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エンドロール・サガ  作者: 網笠せい
第七章 海龍暴る
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第七章 海龍暴る 第十話

 兵舎として借りた学校の一室で、己の副官ユーミリアが憔悴しきっているのをロイス・ロッシュは苦々しく見た。イスハルで戦闘が行われて以来、ずっとこのありさまだ。戦闘がはじまれば真っ先に突っ込んでいって、想像以上の働きをしてくる。後退命令が下るまで、何十人と敵を斬り倒す。その早業についていける者は誰もいない。帝国陸軍司令官としてありがたい思いもあるが、それは、ユーミリアに無理をさせているということだ。

 ソファに浅く身体をよこたえた副官は、戦場にいるときよりも呼吸が荒い。ときどき思いつめたように息を飲み込んだかと思うと、身体をこわばらせる。それは痛みを堪える仕草に似ていた。


「ユーミリア」


 声をかけるが返事はない。肩をふるわせて起き上がっては頭を抱え、ひどく悲しい目で虚空を見上げるのを、ロイは黙って見ていられない。


「何があった?」


 つとめて優しく声をかける。ユーミリアのにごった瞳がロイを捉えた。銀髪の中佐は、内心その姿に動揺する。


 ──どうして気付いてやれなかったんだろう。


 大げさにため息をついて呆れたり、幸せそうに笑ったり、怒ったり……ロイはそんな表情豊かなユーミリアをよく知っているから、余計に胸が痛い。自分が指揮官として多忙な日々を過ごしているうちに、前線にいるユーミリアがこんなことになっているとは思いもしなかった。


「話せば楽になるかもしれない」

「イスハルでの勝利と引き換えに、あなたはあんな汚い真似をした」


 ようやく返ってきたのは、くぐもった声だ。

 そんなことが原因じゃないだろう? ロイはそう言いたいのを堪えて、小さくため息をつく。優しいユーミリアのことだ、引っかかっているのは確かだろう。どれだけ説明しても納得は得られないだろうけれど、今は少しでも応えてやりたかった。


「戦いに綺麗も汚いもない。俺は帝国全体の勝利を考えなきゃいけない。帝国を守ることが俺たちの仕事だろう?」

「そのために、後の世に恥ずかしくない戦い方をしても平気だと?」

「何年経っても、人間は正しい判断なんかできやしないよ。勝てば情報を操作するし、負ければ情に訴える。中立の意見なんてごくわずかだ。戦争に正しいものなんかあるものか。後世に判断を委ねるなんてのは、負け犬の遠吠えでしかない」

「じゃああなたは、自分のしたことを間違っていないと言うんですね」

「勝つための第一歩は生きることだ。だから俺は、どんな真似をしても生き抜く。生き残る確率が上がるための策を練る。後悔はないよ」

「だからって、誰かの身体をもてあそんで、心を踏みにじっていいなんてことにはならない。あなたは女性を対等な人間として見ていない。だからあんな真似ができるんです」


 己の副官がこれほど冷たい声を発するということを、ロイは知らなかった。思わず視線を逸らす。薄い月が雲の向こうに隠れている。ランプの明かりが部屋の隅に闇を残して、揺れていた。


「相手を人間として見ていないから、あんなことができるんです。もっと一人を大切に──」


 どれほど苦しんでいても、その言葉はユーミリアらしい。ほっとする。近頃のユーミリアは変わってしまった。だからいつものようなお小言がはじまったことが、ロイはうれしい。


「アリアちゃんのように?」


 ロイの言葉に、ユーミリアの表情が歪んだ。ロイをにらむ副官の目の縁が、ほんのりと赤く腫れている。


「たった一人の大切な人が死んでしまってからじゃ、遅いと言っているんです!」


 苦悶に満ちたユーミリアの声が、ロイを突き放す。


「死んだ……?」


 冷たい風が、カタカタと窓ガラスを揺らした。ランプの炎が揺れる。ガラスに守られているはずの炎まで、消えてしまいそうに思える。


「残党狩りに抵抗して……殺されたそうです」


 ユーミリアの行動に納得がいった。鬱々として、ろくに物も食べない。眠りが浅いのか、夜に何度も部屋を出て歩き回っているのを見た。以前のように話しかけても事務的な返事をするだけで、ろくに目もあわせようとしない。そのくせ、戦場に出れば求める以上の働きをする。鬼気迫るその様子を恐れ、今や味方さえも近付きたがらない。


「そうか、あの子が」


 ロイの記憶にあるのは、ユーミリアの後ろでおどおどと挨拶をする少女だ。はじめて出会ったとき、必要以上にロイのことを警戒して、決して近付こうとはしなかった。そのうちアリアが慣れると、二人でよくユーミリアをからかった。それなのにアリアをかばうように背に隠すユーミリアがおかしかった。士官学校にいた頃の話だ。


「馬鹿なことは、考えるなよ」


 ──恋人の死を知ってからずっと、ユーミリアは死に急いでいる。


 白い壁紙に映った影が揺れる。ユーミリアの背後にある影は、本人を飲み込んでしまいそうに見えた。

 ユーミリアは明日にでも死んでしまいそうに脆くなっている。毎度戦場から帰ってくるのが不思議なほどだ。

 ロイは心の中でアリアに向けて、心配するな、と告げる。ユーミリアと同じように、アリアとも付き合いは長い。彼女の考えることはなんとなく想像がつく。


 ──どれほどユーミリア本人がアリアちゃんの元へ行きたがっても、腕をつかんでも引きずり倒してでも、君のところには逝かせない。それがアリアちゃんの願いだろう?


