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エンドロール・サガ  作者: 網笠せい
第九章 月龍哭す
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第九章 月龍哭す 第五話

 北方都市ハルシアナで帝国軍の本営として使われている屋敷に向かいながら、ラグラス・マーブルはハレイシア・デューンのぴんと伸びた背中を見つめた。早足で雪の中を進むその姿に、内心ためいきをつきながら、ラグラスは重い足を進める。振りかえったハレイシアが「なにか言いたそうだな」と渋い顔で言った。


「いや、別に。帝国がとうとう降伏したなと思っただけだ」

「……」


 ハレイシアが吹雪の中で顔をあげる。その横顔には笑みが浮かんでいた。


「まさか降伏するとはな。ロイス・ロッシュには、私がこの手で引導を渡してやるつもりだったのに。こんなに早く降伏すると思わなかったから、予定が狂ってしまった。しかし、冬の間に降伏してくるなんて……よほどハルシアナの冬をなめていたのだろう。愚かなことだ」


 ハレイシアの声がいつもより高い。口数も多い。惚れた相手に会えるのだから心が弾むのも仕方のないことだろう。しかし今のラグラスにとって、ハレイシアの声は耳障りだった。多少、意地の悪いことを言いたくなるのも無理はない。


「声がずいぶん、うれしそうだが」

「当たり前だ。私たちは勝ったんだぞ。これで戦が終わる。うれしくないなんて、どうかしている」

「本当にそれだけか?」


 ラグラスがじっとりと視線を向けると、ハレイシアは真剣な顔に戻った。薄い青の瞳がこちらをじっと見つめるのを、黙って見返す。ふと、ハレイシアの瞳から余計な力が抜けたのに気付いた。おおっぴらに感情表わさない者同士、通じるところがある。


「……お前の観察力は大したものだ」

「理解者である俺に惚れたか?」

「まさか」


 ハレイシアが背を向ける。雪の塊をまたぎながら進む後ろ姿をながめながら、ラグラスは小さく肩を揺らして笑った。


「俺もお前の背中を預かるのは、戦場だけで十分だ」

「まさか君に言われるとは思わなかったな、黒馬の王子様」

「はっ、ずいぶんと昔のことを言う。我が王国の誇る戦乙女は、生きている人の心に永遠を求めるのか? 馬鹿らしい。生きていれば人は変わるものだ」


 振りかえったハレイシアは先ほどとはうって変わって、春の日差しのような笑みを浮かべていた。見とれることもなく、ラグラスは苦笑いを返す。


「ラグラス、私はロイス・ロッシュに会ってくる。お前にも同席してもらいたいところだが、頼みたいことがある。東に少し行ったところに……」

「病院だな?」


 言葉をさえぎったラグラスに、ハレイシアは小さく顎をひいて「頼む」とうなずいた。「任せておけ」と返して、屋敷の中へと消える軍服の後ろ姿を見送った。肩までの金髪が揺れ、一歩遠くなるたびきらめいて見えた。腕組みをして、ラグラスは青灰色の瞳を細くする。


 ──面倒な仕事をくれたものだ。


 帝国本営近くにある病院には、帝国軍の傷病者が大勢いる。今、本営にいるのは降伏に納得している者たちだが、病院にいる者まで皆、納得しているとは限らない。病院にいるのは怪我を治すためで、降伏するつもりなど微塵もないという連中もいるだろう。特に先の短い傷病者などは、王国に一矢報いてやろうと考えてもおかしくはない。

 王国軍も素性の確かな者で構成されているわけではないから、下手をすれば争いが起こる。ラグラスの率いる部隊は軍人が多いが、それでも皆が紳士的とは限らない。降伏交渉をしている横で戦闘行為が行われることは、あまりよろこばしいことではなかった。交渉が決裂することを避けたいのは帝国だけではない。戦争がつづけば、それだけ金がかかる。国庫を浪費するうち、国力が下がったというのでは目も当てられない。王国には戦争のその先がある。

