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エンドロール・サガ  作者: 網笠せい
第六章 地龍伏す
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第六章 地龍伏す 第八話

 ライズランド王国軍を率いて、ハレイシア・デューンは城に向かっていた。見慣れた町並みの中を進んでいるが、心境は複雑だ。

 カーミラ城の開城は、ハレイシアがやらなくてはならないのだという。

 クラウスの言葉を思い出して、ハレイシアは馬上で小さく首をふった。


「なぜ私が……」


 つぶやくような小さな声は、王国兵がたてる、調子のそろった足音にかき消された。

 城までの道の脇を、民衆がずらりと固めていた。あからさまに憎しみの表情を向けるものと、複雑な表情を見せるものがほとんどだ。


「帝国万歳!」


 民衆の声と共に小石が飛んでくる。一つの石が、二つに増え、三つに増え、やがて雨あられと化した。罵倒と帝国を称える言葉を、民衆は口にする。

 王国兵が犯人を捜そうと鼻息を荒くした途端、投石の雨が止んだ。罵倒も止んで、人と馬の足音、甲冑の鳴る音が皇都のメインストリートに響いた。


 ──歓迎されるわけがない。


 ハレイシアはほんの少し自嘲すると、より一層胸をはった。そうでもしなければ、王国兵たちの士気がくじけてしまう。どんな罵倒にあっても、指揮官は誇りを忘れてはいけない。


「いい。ほうっておけ」


 犯人探しの指揮をとろうと走り出した副将を止める。


「しかし! 将軍にケガを負わせたものをほうっておくわけにはいきません!」


 その言葉で、ハレイシアは視界の隅に赤がちらついていることを知った。


「ケガ?」


 手で押さえてみる。こめかみの辺りに触れた手には、血がついていた。指の腹ほどの大きさだ。


「いい。大したケガじゃない」


 全く気付かなかった。小石が雨のように降っていることだけが、憂鬱と緊張に満ちたハレイシアの目に写っていた。


 ──もしこれが銃弾だったら、死んでいたかもしれない。


 ハレイシアは首をふり、顔を毅然と上げる。神経を張りつめさせておかなければ。そう思いはするけれど、考えることは山のようにあって、意識がそちらに向かってしまう。

 クラウスは、表に立つ仕事をすべて、ハレイシアの役目にすると言った。


 ──あなたにしか、できない仕事ですよ。


 銀縁眼鏡の奥の冷たい瞳が思い出される。矢面に立たせるなら使い捨てのできる者を……そういうことなのだろうか。


「これも私の仕事だ」


 ハレイシアは再び、馬の手綱をにぎりしめる。

 この街に住む民間人に被害を出さなかったというのは、言い訳になるだろうか。

 ハレイシアは浮かない表情のまま、カーミラ城の門をくぐった。

 己の通った道をふりかえる。ハレイシアたち王国軍が通ったあとには無数のゴミが落ちていた。民衆が投げたのだろう。

 ハレイシアは皇都が好きだった。民は人懐っこく、ハレイシアが道を歩くと、手をふってくれた。花をくれる娘もいたほどだ。


 ──それが今はどうだ。


 彼らの怒りは当然だ。侵略者が手をふって迎えられるとは思っていない。それでもこの街のことは嫌いになれない。だから憎まれるのがつらい。

 ハレイシアは己の甲冑を見下ろす。戦争をしかけたのが自分たちだという事実は、ハレイシアの胸に突き刺さる。わかっていてもやりきれなさがあふれだす。

 厩に馬を預けて、泉へと向かう。これからカーミラ城の引渡しという、大舞台に立つことになるのだ。

 血のついた顔のままで謁見すれば、やはり王国軍は野蛮だと言われてしまう。


「こちらのタオルをお使いください」


 先ほど民衆をとがめた副将だった。ときおりじっとハレイシアを見つめている。


「ありがとう」


 ハレイシアが礼を言って微笑むと、兵は必要以上に緊張した敬礼を返し、どこかへ走り去った。

 きょとんとして、その後姿を見送って、城内の庭にある泉に向かった。

 人の行き来がなく、静かだ。枯葉の落ちた木々が連なっている。あれは中庭だろう。その奥に後宮が見えて、ハレイシアは苦笑した。

 歯車が狂いだしたのは、あそこからだろう。前に進むしかないことは、ハレイシア自身が誰よりもよくわかっている。帝国にいた頃、職務に励んでいたのも先代皇帝のためではない、故郷のためだった。今もただ、ハルシアナのために王国軍にいる。