 かつてアリアは、養母アルベルティーヌの命日のたびに沈みこむロッシュに言った。


『ロッシュ様が亡くなったら、ユーミリア様も、私も悲しいです。アルベルティーヌ様もきっとそうです。だから、物騒なことを考えてはいけません』


 本当はうれしかったけれど照れくさくて、思わず「素敵な愛の告白をありがとう」と茶化した。アリアもそれをお見通しで「ユーミリア様には内緒ですよ」とくすくすと笑った。

 ロイは心の中でアリアにわびる。彼女が死んでしまったというのに悲しくない。久々に名前を聞いて懐かしいとは思うが、それだけだ。実感がないというのが一番しっくり来る。戦場で人の死に慣れすぎてしまったのかもしれない。それともユーミリアの言うように、人を踏みにじることすら、なんとも思っていないからだろうか。

 日常と同じ感覚で戦争などできないが、次第に非日常だった戦場が日常になりつつあるのを感じる。そんなロイを我に返らせてくれるのは部下たちだ。幾度も死線をくぐりぬけた仲間は、馬鹿な話にも、真面目な話にもつきあってくれる。

 ユーミリアは部下である以上に大切な友人だ。彼は皇都を出る前、アルベルティーヌに祈りを捧げてくれた。


 ──部下というより、友人だからつきあってくれたんじゃなかったのか? なのに、水臭いじゃないか。


「お前は俺の部下だ、勝手に死ぬな」


 副官の口元がわずかに笑んだ。頼りないランプの光のせいだと思いたかった。


「役に立つうちに、俺に死なれちゃ困りますもんね」


 きっといつもなら、馬鹿野郎と言えるだろう。否定したいのに否定できない。アリアの死に泣けない自分は、もしかしたらユーミリアの死も平然と受け止めるのかもしれないな、とロイは目をそらした。頼れる右腕としてユーミリアを評価しているのは確かだ。


「……戦争中に余計なことを考えるな」

「あなたは本当に人を好きになったことがないから、そんなことが言えるんです。アリアのことを忘れろって言うんですか? 悲しむなと言うんですか?」


 精一杯の答えにユーミリアが食ってかかる。ロイはされるがままだ。


 ──いや、これでいい。


 たとえ憎まれても、ユーミリアが感情を押し込めて一人で苦しむよりはずっといい。怒ればいい。叫べばいい。そうして思うことを、全部吐き出せばいい。

 己をにらむ瞳に力が宿るのを、ロイは静かに見下ろした。副官の黒い瞳には、憎悪の色しか見つけられない。


「だからあなたはデューン将軍にあんな真似ができるんだ。ただ利用するだけ利用して捨てた」

「……帝国が有利な場所に陣取ったことで、何人の帝国兵士が死なずに済んだと思う?」


 言ってはいけない。今そんなことを話してもユーミリアを苦しめるだけだ。わかってはいるが、司令官としての自分が口を滑らせる。ユーミリアは目先のことばかりで何もわかっていない。兵を率いている以上、自分に命を預けている人間がいるのだと自覚してもらわなくてはならない。平時と非常時の違いを理解してもらわなくてはならない。

 一度生まれたいらだちは、ロイの内でぐんぐんと育っていく。


「アルベルティーヌ様に同じことができますか」


 ただでさえ怒涛のような感情に飲み込まれそうになっているのに、副官の告げた名前がさらに追い討ちをかける。養母であるアルベルティーヌは、ロイにとって特別な存在である。平然と受け流すことはロイにはできなかった。


「俺は司令官である以上、効率的に戦わなきゃいけない。勝つためならなんだってする」

「アルベルティーヌ様を傷つけても?」


 ロイの平手がユーミリアの頬を打つ。ユーミリアはそれでも、真っ直ぐに目を返してきた。ロイは唇を噛む。こんなことがしたいんじゃない。くりかえし頭の中で叫んでも、事態は動いて、止まってはくれない。


「いい加減にしろ」


 ロイの頭から血の気が引いていくのがはっきりとわかる。冷静なはずなのに、自分をコントロールしきれない。


「デューン将軍がアルベルティーヌ様だったら同じことをしたかと聞いているんです」

「アルベルティーヌと一緒にするな!」


 ロイは右手を握りしめて衝動を堪える。爪が掌に食い込む痛みで我に返る。手をあげることはかろうじて我慢できた。


「じゃあ、デューン将軍のことはどうでもいいんですね? 嫌いなんですね? だからあんなことができた」

「彼女のことは嫌いじゃない」


 ハレイシア・デューンの名を口にすることはしない。ロイは自分が帝国陸軍司令官なのを、誰よりも自覚している。

 気まぐれにちょっかいを出して、構い倒して、心に踏み込んで関係を結び、利用してその純情を踏みにじり、落とした女に興味はないと公言して──それでも割り切ることができない己の中の小さな欠片は、きっと平時の日常と重なっている。非日常に慣れることのできない自分は確かに存在する。