 吹雪の中を灯りに向かって進むと、白い建物が見えた。レンガに雪がこびりついて白く見えている。ラグラスは渋い顔になった。寒いのには、どうも慣れない。護衛が軍服のコートの前をかきあわせると、素早く扉をノックした。

 すでに到着していた王国兵が扉を開けるのと同時に、するりとホールへ入る。肩に積もった雪を払い退けた。病院の中は外ほど寒くないが、コートを脱いでいられるほど暖かくもない。


「状況は」

「現在戦闘準備を進めているところです」


 ラグラスの予感は的中した。先に到着した仕官は戦闘態勢に入るよう、命令したらしかった。眉間に三本のしわが寄るのを、ラグラスは自覚した。すぐに戦闘態勢の停止を命じ、説明を求める。


「抵抗でもあったのか?」

「はい。部屋に立てこもっている連中が多く……」


 ラグラスは苦虫を噛み潰したような顔になる。軍の規律、統率力、度量……そのどれもを試されている気分だ。


「馬鹿か。ここは病院だぞ。病気やケガで部屋から出られない者もいて当然だろう」


 みるみる部下が悲痛な表情になった。気持ちは痛いほどよくわかる。降伏するふりをして攻撃するような輩も、いないとは言えない。王国兵も帝国兵も味方がやられるのを目の前で見て、逆上しないわけがない。抗戦を望む患者と、降伏を望む患者を完全に分けることは不可能だ。


「武装を解除する必要はないが、こちらから手を出すな。極力平和的な話し合いで済ませるようにというのが、デューン将軍の命令だ」


 新たな命令を下した途端、言い争いが聞こえた。ラグラスが厳しい視線を向ける。


「お前ら帝国がいつ攻撃してくるかわからんから、縄で縛っているんだろう!」

「何を! 乱入してきたのはお前たち王国じゃないか! どうしてこんな屈辱的な真似……」


 言い争いはすぐに怒鳴り声の応酬になる。ラグラスの視線に気付いた部下が横から説明した。


「我々が病院に到着したとき、抵抗を試みた帝国兵です。つかみかかってきたので捕えました」


 部下の言葉が終わるか終わらないかの間に、ラグラスはかつかつと軍靴を鳴らして問題の集団に近付いていく。無言でにらみつけると、部下たちは直立不動の姿勢になって敬礼した。凍りついた空気に怯えるように、ホールに集められた傷病兵たちも言葉を飲み込んだ。


「武器の確認を」


 ラグラスの淡々とした声に、先ほどまで怒鳴っていた王国兵は瞬時に冷静さを取り戻した。命令に従って、縄で縛られた帝国兵の身体をごそごそと探る。探り終えると王国兵は、ラグラスに向けてきびきびとした動きで敬礼した。


「武器、ありません!」


 胸をはって高らかにそう宣言した兵に、ラグラスはうなずいてみせる。


「縄をほどけ」


 その声に王国兵も帝国兵もなく、目を丸くした。

 王国兵が武器をもっていれば、帝国兵はいつ攻撃されるかわからないと肝を冷やすだろう。王国兵は病室にこもりっぱなしの帝国兵を警戒する。自分の身を守るために手にした武器が、自分の身を危うくする。疑心暗鬼から争いが起こる。相手が武器を持っていたから、あやしい動きをしたから……そうして悪循環がはじまるのを、ラグラスは危惧した。


「帝国が降伏した以上、お前たちを傷つけるつもりはない。ただ、ホールから動くな。こちらも命がかかっているからな。……誰か、院長を呼んでこい」


 ホールにまとまって座る帝国兵は、ちらちらとラグラスを見ている。帝国を裏切り、王国に加担したラグラスを信じられないのだろう。


 ──自ら選んだ道だ。元より、万人に好かれようなどとは思っていない。


 靴音の聞こえた先へ顔を上げると、院長が下りてきた。意外に若い男だ。胡乱なものを見る険しい目つきでラグラスを見下ろしている。ラグラスは敬礼すると「ライズランド王国第三師団、ラグラス・マーブルだ」と告げた。


