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エンドロール・サガ  作者: 網笠せい
第八章 冥龍吠ゆ
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第八章 冥龍吠ゆ 第八話

 ハルシアナの中心部に到着した帝国陸軍は、無事、帝国海軍残党との合流を果たした。雪のせいか人の姿はまばらで、外に出てはしゃいでいるのは子供たちくらいのものだ。ロイス・ロッシュは己についてきた少女……アルベルティーヌ・へーゼルが目をきらきらさせたのに気付いた。


「ベル、どうした?」


 優しく問いかけると、少女はそわそわと身体を動かして「新雪」と短く答えた。


「雪は珍しくないだろう?」

「でも、根雪じゃないから」


 ロイにはその違いの意味するところがわからない。ベルはにっこりと笑って、馬上から飛び降りる。少女を受け止めた新雪が形を変えたのを見て、ロイはなるほど、と納得した。


「根雪だとね、ごちんって打っちゃうんです。これは新雪でないとできないの」


 雪に半分埋もれたまま、少女はにこにこと笑った。


「寒くない?」

「冷たいのがちくちくして気持ちいいですよ」


 そんなものだろうか。ロイはベルの頭上を飛び越えて着地した。ぼすっ、と白い雪に身体が埋もれる。軍支給のコートを着込んでいるせいで雪を感じられないが、顔や指は冷たくて気持ちがいい。


「あ、ちょっとわかるかも」

「でしょ?」


 軍事訓練の手を休めた兵たちが、二人のやりとりをながめてにやにやしている。


「お前ら、俺が子供だと思ってるだろう!」


 雪の中から起き上がってロイが叫ぶと、兵たちから「いえいえ、お似合いだなぁと思っただけで」と素直な返答があった。


「お前らもやってみろ、気持ちいいぞー」


 雪の中を走って、新しい雪の上に倒れこんだ。何度も同じことをベルと二人でくりかえすうち、辺りの雪は穴だらけになってしまった。しまいには雪玉を作って投げあう始末。もはや子供以外の何者でもない。ロイとベルの楽しそうな声に、次第に現地の子供たちが集まってきた。次第に甲高い声が響くようになって、雪合戦が熾烈になる。


「やーい、大人のくせにー!」


 集中攻撃に耐え切れなくなったロイが帝国兵に向かって叫んだ。


「お前ら、上官を助けろ! これはあくまで雪原での戦闘訓練だ!」


 命令を受けて、一人二人と帝国兵が戦場入りを果たす。繰り広げられるのは、なんともほほえましい光景だった。きゃっきゃと騒ぐ子供の声が、帝国兵を否応なしに日常へ引き戻し、緊張感をやわらげる。疲れが癒されるようだった。

 雪合戦に参加していない兵もいるが、誰もがその様子に目をやっている。その中に現皇帝、オフィリア・ライズランドがいることにロイは気付いた。まぶしそうにこちらを見ている。ロイは雪に足をとられながら歩み寄って声をかけた。


「陛下もご一緒にいかがです?」


 オフィリアが目を大きく見開いて、無言で後ろをふりかえる。マリー・ライズランドは深い青の瞳を細くした。ロイは片膝をついて、頭を深々と下げる。


「行っていらっしゃいな」


 かつて後宮の女帝と呼ばれた女は、ひどく穏やかな声でそう告げた。オフィリアの顔が瞬時に輝いて、雪玉の飛び交う中に駆け入った。

 ロイもそれに従い、オフィリアを自分の背に隠す。たとえ遊びとはいえ、自分の君主の首をやる気はない。


「陛下に雪玉を当てさせるなよ! 負けたらお前ら減給!」


 ウソ、と青ざめた帝国兵に向けて、ロイはガキ大将の顔をしてみせた。


「ここからここまでが第一小隊、そっちは第二小隊、あっちは第三小隊ね。で、俺と陛下が本隊」


 あっという間に参加者を編制しなおすと、ロイは腰に手をあててにやりと笑った。


「おい、自慢の副官! お前はすばしっこいから第二小隊だ!」


 遠くから雪合戦をながめていたユーミリアに声をかける。黒髪の副官は嫌な顔をしながらもやってきた。


「第一小隊は右、第二小隊は中央前、第三小隊は左へ布陣。中央前の第二小隊はすぐさま進撃し、敵を左右に分断しろ。それを第一、第三小隊が取り囲んで撃破する。以上、解散!」