 泉に指を浸すと、あまりの冷たさに驚いた。ハルシアナはどうなっただろうか。一年の多くを雪に覆われた大地で、数少ない食糧をわけあって、細々と暮らしているのではないか。民はひもじい思いをしていないだろうか──。

 誰になんと言われようと、ハルシアナを守ることだけは、しなくてはならない。たとえ皇都の民に恨まれようと、あの冷たさから、ハルシアナの民を守らなくてはならない。傷口を洗ううち、顔を洗いたくなって、ハレイシアは泉の水を両手ですくった。


「──聞きました!」


 遠くから声が聞こえた気がして、ハレイシアは手を止める。


「あなたは降伏されるそうですね」


 空耳ではない。ハレイシアはあわてて身を低くした。冬の樹木はすでにその葉を落としている。見つかるのではないかと、ハレイシアは息を殺した。まだカーミラ城の明け渡しは済んでいない。無用な争いは避けるのが一番だ。


「腰が抜けたのですか! 帝国のために戦おうという気は、あなたにないのですか!」


 声の主が近づいてくる気配はなかった。ハレイシアはあたりを見渡す。小さな公園がすぐ傍に見えた。ハレイシアの肩ほどの高さの木が、迷路のように植えこまれていた。

 声の主はそこにいるらしい。耳をそばだてると、話が聞こえた。


「あなたが、城を明け渡すのでしょう? そう聞きました」


 迷路の中から聞こえる声は幼い。姿は見えなかった。おそらく、背が低くて姿が隠れてしまっているのだろう。一方で、背の高いトゥール・シルバリエ大佐の姿が見える。


 ──相手は子供か?


「何か言ったらどうですか!」


 シルバリエ大佐の胸から上の様子が見えた。しかしその相手は、ハレイシアが顔を上げてみても、中腰になっても見ることができない。


「釈明することなどありません」


 シルバリエ大佐は反論しない。


 ──相手はただの子供では、ない?


「腰が抜けたのですか!」


 話の内容、シルバリエ大佐の様子から、なんとなく想像がついた。おそらく、新しい皇帝だろう。

 でなければ、あれほどなじられて大佐が黙っていることはないだろう。


「私は降伏したくない」


 突然、背後に気配を感じて、ハレイシアは振り返った。少し行ったところに王国軍兵士がいる。きっと、ハレイシアを探しにやってきたのだろう。


 ──このままでは、新皇帝が見つかってしまう!


 クラウスのことだから、幼なくとも新皇帝を見つければ殺してしまいかねない。もしそうなれば、帝国軍は退けなくなる。帝国軍は降伏もできず、戦って玉砕するしかなくなる。ハレイシアの脳裏にふと浮かんだロイス・ロッシュの顔は、いつも通り、にやにやと笑っていた。


 ──新皇帝は、まだ子供ではないか。


 ハレイシアは迷路へ向けて声をかける。


「シルバリエ大佐、ご無沙汰しています。ハレイシア・デューンです」


 先代皇帝の首を引き渡したときに「殺しにいらっしゃい」とロイス・ロッシュに言われた。殺さねばならない敵であったとしても、ハレイシアと同様に民への被害を最小限に食い止めようとしたロッシュの死をあまり見たくはない。彼以外にも、帝国側に民の被害を考える者がいればいいのだが、今となってはわからない。

 ハレイシアの呼びかけに、あたりが緊迫感に満ちる。


 ──早く動け。逃げろ!


 トゥール・シルバリエが、目を丸くして、こちらをじっと見ている。ハレイシアはそっと追いはらう仕草をしてみせる。トゥールがわずかに目を細め、黙ったままうなずいた。

 ハレイシアの声を聞いた王国兵が走り寄ってきた。副将だ。こちらにおられましたか、という声に、ハレイシアはうなずいた。


「どうかされましたか」

「いや、見事な庭園だと思って」


 このまま、気付かないでいてくれればいい。

 副将はハレイシアが背中で隠した景色を、わざわざ周りこんで見ようとする。止めては不自然だ。気付くな、気付かないでくれと祈るが、光の神メイジスはハレイシアの嘘を助けることはしなかったようだ。


