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エンドロール・サガ  作者: 網笠せい
第七章 海龍暴る
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第七章 海龍暴る 第二話

 階段をのぼる途中で傍に控えていた者たちに次々と指令を出しながら、クラウス・オッペンハイマーは歩みを進めた。警備の人間までも遠ざけて、カーミラ城の、かつて後宮だった場所に向かう。

 幾度となく塀の上を駆けてきたが、カーミラ城を奪った今、正面から正々堂々と入ることができる。

 己が待ち望んだ日がとうとう来たことを噛みしめながら、クラウスは一歩ずつ階段をのぼった。


『あなたは何のために戦を?』


 かつてカイルロッドがした質問に、クラウスは今でも同じように答えることができる。皇帝の首などいらない、欲しいのはエルザだと──エルザの自由なのだと、答えることができる。

 カイルロッド・フレアリングが欲しいのは、戦うための理由であり、理想なのだろう。しかしそんなものは、民衆をあおるための道具でしかない。身の綺麗なものなど、王国側にはろくにいはしないのだから。

 カイルロッド・フレアリングはカーミラ城でのラズラス・マーブル暗殺事件のせいで、暗殺者として名を馳せてしまっている。

 ラグラス・マーブルは、政治犯などの国家犯罪を取り締まる立場にあった。その職務上、最も帝国を守らねばならなかった男が反乱に加担していたことが知れれば、民衆のラグラスに対する信用は失墜するだろう。ラグラスの副官だったクラウスにしても同じことだ。クラウスの場合はさらに過去を遡り、スォードビッツの反乱の生き残りだと知られる可能性もある。己の気持ちが復讐にないと語ろうと、民衆はその言葉を信用しないだろう。うさん臭い新興宗教の教祖、アスハトを表に立たせるのも後々のことを考えると避けたい。

 表舞台に立てるのは、ハレイシア・デューンしかいなかった。皇帝にその身を狙われ、汚名を着せられ、捜査もろくにないまま逮捕された彼女のことを、民衆は同情をもって見ている。皇都に入った際にはゴタゴタがあったと聞くが、彼女ならばいずれ民衆は受け入れるだろう。今は、民の協力が必要だ。

 ハレイシア・デューン自身は何か誤解しているようだが、訂正する必要もない。彼女は国王と同じ、お飾りであればいい。ただそこにいるだけで、王国軍にとっては価値があるのだ。

 後宮の重い鉄扉を開けて、中庭を進む。白い柱のずらりと並ぶ廊下を抜けて、先代皇帝第二夫人、エルザ・ライズランドの元に向かう。塀づたいに後宮へと忍び込み、中庭を走って窓から入っていたこれまでとは違う。だが、道を迷うことはない。

 ひときわ美しい装飾の施された扉をノックすると、すぐに返事があった。


「ライズランド王国軍参謀、クラウス・オッペンハイマーです」


 扉が開く。侍女だ。エルザの姿は見えない。隣の部屋にでもいるのだろうか。

 クラウスに向けて、侍女は気丈にも、元帝国陸軍大尉のクラウス・オッペンハイマー様ですね、と返した。手厳しい言葉とは裏腹に、その表情はこわばっている。クラウスはおかしくなって微笑んだ。


「エルザ様のお命を取りに来たわけではありません。安心してください」


 半信半疑のままでいる侍女に向けて、クラウスはさらに言葉をつづける。


「エルザ様をお守りするために、僕はここに来たのです」


 クラウスをなかなか部屋に招き入れようとしない侍女に向けて、隣室から声がかけられる。


「大丈夫。何も心配することはないわ。さがっていて頂戴」


 エルザの声にようやく侍女が去って、クラウスはやれやれと肩をすくめた。


「そちらに入っても構いませんか」


 どうぞ、という返事を待ってから、扉を開ける。

 こちらを向いたエルザは、美しい空色の瞳を細くした。金色の髪が一房、肩から滑り落ちて、ふわりと花の香りを届けた。


 ──喪服?


 クラウスは眉を寄せた。エルザが着ていたのは黒いドレスだった。


 あなたは誰の死を悼んでその服を選んだのですか? ひょっとして、夫であった、先代皇帝ウィルフレッド・ライズランドの死を悼んでその服を?


