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エンドロール・サガ  作者: 網笠せい
第六章 地龍伏す
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第六章 地龍伏す 第二話

 白亜の城からメインストリートを下って、ユーミリア・ユグドラシルは小さな路地に入る。頭上で洗濯物が、祭りの日の旗のように部屋同士をつないでいた。近道とはいえ、それほど治安のよい地域ではない。階段に座った娼婦が足音を聞いて顔をあげた。再び広い道路に出て、今度は右に曲がる。石畳の道を自宅へ向けて進んでいると、大きな花束を抱えた男とすれ違った。


「ロイ?」


 コートを着た上官が、花束を二つも持っていた。吹き抜けていく風に、銀髪が踊って乱れる。何本ものバラがざわざわと鳴る。


「ああ、ユーミリアか」

「これから女の人のところに行くんですか?」


 二つも花束をもって、二股でもかけるのだろうか。


「そんなのじゃ、二股がばれてしまいますよ」


 女性に関しては抜け目ない上官がそんな初歩的なミスをするとは思えないが、一言忠告する。


「お前なあ……墓参りだよ」

「お墓参りですか? 命日でさえ何もしない、不信心なあなたが?」


 ライズランドでは故人の命日に、闇の神フェシスと死者に祈りをささげる。

 闇の神官たちを監督するのはユグドラシル一族の仕事の一つだが、ロイの家に呼ばれたという報告は聞いたことがなかった。


「信心と墓参りは関係ない」


 ロイが右手の花束を肩にかついだ。白いバラがざわざわと鳴る。左手には小ぶりの黄色のバラの花束がある。


「誰の墓参りです? お母様ですか?」

「そう。あと……アルベルティーヌの」


 育ての母の名を告げて、ロイがわずかに視線をそらした。


「照れてるロイなんてなかなか見られないですよ」

「うるさい。ここで会ったのも何かの縁だ。ちょっとつきあえ」


 上官はそれ以上何も言わずに黙々と足をすすめる。

 夕焼けがつれてきた夜が、空を青くにじませていく。さっき路地で見かけた洗濯物はもう取り入れられただろうか。

 墓地のアーチをくぐると、無数の墓石が並んでいた。迷うことなく一つの墓石の前に行き着くと、ロイは手にしていたコートを脱いだ。

 ユーミリアも同じように薄手のコートを脱ぐ。死者に礼を尽くす上官が意外だったが、からかうのはやめておいた。

 墓地の地面が石畳にかわって、靴音が大地に吸収されることなく響いている。地上から空へ向けて伸びるらせん状の墓石に、銀髪の中佐はそっとコートをかけた。


「何してるんです?」

「うるさい。お前も神官の端くれなら、ちゃんと祈りを捧げろ。そのためにつれてきたんだからな」


 アルベルティーヌ・ロッシュと刻まれた墓石の前には、少ししおれた花束が置いてある。ロイの持ってきた白い花束と同じような花に見えた。


「偉大なるフェシスのお作りになられた大河と大海と大地に還り、この地の豊かさを守ってくださることに深く感謝いたします。豊かな水は大地を潤し、大地は我らの糧を含む生き物たちを育みます。我々がこうして生きながらえているのも、皆さまが自然の理に従い、大地にその身を還してくださったからに他なりません」


 上官がしおれた花束を二つの墓前から下げて、新しい花束を置く。白い花束はアルベルティーヌの墓前、黄色い花束は生母の墓前、少ししおれた二つの花束は、再利用されて父親の墓前に置かれた。見事にロイのなかでの優先順位を示している。


「お三方がこの広大なショハモシーラの一部となられ、環を巡るように幾度も我々に恩恵を与えてくださっていることに感謝します。ロッシュ家現ご当主ローデリヒ・イジドール・ステファン・ロッシュに代わり、闇の神官ユーミリア・ユグドラシルがお礼を述べさせていただきます」


 上官の父の墓を囲むように、しおれた花がいくつも並んでいる。少ししおれた花、かなりしおれた花、完全に枯れた花。墓場にあふれる花束を数えていて気がついた。


 ──もしかして毎日来てるのか?


 なるほど、信心と墓参りは関係ないらしい。

 ユーミリアの祈りの言葉など聞き流していたロイが、白い花の置かれた墓石に話しかける。


「アルベルティーヌ、もうすぐ寒くなるからな。風邪ひくなよ」

「ひけませんよ」

「お前は黙って神官の仕事をしろよ」

「とっくに終わりましたよ」


 照れを隠してきびすを返したロイのあとを追う。上官の唇がかすかに「ありがとう」とつぶやいたのを見逃さなかった。誰に向けてのものか一瞬考える。きっとアルベルティーヌへの言葉なのに違いない。


「言わないんですか? アルベルティーヌ様に」

「何を?」

「いつも女の人に言ってるじゃないですか。好きだとか、愛してるとか」


 ユーミリアは墓石をふりかえった。


 ──どうしてロイを残して逝ったんです?


