第六章 地龍伏す 第五話
はじまりは一発の誤射だった。
操作をまちがった粗忽者のせいで、しびれを切らしていた両軍は動きだした。
人のあふれるカーミラ城内をあわただしく伝令兵たちが走りぬけていく。民衆はすでに城内に避難させている。
大砲の音を聞き取って、ロイス・ロッシュ中佐はすぐそばの窓から身を乗り出した。
「中佐!」
見張り塔からの伝令を任せられていた兵があわただしく、らせん階段をおりてくる。
皇都の外では大砲の打ち合いがはじまっていた。
「ばか、なんではじまってるんだよ! 朝まで待てって言ったのに!」
一つ報告を受けると、また次の報告が階下からやってくる。
「反乱軍の誤射があった模様です。どうされますか?」
このままでは今いる場所から動けなくなる、そう悟ったロイは命令を伝えながら階段をおりる。
「誤射に撃ち返した奴の処遇はあと! 現在の状況をシルバリエ大佐に伝令。迎撃戦については直接現場で指揮する。外の部隊にもそう伝えてくれ。俺が城から出るまでは積極的に戦うな。兵を下げられるなら下げて朝まで待った方がいい!」
今すぐにでも戦場を止めたいのをこらえて階段をおりると、次の新たな伝令兵が現れた。一階から駆けあがってきたようだ。
「伝令! 北山間部に反乱軍別働隊がいるようです」
「ラグラスだろうな」
ロッシュ中佐は伝令兵に礼を言って、シルバリエ大佐の居場所をたずねる。先ほどからあちこち駆け回っているシルバリエ大佐を捕まえて、早く手を打たなければならない。
赤いじゅうたんの敷かれた廊下を突き進んで龍の間にたどりつくと、珍しくトゥール・シルバリエが怒鳴っていた。
「計画の六〇パーセントしか進んでない? どういうことだ!」
ここ数日間の激務のせいか、いつもより気が立っているのかもしれなかった。
「どうしたんです?」
重い扉が背中で閉まり、廊下をかけまわる伝令兵たちのあわただしい足音をさえぎった。それでも足音が止まないのは、室内をせわしなく動く補佐官たちのせいだろう。
「生活物資が足りない」
「民が城にいるからですか?」
カーミラ城に民衆を避難させたこともあって、備蓄食糧の減りが想定よりも早くなっている。
追加で補給できる物資はあてにしないほうがいい。城の外が戦場になれば、物資の輸送ルートがまず狙われる。長期戦を考えずに短期で片付けなければと、ロイは瞬時に思考をめぐらせる。
「備蓄物資の使用率は計算済みだ。進んでないのは徴収だよ。各貴族でばらつきが出てる」
シルバリエ大佐は言葉だけは淡々と発すると、怒りで唇を曲げた。
──貴族はいつだって高みの見物だ。こっちはドッグレースやってるんじゃないんだぞ。
ロイも自分が貴族であることを忘れて舌打ちをする。思わず声に出しそうになる言葉を飲みこんだ。貴族だらけの城内で、うかつな発言はできない。今、内部でごたごたを起こすわけにはいかなかった。
「それはオフィリア様の即位を認めないってことですか?」
貴族たちの承認を得るだけの時間もない、急ごしらえの新皇帝、オフィリア・ライズランド。
ロッシュは鼻を鳴らすことで怒りを飲みこむ。
オフィリア・ライズランドを女性だと思っていた者が多いのもあって、関わりのあった貴族はさほど多くない。後ろ盾になろうという上流貴族は皆無に等しい。貴族を束ねるマーブル家が反乱軍……王国側にいる以上、これからも後ろ盾は期待できないだろう。横の繋がりが強い家族たちは、より有力な貴族と敵対することを避ける。
「先代皇帝の処刑も伝わっているようだ……くそっ」
遠くから、どん、と大砲の音がして、ロイは我に返った。大佐も気付いたようで、すぐに顔をあげる。
「もうはじまっているんだな」
「ええ。あっちのバカが誤射したそうです。北に別働隊もいるとか。多分ラグラスでしょうね。ラグラスがいると知ってたら、アスハト教の信徒は協力しないでしょうから」
シルバリエ大佐が眉間を指ではさんだのを見て、ロイは笑った。
「ずいぶんやつれましたね」
南国の魔法使いは顔をくしゃっと中央に寄せる。
「好きでやつれてるんじゃないぞ」
「んなこたぁわかってますよ。もう若くないんだから、無理しないでくださいね」
シルバリエ大佐が眉間をもんで首を左右に傾けるたび、大きな音をたてて首が鳴った。
「戦場は若いお前に任せる。士官学校のシミュレーションじゃ主席だったんだろう? 年寄りを戦場に引っ張り出さないでくれよ?」
一際強く指に力をいれると、シルバリエ大佐は手をはなす。まばたきをくりかえしてロイを見る。
「元からそのつもりです。任せてください。ついでに援助を渋ってる弱腰貴族や軍のおえらいさん方を脅してきましょうか」