「ここにいる帝国兵に降伏の意思があるか確認したい。我々は無駄な戦闘をするつもりはない。帝国兵の武装解除をお願いしたい」

「武装解除は帝国軍だけかね? 君たちは?」


 お前は部下に規律を守らせることができるのか? と院長が言外に発した問いに、ラグラスは不敵な笑みを浮かべた。


 ──やるさ、それが俺の仕事だ。


「帝国は降伏した。武装解除するのは当然のことだ。我々王国兵は武装を解くつもりはない。だが帝国兵の攻撃がない限り、我々から手を上げることはしないと約束しよう」

「……マーブル家の次期当主のお言葉ですからな……」


 院長がうなる。マーブル家の名前を出すあたりが狸だ。マーブル家は信用できるが、ラグラスは信頼できないとでも言いたいのだろう。

 それに気付いても、ラグラスは表情を変えない。これからもマーブル家は、ライズランド王国に大きな影響を与えつづける。それはラグラスが王国に加担したからであって、過去のマーブル家当主たちの功績ではない。評価されるのがマーブル家という家名でも、ラグラスの行動によって今のマーブル家がある以上、気にすることはない。

 窓の外で、雪の塊が落ちる気配がした。


「彼らが私の命令を聞いてくれるかどうか」

「ならば入院している帝国兵の中で、最も階級の高い者に会おう。その者の命令なら聞くだろう。誰だ?」

「ユーミリア・ユグドラシル大尉ですな。十六号室におりますよ」


 その名を聞いたとき、ラグラス・マーブルは特別に投げやりな気持ちになった。ユーミリアがいるならば、アリアもいるだろう。自分の剣を傍にいた仕官に渡して命令を下す。どこにもいるはずのない神を呪いながら、階段をのぼった。部下が足音を忍ばせてついてくる。人のいない二階の廊下はしんしんと冷え込んでいた。前を歩いていた院長が首を傾げた。


「何故剣をお預けになったのです? 王国兵は武装を解かないと仰っていたのに」

「余計な誤解を与えたくない。外で部下を待機させることにはなるが」


 ラグラスの言葉に院長が顔をくしゃっとさせて笑った。

 ラグラスは、戦場を経て眉間のしわをさらに深くした己の表情をよく知っていた。アリアと過ごした時間に戻ることはできない。せめて彼女をおびえさせないよう、武器は手にしないでおく。


 ──女々しいことだ。この期に及んで、まだお前を気にしている。


 院長が十六号室の前で足を止め、扉をノックする。ラグラスが院長につづいて室内に入ると、アリアがいた。焦げ茶の髪がさらりと肩から滑り落ち、彼女の両目がみるみるうちに見開かれた。

 もう会うことなど、二度とないと思っていた。二度と手に入らない穏やかな生活を振り切るように、ラグラスは幾度も戦場を駆けた。あれほど苦心して忘れたというのに、一瞬で時間が戻ったのに気付く。

 ラグラスは自分に向けて放たれた殺気に気付かぬふりをして受け流した。傷だらけの男が、ベッド脇に置いてあった剣を手にしてこちらをにらみつけている。鋭い眼光でラグラスを射抜く様子は、まさに剣鬼の名にふさわしい。


「ラグラス・マーブルだ。安心しろ、命はとらない。俺は丸腰だ」


 ラグラスは感情の揺れが伝わらぬよう、細心の注意をはらって告げる。それでもユーミリアの殺気は少しも揺らがず、手負の獣の威嚇にも似た緊張感があたりに満ちた。


「剣を離せ。でなければ、王国兵はお前を斬らなくてはならなくなる」


 ユーミリアの殺気がさらに増す。スカートをつかむアリアの手に力が入っているのに気付いて、ラグラスはため息を一つついた。


「お前は今、殺されても仕方のない状況にいる。わかっているか?」


 ラグラスに戦闘の意思がないと知っても、ユーミリアは険しい表情をゆるめない。アリアを奪いに来たわけでもないが、それを口にするほど、ラグラスは人がよくない。相手がユーミリアなら、なおさらだ。