 まったく、大人げない。誰もが思ったが口にはしなかった。軍において上官の命令は絶対である。

 無数の軍服が雪原を走りだす。雪玉の応酬がはじまるのを、本隊の二人は後ろで見守っている。


「ロッシュ、これではつまらないのだが」


 雪玉が顔のすぐ横を通り過ぎる。主の声に、ロイは指揮官の顔で応えた。


「陛下、我々は補給部隊です。雪玉を作って前列の兵に送るんですよ。地味ですが、補給がないと前線の兵も戦えません」

「なるほど。そういうものか」


 二人で雪玉を作っているところへ、流れ玉が飛んでくる。ロイがオフィリアの腕をひっぱる。自分の側に落ちた雪玉に驚いて、オフィリアは目を丸くした。次第に皇帝としての顔から、子供の顔に戻っていく。オフィリアは遠くから味方を援護しようと雪玉を投げはじめた。そのうち、補給の仕事はロイが一人でする羽目になった。


 ……陛下が楽しんでいるのならそれでいい。


 鍛え上げた軍人たちの体力に一歩も譲らず、子供たちは善戦していた。さすがに子供は疲れを知らない。

 ロイが座りこんで一心不乱に雪玉を作っていると、優しげな少女の声が降ってきた。


「ロッシュさま」


 ふと顔を上げる。ベルだった。


「ああ、ベルも本隊に編入……」


 瞬時にロイの頭に大きな雪玉がぶつけられた。


「ぶはっ、ベル、お前……」

「私は今回、ロッシュさまの敵ですよ? だーれも気付かなかったから、楽に進めました」

「ずるい、ずるいよベル!」

「子供の遊びに軍の編制まで持ち出しちゃうロッシュさまほど、ずるくありません」


 ベルはそう言って笑うと、今度はオフィリアの顔面に雪玉を軽くぶつけた。雪玉が崩れた向こうから、十二歳の皇帝の屈託のない笑みが見えた。次の瞬間には雪原に駆け出して行って、いい加減に疲れが見えはじめた前線で、雪玉の投げあいをはじめる。

 ロイはそれを見送ってから立ち上がり、コートについた雪を払った。


「あーあ、負けた……。ベル、お前策士だなぁ。王国の腹黒眼鏡みたいだ」


 銀髪の中佐は少女を抱き上げて肩に乗せる。得意げな笑みを浮かべた少女は、そのままロイに抱きついた。


「すっかりお父さんじゃねえか」


 突然眼前に大きな影が差したのに気付いて、ロイは声の主を見た。海軍少将アルフォンス・クーベリックだ。


「俺の子じゃないですよ。隠し子はいません」

「そういう意味じゃ、ねぇんだけどな」


 白い雪の中で、アルフォンスの濃い灰色の髪は目立った。海軍の青い軍服も目に鮮やかだ。


「えらく目立ちますね」

「ハルシアナは雪で真っ白だから、色があると目立って仕方ねぇな。お前んとこの副官も目立つだろう。さっきも雪玉の集中攻撃を食らってた」

「そうでしょうね。オレはすっかり保護色ですよ。雪って白いものだと思ってたけど、案外きらきら光るもんですね」


 ロイは「まぶしくていけない」と目を細くした。子供も帝国兵も雪合戦を終え、戦場跡で転がっていた。少し休憩して、復活した子供たちがベルに誘いの声をかける。少女は器用にロイの肩から滑り降りて、雪原を駆け出した。