「あれ、あそこにいるの、南国の魔法使いですか?」


 ハレイシアはメイジス神を呪った。人を守るための嘘ならついても構わないと教えるくせに。この次の謝礼祭では、フェシス神だけに祈りを捧げようか。


「大事な会談の前だ。無用な争いは起こすなよ」


 こうまで言えば、いくらハレイシアの気持ちを察して動いてくれない副将でも接触しに行こうとは思わないだろう。ハレイシアはそう思ったが、副将は軽くうなずいて、そのまま迷路へと歩を進めた。


「おい!」

「一言、ごあいさつしたくて。今日はこれから歴史的な会見に立ち会うんですから、デューン将軍の副将として、失礼のないようにしなければ」

「やめておけ」

「はい?」


 待てというのもおかしい気がして、ハレイシアは言葉を飲みこんだ。


 ──こんなとき、ロイス・ロッシュだったら、どうやってごまかすだろう?


 ハレイシアはにやにや笑いの男がこの場にいてくれればいいのにと唸りながら、副将の後を追う。段々トゥール・シルバリエ大佐と副将の距離が近づいてくる。どうにかしなくてはという焦りで頭が一杯になって、何も案が浮かばない。もうトゥールは目の前だ。そんなハレイシアに、トゥールはうなずいて見せた。


「トゥール・シルバリエ大佐! お初にお目にかかります。ハレイシア・デューン大佐の副将をさせていただいてます──」

「副将?」


 訝しげなトゥールに、副将が補足する。


「あ、帝国で言うなら副官です」

「王国では、上官よりも先に副将があいさつするのか?」


 トゥールが助け舟を出してくれたらしい。ハレイシアは安堵のため息をついた。


「王国兵は礼儀知らずと言いたいんですか?」


 空気の読めない副将には逆効果だったようだ。ハレイシアがいさめようと「よせ」と発したが、かき消されてしまった。あわてて副将の肩をつかむが、激した彼はすぐにその手をふりほどいた。シルバリエ大佐に助けを求めると、先ほどと同じようにうなずくだけだ。


 ……大丈夫なのか?


「これは失礼。本当にそういう規定が敷かれているのかと思っただけだから、他意はないよ。デューン将軍が困っているように見えただけだ」


 副将がむくれた顔のまま、ハレイシアを一瞥する。ハレイシアが「よせ」といさめると、今度こそようやく副将は黙って引き下がった。敬礼だけして、見回りに行くと言って去った。

 副将の姿が見えなくなってから、ハレイシアはシルバリエ大佐に深々と頭をさげた。シルバリエ大佐は頭をかいて、苦笑する。


「シルバリエ大佐、うちの副将が申し訳ない」

「いや、それはこちらの台詞だ」

「困ったものです。よく気を回してくれるし、決して悪い奴ではないのですが……どうも人の話を聞かないというか」

「うちの司令官殿に似ているな」


 ロイス・ロッシュのことだろう。自分の副将とは似ても似つかないなと、ハレイシアはため息をつく。


「彼には戦術を考える頭があります。副将にはそれがない。貴族の割に頭はやわらかい方ですが……」

「それはそれは」


 大佐の浅黒い肌の中から、にゅっと白い歯がのぞいた。ハレイシアは意味がわからず、内心で首をかしげる。


「本当に、南国の魔法使いの力をお借りしたいくらいですよ」

「貴族さんたちが生まれたときにくわえてくる銀の匙には、魔法を跳ね返す効果でもあるらしくてね。どうにも効き目が薄い」


 シルバリエ大佐が肩をすくめる。さりげなく、王国に協力しないかという誘いは断られてしまった。少し前までの同僚は、今や敵だ。嘆息するハレイシアに、シルバリエ大佐が言葉をかける。


「デューン将軍、昔から思っていたんだが……」

「はい」

「君は元々表情に乏しいから、時には酒でも飲んで、思ったことをそのまま吐き出した方がいい」

「酒……ですか?」


 表情を変えずに、ハレイシアはただ、トゥールの言葉をくり返した。


「飲んだことは?」

「ありません」

「じゃあ、今度一杯ご馳走しよう」


 シルバリエ大佐は開城を任されている。降伏すれば、王国軍は彼を捕虜として扱うだろう。まさか降伏した者の命を無碍(むげ)に奪うような真似はしないだろうが、牢に閉じ込められる可能性はありうる。