 足早に近付いて、エルザの細い腰を抱き寄せる。微笑んで視線を逸らすエルザが、もどかしくてたまらない。

 一体何を考えているのかとたずねようとして、やめた。

 口付けをねだるように顔を上げたエルザを、クラウスはただじっと見下ろした。胸の奥に、静かな泉が湧くようだ。冷たい水はクラウスの身体の芯を冷やしていく。先ほど後宮まで早足でやってきたときの気持ちが嘘のように鎮まる。

 男に媚びる仕草をどこで覚えたのだという驚きは、エルザよりも、彼女を迎えに来るのが遅れた自分自身への怒りに変わった。

 こんな真似など、して欲しくはなかった。今のエルザなら、誰にでも身を委ねるのかもしれない。己の命を守るために、その身を為政者の前に投げ出しかねない。そんな危うさがある。

 後宮に捨て置かれたエルザの処遇を決めるのは、クラウスの役目だった。王国軍によって皇都が制圧され、飾りものの国王が玉座について以来、クラウスの胸算用一つで、エルザの身の置き方が決まる。

 クラウスは黙って、エルザの喪服の背中にあるホックを外した。

 エルザが一度まばたきをする。長い上下のまつげが別れを惜しむように、ゆっくりと動いた。

 エルザの空色の瞳が(かげ)っている。


「あなたが死を悼む価値など、あの男にはありません。喪服など、着ないでください」


 絡めていた腕をといて、身体を離す。そのまま背を向けて、クラウスは窓際に置かれた椅子に腰掛けた。


「あなたはあなただ。もう、あの男のものではない」


 あなたには、男に媚びる仕草など似合いません──。


 その言葉を口にすることはやめた。エルザの桜色の口元が、わずかに吊り上がる。


「それならば、あなたのところへ嫁ぐ、白いドレスを着ればいいのかしら」


 エルザ・ライズランドは、開城にともなう移住要請を拒んで、王国にその身の処遇を任せると南国の魔法使いに告げたらしい。

 かつて皇帝の居城であったカーミラ城に王国軍が入り、飾りものの国王が玉座についた。平時であれば、かつて薔薇園の主であったラウィーニア・ライズランドがそうであったように、エルザは隠居することになっただろう。先々代の皇帝夫人でありながら、王国軍の蜂起によって今や国王生母となったラウィーニアは、後宮の隅から城内へと移り、その部屋は空いている。一度入ればやすやすと出ることを許されぬ後宮に、エルザは引きつづき捕らわれているのかと噂されていた。


 エルザ様はあれほどお美しい方なのだから、きっと国王の妻になる……いや、皇帝陛下と同じ妻を(めと)るわけにはいかない。誰かに下げ渡すにちがいない──城下ではエルザのこれからについて、そう囁かれていた。処遇を敵に任せると毅然として言い放った皇帝第二夫人に、民衆はすっかり心酔していた。


「あなたは、あなた以外の誰のものでもありません。もちろん、僕のものでもない」


 皮肉まじりのエルザの言葉に、クラウスはそう返した。エルザは喪服を脱いで、新しいドレスに袖を通す。薄紅のドレスに着替えたエルザは、唇に右手をあてて、くすくすと笑った。


 ──表舞台に立てるのはハレイシア・デューンだけだと思い込んでいたけれど、エルザもいるじゃないか。


 クラウスは屈託なく笑うエルザに聞こえないように、小さくため息をついた。


「そうして笑っていると、昔と何も変わりませんね」

「あら、それはあなたもよ」


 エルザの瞳から、先ほどの(かげ)りが消える。今日の空のように澄んだ色に見えた。


「鳥たちを逃がしてやろうと思うの。それで、あなたに手伝って欲しいのだけれど」


 一際大きなかごの中に、エルザが飼っていた小鳥たちがいた。何羽かまとめたらしい。クラウスは黙って鳥かごを抱えると、中庭に向かった。その後をエルザがついてくる。


「塔に棲みついた黄金鳥を先に始末しておきたくて」

「以前伝言でもらった?」

「そう。巣を作っているみたい。餌を集めているのよ」


 クラウスはわずかにふりかえる。エルザの表情はいつもと変わりない。ただ淡々と、彼女は歩を進める。


「あなたはおそろしい人だ」

「そうかしら」

「その鳥も必死なんでしょうに」


 なんとなしにつぶやいた声に、エルザが眉をひそめる。

 よく知るはずのエルザがそんな顔をするとは、思ってもみなかった。クラウスは、己の心を語ってこなかったことを少し後悔する。血も涙もない男──カイルロッドやハレイシアはきっとクラウスをそう見ているだろう。しかしクラウスは、目的に沿って己に課せられた役目を遂行しているだけだ。哀れに思う感情と、己の役目を遂行するという使命に、接点などいらない。