「いい。それは俺の仕事だ」
「じゃあ北の別働隊の動向を追っててください。奴らが攻めてきたときのために、こっちも兵力を温存しておきましょう」
お互いににやりと笑いあったのを確認して、ロッシュは敬礼もせずに戦場へと向かうべく、身をひるがえした。好きに暴れてさせてもらえるとは、軍人冥利に尽きる。
赤いじゅうたんの敷かれた廊下の中央部を突き進み、階段をおりて城門へつづくアーチをくぐる。
腰の剣と銃を確認して、用意された馬にまたがった。黒馬は大きく胸をはりながらも、戦場の空気に怯えるように耳を動かしている。
軽く腹を蹴ると、馬は一気に加速して城壁をくぐり抜けた。石畳の通路を越えて、無人となった街のメインストリートを駆け抜ける。
──市街を守るのは、俺の役目だ。
背後には宵闇に淡く浮かぶ白亜の城がある。ロイはふりかえらずに、脳裏に思い描いた。
ラズラス・マーブル大佐がカイルロッド・フレアリングに殺されてもなお、城を守ろうとしたように、己もまたこの街を守らなければならない。
衛兵の掛け声と共に大門が開く。分厚い鋼鉄でできた門は、がしゃがしゃと派手な鎖の音を鳴らして上に開いた。身をわずかにかがめ、すべりこむようにして馬を走らせる。
暗い草原には兵士の後姿がずらりと並んでいた。ざっと見ても騎馬部隊、歩兵、槍兵、銃兵がいるのが見える。
「帝国陸軍中佐、ロイス・ロッシュが到着したぞ!」
外気とほこりが大門のすき間から市街に侵入しようとして、防がれる。大門が下りた。
最後列に構えていた味方がふりかえり、一気に歓声をあげる。兵士たちの声は波のようにうねりながら、前線へと運ばれていく。
「戦況の報告頼む。俺は参謀本部に行く。ついてくるか?」
ロイの声に、これまでの現場指揮官である少尉は「はっ」と敬礼を返した。
人の波を越えて進む。大砲が撃たれるたびに、鼓膜が大きくふるえて麻痺したようになる。そのせいもあってか戦場に飛び交う声はどれも怒号に聞こえて、ロイは馬上で肩をわずかにすくめた。
前線を守る者たちが前進を食い止めてくれているようだ。前進して帝国軍を追おうとする敵の勢いも相当なものだろうが、うまく堪えてくれている。
あとで感謝状もんだな、と小さくつぶやいたつもりだが、戦場はあまりに騒がしく、本当に声に出せたのかわからなくなった。
「敵は横一線に並んでいます」
「はん、まだユーミリアがイスハルから帰ってないのを知ってるな。真っ向勝負を選ぶなんて、数で押せば勝てると思ってるんだろう。敵が大砲を撃つ間隔は?」
士官服のまま戦場に出てきた上官に、少尉は鎧を手渡した。黙って受け取ったものの、ロイは着用しようともしない。
「あのう、そんなことよりも早く鎧を着たほうが……」
「いいから。敵の大砲は何分間隔で撃たれてる?」
「三十分に一発です」
「ってことは、まだ本気じゃないな。敵兵との距離と照準は?」
望遠鏡をのぞきこんで、じっと様子をうかがう。小さな丸い視界を、砲弾が横切っていった。
「敵兵の最前までの距離はおよそ四五〇〇。敵兵の大砲部隊は最後方にいて、帝国軍とは六〇〇〇ほど離れています。照準は帝国軍前線部隊のようですが、今のところ直撃したものはないようです」
報告をしながらも、心配そうに鎧を見ている少尉に、ロイは笑顔を返す。
「大丈夫、やつらまだ本気じゃない。大砲を夜に撃つのは威嚇だよ。照準が合わせづらいからな。明るくなりだしたら攻撃してくるぞ。最前列は旗だけその場に立てて後退! 敵に気付かれるなよ。後方にいる奴は鎧を脱げ! 朝が来るまでに、ばてちまう!」
命令に兵が一瞬ざわついたのに気付いて、ロイは高く笑った。
「皇都に入られたら、お前たちの大事な女をとられるかもしれないぞ!」
誰もが「お前が言うな」という目を向けるのを知っていて、ロイは叫ぶ。
「俺にとられるのと敵にとられるの、どっちがいい! 俺は絶対無理じいはしないぞ! 落ちない女は口説かない!」
戦場に笑いが起こって、後方の兵が鎧を脱ぎはじめた。その様子を満足げにながめながら、ロイは伝令兵を呼びつける。
「シルバリエ大佐に伝言。飯食わせろ」
「えっ……お食事ですか」
「そう。兵士全員にな。最低でも一人二個はパンをよこすように伝えてくれ。水も忘れずに」
「りょ、了解しました!」
伝令兵が塀の向こうに消えていくのを見届けて、ロイは空を仰ぐ。暗くなった空が明るくなるまで休むことにした。
兵を二つにわけ、交代で休むように伝えると、自分も兵営のテントにもぐりこむ。敵に動きがあればすぐに知らせろと首だけだして、少尉に伝えた。
