を待っている。


 ……どうあっても、帝国に不満があると言わせたいんですね?


 駒の動かしようによって身の振り方が決まる。クラウスはわずかに震える手で、カップをあおった。底に残った砂糖が甘い。


「皇都でも、アスハト教がさわがしいですしね」


 話を逸らして、それ以上クラウスは口を開かなかった。勝負を投げたクラウスに、ラグラスは軽く舌を鳴らした。腰抜け、と小さなつぶやきが耳に入る。その言葉を聞いてクラウスは聞こえないふりをする。ラグラスが求めたのは、踏み込んだ一手なのだろう。けれどもそう簡単に踏み込んでやるつもりはない。


「ラグラス様のご実家、マーブル家と言えば上流貴族でしょう。ラグラス様が皇女様とご成婚するなんていう噂もありましたよ。実際、過去にマーブル家から皇后になられた方も少なくありません。何不自由ない生活を送ってらっしゃる。政治的な力もかなりのものです。ご不満があるなら、それは贅沢というものでしょう」

「貴族には貴族の苦労がある。生憎と、俺は貴族に向かないんでな」


 椅子から立ち上がり、カップをもって給湯室に消えた上官を眺めながらクラウスは目を伏せた。たしかに貴族ならば、自分でカップを下げることはしないだろう。


 ……手をまちがえていないだろうか。


 瞬時に頭をめぐらす。

 帝国に反旗をひるがえす。ことが大きすぎる。慎重すぎるほど慎重なくらいがちょうどいい。いずれマーブル家の当主となる人間が、思惑を知って黙って見ているわけがない。少しでもおかしなところを見せれば抹殺される可能性もある。


 まだ、賭けに出るわけにはいかない。


 クラウスは右手の中のカップを、もう片方の手でそっとなでた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