「ベル、あんまり遠くへ行くなよ!」


 少女が自分に向けて手をふるのが見えた。微笑んで、小さく手をふり返したロイに向けて、アルフォンスは意地の悪い笑みを浮かべる。


「やっぱりお父さんじゃねえか」


 ロリコンの方がまだマシだと反論しようとして、口をつぐんだ。どちらもあまり嬉しくない。遠くから聞こえる子供たちの笑い声が、陸海の指揮官たちの間に漂う沈黙を覆った。

 ハルシアナの中心部を取り囲むようにずらりと並んだ木々に、葉は一つもなかった。かわりに樹氷が氷の花のように木々に着いている。


「リシュル、死にましたよ」

「ああ、聞いた」

「獅子奮迅の働きでした」


 アルフォンス・クーベリックは黙って、胸ポケットから煙草を出した。火をつけて、口にくわえる。

 きっと提督なりの冥福を祈る儀式なのだろうと、ロイはそれ以上、リシュルの死に触れないことにした。短いやりとりではあるが、事実が伝わればそれでいい。戦場には一人一人の死に心を沿わせる時間など、本来ない。


「海軍の残存兵力は?」

「五割ってとこだな」


 隻眼の提督の言葉に、ロイは眉根を寄せた。


「えらく減りましたね」

「やめたい兵は、やめさせてんだよ」


 あっさりと言い放った提督に、ロイは驚きを隠せない。


「提督、あんた一体……」


 ぎり、と歯が鳴った。白く広がる雪原に侵食されたように、頭が真っ白になった。


 ──やめたい兵はやめさせる、だと……?


 気がつけば、自分よりも頭一つ分高いアルフォンスの胸倉をつかんでいた。


「提督、あんた自分が何をしてるのかわかってるのか」

「それはこっちの台詞だ。ここまで来りゃあ、帝国が勝つことはねぇ。どうしてそこまで戦いにこだわる?」


 胸倉をつかんだ手をやんわりと押し戻されて、ロイは舌打ちしながら手を離す。冷静な相手の対応に、激した感情は行き場をなくした。


「帝国のために決まってる!」


 この期に及んで、提督は一体何を考えているのだろう。

 怒りに任せて雪を踏みつけた。みし、と足元で鳴った雪が、ブーツの靴底に食いこむ気配がした。雪合戦の名残か、額に冷たい雫が触れた。


「しなくて済む戦を、わざわざする必要なんてねぇだろう。帝国の負けだ。それでいいじゃねえか」

「帝国はまだ負けちゃいない!」


 アルフォンスの言葉が完全に終わる前に、ロイは叫んでいた。

 木の上から雪の塊が落ちる。地面に積もった雪に触れた瞬間、塊はあっけなく崩れた。


「確かに俺たち海軍は、陸でも大砲をぶっ放せるさ。でもな、そりゃあ、行き場のない奴の話だ。わざわざ死に急ぐこたぁねぇんだよ。逃げようって奴を無理矢理引きとめて何になる?」

「ふざけるな! こっちは逃走兵を斬ってまで、ハルシアナに来たんだぞ……!」


 ロイの後方で、ざく、ざく、と雪の中を駆けてくる足音がする。冷たいものが手に触れた。ふり払うと同時に、反射的にふり返る。ベルだった。一瞬表情を曇らせたロイに、少女はもう一度手を差し伸べる。触れた手は冷たかった。ロイはその手を、今度はしっかりと握りしめた。


「斬ったのか……お前、なんて真似を……」

「それが軍規だ。リシュルもそうしてた」


 非難の響きをはらんだアルフォンスの言葉を、ロイがかき消す。隻眼の提督は残った右目を細くして、灰色の頭をがしがしとかきまわした。


「兵をやめさせてるだって? 提督、あんた王国に勝つつもりはないのか! それじゃあ何のためにリシュル少佐は死んだんだ! 帝国の勝利を待ってる臣民のためじゃないか」

「王国はもう内政をはじめてんだよ。民は上に立つ者を選べない。お前の言う臣民ってぇのは、もういねぇんだ。いるとしたら、それは死んだ奴のことだろう? 死んだ奴のために戦争して何になる? そんなのは無駄に死人を増やすだけだ。リシュルだってそんなことは望んじゃいねぇよ」

