第八章 冥龍吠ゆ 第二話
ステンドグラスの向こうに日が昇ったのを認めて、銀縁眼鏡の男は目を細めた。手には書類が握られている。ここは先代皇帝が皇都から少し離れた場所に建てた別邸だ。年に二度使われればいい程度だったにも関わらず、建物や調度品は豪華で、隅々まで手入れが行き届いている。
「ヨシュア! どこなの、ヨシュア!」
あわただしい足音と、己を探しまわる声が聞こえる。かつてヨシュア・フォルテスとして生を受けた男──クラウス・オッペンハイマーは扉を開けた。
「エルザ、どうかしましたか」
眼前に赤いじゅうたんを敷いた廊下が広がる。廊下の向こうから駆けてくる足音がした。エルザだ。金色の髪が肩で揺れ、青い瞳もそれに合わせるように不安げに揺れていた。
「ヨシュア、ここにいたのね」
クラウスの腕にしがみつくと、先代皇帝の側妾だった女は、細く長く、息をついた。薄い肩が震えている。
「寒いですか? 暖炉に火を入れますよ」
「平気よ、寒くはない。それより、どこかに行くときは教えてと言ったでしょう」
クラウスがエルザの手を握ると、少しずつ震えが収まっていく。ここ最近のエルザはずっとこうだ。クラウスと離れていると落ち着かない。ひどいときにはパニックを起こしてしまう。
「だってあなた、まだ寝ていたじゃありませんか」
「だめ。きちんと教えてくれなくては」
クラウスは「僕にも仕事があるのですが」と言いたいのを飲みこんだ。これまで一体何のために尽力してきたというのか。帝国を滅ぼすことは目的ではない。エルザに自由を与えることが、クラウスの目的だ。だから仕事など後回しでいい。うまく眠ることができなくなったエルザがうとうとしはじめたら、そのときに仕事を片付けてしまえばいい。
「それはそれは、男冥利に尽きるというか、なんというか。……本当に暖炉に火を入れなくていいのですか?」
エルザの頬をそっとなでる。片手では持ちきれなかった書類が、クラウスの手からばさばさと滑り落ちた。
「平気。あなたがいないから心配しただけ」
クラウスが一緒にいれば、エルザは己の姿を……いつものように悠然とした笑みを浮かべる見識ある才女としての姿を、取り戻す。
──これのどこが平気なものか。
夏に医者に診せたときよりも一層ひどくなっている。クラウスは己の内でざわつく感情をもてあましていた。数ヶ月前から徐々に、クラウスは後宮から出ることができなくなっていた。エルザを隣に置いたままで政務をこなさざるを得なかったのだ。エルザが不安がってクラウスから離れようとしないのだから仕方がない。
騒がしい皇都を離れて、静かな場所でゆっくりと過ごすことにしたのが先月のことだ。この大切な局面に参謀が長期の休みをとるなど言語道断のことだが、クラウスにとってはエルザが絶対だった。
エルザが床に広がった書類に手を伸ばす。スカートのすそがふわりと広がって、じゅうたんの上に花のように広がった。その様子は優雅で、彼女が先代皇帝の寵愛を受けるほどの美貌の持ち主であることをクラウスは思い出した。そばにいる時間が長いせいで感覚が麻痺している。世間では「先代皇帝第二夫人の美貌に陥落した」と評されるクラウスだが、彼はエルザの美貌には興味がない。エルザの白い指が書類を拾いあげるのを、クラウスはなんとはなしに見つめた。
「いやっ」
内容が目に入った瞬間、エルザは書類を放り出してクラウスの腕の中に飛びこんだ。
「エルザ? どうかしましたか」
顔をのぞき込もうとするが、エルザの腕は強くクラウスを抱きしめていて、ほどくことができない。
床に散らばっているのは戦死公報だった。戦死した王国軍兵士の最期を知らせるためのものだ。遺された家族の生活保護をするにあたって、クラウスはその数を把握し、援助について考えなければならなかった。クラウスの喉の下で、女の頭が動くのがわかった。
「あなたはもう、何者にも戻れないのね」
エルザの声を受けて、クラウスはそっと彼女の頭をなでる。金色の髪に指がひっかかった。目覚めてすぐに来たのだろう、髪がもつれたままだ。ほぐすように少しずつ、指ですいていく。
「本物のライナーお兄様だったら、感傷的に戦死公報を見つめるような真似はしないわ」
クラウスの指が止まる。感傷的に見ているつもりなど、クラウスにはこれっぽっちもない。軍への貢献度で生活保護の額を変えるべきだろうかと思ってながめていたところだ。エルザがクラウスの考えを理解していないことに、クラウスは驚いた。
「……そうかもしれませんね」