「お前ほどの腕の者が剣を手にすれば、誰だって武器を構える。アリアと自分の身を守りたいなら、剣を離せ」


 悠然と構えるラグラスの後ろで、すでに部下が銃の引き金に指をかけている。ラグラスが部下の前をさえぎるように腕を伸ばしていなければ、いつ銃が火を噴いてもおかしくない。


「お前は補佐官としても優秀だっただろう。剣を捨てても生きられる」


 アリアの肩が恐怖でふるえている。ユーミリアはそれに気付かない。どうしてこんな男に譲ってしまったのだろうと、後悔が心にさざなみを立てる。


「それでも剣を捨てられないというのなら……」


 一度、言葉を切って自嘲する。怯えたアリアのまつ毛が、頬に影を落としている。うっすらと潤んだ瞳は伏せられ、いつも穏やかに微笑んでいた唇から恐々と息が漏れる。ラグラスは己を叱咤して、胸を張った。


「いや、お前にはこれから先、決して相手より先に剣を抜かないと誓ってもらおう。お前の腕なら、相手が抜いてからでも十分間に合うはずだ」

「簡単に、言ってくれますね」


 ユーミリアの声は、意外にも冷静だった。整えられた呼吸に鋭い眼光。ベッドの上に片膝を立てて、いつでも斬りかかることのできる姿勢でいる。これだけの殺気を放ちながら、よくこんな声を出すものだ。


「簡単だろう? 剣を手にしたのは何のためだ?」


 額の包帯にかかった黒髪が揺れた。ユーミリアはベッド脇に剣を置いて、一つ息を吐く。窓についた結露が雫となってガラスの上をすべり落ちた。雪が溶けるように、結露が雫になるように、ユーミリアの殺気が次第に解かれていく。

 ラグラスがちらりと背後を見ると、部下たちが一斉に銃を下げた。戦争をしている両者が互いを信じられないのは当然のことだ。しかしそれでは戦いを終わらせることができない。帝国は玉砕する羽目になるし、王国もそれだけ被害を出す。このライズランド島に得をする者などいない。

 アリアが顔を上げた。その横顔に一瞬視線が吸い寄せられる。すぐに顔を背けた。恋人たちが互いに視線をかわす。ユーミリアの表情が和らいだ。

 心の奥に嫉妬が渦巻いていく。どれほど強く想っても叶わぬということはわかっている。アリアはユーミリアを選ぶだろうし、ユーミリアはアリアを受け入れる。ラグラスの手のひらに爪が食いこんだ。嫉妬に身を任さぬように、窓の外へと視線をそらす。

 己の心が揺れるのに、ラグラスは怒りすら覚えた。アリアに未練を残している自分も、アリアを行かせたことを後悔している自分も、怒りの対象でしかなかった。


 ──それでもアリアに出会わなければよかったとは、思えない。


「本営が降伏するというのに、従わない理由はない。俺たちも大人しく降伏します」


 あれほど殺気立っていた男の言う台詞だろうか。ユーミリアの表情は以前カーミラ城の廊下で見かけたような生真面目なものだ。ベッドの脇にいるアリアと目を合わせるたびに、はにかむような笑みを見せている以外は。


「では、武装解除を。……失礼する」


 手短に告げてきびすを返す。ラグラスは振り返らない。

 何か言おうとするアリアを背中でふりきって歩を進める。フェシス神でも、メイジス神でもない。ましてやアスハトでもない。ラグラスは己のふがいなさを、己自身の胸に懺悔した。

 廊下を出ると、院長が満足そうに頭を下げた。窓の結露の向こうに、うっすらとハルシアナの景色が見える。ガラスにそっと指先で触れると、表面が濡れて透明になった。にじんだ先に見えたのはハレイシア・デューンのいる帝国本営だ。


 上官はどうなっただろうか──。


 そう考えるラグラスの頭には、アリアの姿が刻み込まれている。あきらめているのに断ち切れない己は滑稽だ。

 ラグラスは、かつて愛しい人が──もう己の傍にはいないアリアが直してくれたコートの裾をひるがえして、本営へと向かった。

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