 だからロイは、帝国軍兵士の顔を思い出す。美しいものを美しいと、好きなものを好きだと言いたい気持ちを押しやって、司令官としての己を優先させる。


「俺を信じて戦っている何万もの兵士の命と引き換えにはできない。俺が負ければ多くの帝国軍兵士が死んでいた」

「デューン将軍を抱いたのは好きじゃないからだ。違いますか?」


 美貌の元大佐の、憂いを帯びた視線が思い出される。冷たい肌と、ゆったりした鼓動が蘇る。柔らかな髪が肌をくすぐる感触も、ロイははっきりと覚えている。


「どうしてデューン将軍を助けてやらなかったんです!」


 大きな黒い瞳から涙がこぼれ落ちるのを、ロイはとても静かな気持ちで見た。ユーミリアはアリアを助けたかったのに違いない。


 ──アリアちゃん、ユーミリアは部下でじゃなくて友人だ。今の状態で戦場には出さない。絶対に死なせない。


 ランプの炎が一瞬大きくなって、赤い光が部屋を照らす。


「お前は何十万という人間を犠牲にして、一人を守ることが正しいと言うのか? それはクラウス・オッペンハイマーのやっていることとどう違う?」


 どういう言葉がユーミリアを傷つけるか、そんなことはよく知っている。この友人の心はそれほど強くない。

 ユーミリアが隣にいる日常を思い出そうというのが、そもそもの間違いだ。自分があきらめれば、少なくともユーミリアは前線で死に急ぐことはなくなる。


「違う! オレは……」


 ユーミリアの声が涙でつまった。泣く場所を与えられて、泣くことができる。ロイはそれがうらやましい。


 ──俺は泣くことすらできない。


 記憶に残っているのはアルベルティーヌが死んだとき。その後は涙を流した記憶がろくにない。


 ──そうか。だからアリアちゃんが死んでも泣けないんだ。


「お前は王国軍兵士を何十人と斬った。アリアちゃんを殺されたからだ。たった一人のために何十人も殺したんだ。しかももう帰って来ない、死んだ人間のために。……カイルロッドと何が違う?」

「違う……違う……!」


 最初から、帰るべき日常など自分にはなかったのではないかと、ロイは錯覚する。だから、ユーミリアといる日常を壊しても、動じずにいられる。


「責めてるわけじゃない。お前が帝国に貢献しているのは確かだ。あれだけ敵を斬ったお前は優秀な軍人だよ」

「違う……!」


 ユーミリアの悲痛な叫びを聞いて、ロイは部屋を出た。後ろから子供のように泣きじゃくる声が聞こえる。扉の閉まる音がやけに大きく聞こえるのは、きっと空っぽな自分の中に響くからだ。


「子守ご苦労様」


 廊下には海軍少佐デオフィル・リシュルがいた。

 無数の兵士が、自分に純粋な信頼を寄せてくれる。ロイは彼らを守らなくてはならない。

 銀髪の中佐は不敵に笑ってみせた。おぼろげな光に揺られながら、深い影を抱えた指揮官は、深く息を吐いた。


「今宵は雲が月を隠していますよ」


 少佐の軽口で、ロイは自分が今、どんな顔をしているかを悟った。人一人騙すことができないほど、ひどい顔をしているのだろう。複雑な顔をしたロイに、海軍少佐は首を横にふって、「聞いてましたから」と付け加えた。


「俺に雲は必要なさそうか?」

「そう見えますよ。少なくとも私にはね。顔色は多少、悪いですが」


 ロイはいつものように笑ってみせる。レンガ造りの廊下を、肩で風を切って進む。


「休まれては?」


 差し伸べられた少佐の手を、ロイは振り切った。軽快な靴音が夜の廊下に響いていく。


「少佐は俺を誰だと思ってるんだ?」

「ローデリヒ・イジドール・ステファン・ロッシュでしょう?」

「ご名答」


 ──俺にはまだ、こいつらがいる。


 大きな波の中に、無数の顔が浮かんでは消えていく。見知った顔はあるが、個人の区別まではつかない。それでも彼ら……帝国兵たちは、ロイを見て目を輝かせてくれる。拳を天に突き上げて雄たけびを上げ、戦場へ向かってくれる。

 決意を新たに前に進もうとした瞬間、ロイの視界がぐらりと揺れた。


「中佐っ」


 リシュルが支えの手を出すのをさえぎって、ロイは壁に手をつく。

 幾度かむせた後、ロイス・ロッシュが吐き出したのは血の塊だった。



第七章 海龍暴る・了

第八章 冥龍吠ゆ へつづく

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