──昔のあなたなら、きっと見抜いたのでしょうね。
クラウスの目頭が思わず熱くなる。なぜこんなことになってしまったのだろう。クラウスはエルザを助けるために皇帝に挑んだが、いざ彼女を助け出してみたら、すでに彼女は壊れていた。彼女の心を守ることができなかった、遅すぎた……クラウスの後悔は深い。
商業都市スォードビッツで、エルザの兄として暮らした日々を思い出す。これまでのクラウスの人生の中で、最も幸福を意識しなかった時間だ。自然にそこにあるものを、人はわざわざ意識しない。けれど今となっては、いかに幸福な時間であったのか、身にしみてわかる。
「本物のクラウス・オッペンハイマーだったら、こうして起き上がって歩くこともない。彼はとても身体が弱かったもの」
オッペンハイマー家は、宗教的な権威を失うことをおそれた。だから本物のクラウスが病死したときに事実を公表せず、替え玉を作ろうとした。これに便乗したのが、ライナーとして生活していたヨシュアと娘との仲を疑いはじめたエルザの父だった。宗教都市ネステラドへ向けて出立する間際、離れ離れになる一瞬、絡みあったエルザの指に力が入ったことに気付いた。エルザの味方は自分以外に誰もいないのではないか。エルザへの想いは一層強くなった。
「そうですね。僕は剣術なんて野蛮なことはやらないから普通の軍人よりは痩せているけれど、少なくともクラウスよりは丈夫です。銃を扱えるくらいには」
エルザの匂いが、いつの間にか感じられなくなっている。そばにいすぎて嗅覚も麻痺しているのだろう。自分からもあの花の匂いがするのかもしれないと、銀縁眼鏡の男はかすかに笑った。
「でもヨシュアだったら戦場に出たはずよ。後ろでこうして安穏としているわけがない」
ヨシュア・フォルテスは若いながらも有能な作戦参謀として、帝国軍にその悪名を轟かせた。情報を収集するために自ら戦線に出たが、机上と同じように戦が進むわけもなく、味方に裏切られて帝国陸軍に敗北した。スォードビッツで死んだことになっている。
「スォードビッツの乱のことですね。昔のことだから……今の僕とは、違うでしょうね」
顔を上げたエルザは得意げな笑みを浮かべていた。
「そうよ、あなたは誰でもないのよ」
無気力につぶやいて、エルザはクラウスに腕を絡める。空をあおいで狂ったように笑いはじめたエルザを、クラウスは淡々と受け入れた。
僕はただ、あなたの下僕でありつづける。その他の何者でもない──そう答えようとした瞬間、爆発音が轟いて、ステンドグラスが大きく揺れた。つづいて荒々しい足音がやってくる。身をひそめたまま窓に近付いて見下ろすと、門に見慣れない男たちがいるのが見えた。
「エルザ、少し離れていてください。頭の悪いネズミが来たようです」
「大丈夫なの?」
「扱い方さえ知っていれば、剣よりも簡単に敵を殺せるのが銃です」
門を見張っているのは一人。きっと侵入者の数は多くないのだろう。見張りに人数をさけないのに違いない。
クラウスは瞬時に判断して、机の引き出しから小銃を取り出す。弾倉を確認して、小箱にずらりと並んだ銃弾を詰めていく。それほど数が多くはない。壁に一挺、砲身の長いライフル銃が飾ってあるのを手に取る。中を確かめて弾を装填すると、エルザに渡した。
「持っていてもらえますか?」
クラウスがどこにいるのかは、一部の部下にしか知らせていない。内部から情報が漏れたと思っていいだろう。
──気持ちはわからないでもない。
革命の立役者の一人が後宮に入り浸って出てこないのだ。不安に思うのも無理はない。
「まったく、僕が死んだらロッシュに勝てないのに。現状認識のできない人間はこれだから」
銃の安全装置をはずして扉に近付く。わずかに開けて外の様子をうかがうが、侵入者の姿はまだ見えない。
「行きますよ」
エルザを伴って、クラウスはいくつも並ぶ部屋に身を隠しながら廊下を進み、正面玄関ホールにつづく廊下に到着する。見下ろす。ほとんどが三階に突入した後らしい。一階ホールには見張りが二人いるだけだ。
クラウスは首を傾げる。己の部下であるならば、きっとこんなにずさんな突入をすることはないだろう。見張りを残してすべて三階に突入するなど、あまり考えられない。窓ガラスを割ればいつでも逃げられる一階から順に調べて行くのが定石というものだ。暗殺は一度失敗すると対象者に警戒心を抱かせてしまって、以降の警備が厳重になる。
──一度でしとめる気がないのか? それとも相手は軍人ではない?