「……そうですね」

「君は表情に乏しい割に、嘘がひどく下手だな。この程度のこと、さらりと流してしまえ。南国の魔法使いの面の皮を、貸してやりたいものだ」


 南国の魔法使いがさわやかに笑うのにつられて、ハレイシアも少し笑った。


「そこにいるのは誰だァ!」


 なごやかな空気を破ったのは、ハレイシアの副将の叫び声だった。何事かと、現大佐と元大佐は走り寄る。

 副将が見つけたのは、少女だった。迷路の中から引きずり出された少女を見て、シルバリエ大佐の視線が泳ぐ。帝国兵士の服を着ているが、随分と幼い。少女は、金色の髪と、空より深い青の瞳をもっていた。

 少女の姿を見た途端、ハレイシアは後宮の主を思い出した。噂を聞いたことがある。マリー・ライズランドの娘、オフィリア・ライズランドは、後宮の中で育ち、その姿は誰も見たことがないが、母君によく似ている──と。

 目の前の少女は、本当にマリー・ライズランドによく似ている。


「子供だ」


 シルバリエ大佐がそう言うと、副将が憤った。


「帝国はこんなに幼い子供まで戦に連れ出しているのか!」

「民間人を城に避難させたからな。……どこかで見つけた兵士の服を着たのか? 城を守ろうとするその意気やよし」


 トゥールの頬に薄い笑みが貼りついた。


「貴様ら……!」


 副将が今にもトゥールの胸倉をつかみそうな勢いで、怒りに震えている。南国の魔法使いはその横で、淡々と少女に向けて言葉をつむいだ。


「しかしお前のせいで、降伏交渉が決裂したらどうするつもりだ? こちらの将が大層お怒りだ」


 シルバリエ大佐が地面に座ったままの少女を無理に立たせる。静かな怒りがふつふつと湧き上がるような、荒っぽい仕草だった。副将が黙る。怒りが醒めてしまったのだろう。


「少年兵もどきの民間人のせいで、せっかくの話し合いが台無しだ。これじゃ、街がどうなるか……お前が何をしたのかわかっているのか。城にいる間は民間人であれ、命令に従ってもらわなくては困る。緊急時だ。命令違反はたとえ正当な理由があろうと認めるわけにはいかない。規律を乱すことになる。厳罰に処すからな」

「待ってください」


 ハレイシアが止めるのをふりきって、シルバリエ大佐は少女を突き放す。


「デューン将軍、これは帝国の問題だ。口を出さないでもらおう。民間人だからと甘やかしていたら、ろくなことはない」

「もういい! 帰してやってくれ! ……デューン将軍も、構いませんね?」

「なぜ?」


 あわてて止めに入った副将も、少女が新皇帝に近い年齢であることには気付いているだろう。だから声をあげてハレイシアに知らせたのに違いない。ハレイシアは、それを理解した上でわざと副将に問いかけた。


「皇室と馴染の深いシルバリエ大佐が、新皇帝にこんな真似をするとは思えません」

「そうか。では、外に出してやろう」


 シルバリエ大佐が少女の背中を思い切り叩く。


「王国の将軍が慈悲深くてよかったな。感謝するんだぞ。とっとと城から出ろ。俺の役目は、この街を守ることだ。この街に被害を出させるわけにはいかないんだ」


 少女は激しくむせている。副将は間に割って入ると、その背中をさすってやった。にも関わらず、南国の魔法使いは少女の襟首をつかみ、放り出した。副将が「やめてやってくれ!」と声を上げ、支えるようにして城門へと歩いていく。


「私が城門まで送ってやろう。さあ、おいで。怖かったろう」


 副将が歩きはじめると、ハレイシアは黙ってトゥールに視線を送った。南国の魔法使いは先ほどと同じように薄く笑う。


「この城ともおさらばだ。寂しいが……仕方ない」


 少女と副将の後ろ姿をながめながら、トゥール・シルバリエが小さく敬礼する。


 ──やはり、あの少女が新皇帝だったか。


 ハレイシアがそう確信したとき、少女がちらりと振り返った。涙ぐんだ少女は、トゥール・シルバリエに小さく頭をさげたように見えた。



第六章 地龍伏す・了

第七章 海龍暴る へつづく

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