「あんたがしてることは、今ここで戦おうとしてる奴らを見捨てるのと同じことだ!」


 ロイの手がそっと握りしめられる。ここにいる、ベルにそう言われた気がして、銀髪の中佐はつないだ手に力をこめた。


「子供の前で、する話じゃねぇな」

「……ああ」


 何のために戦うのか。その答えが人それぞれであることをロイは十分に承知していた。提督の思いが比較的自分の思いに近いのだということも、ロイにはわかっている。


 生きる──生き延びる。


 一人でも多く生き延びさせたい、その思いは同じだ。ただ、優先するものがちがう。

 ロイは幼い皇帝と、それに付き従う兵を守ろうとしている。けれどもアルフォンスは、逃走兵も含めた一兵の命を守ろうとしている。そこが違う以上、互いの考えがまじわることはない。議論をくり返しても無駄だと背を向けた提督の頭上で、煙草の煙が頼りなく揺れた。白い煙は高い空へ向かおうとして、すぐに大気に溶けた。


 ──俺は陸海もまとめることができないのか。


 ロイは己の無力さを噛みしめながら、計画の立て直しをはかった。止まることは許されない。もがいてでも前に進まなければ、時機を逃してしまう。

 アルフォンスが来たときと同じように去るのを見て、ロイは強く握りしめたベルの手から、ようやく力を抜いた。


「ロッシュさま……」


 少女の気遣う視線に、銀髪の中佐は薄く笑う。


「心配するな」


 栗色の小さな瞳がくるくると動く。ベルはわずかにためらった後、首を横にふった。


「無理はしないでください。せめて私の前では」

「他の奴らにも、ぜひそう言ってもらいたいもんだな。俺の苦労をわかって欲しいね」


 茶化して笑っても、アルベルティーヌには通じない。それがわかっていても長年の癖というものはなかなか抜けないもので、冗談めかして本心を語っている。自然と、ロイの笑みは苦いものになった。


「さっきのお話、私にはよくわかりません。でも私は、ロッシュさまが正しいと信じています」

「ベル、そういう思考停止が一番危ないんだよ。俺はきっと、後の歴史で愚かな男として語られる。王国の世の中がつづく限り、その評価は変わらないだろう。でもそれでいいんだ。俺は帝国軍人だから」

「そんな……!」


 ベルがわずかにうつむいて瞳をうるませたのに気付いて、ロイはそっとその頭をなでた。


「本当に俺のことを知って、それでもそばにいてくれるのは、ベルだけかもしれないな。こうやって泣いてくれるのもベルだけだ。でもね、俺はそれで十分だ。ベルなら俺が死んだって、きっと覚えて……」

「やめてください!」


 感傷的な声を、少女がさえぎった。小さな瞳から涙のこぼれ落ちる瞬間をロイは見た。


「ロッシュさまが死ぬなんて、考えるだけでもいや……絶対にいや」

「……なんだか嫁さんもらった気分だなぁ」


 ロイは首をさすりながら小さく笑った。ポケットから銀の鍵を取り出して、そっとベルの手ににぎらせる。手のひらに残った金属の臭いがひどく懐かしかった。


「ロッシュさま……?」


 戸惑ったままのベルに、にやりと笑う。


「未来の奥様に。俺の実家の、書庫の鍵だ」


 銀色の鍵は遠い昔、養母がロイに渡したものだ。


 ──ゆっくり、大人になりなさい。


 養母の声は静かにロイに染みこんだ。あの日のことを、いつでも思い出すことができる。目に鮮やかな芝生にたたずむ、白い薔薇のような女性──アルベルティーヌを……、目の前の少女と同じ名前の女性を。


「待っててやるから、ゆっくり大人になれ」


 養母の言葉を真似た。養母がどれほどの愛情をもって接してくれたのか、よく知っているつもりでいた。けれども今、もっと深く理解できたような気がしている。同時に、それが親子の情愛であって、共に人生を歩む者への愛情でないことも、痛いほどわかった。


 俺は本気で好きだったんだけどな──。


 無数の足跡が残る白い雪原に、ロイは一人の女性を思い描いた。

 高潔な白い女性の姿は、いつもより幾分か淡く思い出された。

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