「エルザ、ここにいてください」
エルザから預かった長い銃身を構える。遊底部から弾を入れ、引き金に指をかけた。本来ならつづけて二発撃つのがいいとされるが、そんなことをしていては弾がすぐになくなってしまう。
──まずは一発。
侵入者が一人、眉間を撃ちぬかれて後ろに衝撃で吹き飛んだ。一緒にいたもう一人がうろたえる。即座にそちらの眉間も撃ち抜く。
「こっちにはいないぞ!」
三階の寝室から叫ぶ声がした。きっと寝室にいると読んでいたのだろう。
あんなに大きな声をあげるなんて、まちがいなく素人だ。
「僕はそこまでふぬけていると思われているんでしょうね」
ふふん、と鼻で笑って、クラウスは廊下に身をひそめる。呼吸を荒くしているエルザの手をつかむと震えていた。
「寒いですか?」
エルザがおびえているのだとわかっていて、わざと聞く。呼吸を乱しながらも首を左右に振ったエルザを横目に、クラウスは階段を下りてくる男を撃ちぬいた。
「下だ! 下にいる!」
金属の音ががしゃがしゃと鳴っている。侵入者の武器は剣のようだ。
「剣じゃ銃にかないやしませんよ」
床に伏せたまま弾丸を詰める。手早く済ませて、全身を鎧で固めた頭領らしき男に向けて、クラウスは銃を構える。鉄兜に開いた四角い窓の中央を狙う。目と目の真ん中だ。
銃声と共に、頭領は階段から崩れ落ちた。何人かがあわてて下りてきて、辺りを見回している。
まるで訓練がなっていない。まずは身を低くしてどこから撃たれたかを観察するのが定石だが、どこから撃たれたかも見てはいないようだ。やはり軍人とは思えない。
下りてきた敵を連続して狙う。侵入者からの反撃はない。剣やナイフを投げることは思いつかないようだ。
クラウスは次の弾をこめるまでに敵が駆け下りてくると判断して、小銃で応戦する。最初の一人は腰を撃った。その後、下りてきた連中の首、左胸、眉間と徹底的に急所を狙う。血と硝煙の臭いが鼻をつく。
ようやくあたりが静かになった頃、クラウスはライフル銃に弾丸を装填した。その間も侵入者からの反撃はない。
クラウスはエルザにライフル銃を預けると、小銃を構えたまま、ゆっくりと腰を撃った男の元へ近づいた。にこりと笑う。
「僕とエルザの命を狙ったのは誰です?」
男は決して口を割ろうとしなかった。けれどもその視線には強い憎しみがある。
「アスハトですか?」
「ちがうっ」
突然激しく首を横にふって焦る男に、クラウスは静かに銃を突きつける。狂信者というのは性質が悪い。クラウスは渋面を作った。
「僕はオッペンハイマー家の人間です。革命の首謀者がメイジス神の神官では、アスハト教が国によって保護されるとは思えない……おおかた、そう考えたのでしょう?」
銀縁眼鏡の奥の瞳が細くなる。生き残った侵入者はおびえきって、さらに激しく頭をふった。
アスハトを任せているカイルロッドからは、特に何も報告を受けていない。アスハト教の信徒たちをそそのかした者の存在を、クラウスはうっすらと感じ取った。帝国軍の面々を思い浮かべる。ロイス・ロッシュならやりそうだなと、クラウスは少し傾いた銀縁眼鏡を直した。その間も銃は構えたままだ。
「余計な色気なんか出すから、こんなことになるんです」
引き金に指をかけて力をこめる。
銃声と共に、クラウスの胸に鋭い痛みが走った。予想していなかった痛みに、ゆっくりとうしろをふりかえる。エルザだった。
「ごめんなさい」
──ああ、僕はまるで変わっちゃいない。ヨシュア・フォルテスのままじゃないか。
崩れ落ちるように床に座りこんで、クラウスは自嘲する。十三年前、商業都市スォードビッツで起きた反乱で味方に裏切られたときをなぞったような光景だ。まぶたが重い。