「では、あの鳥を撃ってくださらないの?」


 ずり落ちてきた銀縁眼鏡を、横を歩くエルザがそっと持ち上げて、元に戻した。


「いえ、それとこれとは別の話です。撃ちますよ」

「そう。ならいいわ」


 エルザの笑みは邪気のない、愛らしい笑みだった。中庭につくと、エルザは頬にかかった金色の髪をそっと避けて、塔を見上げる。

 黄金鳥は、塔の上で巣を作っている。


「オスはどこかに行ったまま、戻ってこないの。メスがああして巣を守っている。ヒナがいるのかもしれないわ。ヒナなんて四六時中抱えていなくてもいいでしょうに。あれでは近くに飛んできた餌しかとることができないから、じきに死んでしまう。一羽だけでヒナを守るのは、無理というものよ」


 マリー・ライズランドとオフィリア・ライズランドのことをどこまで知って言っているのだろうと、クラウスはエルザの横顔を見つめる。


「私もあなたと同じよ。かわいそうだとは思うけれど、私のかわいい小鳥を、むざむざ死なせるわけにはいかないから」


 きっとエルザは、全てを知って語っている。

 昔からだ。その美しさと聡明さに惹かれた自分がいたことを、ヨシュア・フォルテスは知っている。クラウス・オッペンハイマーになる以前から、スォードビッツで反乱が起きる前から、ずっと。

 クラウスは静かに、呼吸を整えた。


「あなたの聡明さをもって、僕の戦友になってくださいませんか?」

「戦友? 私は軍人ではなくてよ。そもそも、あなたに私が必要かしら」

「必要ですよ」


 大義のような甘い言葉を欲しがる連中は、やがてクラウスを遠ざけるだろう。そして烏合の衆である王国派は分裂する。そのことを、クラウス……ヨシュア・フォルテスはかつてスォードビッツの乱で学んだ。

 ラグラスがユーミリアの妻を助けたのは、無意識で大義に惹かれているからだ。長期的な視野で判断するのではなく、己のこれまでのありように、ラグラスは流された。犯罪から民衆を守るのが役目だと言い放ったラグラスは、帝国にいる頃と何も変わらなかった。己の進む道を正義だと信じたのだろう。正義ほど美味い酒はない。美味すぎる酒は、人を惑わせて溺れさせる。

 ラグラスは酒の飲み方を知っているから、酔いはするだろうが、ほどほどのところでやめるだろう。そう見込んだからこそ、クラウスはラグラスと行動を共にしてきた。しかし、カイルロッドやハレイシアはそうではない。飲めば飲むだけ酔うだろう。ラグラスもそのとき、酔っていたら?

 甘い言葉に惑わされない人間──エルザのような人がいてくれれば安心できる。


「僕は今まですべての判断を、目的を果たすための布石になるかどうか、ただそれだけで下してきました。きっとそれは、あなたと似ている。ですから僕は、あなたの力を借りたいのです」


 先日のユーミリア・ユグドラシル邸での事件がアスハトの耳に入れば、ラグラスの存在が知れる。アスハトを逮捕したのはラグラスだ。アスハト教徒たちと、貴族兵たちの亀裂が決定的なものになる。さらにそこで、カイルロッドとハレイシアがクラウスのやり方に反対したら──王国軍が分裂してもおかしくはない。


「エルザ、あなたは僕にとって、この戦乱と引き換えにする価値が十分にありました」

「過去形なのはどうして? 価値がなくなったから?」


 微笑むエルザに、クラウスは答える。


「わかっているくせに。僕がどうするかなんて、とっくにご存知でしょう? 僕はあなたを自由にしたい。エルザ、今のあなたは扉の開いたかごの中で、首をかしげているんです。躊躇するふりをして、僕たち王国が許可を出すのを待っている。だから僕が、あなたを迎えに来た」

「やはり白いドレスを着た方がよかったのではなくて?」


 エルザが首をかしげると、わずかに金色の髪が頬にかかった。クラウスは薄く笑って「契りなど一体何の足しになりますか」と答えた。


「ただ互いを束縛するだけです。くだらない。夫婦になる必要はありません。僕とあなたは、あの日からずっと、戦友だった。だからあなたがこれから自由の身になっても、変わらずにいて欲しいのです。僕の願いは、ただそれだけです」


 スォードビッツの内乱を起こしたのは、フォルテス家の当主メイス・フォルテスだった。当時十五歳だったクラウス──ヨシュア・フォルテスはその才能を見込まれ、当主の右腕、主に軍師として活躍する。