横になると、ここ数日の疲れからか、一気に眠りが訪れた。泥のように眠りゆく中、夢を見た。
あちら側が透けて見えるのではないかというほど透明感のある肌をした義母、アルベルティーヌ・ロッシュはおだやかに笑うと、銀の鍵を一つ差し出した。一切の温度が感じられない手から受け取った鍵は、いつかのようにひんやりとしている。金属特有の臭いのしない鍵をロイはそっとにぎりしめる。
「アルベルティーヌ、俺……」
何をつづければいいのか、わからなくなった。大人になったよと言えばいいのか、夢でも会えてうれしいと言えばいいのか、それとも心配かけてごめんと言えばいいのか。
言葉につまって逡巡するロイを待たずに、アルベルティーヌは小さくうつむいた。
「ごめんなさいね」
「それは俺が言わなくちゃいけない」
「私が早くに死んでしまったから」
ロイは黙って義母の顔を見つめる。肯定も否定もできなかった。
──アルベルティーヌがもっとそばにいてくれたら、父が苦労させたことなんか忘れるくらい、幸せにしたのに。
「もう、囚われることはありませんよ」
「囚われる? 何に? 俺は何にも囚われていません」
顔を上げて答えたロイに、アルベルティーヌはただ、おだやかに微笑んだ。
「いいわね? ローデリヒ・イジドール・ステファン・ロッシュ」
散る花が宙を舞うようにゆっくりと、アルベルティーヌの声が揺らいでいく。
「アルベルティーヌ! 俺が一体、何に囚われていると言うんです!」
視界をおおう白い霧を追いはらいたくて、ロイは叫ぶ。それでも霧はますます濃さを増していく。
あとを追おうとして身体を起こすと、緑色の兵営テントがロイを迎えた。
テントから顔を出す。霧はなく、ただ暗い闇が広がっていた。
「よくお休みでしたよ」
寝癖のついた頭をかきまわしていると、テントの外で暖をとっていた少尉が笑いかけた。
「……今、何時だ」
「三時十五分です。四時にはここも明るくなるでしょう。命令があれば動けるようにしてありますよ」
「ん、ありがとう。じゃあ、騎馬部隊と前列の歩兵にだけ鎧を着用させて、テントたたんで。シルバリエ大佐に頼んだ飯は届いてるか? 届いてたら、配ってくれ」
「鎧は前列だけでいいのですか?」
「接敵したら、布陣の真ん中あたりに大砲が飛んでくるはずだ。前線を狙うとあっちの味方も巻き込むことになるからな。鎧が重いと大砲が飛んできたときに逃げにくいだろ? 前線でも脱ぎたいやつは脱いでいいが、小銃には気をつけてな。撃たれる前に撃て」
少尉は一瞬間抜けな顔をしたのをすぐにひっこめて敬礼すると、すぐに伝令兵を呼んだ。命令を受けた伝令兵たちが、布陣した帝国軍の隅々に命令を届けるべく走り出す。
ロイは運ばれてきたパンをかじりながら銃口にブラシを入れた。少尉が代わろうと手を伸ばすが、断る。
空を仰いだ。まだ暗いが、夜が明けようとしている。先手を打たれるわけにはいかない。
「全軍準備整いました!」
伝令を受けて走ってきた少尉は士官服姿だった。同じく士官服姿のロイが立ち上がる。
「じゃあ、行きますか。最前列を騎馬部隊にして、距離五〇〇〇まで全軍前進。砲撃部隊は距離二五〇〇で固定。照準は味方の進軍にあわせろ。最前列の騎馬部隊から距離一〇〇〇は先に飛ばせ。でないと同士討ちになるからな」
まだ月がほんのり輝く空の下で、ロイス・ロッシュ中佐はにやりと笑って、最後に残ったひとかけらのパンを口に放りこんだ。
午前四時、ロイス・ロッシュ中佐率いる帝国陸軍は王国軍との本格的な戦闘を開始した。
最前列の騎馬部隊が槍と剣で敵をなぎ倒し、後方から放たれた砲弾は反乱軍の足元の大地をえぐる。最前列にいた敵の歩兵が騎馬部隊の勢いにひるんだところで、騎馬部隊の次に控える槍兵がなだれこむ。反乱軍の前列を切り崩していった。
全軍の中盤からその様子を見ていたロイの元に、伝令兵がやってきた。
「どうした」
「ユーミリア・ユグドラシル大尉、帰還されました!」
「早く出て来いって言っとけ」
とんぼ返りに戻っていく伝令兵を見送って、前線に視線を向けた。望遠鏡を使おうとした手を止める。
「大砲来たぞ! よけろー! 物陰に隠れろ!」
反乱軍の大砲が空から降ってくる。小さかった砲弾が速度をあげて段々と大きくなる。軍服を着た兵たちが物陰に隠れると、黒い砲弾は地面にめりこんだ。
「誰が当たってやるもんか。こっちも撃て! 鎧着てドッジボールする奴らなんか、ぶっ飛ばせ!」
ロイス・ロッシュ中佐が叫ぶと、数秒おいて飛んでいった砲弾が、敵陣に斬りこんだ。