「僕の命はあなたのものです。謝ることはありませんよ」
エルザの精神が壊れる前に迎えに行けなかった自分を、クラウスは後悔している。エルザが自分を撃ち、それで命を落とすとしても、クラウスは受け入れるつもりだ。かつて自分の命を救った少女を助けられなかった報いでしかない。
エルザが生きてさえいれば、とは思わない。それではエルザを後宮という鳥かごに入れた先代皇帝と大差ない。エルザが自由にその才気を発揮することを、クラウスは誰よりも望んでいる。
「全部、私のためなのでしょう?」
エルザの震える声に、クラウスは静かにまぶたを開いた。ライフル銃を抱くようにして、おびえている。細い指と無骨な銃がアンバランスだ。
──もしかして、僕を止めたかったから、ずっとそばにいたのですか?
エルザの問いに、クラウスはようやくそのことに思い至った。誰よりもわかっていたはずのエルザの心をわかっていなかったことを悟る。
「その人たちを殺したのは、私のためなのでしょう?」
「あなたと僕、それから王国のためですよ」
あふれ出る血はそれほど多くないのに、身体が重くていけない。触れさえすれば、きっとエルザは落ち着きを取り戻していつものように悠然と笑ってくれる。そう思うのに、手が届かない。エルザは血におびえて近付こうともしない。
「戦死公報に載っていた人たちが死んだのは、私のせいなのでしょう?」
「彼らには彼らの理由があります。帝国に恨みを持つ者がほとんどです」
だからクラウスは、一つ一つ質問に答えていくことで、彼女に背負わせてしまっていた罪悪感をほどいていく。かつて自分の命を救ってくれた少女を助けようとして、自分も罪悪感を背負わせていたことに気付く。
後ろで起き上がろうとする敵の気配に、クラウスはとどめを刺すべく親指に力をこめた。たとえエルザが望まなくても、敵を殺さなくては自分たちが殺されてしまう。銃声のあと、敵兵が倒れるのと同時にエルザは叫んだ。
「あのとき小鳥を殺したのも、私のためだと言うのでしょう……!」
エルザは顔を覆うこともなく、半狂乱になって叫びつづける。
素敵な小鳥ね──。
遠い昔の話だ。エルザの言葉にヨシュアは石を投げた。小鳥にぶつけて殺すために。そうしてエルザに小鳥を渡すために。
「私はそんなことなんて、頼んでない!」
「僕を、止めたかったのですね」
遠い昔、クラウスがヨシュアだった頃……彼女は同じことを言った。
──ずっとすれ違っていたのか。
クラウスは自分の傷口を見下ろす。右胸を貫いた銃弾は、幸いにも急所を外している。それでもとめどなく血はあふれ、意識が朦朧としてくる。
エルザに撃たれて死ぬのなら構わないというのは、クラウスの本音だ。
「私は小鳥を綺麗だと言っただけだわ! あなたの傍にいたいと言っただけだわ! 殺せだなんて誰も……誰も……!」
いつもは白いエルザの頬が紅潮している。その上を、あふれだした涙が伝い落ちていった。
「私は、あなたの助けを待つだけの女じゃない」
「エルザ、狙うのなら、ここを狙ってください。でないと僕は死ねません」
重い指で頭を指す。エルザがライフル銃を構えたのを確認してまぶたを閉じる。己の視線で彼女を苦しめることのないように待つ。痛みはなかなかやってこなかった。
「帝国を滅ぼすのも私のせい? ……それは、あなたの悲願ではないの? 十三年前の復讐をしたかったのではないの?」
「いいえ」
ゆっくりと首を横にふる。十三年前の復讐など考えたこともない。
クラウスはただエルザの味方でありたかっただけだ。そのことが彼女を苦しめていたとは思いもしなかった。
女性用の靴が大理石の床にぶつかる音が聞こえる。エルザが近づいてきたらしかった。
──そのまま僕の額に銃口を向けるといい。決してはずすことのないように。