 しかし戦闘は長引いた。商業都市の民は、儲け話とそうでない話に敏感だった。戦が長引くたびに大量の資金が必要になり、皇帝におとなしく税金を払ったほうが早い、と離反者が相次いだ。

 結果、スォードビッツの乱は鎮圧。フォルテス家当主は斬首され、ヨシュア・フォルテスは兵士にまぎれて捕虜となった。


『私の弟です』


 そのときのエルザの言葉を、クラウスは一生忘れないだろう。

 皇族にも金を貸すほどの大富豪の娘、エルザ・シュトレーゼマンが、捕虜の中に弟がいると聞いてやってきた。そのとき、ヨシュア・フォルテスを指差して、エルザはそう言った。

 エルザの弟、ライナーは戦乱で死んでいた。弟の死体を見た姉は涙を一粒もこぼさず、弟の代わりに誰か一人助けてやろうと考えた。そうして、エルザと同じ学校に通っていたヨシュア・フォルテスが救われた。十五歳の天才の話は、エルザの父の耳にも入っていた。エルザの父はいざというときのために恩を売っておこうと考え、ヨシュア・フォルテスを、ネステラドのオッペンハイマー家に養子に出した。ヨシュア・フォルテスはその名を捨て、ライナー・シュトレーゼマンになり、さらにはクラウス・オッペンハイマーとなった。


「オッペンハイマー家の父上は溺愛していた三男坊の代わりに、あなたのお父様も商業を学ばせてきた弟さんの代わりに、僕を使おうとした。僕は常に死人の代替品でした。でも、そうでなければ生き残ることができなかった。エルザ、あなたは、僕を生かすためにその道を作ってくれた。あの日、あなたが僕を弟だと偽ったあの日から──僕と共にあるべき人はあなただけだと思っています。僕を選んだあなたには、将来を見越す才気がある。僕が仕えるのに十分な人です」

「買いかぶりよ」


 クラウスは黙ってかぶりをふると、エルザに銃を手渡す。

 どれだけ言葉を重ねても、エルザは短い言葉でかわしてしまう。エルザへの思いを語る術はない。どれだけ語っても、語りつくすことなどできない。だから、態度で示す。帝国を倒してエルザを救い出そうと、今までやってきた。昔話で捕らわれのお姫様を助けるのは美しい女を目当てにした、ぎらぎらした王子様だが、己は違う。


 エルザのすべてを、僕は認めた──エルザのために、僕はある。


「エルザ、これで黄金鳥を撃ちましょう」

「私が撃つの? もしもあなたに銃口を向けたら、どうするつもり?」


 エルザの薄い唇が吊りあがる。白い喉がわずかに上下した。


「そのときは、きっとあなたのことだから、この先のために僕を撃つのでしょう。だからあなたが僕を撃ったとしても──僕は喜んで受け入れます。元より僕の命は、あなたに与えられた命です」


 何も聞かなかったように、淡い色彩の女は塔に向けて銃を構えた。銃の重さに腕が震える。なかなか照準が定まらない。一度銃をおろして、もう一度構えなおしたエルザを、クラウスが支えた。

 クラウスの指が安全装置を解除する。エルザのやわらかい人差し指が、引き金をひく。

 反動でよろけたエルザを受け止めて、クラウスは空を見上げた。

 塔の上から、黄金色の羽根が舞い落ちる。黄金鳥は見事に撃たれ、直線を描くように空から落ちた。


「人は強欲だから、欲したものが手に入れれば、また次のものを欲しがるわ。だからこうして、私の元に鳥たちが集まった」


 エルザは黄金鳥が起き上がらないのを確かめてから、鳥かごの扉を開く。


「さあ、お行きなさい。今までありがとう。元気でね」


 一斉に飛び立ったさまざまな色の鳥たちが、カーミラ城の空へと飛んでいく。

 上空でくるりと旋回する彼らを見送って、エルザはクラウスの隣でその様子を見上げた。


「クラウス、あなたはどうかしら」


 鳥の影が段々と小さくなって点になり、空に溶けていく。


「否定するかもしれないけれど、あなたは国を得て、先代皇帝第二夫人を得たのよ。その次は、一体何を求めるの?」


 銀縁眼鏡の参謀は女の背にそっと腕をまわすと、耳元で囁いた。


「乾いた大地に水をやっても、うまく吸いこんでくれないものです。きっと僕は、永遠に枯渇している」


 ふりむいたエルザの唇を、そっと人差し指でなぞると、クラウスは薄く笑った。


「僕が欲しいものは、あなたが欲しいものですよ」

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