 落日が墓石をオレンジ色に染めあげていた。

 アルベルティーヌが死んでから、ロイは変わった。女性といるのは今も昔も変わらないが、アルベルティーヌの死によって、特に誰かを優先することがなくなったように思う。


 ……大切な人なんて、もういないってことですか?


 向かう先をなくした思いはとぐろを巻いて、生き残った人間の人生をねじ曲げてしまうのだなと、ユーミリアは思った。


「ばかやろう。お前こそ早く帰ってアリアちゃんを抱いてやれ」

「たとえ上官命令でもそれは拒否します」


 ふりむいた上官は、しばらく何かを言おうと拳をにぎりしめていたが、結局だらんと腕を投げ出した。


「そうか」


 アリアの話題にかかわることを避けるように、おしゃべりになった上官の言葉を軽く流して、ユーミリアは黙ったまま足を運ぶ。


「三丁目のルチアとは三ヶ月前に別れた。珍しくふられたんだ。何が起こったのかとびっくりしたんだけど、どうも親が決めた婚約者と結婚することが決まったらしい。お前が知ってる六丁目のマチルダとは一昨日喧嘩した。このご時世だから結婚してくれってさ。うるさくなってきたからもう別れようかと思ってるんだ。ライラック川のそばに住むマチルダには今から会いに行く。彼女は後腐れないから楽だよ。でも他の男と歩いてるのを見ると、もっと俺にのめりこませたくなる。これも嫉妬のうちなのかもしれないな」

「ろくな死に方しませんよ」

「軍人なんてみんなろくな死に方しないよ。でも俺が死んだら、墓に花が絶えないだろうな」


 自分が殺されたら、アリアはどうするだろう? とユーミリアは考える。殉職する気も反乱軍に負ける気もない。しかし、もし任務の途中で死んだら?

 未亡人にしたくなかったから、軍人を辞めるまで結婚しないつもりだった。それで本当によかったのだろうか? 彼女の時間を浪費させてはいないだろうか。


 うつむいていると、いつの間にか身近な景色のなかにいることに気づいた。無理に元気なそぶりをする上官を、ユーミリアは苦笑で見送った。


「ただいま」


 ユーミリアが扉を開くと、すぐさまアリアがスカートのすそを躍らせながら階段を駆け下りてきた。至急と書かれた手紙を手にもっている。窓から差し込む光が白いエプロンにはねかえってまぶしい。胸元の赤いリボンの端がひらりと舞った。


「おかえりなさいませ。ユグドラシルから急ぎのお手紙が来ています」

「ありがとう」


 届きそうで届かない、幸福の尻尾がそこにあるような気がして、ユーミリアはアリアの様子に目を細めた。


「ユーミリア様、どうされたんですか?」

「ちょっと今ごたごたしててね。小さなことが嬉しいだけ」

「そうですか。今日はユーミリア様の好きなお魚を買ってきました。すぐ食事にしますからもう少しお待ちくださいね」


 反乱軍のことさえなければいいのに。

 アリアが台所に消えたのを見送って、手紙の封を切る。間違いない、先日手紙を送った兄からだった。階段に座って手紙を取り出した。ほんのり黄色い便箋に、几帳面な文字が並ぶ。


『我が弟ユーミリアへ。

 先日の物資を皇都に送るという話、了解した。

 しかしながら我らユグドラシルは全面的に協力するわけにはいかない。王国軍に要請されれば帝国軍にしたのと同じように兵糧を差し出すつもりだ。

 古来よりユグドラシルはその宗教、教義、技術や文化を後世に伝えるために一族を二分してきた。お前のような優れた者が国家に召抱えられたおかげで栄えてきたことは皆が承知している。

 しかし一族を絶やすわけにはいかぬ。誰かが生き残り、誰かが子孫を残さねばならない。

 ユグドラシル内での意見は帝国派と王国派にわかれている。先達たちがしてきたように、我々も一族を二分するつもりでいる。私は王国派を率いよう。お前には帝国派を率いてもらいたい。それがユグドラシルを統治してきた者としての役目だ。一族内の帝国派に武器兵糧をもたせ、皇都に送る。健闘を祈る。


 ユグドラシル領主 ユージス・ユグドラシル

追伸

 お前も早く結婚して子供を作れ。自分の血をひく者を残す、これも一族の者の勤めだ』


 感情を表に出すのが苦手な兄の姿が脳裏に浮かんで、手紙を丸めた。階段を下りて台所でアリアに小さな火をわけてもらい、庭に出る。

 手近な落ち葉を集めて、手紙を燃やした。赤や黄の落ち葉はかさかさに乾いていて、あっという間に手紙が黒くなる。用心のために、ユグドラシルからの手紙は読んだら燃やすことにしている。