「思っていたより早かったけれど、いつかこんな日が来るんじゃないかとは思ってました。だからあなたはアリアさんに毒を渡したんでしょう? 彼女がラグラス様に毒を盛れば、あなたはこんなことをしなかったはずだ」
エルザが息を飲む気配が伝わってくる。
「どんなに元のあり方から離れても、戻ることができると──アリアさんがユグドラシル大尉を選んだのなら、あなたも、僕も、元に戻ることができると──あなたはそう信じたかったから、アリアさんに毒を渡したのではないですか。僕がクラウス・オッペンハイマーではなく、ヨシュア・フォルテスとしてあなたの隣に並べる日が来ると、あなたが先代皇帝第二夫人エルザ・ライズランドではなく、エルザ・シュトレーゼマンとして生きられる日が来ると、信じたかったから」
かつ、と銃の先が床に触れる音がした。クラウスはゆっくりとまぶたを開く。
「でもアリアさんは、ラグラス様に毒を盛らなかった。……あなたは怖かったんでしょう? 元に戻れないことが。共犯者にされ、罪悪感でがんじがらめにされるのが。新たにあなたの自由を奪う存在が僕になるかもしれないということが。エルザ、あなたほど聡明な人でも、疑心暗鬼にとらわれることがあるのですね」
赤黒い血にまみれた手で、クラウスは床に転がった銃をつかむ。銃口を額にあてて、エルザに向けて微笑んだ。
「引き金を引きなさい、エルザ。僕の命は、あの日からあなたのものです。他の誰にも殺されたくはありません。帝国軍にも神にも病気にも殺されるのは嫌だ。僕は、他の誰よりあなたに殺して欲しい」
「そうやって、私のせいにしようとする」
座りこんだまま、クラウスはエルザを見上げる。彼女の瞳に理性が戻っていることに気付いて、クラウスの胸にこの上ない喜びがわきあがる。
「誰にも、あなたにも理解されなくていい。けれど──あなたを愛しています。僕はただ、あなたの味方でありたかった」
言葉の終わりに、クラウスの瞳から一粒の涙がこぼれる。やっと言えた。冗談めかしてごまかすのではなく、笑いながら言うのではなく、まっすぐに。
エルザと二人で故郷のスォードビッツに戻って、海をながめよう。貿易船に乗って遠くからやってきた珍しい宝石を贈ろう。ただ宝石を贈るのでは先代皇帝と変わらないから、絶対にエルザに似合う宝石を見つけよう。高価なものでなくても、エルザに似合うものならそれが一番だ。
──まだ、死にたくない。
エルザとわかりあえないままでいるのは嫌だ。ようやく、思っていたことを少しだけ話せた気がするのに。
銃を持つ手が重くなったのに気付いて、クラウスは朦朧としつつある目をこらした。
エルザは銃を離して、クラウスに背を向けている。長い金色の髪が、スカートのすそが、ひらひらと風に踊る。クラウスがまだ、エルザの兄として過ごしていた頃、ステンドグラスを通した色とりどりの光を浴びるエルザと並んで歩いたことを思い出す。彼女が輝いて見えるのは、きっとまだ己の目に涙が残っているからだろう。
正門に向かうエルザを確認して、クラウスは気を許すとすぐにでも抜けていく力をふりしぼった。銃を構える。エルザは軽やかに駆けていく。目を細めて、すぐに照準を定められるようにする。エルザが扉が開いて外へ飛び出した瞬間、クラウスは銃の引き金を引いた。
「……あっ」
思わずふりむいたエルザに、クラウスは笑いかけた。エルザの向こうに、門のそばで見張りをしていた侵入者が倒れていた。
「医者を呼んでくるから、待っていて」
「大丈夫。どうせ死ぬなら、あなたに看取られながら死にます」
ライフル銃の反動で床に崩れ落ちながら冗談を言うクラウスに、エルザは困ったように笑いかけた。
 




