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エンドロール・サガ  作者: 網笠せい
エピローグ
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エピローグ

 龍の鱗が太陽光をうけてきらめくように、波間に銀色の光が躍った。


「先生」


 金髪の歴史学者の背中が小さくなりはじめた頃、長い間逡巡していた少女は男を呼び止めた。戦いを経て、誰にも本当の名を告げられなくなったかつての少年──オフィリア・ライズランドはかぶりを振って、ゆっくりと口を開く。


「君、映画を見たことは?」


 母譲りの焦げ茶の瞳をした少女は、こくんと小さくうなずいた。


「歴史とは、終わらないエンドロールのようなものです」


 オフィリアが顔を上げる。港町クロムフの潮風が、金色の髪を荒々しくもてあそんだ。


「私には、先の戦いに関わったすべての人々の名が、エンドロールのように連なって流れていくような思いがするのです。もちろんその中にはオッペンハイマー宰相やデューン将軍、それからあなたのお父上もいる」

「父をご存知なんですか?」


 荒れる波の上をかもめが不器用に飛んでいく。翼を羽ばたかせ、風に乗って大海原に出た彼らはやがて、商船や軍艦のマストで羽を休める。ひとときの安らぎを得て、また飛び立ち、新しい街にたどりつく。

 オフィリアはゆっくりと目を伏せた。


「あなたのお父上はとても強い人だった。剣鬼と呼ばれて恐れられた人だ。日頃はとても穏やかな人だったけれど」

「今ではただの鍛冶屋です。作ってるのは包丁やノコギリばかり」


 口ではそう言いながらも幸せそうな笑みを浮かべる少女に、オフィリアはかすかに微笑んでうなずく。


「きっとあなたのお父上が望まれたことです。日々の暮らしを愛しいと思うことは尊いことだ」


 オフィリアはゆっくりとまぶたを開くと、海の色の瞳を、銀色に輝く大海へと向けた。


「人が生まれて時間がはじまり、人が死んで時間が終わる。その積み重ねによって歴史は作られます。私とあなたがここで出会ったことも、あなたのお父上が一つ一つ包丁やノコギリを作ることも……日々を生きるということは、歴史をつむぐということだ」


 潮の匂いに満ちた街のべたついた海風は、ときにやさしく二人の間をすり抜け、頬をなでる。


「リル! ユーリル!」


 自分を呼ぶ声に、少女──ユーリル・ブランフォードははっと我に返った。石畳のある大通りから銀髪の少年が駆けてくるのが見えた。


「繁華街の裏道には入るなって言っただろ! なに油売ってんだよ!」


 少年は裏道に入った途端に跳ね上がった泥を忌々しそうに払いながら、少女の隣に並んだ。ユーリル・ブランフォードは引かれた腕を即座に払いのける。その動きには無駄がない。父であるユーミリア譲りだろうか。顔を上げたところで、露骨に顔をしかめて歴史学者をにらんでいる少年に気づいて、その足をユーリルが思いきり踏みつけた。


「いってぇ! リル、てめぇ、オレがせっかく心配してやってんのに!」

「先生、ごめんなさい。せっかくお話……先生?」


 オフィリアの丸く見開かれていた目が、やがて穏やかな笑みの形になる。


「君、名前は?」

「なんで男にオレの名前を教えなきゃなんないんですか」


 問いかけられた少年はさらに愛想の欠片もない顔になって、ぶっきらぼうに答えた。


「ちょっとロジェ!」


 少女のいさめる声に、かつて皇帝であった男は小さく笑った。懐かしさに心が震えるのを、海風とかもめの鳴き声がかき消していく。


「お父上はお元気ですか?」


 歴史学者の言葉に、銀髪の少年ははっと表情をこわばらせてユーリル・ブランフォードを後ろ手にかばう。警戒心に満ちた様子から彼らのこれまでを知り、歴史学者は暗澹たる思いに駆られた。


「元気にしてますよ。でも親父に会いに来た昔の知り合いは、がっかりして帰っていくだけです。今の親父は、かーちゃんや俺たちに関することにしか興味がないですから。主夫業に専念してるし、外で稼いでくるのは酒場で酔っぱらってピアノ弾きながら歌ったときくらいのもんです。『仕官しろ』だの『反乱に手を貸せ』だの言ったって無駄だ」


 警戒を崩さないロジェの声に、ユーリルが呆れてため息をつく。オフィリアは「無理もない」とうなずいて海に背を向けた。


「長々と失礼。ここはあまり治安がいいとは言えないから、彼女を大通りまでお願いします。それじゃあ」


 軽く会釈しながら、オフィリアは銀の鍵を誇らしげに見せてくれた雪国の少女──アルベルティーヌ・ヘーゼルを思い出す。

 彼女の最期を知るのは、自分とロジェの父だけだろう。

 死んだ貝のように口を閉ざし、時という大海の底で静かに生きる。それが自分と、ロイス・ロッシュに残された生き方なのに違いない。

 オフィリア・ライズランドという名を捨て、一介の歴史学者として暮らす男は大海原を吹き渡る風に一度振りかえり、白い空と銀色の海の境界に目を細めた。


「時が流れるように、人の名も、また流れていくものなのかもしれません」


 歴史学者が誰に向けるでもなくつぶやいた言葉は、海風に飲まれて消えた。



【 完 】

長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。

この作品は、自分のWebサイトで『Endless Ending』として2007年春に完結した作品です。

今回改稿して『エンドロール・サガ』として「小説家になろう」に公開しました。


本作には、さまざまな歴史エピソードをアレンジして使用しています。

当時はファンタジー小説が全盛で、歴史物や時代物が好きな私は「歴史物も面白いよ!」という思いでこの話を書きました。

歴史物だと時代考証が大変ですから、ちょっとした逃げもあったかもしれません。


そんな作者の考えはさておき、少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。

外伝として、ロイと養母アルベルティーヌの話、アルフォンスと神官シエラの話もございますので、そちらもあわせてお楽しみいただければ幸甚です。


2025.6.10 網笠せい

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