 燃える炎に向けて頭を下げた。煙が目に入ってしみたが、そこから動くのも兄に背を向けるようで申し訳なく、手紙が灰になるのを待った。

 手紙が風に舞うほど小さな灰になったのを確認してから、背を向ける。

 アリアが声をかけあぐねるようにして立っていた。


「魚は焼けた?」


 焦げ茶の髪のメイドは、ただうなずいて、口元をおおった。これから故郷と敵対せねばならないことを察しているのだろう。白い指の隙間から小さな嗚咽がもれるのを聞いて、ユーミリアは伸ばそうとした己の手を止めた。


 ──今、手を伸ばすわけにはいかない。


 アリアの隣を通り過ぎて、食卓に向かう。

 焼き魚とパン、スープ。いつも通り、二人分の小さな食卓だ。

 ふんわりと焼けたパンを手にとって半分に割ると、中にくるみが見えた。ユーミリアがその小さな粒を手にとって口に放り込む。渋皮の苦味が口のなかに広がった。温かいスープは豆と鶏肉をトマトで煮込んだもので、ほのかな酸味が舌に残った。素材の味のわかる味付けは、ユグドラシル地方で好まれるものだ。

 幸福の切れ端が、ユーミリアの心に爪をたてていく。

 やがて食堂に入ってきたアリアは、黙って席についた。目は赤く腫れていない。前髪がほんの少し濡れているから、顔を洗ってきたのだろう。

 フォークとスプーンで焼き魚の身をとる。やわらかな白身魚を噛みしめた。

 アリアが食事を終えるまで待とうとゆっくり食事をしたが、彼女の食事はなかなか終わらなかった。

 この後、ユーミリアが告げる言葉を知っているからこそ、彼女も時間を惜しんでいる。

 もう待てないとユーミリアがティーカップを置いたとき、アリアが口元を拭いて「ご馳走様でした」と小さく告げた。

 出鼻をくじかれて距離を測りなおそうとするユーミリアに、アリアは悲しげに微笑みかけた。


「お暇を、頂戴したく思います」


 ──アリアに何を言わせた!


 己の不甲斐なさに、激しいいらだちを覚えた。自分から言おうと思っていた言葉だった。アリアがどれほどの悲哀を胸に刻むか、想像しただけで苦しかった。


「ユグドラシルへは戻りません」


 ──ユーミルが退役したら、二人でユグドラシルへ帰りましょう。


 皇都に出る前にアリアがそう言ったのを思い出す。

 いつも彼女に頼りきって、甘えてばかりじゃないか。言いたかった言葉をすべて、アリアに言わせてしまった。

 返す言葉など見つからない。

 ロイならば、ただ抱きしめてやればいいと言うだろう。兄もきっとそれを望んでいる。けれどもそれではいけない。彼女は自分の感情をぶつけるための存在でもなければ、子を産み育てるための道具でもない。


「俺のことは──」


 ユーミリアの乾いた唇からようやく出た言葉はかすれていた。

 十年連れ添った恋人は、微笑んでユーミリアの言葉を制する。


「忘れろとおっしゃるのでしょう?」


 目を伏せたアリアの頬に、まつげが小さな影を作る。


「でも従いません」


 小さな食卓をはさんで届く言葉は、どれもきっぱりとしている。


「お暇は、さっきいただきました。私はもうあなたのメイドではないから、お言葉には従いません」


 ここまで待たせて、将来のことを期待させて、そうして別れを迎えたことを、恨んでくれればいいのにと、ユーミリアは額に手を当てた。


「ついてくるか?」


 黙ってアリアが首を横にふる。


「私はこの家を、あなたとの時間を守ります。ユグドラシルに帰るのは、ユーミリア様が戻られてからです」

「帰るかどうかもわからないのに?」

「お帰りにならないわけがありません」


 これ以上向かい合って座っているのが耐えられなくなって、ユーミリアは席を立った。


「他の誰かと幸せに暮らせ」

「……これを」


 ごとり、と食卓の上に似つかわしくないものが乗った。


「祖父が作った私の守り刀です。お持ちください」


 剣を受け取って、アリアの顔を見る。真っ直ぐな瞳が返ってきた。


「ご武運を」


 揺らがない決意がそこに見てとれて、ユーミリアは顔をそらす。食堂をあとにするユーミリアの背に、アリアの声が投げかけられた。


「フェシスのご加護を!」


 アリアの声が悲痛に聞こえて、思わず足を止めてしまう。このままではいけない。早く家を出なくては。


「……ユーミリア様に、フェシスのご加護がありますよう、お祈りしております」


 もう昔のようには、ユーミルとは呼んでくれないのか。皇都に来て以来、一度もそう呼んではくれなかった。最後まで、そう呼んではもらえないのか。

 戻らない時間が、ユーミリアの背中を押す。アリアの声を背中越しに聞いて家を出た。行くあてもなく街を歩いた。


「……俺が守りたかったのは、一体何なんだったんだろう?」


 自然に白亜の城が視界に入った。美しい城は誇り高く、街を見下ろしていた。

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